ジョンの父親
ジョンの声帯を試行錯誤する最中、俺は世間話のつもりで聞いてみた。
「どうしてそこまでして陽子ちゃんを助けようとするの? 言っちゃ悪いけど、他人でしょ?」
「あぁ、思い出す限り、生前は日本人と会ったこともない。赤の他人だ」
その割には随分と入れ込んでいる。
もしかして少女趣味なんじゃ……。
「理由……。理由か……。親父に恥じない生き方をするため……だな」
「えっ」
予想外な回答に驚きを隠せない。
記憶を失っているジョンが明確な答えを出してくることは滅多にない。
彼自身、遠くを見つめるような目をしている。
それは遠い思い出を手繰り寄せているようで。
「何かあったの?」
「なんてことはない。どこにでもある不幸な出来事が、たまたま我が家に降りかかっただけさ」
俺と会話していると、ジョンはこうして過去を思い出すことがある。
こういう時はその手助けをするように相槌を打ちながら、会話を誘導していく。
そして明かされたのは、ジョンの魂に刻まれた強い願いだった。
「俺が5歳の頃の話だ。その日は風が強かった。おまけに乾燥しててな、家の近くに雷が落ちて、夜中に火事が起こったんだ。
皆グッスリ寝ていたから、火の手が回るまで誰も気づかなくてな。
その時には俺たち全員一酸化炭素中毒で気を失ってたらしくて、最初に気がついた親父が皆を運び出してくれた。
何度も往復して家族を助けた親父は、火傷が酷くて死んじまった。
死に顔は、それはもう酷かった。体の前面が真っ黒に焦げてよぉ。顔を見ても誰だかわからないくらいだった。
でも、背中だけは服も残っててな。
俺たちを背負った背中だけは、火に呑まれなかったんだ。
すごいよな。
最後は火の海に自ら飛び込んでいったんだってよ。
そして、親父が最後に助け出したのが俺だった。
俺の為に無茶しなければ、まだ生きられたかもしれないってのに。命を擲って、炎の中から救い出してくれたんだ」
ひとしきり語ってくれたジョンの話は、伝聞系の内容が多かった。彼は意識を失っていたそうだし、さもありなん。
「ジョンの父親はすごい人だったんだね」
「ああ、偉大な男だ。俺は親父を誇りに思うよ」
火は生物の根源的恐怖を呼び覚ます。それは人を簡単に殺し得ると本能が知っているからだ。
俺も料理中にうっかり火傷した経験から、多少なりともその恐ろしさを知っている。
そんな火の海へ飛び込むには、どれほどの勇気が必要なのだろう。
煙に巻かれて呼吸ができなくなるし、目も痛かったはずだ。倒壊の危険も常に付きまとってくる。
もしも俺が同じ状況になったとして、同じことができるだろうか……。
「信じられないだろうが、気を失ってたはずの俺は、なぜかその時のことを覚えている気がするんだ。子供のために命を張る、親父の頼もしい背中を」
しばし、ジョンは口を閉ざした。
もしも肉体があれば、涙を流していただろう時間が過ぎる。
「そして、俺は決意したんだ。この命果てる時は、誰かを救うために使おうと。天国に行った時、胸を張って親父に会えるように」
すまん、失礼なこと考えて。
やっぱりこの幽霊は立派な人間だよ。
最期まで自分のこと考えていた俺より、よっぽど綺麗な心を持っている。
さらに、過去の記憶が呼び水になったのか、ジョンの最も新しい記憶も蘇った。
「そうだ、思い出した! 最期は女の子をかばって銃で撃たれたんだ。でも、防ぎきれなくて……そして……そして……意識を失って……」
「どういう状況で?」
「Sorry…….これ以上は思い出せそうにない。昼だったか、夜だったか、それすら……Uh……」
その日思い出せたのはここまでだった。
以降、細々した記憶を思い出すこともあるが、ジョンに関わる重要な情報は出てきていない。
なお、調整中だった声帯のおかげで回想話も早く翻訳でき、この声帯は役に立つと確信した。
~~~
そんな強い決意を抱く幽霊に、陽子ちゃんの事情を話せばどうなるか。
「あの子を助けてやってくれ。あの子の心は、銃で撃たれるより辛い苦しみを味わっている」
「ジョンが言うと説得力あるな」
当然こうなる。
ゆえに、俺は問う。
「さっきも話したけど、タダで引き受けることはできない。いじめ問題と違って、プロの陰陽師として動くのであれば、報酬が必要だ。ジョンに支払うことができるの?」
出来るわけがない。
自分が何者かもわかっていない幽霊に、現金支払い能力があるはずもない。
そして、当事者を含めて支払う者は不在だ。
陽子ちゃんママに支払わせるには時間がかかり、次にいつ不幸が降りかかるか分かったものではない。
ジョンはそれを理解している。翻訳サイトを利用して俺がすべて説明した。
「それは……。何か、ないのか? 俺にできることなら何でもする」
「今、なんでもって言った?」
お金はどこにもない。なら、お金以外に価値あるものを頂けばいい。
彼から頂く報酬は決まっている。
これまで通り幽霊に関する情報……ではない。
声帯が完成してから既に1週間経つ。
ここまでの情報収集により、ジョンから有益な情報はほとんど得られないということが分かった。
幽霊の感覚を聞いたり、生前からの変化を聞けたのは面白い。
けれど、それだけだ。
生前に霊感がなかったせいか、陰陽術に役立ちそうな情報は持っていなかった。
ゆえに、現時点では情報源としての価値はない。
現時点でジョンが持っている価値あるもの、それは……彼の存在そのものだ。
「ジョンのような意志がはっきりとした幽霊はかなり珍しい。しかも、怨念に取り憑かれた様子もない。言い方は悪いけど、今日から1年の間、色々実験させてほしいと思ってる。実験に協力してくれるなら、妖怪退治の報酬としては十分だ」
凡人が普通のものを使って普通の研究をしても、普通の結果しか得られない。
凡人が大きな力を得るには、これまでのように普通と違うことにチャレンジする必要がある。
all-or-nothing.
幽霊を使った陰陽術研究をしてみたい。
ジョンはそんな俺の提案に一も二もなく飛びついた。
「俺の体を使ってくれてかまわない。だから!」
俺は居住まいを正し、正面からジョンに向き合う。
彼もまた、ぎこちない動きで床に正座した。
「ジョン・ドウ。改めて問おう。 輪廻転生の時が遠のくとしても、赤の他人である少女のために、その身を差し出すか?」
「頼む、あの子を救ってやってくれ。俺は死ぬ間際に誰も救えなかった。せめて、あの子だけでも救ってやりたい。親父が命を懸けて助けてくれた俺の人生、意味があるものにしなきゃ、死んでも死に切れねぇよ。そのためなら、あんたに俺のすべてを差し出す」
悪いな、ジョン。
お前ならそう言うと思っていた。
それを期待して、俺はこんな提案をしたんだ。
「貴方の覚悟、確かに受け取った。……俺の今後の予定としては、声帯だけでなくジョンの体全体を作りたいと思っている。本人的に何か希望はある?」
「もっと力が欲しい。せっかくこの世に留まるんだ、最強の力が欲しい」
まるで悪魔召喚して力を望むときのセリフだな。
実際に今の俺は悪魔のようなものか。
ジョンの希望には続きがあった。
「俺の手が届く範囲全員を守れるくらいの力を。銃で撃たれても死なないようなやつだ!」
さすがジョン、悪魔を前にしても正義の化身みたいな希望を出してくる。
そして、ジョンの望みは俺の望みと一致していた。
「いいだろう、力をくれてやる。ただし、代償としてお前の魂がどうなるかは分からない。それでもいいな?」
お約束のセリフを言ってみたが、別に魂をどうこうするつもりはない。
術具店のアイテムで肉体を再現するだけだ。
お約束なんて知らないジョンが真面目に答える。
「言ったはずだぜ。俺が差し出せるものはこの身1つだけだ。好きに使ってくれ」
「なら、これから1年間は俺がジョンの主人だな。改めてよろしく」
「ああ! よろしく頼むぜ、BOSS!」
冗談めかした口調でそんなことを言う。
こうして、実験体 兼 配下ができた。
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