根張之札
ジョンと契約を結んだ俺は、早速仕事へ取り掛かることにした。
陽子ちゃんは学校のカウンセリングを受けているから、もしかしたらまだ学校に残っているかもしれない。
「いた」
ナイスタイミング!
昇降口で目的の人物と偶然出会えるとは。
これもきっと、ジョンの日頃の行いが良いからだろう。
靴を履き替える陽子ちゃんに声を掛け、俺達は自然な流れで家路につく。
雑談しながら流れを誘導し、妖怪退治もとい、お宅訪問に話を繋げる。
「陽子ちゃんの家、タワーマンションだよね。うちは平屋だから、タワーマンションの景色とか想像つかないなぁ。そうだ、近いうちに陽子ちゃんの家に遊びに行ってもいいかな」
「えっ!」
ちょっと強引な誘いだったが、陽子ちゃんは驚きつつも頷いてくれた。
そして、これまた幸運なことに、現在母親は仕事で不在であり、今から家に連れて行ってくれるという。
仕事がやりやすくて助かる。
「ママ、夜まで帰ってこないから、大丈夫」
彼女はそう言ってランドセルから鍵を取り出し、玄関を開ける。
道中の会話から推察するに、母親はまだ精神的に不安定なようで、友達を会わせられる状態ではないらしい。
お互いに条件は一緒だったわけだ。
「お邪魔します」
「ど、どうぞ」
陽子ちゃんはどこか緊張した様子で俺を招き入れた。
大人しい彼女のことだ、これまで男の子を家に呼ぶ機会がなかったのだろう。
俺も前世では一度も異性を自室へ入れたことがないから、気持ちはわかる。
玄関をくぐると、他人の家特有の生活臭に包まれる。というか、この臭いはまともに掃除してないな?
廊下にゴミ袋が置かれているし、向こうに見えるリビングはダンボールが散乱している。
カーテンが閉まったままなあたり、換気もしていないのだろう。
陽子ちゃんママは通院で多少落ち着いたと聞いたのだが、これはどうしたことか。
俺は玄関に置かれているゴミ袋を指して尋ねる。
「そこのゴミ袋、燃えるゴミだよね。今朝捨てなかったの?」
「分かんない。パパがやってたから……」
なるほど、掃除はお父さん担当だったのか。
1年経ってなお、お父さん喪失の影響は残っているようだ。
「この辺りだと月曜日と木曜日が燃えるゴミの日だよ。マンションの側にゴミ捨て場があるから、登校するときに捨ててね」
スマホで区役所発行のゴミ捨て案内を見せながら、ルールを教える。
親に言われてゴミを捨てることはあれど、子供が自分から捨てにいく機会は少ない。
俺も一人暮らしを始めてようやく意識したものだ。
すると、陽子ちゃんは感心した様子で俺を見つめる。
「聖君はすごいね。本当になんでもできる」
「何でもはできないよ。できることだけ」
なんて時間稼ぎをしつつ、俺は室内の様子を伺っていた。
さすがに玄関周りに妖怪は居ないか。
廊下に面する4つの扉は閉まっており、中の様子は確認できない。
正面奥のリビングは、ここから見るには遠すぎる。
部屋を一つ一つ確認しなければ。
「聖君、ちょっと、ここで待ってて。その……お片付けしたいから」
ネームプレートの掛かった扉を開けながら、彼女は恥ずかしそうにお願いしてくる。
同級生がいきなり押しかけてきたうえ、玄関を潜って早々ゴミについて指摘してきたら……こんな顔にもなる。
陽子ちゃん、ごめん。
時間稼ぎできそうな話題に飛びついたのが間違いだった。
俺のコミュ力がもっと高かったら……!
「うん、待ってるね。ゆっくりでいいから」
ここが陽子ちゃんの部屋か。
彼女は扉を小さく開き、中を見せないように入っていく。
その隙間から見えたのは――部屋の真ん中に我が物顔で居座る妖怪の姿だった。
やべ、目が合った!
俺は慌てて陽子ちゃんの腕を掴み、こちらへ引き寄せる。
それと同時に簡易結界を構築し、守りを固めた。
「ひっひっひじ、聖君! な、なに? ど、どど、どうしたの!? きゃっ、何何何!」
陽子ちゃんが困惑の声を上げたその直後に、妖怪の攻撃が結界にぶつかった。
水の弾ける音が家中に響き、突然非日常へ叩き込まれた彼女は悲鳴を上げる。
妖怪に明確な殺意を向けられた人間は、霊感がなくともその存在を知覚することが多い。
夕暮れ時なら尚更だ。
「なっ、何あれ? 水たまり?」
俺がこっそり退治するつもりだったが、こうなっては仕方がない。
陽子ちゃんを守りつつ、早急に退治するとしよう。
彼女の言う通り、敵は水たまりのような見た目をした妖怪である。
ただ、俺の場合は科学の実験で作ったスライムを連想した。
緑色をしたドロドロな体表からは、常時謎の泡がプツプツ弾けており、絶対に触れたくない相手だ。
その体の中心に目玉が1つ浮かんでいて、俺達をまっすぐ見つめている。
陰陽五行に照らし合わせるなら、水属性といったところか。
「俺の結界を溶かすか。結構強いな」
先ほど簡易結界にぶつかったのは、こいつが吐き出した体液である。
結界に粘り付き、シュウシュウ音を立てて溶かしてくる。
事前調査で脅威度3と聞いて、霊力をケチったのがいけなかった。
安全マージンをとっていなかったら、穴が空いていたかもしれない。
やはり、効率的な戦い方というのは難しいなぁ。
「陽子ちゃん、少しだけ目を瞑ってて」
「えっ、えっ」
妖怪から目を離せない彼女の顔を両手で優しく包み、こちらへ向ける。
「目を瞑っている間に、悪い夢は覚めるから。ね」
こんなことをしている間にも妖怪はこちらへ体液を飛ばし続けている。
そして、陽子ちゃんが目を閉じたその瞬間、俺は札を飛ばした。
今回の敵は床にべったり張り付いている。
室内だから焔之札は使えないし、攻撃範囲を広げすぎると床が傷つく。
触手の一本釣りも無理そうだ。
ゆえに、室内で水属性相手に有効なこの札を選ぶ。
「新芽の息吹は陰陽を呑みこみ全てを糧とせん、急急如律令」
土属性――根張之札。
この札には種を1つ張り付けてある。効果が発動すると、霊力を糧に種が急激に成長を始める。
そして、成長に必要な水を周囲から強制的に取り込んでしまう。それは妖怪の体を形成する水分すら例外ではなく、スライムもどきは一瞬で干からびてしまった。
(おっと、これ以上やると陽子ちゃんの部屋まで脱水されてしまう)
珍しいことにこの札は詠唱が必須で、影響範囲を限定する必要がある。
種を介するせいか、この札は術者の制御を無視しがちなのだ。
干からびた妖怪はやはり土属性の攻撃が弱点だったようで、そのまま塵となって消えていった。
これにて一件落着。
「陽子ちゃん、もう目を開けても……見てた?」
「……見てないよ」
顔を覆う手には、ばっちり隙間が空いている。
陰陽師界隈について知りすぎると、妖怪との縁が繋がりやすくなってしまうんだけど……これは手遅れかな。
俺は彼女に簡単な説明と注意事項を告げて、お暇することにした。
「おじゃましました。今日のことは、2人だけの秘密ってことで。それじゃあ、また明日、学校で」
「……うん、また明日」
すっかり暗くなった帰り道、俺は足早に帰宅する。
ジョンとの約束を達成、というには少し早いが、残り2件はお膳立てしてもらえるから問題ない。
それよりも問題なのは……。
「一般人に知られちゃったこと、どう書けばいいんだ」
俺はこの後書かなければいけない報告書の文面に、頭を抱えるのだった。