阿部家邂逅
人の噂は七十五日というが、今回の出来事はそう簡単に風化しそうにない。
世間はいまだに妖怪と陰陽師の話題で持ちきりである。
正確には、“未知の化け物”と“それと戦う謎の男”だが。
陰陽庁からは「イタズラに情報を流すことのないように」と関係者へ通知が来ている。
しかし、ネットの海を覗いてみれば、関係者と思われる人間の書き込みもちょいちょい見受けられた。
この流れは不可逆なものと言っていいだろう。
大きな変化の波が押し寄せる時の、落ち着かない空気が社会全体に満ちている。
仕事部屋にて、久々に帰ってきた親父と話をする。
「お父さんもこのことは知ってるよね。時代が変わるのかな」
「朝日様と恵雲様からお話があった」
日本最強といえど、俺はまだ子供で次期当主に過ぎない。
業務連絡は峡部家当主を介して行われる。
俺に直接来るのは急ぎの用事だけだ。
「これは以前から予定されていた流れらしい」
曰く、お偉方で話し合い、陰陽師の存在を表に出すことが決まったそうだ。
明治維新を機に完全に姿を隠した陰陽師が、数百年ぶりに表に出る。
この決定をするに至った原因は、恵雲様から聞いた“終焉の時”だそうな。
「既に陰陽庁があるし、一般の人に知らせても意味ないと思うけど……どうしてだろう?」
「その説明は、この方が直々にしてくださるそうだ」
そう言って親父が手渡してきた手紙には、峡部家を招待する旨が書かれていた。
差出人は“阿部家”である。
御剣家にお邪魔した時、食事中の会話で聞いたことがある。
阿部家は百年ほど前にできたばかりの新しい御家だ。
元は安倍家の次男坊だった男が独立して、西日本を拠点に活動し始めたらしい。
そしてつい最近、莫大な資金を背景に西日本を支配するに至ったという。
関西陰陽師会の頭領は設立当初から蘆屋家が担っていた。しかし、猛き者もついには滅びぬというように、阿部家の躍進を前に倒されてしまった。
今では阿部家の傀儡になったと聞いている。
阿部家が経営する陰陽財閥は超優良企業として有名だが、陰陽師界のごたごたを知っていると、社会の闇を感じる。
そんな関西陰陽師会の新頭領——阿部家が俺に会いたがっているという。
なんか、前にも似たようなことあったな。
「これは……行くしかないね」
「うむ」
阿部家とは敵対どころか、これまで交流すらなかった。
手紙の文面は至極真っ当で、要約すると『今後協力関係を築きたいから、うちに来てお話しない? 歓迎するよ!』といったところ。
宿泊はもちろん、往復の足まで向こうで手配してくれるという。
日本最強となった御家を招待するうえで、最大限の敬意を払っている。
よほどの理由がない限り、断るという選択肢はない。
「連休があるな。そこの日曜日に訪問する。問題ないか」
「うん」
こうして俺は、転生して以来初めての関西入りを果たすことになった。
〜〜〜
「日本三大陰陽師って、ヘリと発着場を家に完備するのが義務なのかな」
「知らん」
住んでいる場所こそ高級住宅街だが、生活自体は中流家庭な峡部家。
当たり前のようにプライベートジェットに乗せられ、伊丹空港からはプライベートヘリに乗り換え、そのまま阿部家にダイレクト訪問かますことになるとは思いもしなかった。
門を飛び越えてお邪魔した阿部家の敷地は、近代的な造りとなっている。
どこか御剣家に似ているような気が……築年数的に逆かな。
応接室に案内された俺たちは、屋敷の主人が来るまでしばし待つことに。
調度品とか内装の高級感が凄い。
こういうセンスはどうやって養うのだろうか。
コーディネーターに丸投げすれば何とかなるのかな?
家を建て替えるならこういうところも考えないと。
コンコン
響くノック音に、俺達はソファーから立ち上がる。
「おまたせしました」
現れたのは、パリッとしたスーツを着こなす三十代の男性。
自信に満ちた立ち振る舞い、しっかりセットされた髪、整った顔立ち、渋い声、明らかに仕事ができそうな雰囲気だ。
そして最も印象的なのが、塩砂家当主と同じ力強い眼光。
安倍晴明と同じく、人の上に立つ者特有のオーラを感じる。
彼こそ、関西陰陽師会のトップ、阿部家当主——阿部 黎である。
なるほど、対面するだけでわかる。西日本の陰陽師、そして日本を代表する財閥の指導者として相応しい人物であると。
「ようこそ、峡部家の御二方。歓迎いたします」
「本日はよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
初めての対談ということで、互いに形式的な挨拶を交わした。
社会的にも経済的にも圧倒的に地位の高い阿部家だが、その語り口はとても穏やかであり、祖母と同じく上流階級の余裕を感じる。
これから協力関係を築こうという会談なのだから当然かもしれないが、下にも置かない対応に少し困惑する。
挨拶の次はお礼を言わないと。しかし、ここは当主同士の会話がメイン。
よって親父、よろしく。
「イタコ互助会への口添え、ありがとうございました」
「いえいえ、こうして足を運んでいただいたお礼とでも思ってください」
恵雲様と初めて会った時、阿部家当主が俺と直接会うための挨拶代わりと言っていたが、本当のようだ。
あっさり流されてしまった。
むしろ、お礼を言うつもりがお礼を返されてしまう。
「こちらこそお礼を言わせてください。ご子息のおかげで、政界の味方を増やすことができました。ありがとうございます」
「政界?」
誰だろう。俺にそんな知り合いは……あっ、いたわ。
同じく忘れている親父に教えてあげる。
「真守君のお父さん。国会議員でしょ」
「……そうだったな」
すっかり忘れていた。
真守君とは普通にお友達として付き合っているが、そもそもコネを目的に近づいたんだった。
御剣家と東部家、おまけに源家の力があれば大抵どうにかなるので、畑違いな政治家を当てにする機会はない。
故に、俺から何かをお願いしたことはないのだが、なぜ阿部家と関係が?
「庄司議員は陰陽師公開案における慎重派の中核にいまして。なかなかこちら側に引き込めませんでした」
そんな派閥があるのね。
政界の裏事情なんて、一般市民の俺にはさっぱりだ。
真守君パパとは妖怪退治の一件以来関わりがないし。
「ある時、突然彼がこちら側についてくれることになり、慎重派の多数を公開賛成に引き込めました。その契機となったのが、ご子息だそうです。『子供が活躍しなければならないほど逼迫している陰陽師界の未来のために、力を貸したい』とか」
真守君パパがそんなことを……!
いや、とんでもない誤解なんだけど、結果的に陰陽師界の役に立ったならヨシ。
続く雑談は、人間性の確認や関係性構築を狙ったものだろう。
そして、会話を続けるほど明らかになるのは、峡部家の凡庸さと、阿部家当主の非凡さである。
さすがは新進気鋭の日本三大陰陽師が一角、会話の端々から頭の良さが滲み出ている。ウィットに富んだ会話ってこういうことを言うんだな。
それに対して、親父の口下手なこと。さらには凡庸で無難な受け答えときたら……もぅ。
このままではまずいな。
「今日は霊獣を連れていないのですか?」
阿部家当主が俺に問いかけた。
彼の霊獣は大当たり霊獣として有名な「黒狼」である。
黒狼は巨大すぎる体躯なので、さすがに応接室まで連れてくることはできない。
あとで見せてほしいとお願いしたところ、この返しである。
「お屋敷に上げて良いものか分からなかったので、使用人の方にお願いしてお庭で待たせています。ご覧になりたいと仰るのでしたら、すぐに呼べますよ」
「是非」
阿部様がそう仰るので、俺は早速オーダーに答える。
ここまでの流れは俺の狙い通りだ。
彼の澄ました顔を崩してやる。
「おいで」
——♪
「なんと……」
彼は二つの理由で驚愕した。
一つは、俺が呼んだ瞬間、サトリが室内に突如現れたこと。
もう一つは、天井に届くほど大きな姿に見えていること。
俺はこれまで何度か繰り返した問いを投げかける。
「阿部様には、何が見えましたか?」
「天照大御神の御姿が……」
呆然とした様子で答えてくれた。
天井を見上げる彼は、これまでの余裕が崩れるほど驚いている。
己の油断に気付いたのか、瞑目して小さく首を振った彼が再び目を開くと、今度は俺の頭より少し上を見つめ始めた。
今度は何に見えているのだろうか?
「なるほど、この子が……。話に聞いていましたが、実物を目の当たりにすると動揺してしまいますね」
サトリ、よくやった。
これこそサトリに期待していた仕事である。
当主同士の会話において、最初の格付けは重要だ。
地位も名誉も財産も負けている峡部家が、阿部家と対等に会話するのは難しい。
そこで、こういった小手先の技で精神的優位を取る。
さらに相手がこちらへ何を期待しているのか、サトリを幻視した姿で察することができる。
神を幻視するということは、超常の力を求めているということかな。
俺の攻撃力がずば抜けていることは周知の事実。阿部家も当然この力に期待しているのだろう。
滅多に使えない神の力より、リスクなしで普段使いできる俺の方が便利だからな。
精錬技術がバレたりとか、予想外の目的ではなさそうで安心した。
よくやったぞ、サトリ!
——♪
「突然現れたように見えましたが、それは霊獣の力ですか?」
「ええ、稲荷大神の御神使から教わった技術です。この子の存在は、常に僕と共にあります」
サトリは、俺のそばに瞬間移動できるようになった。
サトリから聞き取りしたあやふやな情報によると、東北旅行で教わった技術の一つらしい。
八戸市に突然現れたのもこの力によるもの。
弱点看破だけでも凄いのに、こんな力まで手に入れるとは。
まさに神がかった奇跡の御技である。
これらは公表して構わない情報だ。
むしろ拡散してくれ。
サトリが神の恩寵を授かった事実は、そのパートナーである俺の名誉にもなる。
後世に名を残す上で良い材料となるだろう。
「素晴らしい。君達は間違いなく、日本の希望となるでしょう」
そう述べる阿部家当主の眼光は、ギラリと光っていた。
そこまで期待されるとちょっと怖い。