ドラゴン、図書館でめっちゃ火を吹く。
お城の西の塔に登る階段のふもとにあった扉。
封印されていたその扉の向こうには、たくさんの本が詰まった図書館があった。
魔王さんの言うには、こういうことだった。
「あうぅ……我が魔導書図書館は、魔族の知恵と歴史を集めた誇り高き施設だったのだ。あの日、勇者たちがこの城に侵攻してきたときに、奴らこともあろうにあの愛しき図書館を焼き払おうとして……敗北を喫していた我は、必死に勇者どもを止めようとした。我らの歴史を焼かれまいと、知恵を燃やすまいと。あとわたしの秘蔵のどーじんしも隠してたしね、もう必死よ。っと、こほん!!」
魔王さんは大きく咳ばらいをした。
「とにかく、我は勇者どもの放った業火を食い止めたのだが」
「その代わりに、マレーディア様の偉大なる魔導書図書館は勇者一行によって硬く封印を施されてしまったのです」
クラウリアさんが、魔王さんの言葉を引き継いだ。
「それからというもの、マレーディア様は図書館の封印を解こうとしていたのですが、偉大で華麗で無敵で素敵なマレーディア様をもってしても、永らく封印を解くことはできずにいたのですが、そ、それが」
「あうぅ、それが『ちょっと強めに押した』だけで、いとも簡単に……これが古代竜の実力……っ!」
魔王さんが唇を噛みしめる。
「い、いやあ。実力なんて、そんな。ボクは」
ボクは、ちょっとだけ居心地が悪くなる。ほら、ボクはちょっと長生きで、ちょっと力が強いから。でも、それをすごいって褒められても、なんだか変な気分というか……
「えへへ、パパはすごいよね。オリビアのパパはすごいよねっ! お姉ちゃんたちもそう思うでしょ、ねっ、ねっ!」
ごめん、前言撤回。
パパ、とっても嬉しいよオリビア!!!
***
それからというもの、オリビアは暇な時間があれば魔導書図書館にこもることになった。
魔導書図書館、といっても絵本や料理の本なんかも揃えてある。魔王さんの趣味なのだろうか。ボクは、お城の厨房で料理本を片手に料理を練習する。オリビアは、図書館で好きな本を眺めている。
はじめは、「パパ、オリビアもお手伝い!」と厨房に入ってきたのだけれど、だめだめだめだよ、とんでもない! 料理というのは火を使うのだ。祠の焚火でどうにかミルクスープを作っていたときとはわけが違う。炒め物とか、けっこう火力強いし。
「えっと、図書館はとっても広いしずっと封印されていたみたいだから……虫干しをしてみたらどうかな?」
「むしぼし?」
オリビアはこてんと首をかしげる。
柔らかい栗色の髪がふわんと揺れて、若いオリーブ色の瞳がボクを見つめる。
最近、初めて会った日よりちょっと大きくなったオリビア。
可愛さに磨きがかかっているオリビア。
もはやレディといっても過言ではないオリビア……って、これは困るな。立派なレディは、ステキなパートナーと一緒に巣立ってしまうのだと、たくさん読んだ育児書が教えてくれた。
そして、「虫干し」のことも『家庭のおしごと』という本で読んだのだ。
「虫干しっていうのは、本を陰干し……お日さまの光の当たらない、風通しのいいところにおいて、カビやシミを防ぐ大切なお手入れなんだよ」
「おおぉ~、むしぼしはたいせつ!」
「だから、オリビアが図書館の本を虫干ししてくれたらパパもうれしいな」
「ほんと!」
「うん。魔王さんも、きっと喜んでくれるんじゃないかなぁ」
「お姉さんもっ!」
うわぁい、とオリビアは飛び跳ねる。
「オリビア、むしぼし頑張るねっ!」
にこぉっと笑うオリビア。
お日様みたいな笑顔の前では、虫なんてすぐ逃げ出しちゃうんじゃないかと、ボクは思うよ。
そういうわけで、ボクがキッチンにいる間はオリビアは図書館に……というのがボクたちの間の約束になった。
夕食のときに、「パパあのね!」と話してくれるオリビアの話をきくには、魔導書図書館にはときおり魔王さんもやってくるらしい。このまま仲良くなってくれるといいなあ。
もっとオリビアが大きくなったら、いつか一緒にキッチンに並ぶときがくるのかも。そのころには、ボクも料理本がなくてもテキパキ料理ができるようになっているかもしれないな。
***
その日も、オリビアは図書館の虫干しをしていた。
夕食の準備ができて、しばらくしてもオリビアが食堂(とっても広いので、二人だとちょっとものさみしい)にやってこなかった。
「オリビア?」
だから、ボクは図書館にひょっこりと顔をだした。
魔導書図書館はボクの住んでいた祠と同じくらい広い閲覧室と、その奥にあるみっちりと本の詰まった書架に分かれている。天井まで届くほどの大きな本棚と、たてよこに移動する梯子がかっこいい。
閲覧室にある図書館の大きな窓は開け放されている。
お日さまの当たらないあたりに並べて広げられた、たくさんの本。
虫干しだ。
そこでボクは、びっくりするものを見てしまう。
「んっと、……『来たれ来たれよ、深淵の使者ここに来たれ。紅なる淵、蒼白なる底。邪心秘めたるアリアドネの糸を手繰り寄せよ、手繰れよ、手繰れ』?」
「わあ、お、オリビア!?」
腹ばいに寝転がって、両手にあごを乗せて両足をぱたぱたと揺らしているオリビア。
虫干ししている本を楽し気に眺めている。
でも、オリビアが読んでいる、いや詠んでいるのは、ぜったいよくない何かだよ!!
その証拠に、オリビアの周囲の魔力が渦を巻き始めている。
そして、ここにいないはずの「何か」の形を成して……あっ、これあれだ、ニンゲンが使ってる召喚術!! ボクがお散歩がてらにのぞきに行ってた魔界で聞いたことがある。召喚術とは、普段はニンゲンたちとは位相の違う世界である魔界に住んでいるはずのアブナイ生き物を、術を使った人の近くにあっというまに呼び寄せる術なんだって。
魔界の番人さんが、「いやあ、あれ風呂入ってるときに呼び出されたりするからホント迷惑してるんすわ」ってぼやいていたっけ。
「あ。パパ?」
オリビアがボクに気づいて手を振る。
その間にも、オリビアの虫干ししているの、魔導書なんじゃないかな!?
ボクの音読によって、どんどんオリビアの知力があがっているらしいのは感じていたけど、ま、まさか、ニンゲンの頭のいい大人が読むような魔導書を読んで、しかも術を使えるほどになってるなんて。
うん。
やっぱり、ウチの子は天才だ!!
「オリビア、そこを動かないで!」
ついに現れた、無数の大蜘蛛が「きしゃー!」と声をあげる。
かつてひとりでお山に住んでいたころには、たまに魔界から出てきた大蜘蛛さんを見かけても「あ、蜘蛛さんだ」って思うくらいだったけれど。
今のボクは、「パパ」なのだ。
オリビアを、守らなくちゃ!
ボクは、迷わずニンゲンの姿をやめる。
ドラゴンの姿になると、あんなに広かった閲覧室がすごく狭く感じる。
「魔界に帰ってくださいっ!」
と。
ボクは大きく息を吸い込んで、迷わず大蜘蛛さんに火を吹いた。
火を吹いている最中に、後ろから声がする。
「あうぅうぅ~~~!!? 嘘だろ古代竜、ととと、図書館で火を!!? 図書館でドラゴンは火を吹かないのが定石ではあああ!!?」
「マレーディア様、お気を確かに!!」
「わ、わ、我が珠玉のコレクションがあああ!!」
魔王さんとクラウリアさんだ。
騒ぎを聞いて聞きつけて来たんだろう。
ああ、本が燃えちゃうのを心配しているんだな。
でも、大丈夫だよ。
だって、そこにはオリビアが。
ボクが守るべき可愛い娘がいるんだから。
「……ほわ、パパ?」
炎が晴れると、オリビアがきょとんとした顔でボクを見上げていた。
久々にドラゴンの姿になると、本当にオリビアは小さい。少し大きくなったからといって、まだまだオリビアは守るべき存在だ。
大蜘蛛さんたちは燃え尽きている。
召喚先で消滅した彼らは、魔界に送り返させるのだ。
オリビアは、無事だ。
「オリビア!」
ボクは、オリビアの名を呼ぶ。
「パパ、すごい! かっこいいね、火を吹くんだね!」
駆け寄ってきたオリビアが、ボクの爪に抱きついてくる。
ボクの姿にかかわらず、信頼を寄せてくれるオリビア。
とっても愛おしい。
「あううう、こ、古代竜!? ほ、本は無事なのかっ!」
魔王さんが涙目で叫んでいる。
そうか、ボクの身体が邪魔で中の様子があんまり見えないんだな。
大丈夫。
ボクがオリビアを傷つけるようなことをするわけがないだろう。
ボクは永い時間を生きるドラゴンだ。
自分の吐く炎で何を焼くかなんて、自分で決められるよ。
ニンゲンの姿をとって、ボクはオリビアを抱きしめる。
「オリビア、ごめんね。ひとりで虫干しなんてさせたから」
ああ、寿命が縮むかと思った。
オリビアは自分がしたことをよくわかっていないのか、ボクの腕の中でニコニコと笑っている。
「あう、もしやさっきの召喚術……そのニンゲンの娘が使ったのであるか?」
「そのようですね、我が麗しき魔王マレーディア様」
魔王さんとクラウリアさんが、そんなことをこしょこしょと話している。
「あう……この図書館にある魔導書は、魔族でも持て余すようなシロモノばかりなのにっ」
魔王さんが頭を抱えていた。
なるほど、虫干しはオリビアひとりでさせるにはアブナイってことか。
これはボクがうかつだったな。
……とりあえず、食堂に戻らなくちゃ。
オリビアの好物のミルクスープが、冷めてしまう前に。