毛筆
式神召喚を見学させてもらえる日が待ち遠しい。
しかし、人間の歯はそんなポロポロ生え変わらない。
我が身の成長をのんびり待ちつつ、貴重な学生時代を満喫するとしよう。
年の変わり目になると、国語の時間は書写と書道の時間に変わる。
1年生の冬、我が校も例に漏れず硬筆と毛筆の授業が始まった。
そして、優秀な作品は全国書写展覧会に出品され、大ホールなどで展示される。その中でもさらに優秀な作品は賞をもらったりもする。
作品はクラス毎に、硬筆と毛筆、それぞれ男女1名ずつ選ばれるそうな。
前世では全く縁がなかった故に忘れていたが、目の前で説明してくれる先生のおかげで思い出せた。
「それでね、聖君に毛筆の部に出てほしいの。お願いできるかな?」
「はい、いいですよ」
まぁ、妥当な人選だな。
この歳で毛筆を使いこなせるのは書道教室に通っている子供か、陰陽師の子供だけである。
そして我がクラスには、該当者が俺しかいない。
「ありがとう! それじゃあ今日の放課後、教室に残ってくれる?」
「分かりました」
放課後の教室には4人の生徒が残り、担任の先生監督のもと作品を書いていく。
生徒のいなくなった教室はとても静かで、日中の騒がしさが嘘のようだ。
冬の日暮れは早い。
校庭で遊んでいた子供たちも帰り、窓から夕日が差し込んでくると、なんだかノスタルジーな気分になってくる。
選ばれし生徒にはこんな冬限定イベントが待っていたのか。知らなかった。
「聖君とても上手ね。そろそろ暗くなるし、この中から選ぶ?」
「うーん、もう少し書いてもいいですか?」
「半紙をあげるから、おうちで書いてきてもいいよ」
正直、3枚目に書いた作品で俺の心は決まっている。だが、硬筆で選ばれた女の子がまだ書きかけなので、俺も残っている。
俺の場合、「できた人から先に帰っていいよ」という状況で最後の一人になると焦ってしまう。集中力のいる硬筆には心の余裕が必要だ。
余計なお世話かもしれないが、俺も最後まで付き合おうじゃないか。
「あと一枚だけ書きたいです」
「わかった。あと一枚、頑張ろうね!」
完璧な作品を目指して努力していると思われたのか、先生のなかで俺の評価が上がっている。
普段から優等生だと、なんでも好意的に見てもらえるから助かるよ。
わざとゆっくり準備して、硬筆の書き終わりとタイミングを合わせる。
毛筆なんて家で散々書いているので、いまさら緊張感も何もない。サクッと書き終えた。
「そろそろ暗くなっちゃうから、続きは明日にしましょう。2人とも、気をつけて帰ってね」
「せんせーさよーなら」
「先生、さようなら」
ランドセルを背に俺たちは教室を出る。
昇降口で靴を履き替える頃には、もうすでに薄暗くなっていた。
俺は夜道でも問題ないが、女の子には危ないだろう。家の前まで送ってあげることにする。
えーと、この子の名前なんだっけ?
さっき先生に呼ばれてたような、ないような……。
「ひじりくん、おうちこっちなの?」
「こっちからでも帰れるんだ」
「そーなんだ」
嘘は言っていない。
ただ、少し遠回りするだけだ。
一緒に帰ろうと言ったわけではないが、自然と隣り合って道を歩く。
女の子はおしゃべり好きなのか、俺に質問したり、今日あったことをいろいろ話してくれた。
そして、唐突にこんなことを言う。
「ひじりくん、すごいね」
「何が?」
「なんでもできるもん」
突然どうしたのだろうか。
俺を褒めても何も出ないぞ。
「何でもはできないよ。できることだけ」
「なんでもできるでしょー? 体育もお勉強もできるもん。わたし、お勉強はすきだけど、体育ぜんぜんできない。だから、すごいなって」
なんとも狭い世界だ。評価項目が少なすぎる。
いや、この子にとっては家と小学校が世界の全てか。
視野を広げてみれば、日本だけでも天才キッズが何人もいて、ちょっとできる程度の奴は進学と共に現実を知っていく。
十で神童十五で才子二十過ぎればただの人になってしまうのが世の中だ。
俺も前世の予習知識が切れたら、途端に成績上位から転落するからな。
そう考えれば、俺よりもこの子の方がよっぽど凄い。
「勉強が好きなだけで十分凄いことだよ。『勉強ができる』よりも『勉強が好き』な方がきっと成長する。それに、硬筆で選ばれるくらい字が綺麗なことは自信を持っていい。字には心が表れるとも言うから」
「すごいの?」
「凄いことだよ。自慢してもいいくらい」
一生懸命硬筆に取り組む姿を見て、この子の頑張りを褒めてあげたくなった。
歳をとると、若者のそういう姿に胸を打たれやすくなる。
大人になるにつれ、字が汚くなりがちだから、この子にはいつまでも字の綺麗さを維持してほしい。
「じゃあ、ひじりくんはたくさん自慢できるね。もーひつ上手だった!」
「ありがとう」
「足も速いし!」
やめてくれ、霊力ドーピングしている俺の心に罪悪感が!
字は綺麗になっても心は汚れたままだから。洗濯しても落ちないタイプの汚れだから。
まぁ、毛筆だけは転生してから純粋に努力して身につけたスキルだからな。こっちは誇ってもいいだろう。
幼女の純粋な誉め言葉は、思いのほか心に刺さってくる。
「好きなことを見つけられるって、凄いことだよ。俺には見つけられなかったからね。……一生費やしても」
「わたしすごい?」
「うん、すごいよ」
ここからなぜか、交互に褒め合う異様な空間が発生した。
俺の贈った言葉を素直に喜んでくれて、無邪気な笑顔を浮かべるものだから、つい。
もしもこれが思春期の子供だったら、「嫌味?」と捻くれた受け取り方をしたり、恥ずかしがって口にできなかっただろう。
そもそも歳頃の子は、異性と一緒に帰ることすら恥ずかしがったっけ。
夕日が完全に沈む頃、幼女の家に着いた。
ここ、陽彩ちゃんの住んでいる高級マンションじゃん。
この子の両親も最近ここへ越してきたということか。
「ばいばい」
「また明日」
名残惜しそうに何度もこちらを振り返る幼女に手を振り、俺はスマホを取り出す。
幼女の歩幅は思ったより小さくて、だいぶ遅い時間になってしまった。学校を出る前に連絡したけど、もう一回電話しておこうかな。