ドラゴン、封印をベリベリ破る。
オリビア。
君がぐっすり眠るまで、パパはいつまでも本を読むよ。
「パパ、見て見て~!」
「わあ。大きい階段だねえ、オリビア」
今日からボクたちは、新居の掃除をしている。魔王さんから借りたお城は、ボクが住んでいるお山――神嶺オリュンピアスのふもとに移築した。
お城をくわえて飛ぶのはちょっと疲れたけれど、うまくいってよかったな。
ちなみに、お城といっしょに引っ越しをしてきた魔王さんと、魔族騎士長のクラウリアさんは西の塔にこもったきり出てこない。魔王さん、
「あううぅ。わたしは引きこもるぞっ、絶対に西塔の部屋は開けるでないぞ、絶対であるぞっ!」
って言ってた。ボクとオリビアに気を使ってくれているのだろう。魔王さん、さすがヒトの上に立っていた人は優しいなあ。
「うーん、お手伝いが子どもの成長をうながすって書いてあったけど……オリビアは本当によく働くなあ」
なんていい子。
ニンゲンの家事に慣れていないボクは、買いためていたニンゲンの本のなかから『家事の教科書』というのを開き、それを片手にお城の掃除をしている。ニンゲンの姿になっているからといって、いきなり器用にニンゲンらしいことができるわけじゃないのだ。
むずかしいなぁ。
一方、オリビアはすごい活躍をみせていた。「ほうき」や「ぞぉきん」という道具を器用に使って、小さな体でテキパキとお城のなかを掃除していく。
ボクはすっかり感心してしまう。
うちの子、何千年を生きたドラゴンのボクよりも何万倍も掃除が上手い!
生まれてからたった数年なのに!
も、も、もしかして……うちの子って天才かな?
「オリビア。たくさんお手伝いしてもらって、パパうれしいよ」
ボクは、手を休めてオリビアに微笑みかける。
オリビアはボクに太陽みたいに笑いかえす。
そして、衝撃発言をした。
「ううん。オリビアね、生まれてからずっとおそうじしてたから、手で!」
「手で」
「ほうきも、ぞうきんも、オリビアもってなかったの。だから、手でおそうじしたよ」
「お、オリビア~~~ッ!」
ボクは、オリビアを抱きしめる。
ニンゲンのオスと一緒に暮らしていたときのオリビアが、いったいどんな目にあっていたのかを考えると、泣けてくる。
オリビア、パパが絶対に幸せにするからね。
***
たっぷり三日かけて、ボクとオリビアはお城の掃除をした。そのあいだ、魔王さんたちは宣言通り一度も西の塔から出てこなかった。
お城じゅうを掃除して、オリビアの部屋とボクの部屋を決めた。
オリビアの部屋は、東の塔にある小さな部屋にした。小さな、といってもピアス村でオリビアが住んでいたボロ小屋全体より広いのだけれど。その部屋は朝日が一番に差し込んでくるし、窓をあけると山肌を走る爽やかな風が吹き込んでくる。
オリビアがこれから、健やかに幸せに暮らすのに、いちばんいい部屋だと思った。
ボクがそう言うと、オリビアもその部屋を気に入ってくれた。
壁のうちの一面が本棚になっている。今は空っぽだけれど、この本棚にはオリビアが気に入った本をたくさん、たくさん詰め込むのだ。オリビアは、本が好きだから。
ボクの声で読み聞かせを続けているので、オリビアはみるみる知恵をつけている。いまや、かなり難しい本も読みこなせるほどになっているみたいだけれど、子どもらしい絵本への興味も失わずにいるオリビアの姿に、ボクはいつだって嬉しくなってしまうのだ。
この部屋が、いつかドラゴンであるボクのもとから旅立ってニンゲンとして生きることになるオリビアの帰るべき巣……じゃなかった、家になりますように。
ボク、ほんとに、そう願っているんだ。
***
ボクとオリビアは、西の塔の階段の下にいた。
東の塔のてっぺんから掃除を始めて、お城じゅうをきれいにしてしまった。残るはこの西の塔だけなのだけれど、このお城の持ち主である魔王さんには
「てっぺんの部屋は、魔王さんが使っているから登ってはいけないよ。オリビア」
「はぁい!」
いいお返事だ。
そういうわけで、ボクたちのお掃除はこれにて完了……と思ったけれど。
「なんだろう、この扉?」
西の塔を登るための階段の、反対側。そこに、小さな扉があった。あ、小さなっていってもニンゲンの姿をしているボクは普通に入れるくらいの大きさだ。
どうしてボクが「小さな」と言ってしまったかというと、その扉には大きさに見合わない、とっても豪華な装飾が施されていたのだ。
ボクの祠にあった、金銀財宝のなかには色とりどりの宝石があった。
あのなかでも、とりわけ綺麗な緑色……たしかニンゲンがエメラルドと呼んでいる宝石がその扉にはふんだんに散りばめられていた。
「うーん、ぴったり閉まっているみたいだね」
そもそも、魔王さんが西の塔に登る前、「あうぅ。この城のなかの扉はすべて開け放しておいてやろう。西塔のてっぺんにある我が快適マイルーム以外は、どこでも使うがよい。とーぅ、指パッチン!」と、指を鳴らして城の中の扉はすべて開けてくれていたはずなのだ。
この扉が開いていない、ということは魔王さんが開けなかったということだ。
ここも西塔の開けちゃいけない扉の一部なのかな。
そんなことを考えていると、ボクの服の裾をオリビアがちょいちょい引っ張る。
「パパ、きれいな扉ね!」
「そうだね、オリビア。すごくきれいだ」
「えめらるど!」
「ああ、これだね。よく覚えたね、オリビア。近くで見たいかな、抱っこするかい?」
「するー!」
わぁい、とオリビアは万歳をした。
ボクに抱っこをせがむときのポーズだ。
ボクはオリビアを抱き上げる。
軽い。まだまだ小さいボクの娘だ。
「わぁ……」
オリビアは、輝くエメラルドを間近でじっと眺めている。
うっとり、という表情だ。
「パパ、この扉ひらくかな?」
「え? どうだろう」
きらきらと期待に満ちたオリビアの表情に、ボクはおずおずと扉に手を伸ばす。
お城のにある他の扉とは、なんとなく違う、その扉を。
「うーん、結構重いな」
手にずしっと手ごたえ。
ボクは、声や足の速さはともかく、腕力についてはドラゴンの姿のときと同じくらいの力をだすこともできるのだけれど……それなのに、この扉は重い。
変なの。
「えいっ」
だから、少しだけ力を入れて扉を押すと。
キィッ……とあっけない音を立てて扉は開いた。
「わあ、ひらいたよ。パパ!」
オリビアが嬉しそうに声をあげた。
今の感じ。たぶん、扉に魔力が絡まっちゃっていたみたいだ。力を入れて祓ったから、もう普通の扉と変わらないだろう。
「なんだっけ、ああ。封印ってやつかな」
ずいぶん前に、封印されてしまったとかいう剣をニンゲンがボクの住んでいるあたりまで持ってきたから、ちょっと息を吹きかけて絡まっている魔力を祓ってあげたことがあった。あのときも、そのニンゲンは、「や、やったぞ! 聖剣の封印が解かれた!!」って大喜びしていたっけ。せーけん、ってなんなんだろう。
それはそれとして、封印されていたっぽい扉が開いた。
ボクが、その中に一歩踏み入れようとした、そのとき。
「あうう~~!? ちょ、ちょちょちょちょぉおおぉっ!!!」
とたとたとた、という音が頭上から降りてきた。
「あ、魔王さん」
この城の持ち主である魔王、マレーディアさんだった。
この間より、なんだかずいぶんラフな格好をしている。短いズボンに丸首のシャツで、ずいぶん寝心地がよさそう。床に引きずるくらいに長い髪から突き出た大きな羊さんの角以外は、小柄な女の子といった見た目だ。もう何年かしたら、オリビアの遊び相手になってくれたらいいのだけれど。
オリビアが魔王さんに手を振る。
「あ、ひつじのお姉さんだぁ~」
「魔王さん、どうしたんですか?」
「あうっ、どどど、どうしたもこうしたもないのであるっ! と、と、扉の開く気配がしたぞっ。あまりのことに、我は快適マイルームから慌てて出てきたのであるっ」
魔王さんは、黄金色の大きな瞳をウルウルさせて、開いた扉とボクを交互に見比べる。
眼鏡がちょっとずれている。
「あううぅ、魔導書図書館……憎き勇者どもに封印されていた、我が宝物庫ともいえる場所の封印……古の竜よ、い、いったいどうやって封印を解いたのだ!?」
オリビアを抱いたボク、に魔王さんは今にも泣きそうな顔で食って掛かってくる。
悪いことしちゃったのだろうか……。
「ええっと、ボクは、その、ちょっと扉を押しただけで。強めに」
「つ、強めに」
ボク、嘘はついてない。
「あ、あう……わたしずっと、がんばって封印解こうとしてたのに……十年、いや、百年? そ、それが、それがこんな簡単に……!? これが古代竜の実力……!?」
と、魔王さんはぶつぶつ呟く。
あ、封印解きたかったんだね。やっぱり。
よかった。
「あ、あうぅ~~~! ク、クラウリア~~~!! 我が魔導書図書館がぁ~~~!!!」
魔王さんは、クラウリアさんを呼びながら西塔を駆け上がっていった。
あのふたり、本当に仲良しなんだなあ。オリビアにも、あんな仲のいい友達がいつかできるといいなあ。
ほっこりしながら、ボクはオリビアをおろしてあげる。
足をじたじたして、すぐにでも扉をくぐりたい様子だったから。
案の定、たっと駆け出すオリビア。
そうして、扉のなかで息を飲んだオリビアは、ゆっくりと彼女を追いかけるボクに叫ぶ。
「すごい、すごいよパパ! こんなに、こんなにたくさんのご本があるの!」
「わあ」
ボクも思わず息を飲む。
寝床にしていたボクの祠には、たくさんの金とか銀とか宝石があったけれど、この図書館は同じくらいに広い空間が、全部、全部、本で埋め尽くされていたのだ。
初めて目にする量の本。
「パパ!」
ボクに笑いかけるオリビアが、こちらに手を伸ばす。
「パパ、きょうの夜はご本よんで~!」
ほっぺたを真っ赤にして喜ぶオリビアの手を、ボクは握り返す。
「うん、喜んで」
オリビア。
君がぐっすり眠るまで、パパはいつまでも本を読むよ。