男のロマン
己が井の中の蛙であったことを悟った俺は、仕事部屋に戻って親父との話し合いを再開した。
改めて結界について書かれた本をじっくり読み込むも、肝心な情報は載っていない。
「真なる霊力って、どれのことだろうね」
俺の手持ちには霊素、重霊素に続き第陸精錬霊素まで存在する。あるいはそのどれでもない可能性もありえるか。
とりあえず1から順に試していけばわかるだろう。
その為には要が必要だな。
「この結界の費用ってどれくらいかかるの?」
「要1つの材料費はおよそ500万円かかる」
「高!」
「そうでもない。不思議なことに、維持点検は不要だ。メンテナンス費用がかからない分、長年使えば他の結界よりも安上がりになっている」
この結界を開発したご先祖様凄いな。
メンテナンス不要とか、どんな業界でもなかなかお目にかかれないぞ。
民家規模の結界にしては高額だと思ったら、それも納得の性能か。
「以前聞いた話では、6種類の精錬霊素というものがあるようだな。それぞれ特性が異なるのであれば、あたりをつけて試す必要がある。3回ほどで正解を引けると助かる」
1500万円なら許容範囲ってか。
ほんと、前世の俺とは稼ぎが違うな。
「作り直さなくても、霊力を抜けばいいじゃん」
自分の霊力なら回収することもできる。
あたりなら既についているし、各種順番に試していけばいい。
金を浪費せずに済むのだから、この技術も無駄じゃなかった。
「そうか、聖は霊力の回収もできるのだったな……。使い所は限られるが、便利そうだ」
言われてみれば、それも普通は出来ないんだっけ。忘れてた。
やっぱり俺が身につけた技術はどれも素晴らしいものだ。俺のアイデンティティはなに1つ失われていない!
……うん、ちょっと安心した。
触手の副産物的な技術なので、親父も訓練を続ければ、いずれできるようになるかもしれない。
「結界が壊れても直せる可能性がでてきた。聖のおかげだ」
親父が安堵したように言う。
メンテナンスフリーであることと、壊れないことはイコールではない。
籾さん曰く、脅威度4以上の妖怪が現れたら結界なんて破壊されてしまう。
ロストテクノロジーとも言える結界を再現できない親父としては、風前の灯火だった拠点防衛力が不安の種だったのかもしれない。
「じゃあ、家の手入れも出来るようになるね。せっかくならリフォームしちゃえば?」
親父の収入ならちょっと貯蓄すれば余裕で賄えるだろう。
高級住宅街に寂れた家があっては目立ってしまう。ここはいっそ建て替えるのもありでは?
「それは……ダメだ」
「なんで?」
綺麗好きなお母様が聞いたら喜ぶだろうに。
ショールームで楽しそうにシステムキッチンを選ぶ姿が目に浮かぶ。
「結界作成の目途が立ったならば、長年世話になっている庭師と、他の業者も呼ぼう。だが、リフォームはダメだ」
「だからなんで?」
「……この家には思い出がある。代々受け継いできた遺産を壊すような真似、私には出来ない」
気持ちは理解できるけど、この家もいい加減時代の波に乗るべきだ。
今どきバランス釜の風呂とか滅多に見ないぞ。
キッチンも掃除しきれない汚れが染みついているし、インターホンもチャイムだけ。結婚してから家具は一新したけれど、設備はそのまま。
祖父母が亡くなって以来、親父は家の改装に一切手をつけていないそうな。
どうせならスマートホームとか、最新設備に更新したら便利そうだ。
「籾さんみたいに一部リフォームするのは? お風呂くらい足を伸ばして入りたくない?」
「わざわざ今の結界を壊すリスクを負う必要もない。……だが、お前に代替わりしたときは、好きにするといい」
男なら最新設備や家電にワクワクするものだと思っていたが、親父はそうでもないのか。
まぁいい、俺が金を稼いで自分でリフォームしよう。
本当に精錬霊素で結界を構築できるか確認したら、完全に建て替えるのもありだな。前世では賃貸暮らしだったし、御剣家みたいな新築には憧れる。
待てよ、ご先祖様の結界を再現するなんて志が低すぎるのでは?
強力な陰陽師だったという300年前のご先祖様を超えてあげるのが、子孫としての務めだろう。
よし、いい目標ができた。
「それにしたって、庭の手入れくらいしてもよかったんじゃない? 結界には影響ないでしょう?」
「これまでは影響がなかったが、何が切っ掛けで壊れるか分からない。庭師を呼んで余計なトラブルを生みたくなかった」
頑なだ。いろいろ理屈をこねているが、そもそも親父は家に手を付けたくないようだ。
もちろん、仕事が忙しかったというのもあるようだが。
「“真なる霊素”の作り方って、他の本に記録はないの?」
「私は読んだ覚えがない」
時の流れと共に失われたか、そもそも記録を残さなかったのか。
峡部家の繁栄を考えたら残すはずなのだが……ご先祖様達は何をしていたんだ?
確かめようにも、御本人はとっくにお墓の中だからなぁ。
輪廻転生して別の人生を歩んでいることだろう。
霊力の精錬と同じ技術なのか、はたまた違う技術なのか、いずれにしても気になる。
俺の頭はしばらくそのことでいっぱいだった。
それは夕食の時間になっても……。
「聖、ぼーっとして、何か考え事ですか?」
「あ、うん、ちょっとね」
「勉強熱心なのは結構ですが、食事中くらいは目の前の食べ物に集中してください」
さすがはお母様、俺が陰陽師関連のことを考えているとお見通しである。
大変失礼いたしました。
料理を作ってくれたお母様にも、食材にも失礼だったな。
優也のお手本となるべき俺がこんなことをしては――
「あっ」
「どうかしましたか?」
「歯が抜けた」
そろそろかなと思ってはいたが、ようやくか。
最近は筋一本で繋がっているような状態で、気になって仕方がなかった。
弄るのは良くないと分かっていても、授業時間や食事している時、舌でクネクネ動かしてしまうのだ。
「あー、スッキリした」
「この箱に入れなさい。前にも言ったが、抜けた歯は大切にとっておくように。私が帰ってきたら預かる」
どこからか取り出した木箱の中に俺の歯が収められた。
少しだけ陰陽術的価値の劣化を抑えるらしい。
真剣な表情で俺の歯を眺めた親父が口を開く。
「あと3本抜けたら、儀式ができるな」
「おぉ!」
親父の言う儀式とは、召喚の儀――新しい式神を召喚するための儀式のことだ。
乳歯も立派な人体の一部であり、俺の歯を代価として召喚することができるらしい。
歯が抜けるまで待ち遠しく感じた理由の1つがこれである。
待ちに待った峡部家元来の秘術を目の当たりにする機会、楽しみで仕方がない。
盛り上がる男2人に対して、お母様は呆れていた。
「お仕事も大切ですが、息子の成長を喜びましょう。もう大人の歯に生え変わってしまうのですね。こんな小さな歯でご飯を食べていたなんて。可愛い」
「む、そうだな」
言われてみれば、感慨深いな。こうして着実に大人へ近づいていくのか、と。
そう考えると途端に時が止まってほしいと感じる。
うーん、ジレンマ。
なお、式神召喚にお金をかけるので、我が家の結界については後回しとなった。