10 ショッパイ魔法のカナシイ事実
リオ目線で進みます。
二階の部屋はこざっぱりとしていて、小さな机と椅子に一人用のベッドが一つあるだけだった。
今は何も考えてはいけない。今はシャワーに集中だ。歯磨きも済ませてしまおう。
事務所にふさわしい、狭く簡素なシャワー室だ。シャンプーや石鹸類は流石オルソン商会といったところの高級品だ。神殿のものと比べて髪を洗ったときの指触りが全然違う。香もいい。容器も植物を模した気品のある陶器製だ。もしかして、これ、貴族が使っているものなのでは?下手するとこれ一つで小金貨一枚しちゃう?
手早くフィーを洗って着替えさせてシャワー室から出す。
髪と背中は洗ってやったけど、ほとんど自分でできていたところにこれまでの生活をうかがい知れた。……可愛がられていたとは言え、何でも自分一人でしてきたんだろうな。あの年齢で。
今日は疲れた。本当に疲れた。少しくらいシャワー室でゆっくりしたっていいはず。
…………ヨウ、さっきまでここにいたんだよな……裸で……そういえば背負ったんだっけ……背中に当たる柔らかい感触……この手で太股を掴んだんだっけ……
……鎮まれ。あれは魔王だぞ。何かしたら知られるんだぞ。……何だこれ本当キツイ。
シャワーから出ると天井の魔道灯が消えていた。暗い部屋の隅の机で小型の魔道灯に照らされたヨウが筆記具を手に唸っていた。椅子の後ろには衝立が置かれその向こうのベッドにはもう既にフィーが寝かされていた。子供だしな、と思っていると、「どっちにしろ殺されるのは変わらないか」とものすごく不穏な内容が聞こえた。
「お疲れ。汚れた服はそこの洗濯鞄に入れてね」
目線も寄こさずに言う。長い睫毛が頬に影を落とす。横顔が綺麗だ。
えっと、汚れた服を洗濯鞄に入れるんだっけ。これ、確かすごい高価な魔道具だよな?! 買っちゃったの?!
「書き物ですか?」
「ん。掛けられた呪いの分析をしたくて。ほら、昼に捲し立てちゃったけど、あれ勘が八割推測一割だから」
「後の一割は?」
「ノリと勢い」
なんだそれ。あれだけ脅しておいていい加減なと少し気を抜いたところ「こういう勘は外したことないんだ」といわれ再び背筋が寒くなった。
「ちょっとこっち来てもらえる?」
呼ばれたので向かう。頭を両手で挟まれる。シャンプーの香だけじゃない、俺とは全く違ういい匂いがする。
どうせ、《情報》とやらを見ているのだろうけど、見つめられている、気が、する。
近い。ヨウの胸元に視線が行ってしまう……
「もういいよ。ありがとう」
いつの間にかメモを取られたようだ。右手が離されたことに気付かなかった。
「私たちに掛けられた呪いだけど、複雑でしかも数か所文字化けしててほとんどわからなかった。強すぎて削除もできない。リオと私ので比較検証してどういう呪いか調べて見ようと思うけど、どのパターンでも最終的に向こうは私らを生贄にするため捕まえに来るだろうという結論。言葉の呪いの方は凄くシンプルで、私にだけ掛けられていた。だから『言葉が通じるようにリオを媒介として』というのはフェイクで間違いない」
「呪いの記号、あれってなんだっけ……魔道具のも見てみるかな」と呟いてローブや魔道灯を見ている。言葉が耳の上を滑っていく。
ああ、あの人たちは、大神官様は本当に俺を殺す気だったのか。いつから? 初めから? 今までの世話役は? 一生いい暮らしができるとても名誉な話というのは? 全部、嘘か。
何度も何度もヨウに説明されているのに、何故か今、すっと腑に落ちた。
「魔力量というのがうっすら見えるんだけど、リオは何ができるの? 840……そこそこあるみたいだけど。いやこれかなり多いよね?」
魔法。俺が使える唯一の魔法を見せる。
「手を出してください」
はいと差し出された右手を両手でふわりと握り魔力を込める。バチっとはじける。柔らかい、男とは違う手だ。もっと触りたい。手だけじゃなく。
「は? これだけ? 静電気?」
怪訝そうだがそうなのでそうと答える。セイデンキ?とは。
「はい。これで神殿に治療に来られた患者さんに触れると楽になったと喜んでもらえるんですよ」
「それは……! 電気治療……!! 神殿まさかの接骨院疑惑……!! 部活生とお年寄りに大人気な」
ヨウが「ショボい……ショッパイ……思ってたのと違う」と左手で顔を抑え悶えて出した。よくわからないが酷く侮辱されている気がする。
「城でバチバチやってたアレは何だったの?」
「あの方たちは特別なんです。昔は皆あの位魔法が使えていたそうですが、今ではあそこまで使える人は滅多にいません。大体は国に保護されて魔法士になりますね」
「あー、絶滅危惧種ね。保護というか確保? 隔離? 軍事力の占有? そういえば、カラフルな髪も城の方が多かった気がする」
「髪の色とか濃さで魔力の系統と強さが決まるんですよ」
「うんうん、定番だね。雷系統は黄色と。それにしてはリオの髪は綺麗な黄色なのにショボい魔法なのはどうして?」
「ジュウマンボルトとか使えよ」とか聞こえた。よくわからない。「ピカァ」とかなんかものすごく馬鹿にされてる気がしてきた。
それにしても気にしていたことを! ……綺麗といわれたことは嬉しいけれども。
「ショボいって! わかりませんよそんなこと! ヨウはどうなんです?」
「私の魔力量は0だって。魔法とかそもそもそんなものないよ」
そんなはずはない。艶やかな漆黒の髪を思い出す。
「絶対に強力な闇魔法使いだと思ったのに」
「それならうちの国闇魔法使いだらけだよ」
悪戯な目でフッと笑われた。
ヨウがドア側の壁に目を遣り左手を振る。
「シーグさん、あの人怖い人だね」
人差し指でノートをコツコツ叩きながら呟いた。
「怖い人なんかじゃないですよ。面倒見がよくて、誰にでも気さくで。今だって助けてもらいましたし」
確かにさっきは物凄く怖かったけれども。
「《警戒心》を何回下げてもすぐに上がってくる。仕舞いには《殺意》も出てきた。《情報》ももの凄く堅い。項目開くのに貯めていたポイント全部持っていかれた。流石商人。だと、思っていたけど」
昔と同じように通りヘラヘラしていたのに。そうだったのか。
て、話聞きながらそんなことしていていたのか!
「そういえばさっきローザさんて」
「シーグさんの大切な人、だよ」
「そろそろ寝ようか。明日は早いし」
部屋の隅のベッドに引っ張られる。手を掴んだままだったことに今更気づいた。
ベッドの奥側にはフィーが寝ている。
手前に、ヨウと座る。頭に手を差し込まれる。支えられ、握った手ごとベッドに押し倒される。左手頭を撫でられる。息がかかる……いい匂いがする。
ツーっと柔らかな指が額を横切った。手の向こうでヨウがニコッと笑った。
「お休み」
……まって……まだ……なんで……
落ちていく瞼の向こうにローブを羽織って部屋を出ていくヨウが見えた。




