500万ガチャ
「いってきます!」
「いってらっしゃい。絶対無事に帰ってきてくださいね。 ……怪我をさせたらダメですよ」
「いってらっしゃーい」
「もちろんだ。行ってくる」
心配そうなお母様と、何も知らない優也に見送られ、俺達は出発した。
さっそく召喚の舞台へ向かう……その前に。
俺達は神社へ寄り道することにした。
(智夫雄張之冨合様、何卒ご加護を!)
親子並んでお賽銭を投げ、二礼二拍手一礼。
召喚結果が少しでも良いものとなるよう、神様にお願いする。
実際に神の祝福を賜れるわけではないと分かっていても、頼らずにはいられない。
式神召喚とは、人によっては2年分のお給料が一瞬で吹き飛ぶような、超高額ガチャだ。そりゃあ神頼みもするって。
気分だけでも神様の加護を受け、改めて目的地へ向かう。
公共交通機関を乗り継ぎ、タクシーで辺鄙な土地まで移動。この時点で御剣護山より遠い。さらに徒歩で山に分入り、険しい道を進んでいく。
明らかに人の手の入っていない雑木林を踏破し、辿り着いたのは岩場である。
ここは、以前にも来たことがある場所だ。余人の目が及ばず、轟音が鳴り響いても誰の迷惑にもならないので、今年の夏休みに精錬霊素の実験で利用した。
峡部家が所有している秘密の修練場である。
「まずはこの場を清める」
本職ほど効果はないけれど、お祓いも陰陽師の領分。
自分たちに少しでも有利になるよう、修練場を祓い清め、場を整えた。
「紙を広げるぞ」
「うん」
岩場の中にある整地された場所で、3メートル四方の巨大な和紙を広げる。
風に飛ばされないよう四隅を岩で抑え、家から持ってきた道具の数々を広げた。
まず最初に行うのは、召喚の儀の中で最も重要にして難しい――陣の作成だ。
ふぅ~、よしっ!
俺は紙の中心に立ち、全身を使って円状に筆を走らせる。
祖母から貰った筆とサイズが違うため、細心の注意を払い、かつ大胆に。
線や記号は歪みなく、文字は癖を殺し、いくつかのチェックポイントを厳守する。
決して失敗することは許されない。
やり直しがきかないから。
我が家には、召喚術に関する陣が多数存在する。
よく使う陣として――
・契約済みの式神を喚び出す陣。
・新しい式神をランダムで喚び出す陣。
・一度召喚したが調伏できず、未契約な式神を喚び出す陣。
・継承できなかった式神を喚び出す陣。
・報酬を振り込むためだけの陣。
などなど
目的に応じてこれらの陣を使い分ける。
この中で俺が見たことのあるものは3つ。
そして先週初めて、未契約の式神をランダムで喚び出す陣を教わった。
『一生のうちに何回召喚できるの?』
『収入によって変わる』
子供1人の乳歯で5回。虫歯は使えない。
髪一房×寿命=約20回。
その他、代価として適するものであれば何でも良い。代価を用意すればいくらでも召喚できる。
ただし、その他の材料が揃えられればの話だが。
契約済みの式神召喚と異なり、新規召喚には様々な道具が必要となる。
その大半はご先祖様の代から受け継がれているが、お香や墨などの消耗品は毎回用意しなければならない。
(和紙が10万円、最高級の墨を100万円分、筆も高そう。霊脈で育った古樹が元となった土 5g 5万円、富士の霊水の朝露 1g 35万円、不思議な琥珀 100万円、孵化直前の鳥の卵 プライスレス。これら全てが時価で売買されるのか)
『墨と香の調合は家によって異なる。峡部家では300年ほど前からこれらを使って召喚している』
召喚術を秘術とする家は数多くあるが、この調合こそ、真の秘術と言っても過言ではない。
ランダムに式神が現れる新規召喚で、狙った式神を出す為の技術だ。
例えるなら、ソシャゲのガチャで好きな時にピックアップイベントを起こせる裏技のようなものである。
香や墨を細かく調整するだけでなく、年月と金銭を投じて何度もテストを繰り返し、ようやく辿り着く境地。
当然、歴史の長い御家の方が有利となる。
それなら「歴史だけは長い峡部家が、落ち目になるのはおかしい」と思うだろう。だが、ピックアップでも結局はガチャなのだ。よほど運が良くない限り、ハズレを引き続けることになっても、なんらおかしくはない。
しかも、当選確率は運営の気まぐれで変わるのだから、狙った式神を当てることはなおさら難しい。
それでも、火鳥や鬼を召喚できれば一発逆転の可能性がある。多くの家で継承され、今なお廃れることのない人気秘術となっているのがその証左だ。
「ふぅ、できた」
少し冷たい秋の風が吹いているにもかかわらず、俺の額には汗がにじんでいた。
ミスすることなく陣を描けて本当に良かった。
手が滑ったりするだけで数百万円がゴミクズになるのだから恐ろしい。
さて、召喚の儀の第一関門は突破した。
次は対価の用意だ。
木箱に保管しておいた俺の乳歯を取り出し、優しく握り込む。
本当はこのまま陣の中心に置けば良いのだが、せっかくなので霊力を注いでおこう。
七五三での出来事を思い出せば、即席で霊力を注ぐことにも意味はあるはず。
試しに重霊素を注いでみるか。
今回効果が見られたら、次は第陸精錬霊素を使えばいい。
親父もこの試みに一部賛成してくれた。
「第陸精錬霊素はダメだ。強大すぎる式神が現れかねない」
確かに、とんでもない恩恵と破壊を齎す宝玉霊素のことだ、どんな結果になるか分からない。
注ぎ込んだ霊素によって結果が変わるとしたら、俺でも倒せないような強力な式神が出て、召喚回数を無駄にする可能性も十分に考えられる。
それくらいなら、最初は倒しやすい手頃な式神の方が良い。狛犬とか。
「私からすれば、第弍精錬霊素でも結果を見るのが恐ろしい」
御剣家での夏休みを終えた1年生の秋、俺と親父は実験を行った。
普通の霊力と精錬霊素ではどれほど差が生まれるのか、それを確かめるために。
まぁ、俺は中庭での小規模実験でなんとなく結果は分かっていたのだが。
結論から言えば、霊素の方が感覚的に5倍くらい威力が上がった。見込み通り、破格の性能である。
無人の岩場にて、土遁之札――通称"落とし穴"と呼ばれる札を用いて実験した。
2枚の札へ霊力と霊素を、それぞれ込められるだけ込めて、起動。
できた落とし穴の容積を比べる。
力を込めるほど拡大するその穴は、霊力の札のおよそ5倍だった。
他の札でも比較したところ、大体同じような結果が得られた。
ただ、精錬工程が進めば指数関数的に効果が上がるわけではないようで、第肆精錬霊素なんかは第参と比べてそれほど火力が上がらなかったりする。それでも、一般的な霊力と比較したら凄まじい火力上昇なのだが。
精錬霊素にはそれぞれ特性があることを改めて確認できたし、式神がいないと使えなかった術も試せたし、有意義な時間であった。
精錬霊素の恐ろしさをよく理解している親父は、乳歯に重霊素が込められる様子を緊張の面持ちで見つめている。
当然何かが起こるはずもなく、重霊素を込められるだけ込めて陣の中央に置いた。
同様にサイズが小さめの召喚者用の陣を描き、2つの陣を1本の線でつなぐ。
足元の紙を破らないよう、慎重に移動して……っと。
それから陣の周りに祭具を設置した。
盛り塩や玉串に祈念を込めて陣の周囲に配置するのは、神やご先祖様の加護を得るためでもある。
(もしよろしければなんですが、当選確率……ちょっとだけ上げてもらえませんかねぇ。初めての召喚なもんで、期待してるんですよ。へへへ)
そんな感じで祈念した。祈念というよりも邪念か。心の中でたっぷり媚び売っておいたし、1%くらい当選確率が上がってくれるといいのだが。
最後に超高額なお香を焚けば、辺りは怪しい雰囲気に包まれる。
単にお香が臭いだけか?
「準備は整ったな」
「うん」
これで舞台が完成した。
あとは召喚者用の陣に入り、呪文の詠唱と共に霊力を注げば――いよいよ式神が召喚される。
「大丈夫だよね、陣に描き間違いとかないよね」
「私が確認した。問題ない」
待ちに待った召喚を目前にして、否が応でも緊張してくる。
しかし、それと同じくらい心が躍っている。
あれ? 1回500万オーバーのガチャだと思うと、緊張感が倍増したぞ?
召喚目前にして、親父が指示を出す。
「どんな式神を喚びたいか、よくイメージしなさい」
「欲しい式神が出やすくなるの?」
「いや、明確な効果はないが……」
突然教わっていないことを言い出すもんだから何かと思えば、迷信か。
とはいえ、藁にも縋りたい俺はその指示に従う。
喚びたい式神……ねぇ。
初めての召喚だし、手頃な強さの式神が良いかな。
あんまり大きいと街中での使い勝手が悪いから、小さい方がいいかも。それでいて、仕事の役に立つとなお良い。
この体では活動範囲が狭いから、遠くまで騎乗できる式神も捨てがたい。
結局のところ、式神を持っていない俺にとっては、何が出ても当たりのようなものだ。
あまり気張らずに臨むとしよう。
「始めます。――峡部家が嫡男、峡部 聖が願い奉る。天地を繋ぐ大いなる霊力に託し、心魂を宿す叡智の術を以って、異界より式神を召喚せん。天地の調和を――」
印を結びながら召喚の呪文を唱えると、辺り一面に煙が立ち込め始めた。
あのお香が全部燃えても、これほど濃い煙を作り出せるとは思えない。
何か不思議な力が働いているのだろう。
長い長い詠唱がついに終わる。
何度も何度も練習したおかげか、一度も間違うことなく唱えられた。緊張しすぎて、最後の方は記憶がない。
ランダム召喚最後の一節は、峡部家の始祖である紅葉様より連綿と受け継がれし、この言葉だ。
「我、霊力を糧に異界と縁を結ばんとする者。我が呼び掛けに応え力を貸し給え!」
印を結んだことで奇怪な動きをした霊力が足元から陣へ流れ込んでいく。
線を伝って召喚用の陣にも霊力が満ちていき――ついに、2つの世界が繋がった。
言葉にできない圧力のようなものを感じる。
風は吹いていないのに、異界の門から何かが漏れ出ているような。
その何かは嫌なものではなく、不思議と心地よさも感じている。
「来るぞ」
親父の言葉を受け、俺は眼前の陣に意識を向けた。
異界より喚び出されし者は、世界の境界を超えてこの場に顕現する。
濃厚な煙が上の方から少しずつ晴れ、式神の姿が露わとなった。
記念すべき俺が初めて召喚した式神、その姿をこの世の存在に当てはめるとしたらこれしかないだろう。
「大蛇」