8 名前と偽名と逃亡聖女
リオン視点です。
「じゃ、これからどこ行こうか。レオン・ルンドグレーン」
聖女がにんまりと口の端を上げて言う。なんて悪い顔だ。もう聖女とか呼びたくない。魔王だ。何てものを召喚してしまったんだ。
「あぁ、わかっちゃうんですよね。元はレオンですがリオンとも読むんです」
自分でも久しぶりに聞く名前だ。口に出したことなどいつ振りになるだろう。
「獅子って名前負け凄くない? 色の雰囲気しか合って無くない? あんた獅子というか子猫ちゃんじゃん」
「子猫って……! 気にしていたことを! そうですよ! さんざん嫌がらせを受けましたよ! なので、リオンと呼ばれるようになってどれだけ楽になったか! でも、偽名なんかじゃないんですよ。そうとも読むだけです」
「可愛い響きになってよかったねぇ。別に偽名とか読み違いとかどっちでもいいよ。このおかげで偽名使うことに決めたのだから助かった」
え、このクソ聖女、大神官様の儀式に偽名? え? 偽名だったの? でも聖女の話じゃ俺も大神官様たちに捨て駒にされたんたっけ? 信じる? あれだけ見せられたら本当だよな? 嘘つく理由ないよね?
「あのね、混乱しているとこ悪いけど、もう一度説明するね。私の母方の祖母が言うには、名前って最初に貰う呪いであり魂を縛る呪いなんだって。私は完全に違う名前を伝えた。あなたは本当とも違うとも言えない名前だった。なので、私に付くはずだった首輪は何度も弾かれてあなたに向かい変に絡まって私に鎖が来たって仮定している。リオン、神殿は好き? 何よりも優先しちゃうよね。慈悲深くて優しい聖女様は何かに気付いて逃げようとしても世話役は神殿から離れたりしないよね。んで、本来ならこの呪いは聖女様だけが逃げちゃった場合世話役を介して位置を特定したり、いざというときは処分して聖女様の体を回収するものなんだよ。多分。私ならそうするし。恋仲にでもなってくれたら手っ取り早くて楽なんだよね。これ。えげつないシステムだと思う」
言葉が耳を素通りしていく。……前の世話役、前回の召喚から会ったことがなかったし、それについて考えたこともなかった。……俺は優秀だったから世話役に選ばれたんじゃなかったの? 何時から捨て駒にする気だったんだろう。初めから? 今までの世話役たちも?
……大神官様は、優しくて尊敬出来て寒くて臭くて痛い場所から助けてくれて寝床と食べ物を与えてくれて育ててくれて……
……
…………
………………今はもう何も考えたくない。
「私を守って死ぬ気で逃げろ! 大丈夫! 私が死なない限りあなたは死なないよ! ……多分」
気が付いたら聖女に背中を撫でられ、ソフィにフライドポテトをみっしりと口に詰め込まれていた。気が付くのがもう少し遅かったら鼻の穴にも突っ込まれていたことだろう。危ないところだった。ポテトは既に鼻先まで来ていた。
「とりあえず呼び名決めよう。私のことは聖女じゃなくヨウと呼ぶこと。様とか絶対にいらない。怪しまれるからね。敬語もいらない。これはソフィもだよー」
え、何?心も読めるの?!
「あー、心が読めるとかはない。事実が端的にひたすら書いてあるだけだよ。あなたが昨日の晩何を食べたか、何をオカズにしたかはわかってもどう想像してオカズにしたかまではわからな~い」
目を三日月のように細め、ニヤリと笑った。
「うああああああ!!」
悪魔! 魔王! 淫魔!
「わかりやすいんだよ。リオンは」
「わかったので! 理解したので! これ以上もう見ないで!」
やめて! もうやめて!
「うん。良かった。私も耐えられないから《閲覧》たくないかなー。主に腹筋と共感性羞恥がヤバい」
「ふぐぅ!!」
「よし、これからはリオンはリオね。ソフィはフィーでいいかな。本名に近い方が馴れるでしょ」
本名?ソフィも何かある感じなの?
会計を済ませて店を出た。
フィーは眠気が限界らしく、ヨウに縦抱きにされている。子供の扱いが妙に手馴れている。
子供でもいるんだろうか?いや、ヨウに子育てはさせちゃいけないだろう。どんな凶悪な子に成長するか恐ろしい。その前に、出産……? 子作り?
……一糸も纏わずベッドに寝そべり艶のある黒髪を白いシーツに散らせ薄く目を開けて半開きの口で色っぽく笑って俺の知らない男を腕を広げて招……想像してはいけない! ないったらない!
頭を振って雑念を散らす。
「子供の扱い慣れてますね」
「ああうん。姉の子の面倒をみていたからね。丁度フィーくらいの年の双子。その子たちが小さいころに姉がいなくなっちゃってついこの前まで一緒に暮らしていたの。ついこの前引き取られていったけど」
なんだ、自分の子じゃないのか。
ん? なんだってなんだ?
「育児とかできるんですか? 恐ろしい結果しか見えませんけど」
増殖するヨウを思い浮かべる。悪夢では?
「失礼な! トイレトレも幼児食も寝かしつけも頑張ったし幼稚園行かせて役員も運動会もちゃんとしたよ。熱痙攣や嘔吐下痢の時も看病したし。一人で双子育児死ぬかと思ったわ。休みの日も海や公園にに連れて行ったし」
……言っていることのほとんどがわからなかったけど大変だったのはよく伝わった。
そうじゃなく、情緒の方を心配しているんだけどな。
「……いなくなった母親探して一晩中泣くのをなだめるのが一番大変だったな」
遠くを見つめてヨウがぼそりと呟いた。
「……わかります。孤児院の子たちも初めのうちはそうですね」
孤児院にはいろんな理由で子が来る。両親を亡くしたもの。捨てられたもの。虐待にあったもの。
親を覚えている子の相手が一番辛い。
「……フィーの母親は王城で住み込みで下働きをしていたっぽいんだけど、二年くらい前にいなくなってる。声が出なくなったのもその辺からだね。そこから密かに母親を探しながら王城で働いて聖女付き侍女になった。父親も物心ついたころにはいない」
「境遇が似ていますね。だからですか」
ヨウが、フィーをかわいがる理由。連れてきた訳。
「うん。それにあの場で放っとくと確実に殺されちゃうから攫ってきちゃった」
この人誘拐の自覚あったのか。
「えっと、もしかしてフィーは城でいびられていたとか?」
殺されるとか不穏すぎる。そもそも今七歳だ。いくら賢かろうがそんな小さい頃から城で働いているとか普通じゃない。
「ううん。大事に見守られて育てられていたよ。多分お城側の鎖として。リオンと一緒だね」
「……フィーの母親は」
「フィーに繋がっている線は何もなかった。だから。多分」
「……」
親は死んでいる。そして聖女の世話係をさせた後後腐れなく殺すために育てられていた、のか。
俺も?
……
…………
………………
「……伝手があります。一応ですが。今から向かいましょう」
外はすっかり暗くなっていた。
沢山の赤橙色の魔道具の灯りの中夜道を進む。この辺りは安全な場所でもないので警戒して進む。……ヨウがいるので大丈夫だと思うけど。
灯りに照らされる横顔が色っぽ……目がキラキラして……まつ毛長……唇がぷっくり膨らんで美味しそ……待て、冷静になれ。あれは魔王だ。
「仕事も探さなきゃなー。攪乱と情報収集は天職だと思う」
確かに。というかそれしかない。それが天職というのは流石にどうかと思うしそれは、
「諜報じゃないですか」
「スパイ聖女! 新しい! いいねそれ!」
なぜ喜ぶ? それは最早聖女じゃない。もうこの召喚大失敗だよ。何か変なもの混ざったんじゃないの魔方陣。
「厄介払いされた実は最強の冒険者とか駄目妹に虐げられている姉とか追放された聖女とかいないかなー! あー! ヤンデレとか見てみたい! トリアタマーズの青と緑、サヨナラしたのは惜しかったわつくづく」
ヤンデレ? 次々とわからない言葉が出てくる。
それにしても青と緑とか、名前覚える気全くないなこの人。余程どうでもいいのか。
「逃亡聖女ならここにいますよ」
聖女かどうかはかなり怪しいところだけど。
「それな!!」
過去最高のドヤ顔を見た。
「フィーもそうそう、見た目を変えるよ。時期が来たらちゃんと戻してあげる」
ヨウがフィーの背中に添えていた手を動かした。
フィーの姿が変わる。髪色は栗毛色から柔らかな銀色に、目はヘーゼルから赤に。これは、まるで。
「親子と姉弟どっちにしようか、フィル」
フィーを覗き込みにっこりと言う。聖女と称されるのにふさわしい、慈愛に満ちた笑みだ。そんな顔もできたのか。
「……ヨウ!」
フィーはそう答えると、今にも眠りに落ちそうな蕩けた顔でヨウを見つめ幸せそうに笑った。
「ふふ。呼び捨てかあぁ。いいよぉ」
というか。フィルって。
「男児だったのか」
???「おばあちゃんは言っていた」