日本最強
現地の陰陽師達が足止めをしている最中、俺は着実に準備を進める。
いつ戦いが始まってもいいように、道具は全て用意していた。
クラゲ妖怪や荒御魂での反省を活かしているのだ。
(グルッと回ってちょんちょんっと。こっちのカーブは要注意。最後に貫の字を書いて……よし、オッケー)
地面をガリガリ削って描いたのは、妖怪の弱点属性を持つ土槍之陣である。
札でも同じものがあり、それの強化版とも言える。
紙という器から解き放たれし陣は、札よりも大量の霊力を注げる。
そこへ第陸精錬——宝玉霊素を詰め込めば、人知を超えた力を発揮できるのだ。
最後に東部家支給の墨をドボドボ。
普段うちで買っているものより数段上の品質。つまり、お値段も数段上だ。
ミスしないように気をつけて……はい、完成。
「書き間違いなし。小道具配置よし。退路確保よし」
恵雲様が隊長と会話をしている横で、既に鬼は召喚しておいた。
いざという時、俺と詩織ちゃんとお世話係さんを抱えて逃げる手筈となっている。
指差呼称も終え、万全の体制となった。
少し離れた場所では、恵雲様が素早く封印の準備を整えている。
やっぱり、霊獣のゲンブもお留守番か。直接戦闘能力はないって言ってたし。
サトリは寂しがってないかな。少し心配だ。
強敵との戦闘を控えて現実逃避していると、俺の右袖を小さな手が掴む。
「詩織ちゃん?」
俺が名前を呼ぶと、袖を掴む力が強くなり、わずかに震えているのが伝わってくる。
そして、ぽつりと呟く。
「こわい」
「…………!」
この子が弱音を吐くのを初めて聞いた。
負の感情がこもった単語は、怨嗟之声の悪意によって彼女も学んでいる。
しかし、誤った使い方以外でこの子が口にすることはなかった。八千代先生の指導の賜物でもあるが、それ以上に彼女が自分の感情を表に出さないからだ。
その身の内では怨嗟之声が暴れ狂っている。なのに、本人はまるで何も起こってないかのように、それが当たり前かのように振る舞っている。
そんな少女が、弱音を吐いた。
大人がこの声を聞き逃してはいけない。
日本の為に人生を捧げる少女が、二度と助けを求めなくなってしまう。
数少ない頼れる人間として、その声に応えよう。
「……大丈夫だよ。もう、怖いことは何もない。あとは俺に任せて……」
ダメだよな。口で伝えても聞こえるわけがない。
こんな時でも怨嗟之声は止まらないのだから。
俺は触手を伸ばしたくなる衝動を抑えた。
戦闘前に不安要素を抱えてはならない。
副作用のせいで倒しきれなかった、なんてことになれば、本末転倒だ。
言葉で不安を拭い去れないなら、せめて。
詩織ちゃんの手を包み込み、救いを求めるその眼差しを真正面から受け止める。
せめて、安心感だけでも伝えられるように。
「大 丈 夫」
不敵な笑みを浮かべ、目一杯強がってみせる。
この世に絶対は存在しない以上、俺がこの戦いで死ぬ可能性だってある。
俺の攻撃が効かない可能性も、荒御魂のように回避される可能性もある。
大人は不安要素やリスクばかり目につき、子供のように突っ走ることができない。
それでも男には、立ち上がらなければならない時がある。
未来ある幼子が救いを求めるこの状況で、大人が泣き言いってられっか!
「詩織ちゃん、もう大丈夫。俺がこの妖怪を倒すから。もう、君が一人で代償を背負う必要はない」
そもそもおかしいんだ。
なぜ詩織ちゃんが代償を背負わなければならない。
怨嗟術を開発したご先祖様の覚悟は賞賛しよう。新しい陰陽術の開発も偉業といえよう。だが、それだけ賢いのなら、遠い未来で子孫が苦しむことも目に見えていたはず。
覚悟を持って副作用を受け入れたご先祖様に対して、詩織ちゃんや満様は生まれながらに苦しむ運命を強制されている。
なんの覚悟もなく地獄へ放り込まれた子孫の人生は、ただの戦闘兵器と何ら変わらない。
倫理的に考えて、間違っている。
過去の人間が、未来ある子孫に呪いを押し付けてるんじゃねぇよ。
どれだけ憤慨しようと、過去は変えられない。
故に、未来を変えよう。
塩砂家が戦わなければならない未来を、更なる力で塗り潰す。
今生の俺には、それを為せるだけの力がある。
「封印を開始する! 慈悲深き大国主命、大地を創造せし伊邪那岐命、伊邪那美命、その御力を借りて、ここに封印の器を——」
恵雲様の詠唱が始まった。
さて、俺も戦闘に参加するとしよう。
詩織ちゃんの手を離すと、交代するようにお世話係さんが彼女の手を引いた。
向かう先には陣が描かれており、詩織ちゃんが攻撃するための準備が整っている。
俺はそこへ待ったをかけた。
「東部さん、まずは僕にやらせてください」
「お一人で、ということですか? ……同時に攻撃した方が効果的です。せめて、霊力は込めておいたほうが」
「そう言わず、まずは見ていてください。僕の情報は調べているでしょう? 荒御魂を討伐した力、ご覧に入れましょう」
常に負荷が掛かっている詩織ちゃんにとって、霊力の減少は体調悪化に直結する。
使わないに越したことはないのだ。
だから、この場は俺に任せてほしい。
一世一代の大勝負を前に、一人呟く。
「この場に集いし者は刮目せよ。日本最強誕生の瞬間を」
陣の真ん中に立ち、足下へ霊素を注ぐ。
もちろん、ただの霊素ではない。
長らく最強の地位を独占する第陸精錬——宝玉霊素だ。
「始祖紅葉様よ、御笑覧あれ! 今こそ峡部家再興の時!」
あぁ、出し惜しみなしの全力なんて久しぶりだ。
脅威度6弱がどれほど強いのかわからない現状、全力で攻撃するのは当然。
親父の予想では「弱点を突けば余裕を持って倒せるだろう」とのこと。
下手に仕留め損なったら怖いので、今回は全力でいく。
「母なる大地に我が霊力を捧げ、岩を砕き、山を裂く強靭なる槍を望まんと——」
第陸精錬霊素が地面へ満ち満ちていく。
精錬霊素の強みである「込められる霊力量の増大」も、第陸精錬霊素ともなればかなり増える。
実験の時にも全力を出してみたが、とても凄かった。
心配性な俺でも、あれなら一撃で倒せるかもしれないと期待させるくらいには。
すなわち、それだけ消費する霊力量も増える。
更なる効率化が進んでいるとはいえ、この量を精錬するのに数週間は掛かるぞ。
「巡り巡る万物の泡沫、悪しき澱をこの地にて留めん——」
恵雲様の詠唱が聞こえてくる。残り30%で封印が始まる。
さて、啖呵を切り、高級な霊素を大盤振舞いしたところで、そろそろ決めなければならないことがある。
(どこ狙おうかな)
水塊の体を持つ妖怪なので、どこを狙ってもあまり効果に違いはなさそう。
頭が弱点というのは生物特有のものであり、妖怪には通用しない。
属性だけでなく、とても攻撃が効くような弱点が見つかれば、余裕を持って倒せるのだが……。
(なんか、光ってない?)
妖怪の全身を見回していると、股下の辺りに一等星の輝きが見えた。
真っ黒な液体が流動している体表において、そこだけ変わらず光続けている。
一瞬キンタマかなと連想した俺は、男子の心がまだ残っていることに気づけた。
そんな時、涼やかな音色が戦場に響く。
——♪
「遍く生命を支える大地よ我らにぃ……?!」
な、なんで、どうして、サトリがここにいる!
東部家のお屋敷でお留守番してるはずでしょうが!
あぁ、詠唱途中だから問いただせない。
——♪
えっ、あの光を狙えって?
そこが弱点?
何で知ってるの?
あっ、突然現れたのって、この前の竹駒神社と同じ方法?
聞きたいことはたくさんある。
だがしかし、今は時間がない。
ならば俺は、パートナーの言葉を信じよう。
(もう少し宝玉霊素を込めて……おっ、抵抗感が強くなった。さらに一押し。ググッと押し込めて……これでOK)
宝玉霊素を込めに込めたところで……なんか、静かになったな。
恵雲様の詠唱がラストの一節になったから、皆耳を傾けているのかも。
霊素の過供給により陣が光を放ち始めた。
ちょうどいい。俺の晴れ舞台、しかと見よ!
「——封印!」
「人類の敵を貫け——土槍之陣」
地面が小さく鳴動する。
直後、妖怪の股下から土で構成された巨大な槍が突き上がる。あまりの巨大さゆえ、槍というより塔のように見える。
それは一直線に天へと突き進み、勾玉に吸い込まれ始めた妖怪の体を容赦なく貫いていく。
腹、胸、首を越えても止まらない。
頭頂から飛び出した槍はまだ上を目指し、妖怪を天へと持ち上げながら串刺しにした。
地面から突き出た槍に貫かれる姿は、何らかの刑罰を受けているかのようである。
「なんだあれは……」
「あ、ありえない……」
「これは現実か……?」
「なんということだ……」
「大妖怪が……一撃で……」
ふふふ、驚いてる驚いてる。
俺は内心で周囲の反応を楽しみつつ、攻撃が効いたことに安堵していた。
荒御魂みたいに避けられたら大変だったから。
一拍置いてダメージが全身に分散したのか、妖怪の全身から水が辺りにぶちまけられた。
出血のようにも見えるが、ドス黒い妖怪の本体がただの水であるわけもなく。
いち早く驚愕から我に帰った隊長さんが周囲へ呼びかける。
「この水に触れてはならない! 物理系簡易結界を張れ!」
しまった、一撃で倒しきれなかったか?
最後の悪あがきを許した詰めの甘さを悔やむ。
しかし、それは杞憂だった。
「塵に還っていく……」
「倒した……のか……?」
「いやいや、一撃だぞ? そんなことあるわけ」
水が溢れるそばから塵へ還って行き、地表まで届くことはなかった。
良かった。詩織ちゃんに格好つけた手前、被害が出たら赤っ恥をかくところだった。
二の矢として用意した捻転殺之札から宝玉霊素を回収する。
結局、封印は発動直後に中断された。
国家陰陽師部隊の拘束系陰陽術は発動すらしなかった。対象がいなくなったから。
これにて、戦闘終了である。
国家陰陽師部隊の隊長さんがこちらへ振り返る。
その視線には幾多の感情が込められており、とても混乱しているのがよく分かる。
どうよ、我が実験の集大成は。
転生直後から10年の研鑽により、他の追随を許さない強さを得た自慢の陰陽術だ。
「君は……いったい……!」
ふふふ、その問いを待っていた。
俺はとびっきりの決め顔で答える。
「峡部家次期当主、峡部 聖です。以後、お見知りおきを」
今日この日、俺は日本最強の陰陽師として名乗りをあげた。
峡部 聖が紡ぐ英雄譚の始まりである。
さぁ、忙しくなるぞ。