小さな背中 side: 強
強 視点です。
私達は比較的揺れの小さい場所を探し、大蛇の首に座ることにした。
「飛んで」
聖が短く指示を出すと、式神はすんなり従った。
大蛇の翼が動くたびに高度が上昇していく。
最初は指示が上手く伝わらなかったりするものだが、そんなこともないようだ。
いつものことながら、この子の優秀さには驚かされる。
「もう少しゆっくり飛んで。風が強いから。お父さんは乗り心地どう?」
「問題ない」
今私が騎乗している大蛇は、明らかに強い。万全の準備をした私と互角か、それ以上の力を持っている。大蛇の出方によっては手も足も出ないだろう。
そんな強力な式神の背に乗せられ、空を飛ぶ。
なんとも奇妙な状況だ。
私の人生にこんな出来事が待ち受けているとは、予想だにしなかった。
ようやく8歳になろうかという子供が、脅威度4と張り合えるだろう強力な式神を調伏するなど、俄かに信じがたい。
10年前の私に語って聞かせたら一笑に付しただろう。
私の前に座る常識はずれな息子へ問いかける。
「対価はどの程度だ」
「鬼と同じくらい」
ばかな……少なすぎる。
その程度で式神が承諾するはずはない。
確かに、契約時は強気でいけと言った。
調伏の際に実力差を知らしめれば、少ない報酬で働かせることができる、とも。
だがまさか、人を乗せられるほど巨大で強大な式神を、鬼と同等の対価で使役できるとは。
「お父さんの言う通りだったね。ちょっと可哀想だけど、弱肉強食ってことで」
私はまだ、息子の実力を理解しきれていなかったようだ。
もしも私がこの式神と契約するとしたら、鬼の5倍は支払っていただろう。
そして、すぐに継承できなくなり、峡部家の栄華は幕を閉じる。
それでも、私は死力を尽くしてこの式神に挑んでいたに違いない。
純粋な力比べをすれば鬼と同格かもしれないが、見かけから想像できない素早さは圧倒的に上回っている。特に、空を飛べる力は素晴らしい。
戦闘では多用できないものの、"できない"と"使わない"の差は歴然である。
「乗り心地悪いね。どうにかできないかな」
聖は尻をモゾモゾさせ、どうにか座りやすい場所を探っていた。
峡部家の歴史の中でも有数の偉業を達成したにもかかわらず、この子は全く気にした様子がない。
それよりも式神の乗り心地改善方法を真剣に考えている。
蛇の体は焔之札で消し炭となったのが不思議なくらい硬い鱗で覆われており、人間が座るには適していない。
「霊獣に騎乗するための鞍が売られている。……いや、この巨体では使えないか」
「オーダーメイドってできる?」
「召喚するたびに装着する必要があるな」
それは面倒だなぁと呟き、聖はなにやら思案する。
この子にとっては、この式神すら敵ではないのだろう。
調伏中に私へ意識を割いたのも、本当に余裕があったからに違いない。
「帰ったらカタログ見せて」
「ああ」
先ほどは思わず怒ってしまったが、私の対応は正しかったのだろうか。
私とて『ネズミ相手に本気を出せ』と言われたら納得しかねる。
人の力を遥かに超えるこの大蛇は、聖にとってのネズミなのかもしれない。
「ねぇお父さん、このまま家に向かっちゃダメなの? ご近所さんには見えないんだし、問題なさそうじゃない?」
「万が一ということもある。それに、まだ登録していない」
「登録?」
空飛ぶ式神を従えた場合、関東陰陽師会へ届け出て、式神を登録する必要がある。
その利便性から移動手段として重用された過去があり、霊感のある一般人に目撃されたり、航空機のパイロットに見つかったり、いろいろと面倒なことが起こった。
要らぬ騒動を起こさぬため、関東陰陽師会が事前に式神を把握し、目撃情報をもみ消してくれる。
召喚術を継承する陰陽師にとって、式神を公表することは手の内を明かすようなものだが、国の秩序と安寧を守る者として従わないわけにもいかない。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、今は未登録の車を私有地で運転してるようなもの?」
「ああ、その通りだが……よく知っているな」
聡い子だ。私の小難しい説明も全て理解してくれる。
いったいどこで学んだのか、予想外な知識を披露してくれることも多い。それは優也も同じだ。
子供には驚かされてばかりである。
同僚たちから話を聞くに、この子はさらに特別なようだが。
私は自分勝手なことに、いましばらくこの子が“子供らしい時間”を過ごせるようにと願っている。
生まれる前までは、峡部家再興のためにどう教育するかばかり考えていたというのに。
いざ教育を始めてみれば、あっという間に私を超え、私の知らない技術まで開発してしまった。峡部家の歴史に時折現れる天才達、その1人に間違いなく加わる逸材である。
峡部家再興が確実なものとなった今、私が願うのは我が子の幸せだった。
毎日陰陽師の勉強に明け暮れ、友達と遊ぶよりも勉強を優先するという。
ゲームやおもちゃに興味を示すこともなく、我が儘も滅多に言わない。
(聖……お前は本当に、幸せなのか?)
私の期待を背負い、無意識に親が理想とする子供を演じているのではないか?
いつしかそんな疑問が生じた。
本当に、勝手な父親だ。
麗華の教育のおかげで、聖は優しく賢く逞しい子に育ってくれた。
ただ、私は仕事で家を空けており、父親としてこの子のことをあまりにも知らなすぎる。
本来なら陰陽師教育で親子の交流を図るものなのだが、聖は後継者として優秀すぎた。
黙々と練習し、あっという間に私の手を離れてしまう。
この子が喜ぶのは、陰陽師の知識を与えた時と、麗華の料理を食べる時くらいしか知らない。
「召喚成功を祝して、ケーキでも買って帰るか」
「いいね。優也も喜ぶよ」
お前の偉業を讃えるために買うのだが……。
自分がどれほどすごいことをしたのか、本当に自覚がないようだ。
私も精錬霊素の凄さを理解しているつもりだったが、本当につもりでしかなかった。
この技術は、私が思っている以上に凄まじい可能性を秘めているようだ。
……待て。
違う。
そうではない。
全てはこの子の努力の結果だ。
時折こうして、自らを諫めなければならない。
あっという間に父親を超えていってしまった息子に対し、どのような気持ちを抱くべきか、私は今でも決めかねている。
頼もしい。
末恐ろしい。
トンビが鷹を生んだ。
劣等感。
自慢の息子。
嫉妬。
素晴らしい。
焦燥。
親が抱くべきでない感情が渦巻いたことも一度や二度ではない。
峡部家当主としてこの先どう指導すればよいのか、父親としてどう接すればよいのか。
私は目の前の小さな背中を見て考える。
おそらく一生見つからない答えを求めて。
「すごい眺めだね」
「む……そうだな」
まるで空中に坂道でもあるかのように、蛇は一定の速度で空へ這い上る。
山深くの訓練場が次第に小さくなり、徒歩では険しい道のりが後ろへ流れていく。
家から通うには遠すぎるため、これまで滅多に使わなかったが、空路を使えば短時間で移動できそうだ。
聖に頼んで運……いや、幼い息子に送迎してもらう父親というのはいかがなものか。
要検討だ。
聖の触手という命綱があるおかげで恐怖もなく、思いのほか快適な空の旅となった。
山を下りたところで大蛇は送還し、寄り道しつつ帰路につく。
「ただいま」
「聖! 無事でよかった。おかえりなさい」
「お兄ちゃんおかえり!」
麗華が聖を抱きしめ、優也がそこにくっつく。
この幸せな光景を守るため、私にできることは何だ?
ひとまず、一刻も早く霊力の精錬を習得するとしよう。
あの日、出来るような気がしたのだが……。
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