ドラゴン、家を買う。1
ドラゴンであるボクとは、寿命も違えば生き方も違う。
ボクは「パパ」になったから、オリビアを立派な大人のニンゲンに育てる責任がある。
だからこそ。
ドラゴンのボクが心地の良い環境と、オリビアが育つべき環境に違いがあることは、ちゃんと心に刻んでおくべきだろう。
家を建てなくてはいけないな、とボクは思った。
ボクがずっと住んでいた祠で暮らし続けるのは、幼いオリビアにとっては良い環境とは言えないだろう。
「パパ。朝だよ!」
小さなオリビアは、早起きだ。
たいがい、ボクが朝起きるよりも前に起きている。
ぺちぺち、と小さな手でボクの頬を叩いて、「パパ、起きて!」という声は歌うようだ。
それは、ボクがニンゲンの姿をとっていても、うっかりドラゴンの姿のままで眠ってしまっても変わらない。
ドラゴンの姿のボクを起こすとき、オリビアはボクの太いアゴヒゲを両手でくいくい引っ張って、やっぱり歌うように「パパ、起きて!」と声をかけてくれる。
「ん~、おはよう。オリビア」
「おはよう、パパ!」
にぱっ、とオリビアが笑う。
最近は、本を読んでいるとき以外も使う言葉がうんと増えてきた。
「パパ、今日はお花さんを見にいこっ!」
両手をいっぱいに広げて、お日さまみたいに笑うオリビア。
「そうだね、お花を見に行こう。いまはね、パパのお気に入りの桃色の花が満開だよ」
長い間、ひとりで楽しんできた風景をオリビアに見せてあげよう。
ボクは自然にそう思う。
それと同時に、心配事ができたのだ。
オリビアは、ニンゲンの子だ。
ドラゴンであるボクとは、寿命も違えば生き方も違う。
ボクは「パパ」になったから、オリビアを立派な大人のニンゲンに育てる責任がある。
だからこそ。
ドラゴンのボクが心地の良い環境と、オリビアが育つべき環境に違いがあることは、ちゃんと心に刻んでおくべきだろう。
ボクは柔らかいシダをたまに味わう以外は、大気に満ちる魔力を食んで生きている。
オリビアはミルクスープやほかにもたくさんの食べ物を食べて大きくなる。
ボクは眠ろうと思えば何百年も眠ることができる。
オリビアの眠りは夜ひとつぶんだけ。
ボクはひとりでも生きていける。
オリビアは、……ニンゲンはひとりでは生きていけない。同じニンゲンと分かりあい、ときには友達になったり、仲間になったり、番になったりしながら生きていく。
それは、ボクが本で読んで学んだこと。
オリビアを見て、確信したこと。
だから、ボクはなるべく人型になってオリビアと接するように心がけている。
「あの娘はドラゴンに育てられたから、あんなにガサツなんだ!」なんて、万が一にもオリビアが言われてしまったら、ボクはきっと悲しくてわんわん泣いちゃうと思う。
涙が湖を作るかもしれない。海とか。
そういうわけで、このまま祠に住んでいるのはよろしくないわけだ。
「お花さん、お花さん!」
ボクの周りをスキップ(という、奇妙な歩き方)をするように飛び跳ねているオリビアに、ボクは素敵な提案をする。
「ねえ、オリビア」
「なあに、パパ?」
信頼しきった、オリビアの瞳。
ボクは、彼女のパパとして、オリビアにたくさんの教養と、できれば悪い奴に負けない強さと、優しさと、素直さと、素敵な人生と……そういうものを、彼女にたくさんプレゼントしたい。
「今日は、おうちを建てようか」
「おうち?」
そのために。
まずは、ニンゲンとして住む場所を。
ボクたちの家を建てなくてはいけない。
***
おうち、と聞いてオリビアは首を傾げた。
オリビアの手を引いて神嶺オリュンピアスの森を歩く。
小さな小屋を作るなら、木を使って作るのがよいだろう。
そうやってニンゲンが家を建てる様子を見たことがある。
「パパ、おうちってこれかな?」
「ち、ち、違うよオリビア!? それは木のウロじゃないかな!?」
オリビアが指さした大樹のウロがあまりにもボロボロで、ボクは思わず驚いて大きな声を出してしまった。
ボクは、ピアス村のぼろ小屋を思い出す。
ちくん、と胸が痛んだ。
オリビアにとって、おうちというのは木のウロのような粗末なところということなのだろうか。
オリビアと、一緒に暮らして数週間。あのピアス村のぼろ小屋を「おうち」と呼んだことはない。それは逆に、よいことなのだと思う。あんな場所が……下品な笑い声と酒のすえた臭いのこもる場所が、小さな少女の「おうち」であっていいはずがないのだ。
「もっと、大きなおうちでもいいんだよ」
ボクは、オリビアにそう告げる。
こてん、とオリビアは首を傾げた。
「おおきな、おうち?」
「そうさ。パパがうっかりドラゴンになっちゃっても、壊れないくらい大きなおうち!」
そんなふうに、ボクはおどけてみせる。
滅多なことではドラゴンの姿にはならないぞ、オリビアを立派なニンゲンのレディに育てるんだと誓ってはいるものの、寝起きにうっかりドラゴンの姿にもどってしまったりしては大変だ。
ボクは昔から、寝ぼすけだから。
大きなおうち、という言葉にオリビアの瞳がキラキラと輝く。小さな鼻がぴくぴくと動いている。あ、これは、なにか嬉しいときの表情。
最近、分かるようになったんだ。
「それって、お城みたいな!?」
「お城か」
ボクが買ってきた絵本の美しい挿絵に、大きなお城を描いたものがあった。
オリビアは、その挿絵をとても気に入っていた。
たしかに、お城というのはグッドアイディアだと思う。
あれだけ大きければ、もしかしたらボクがドラゴンの姿になっても大丈夫かもしれないし。
「オリビア、お城に住みたい?」
「すみたい!」
「そうかぁ。そうしたら、オリビアはお姫様だね」
「うんっ。それで、パパが、おうじさま!!」
「…………っ! うぐっ」
「パパ?」
「なんでもないよ、オリビア」
パパが、おうじさま。
ちょっとあまりに嬉しい発言だった。
ボクはオリビアの王子様にはなれないけれど、そう呼んでくれる信頼が、とても、くすぐったい。
「それにしても、お城か」
ボクは、うむむと唸る。
お城といえば、ひとつだけ心当たりがある。
「ねえ、オリビア。今日は特別に、空を飛んでみるかい」
「えっ、お空を飛べるの!」
そうだよ、とボクはオリビアに微笑んで、むくむくとドラゴンの姿に戻る。
オリビアを柔らかいタテガミに乗せて、数百年ぶりに背中の翼を大きく開いた。
***
空の旅にはしゃぐオリビアは、「両手をタテガミから離さないこと」という言いつけをしっかりと守ってくれた。
もしも空を飛んでいる最中に背中からオリビアが転がり落ちてしまったらと考えるだけで背筋がゾクゾクする。
何があってもオリビアを守るつもりだけれど、何もないことが一番だ。
「ふぅ……、やっとついた。ひさびさに飛ぶと疲れるなあ」
ボクは、はふうと溜息をつく。
ちょっと大きすぎる溜息だったようで、それは魔力をはらんだ竜の息吹となって、目的のお城の堅牢な門をばーーんっと開け放ってしまった。
「わわわ、しまった。失礼だよね」
「パパすごい! おててを使わないで扉を開けられるのね!」
「マネしちゃだめだよ、オリビア」
門の奥から、慌てた様子の人影が出てくる。
ピンク色の髪を腰まで波立たせ、勇ましい鎧をきっちりと着こなしている女性だ。
たぶん、美人。
いまはこのお城、あんまり使ってないだろうに。
昔から真面目な人だったな。
「な、な、なに奴だ! ……って、ぎゃああああ、ドラゴン!?」
「こんにちは。お久しぶりです、クラウリアさん」
「お、お前は神嶺オリュンピアスの古代竜!? 貴様、ここが魔王マレーディア様の城であると知って訪れたのか!? やっと我らが軍門に下る気になったということか……というか、その背中の生き物はなんだ!?」
「うちの娘です」
「ニンゲンでは!?」
あわあわと手にした剣を振り回しながら話している。
オリビアに万が一にも当たったら危ないので、「やめてくださいよー」と爪でそれをおさえると、「ぎゃあああ! 我が魔剣が!!」とくんにゃり曲がってしまった剣を見て泣いていた。
あんまり手ごたえもなかったし、クラウリアさん、本気じゃなかったみたいだ。
悪いことしたな。
「くそう……強大なるドラゴンめ……!」
彼女は、魔族の騎士クラウリアさん。
ずいぶん前に、このお城が新築のときに上司の魔王さんと一緒に挨拶に来てくれた。
礼儀正しい人たちだな、と思ったけれど、「われらがぐんもんにくだれー」という変わった口上の意味はよくわかんなかった。
それも、何百年か何千年か前のことだと思う。
最近は、魔王城のうわさもあんまり聞かない。
というか、魔王のマレーディアさんが勇者さんと喧嘩をして負けてしまったとかで、このお城はほとんど使っていないのだそうだ。
「あの、クラウリアさん。魔王さんと少しお話できませんか?」
ボクは、なるべく丁寧にお願いをする。
「む? マレーディア様と、貴様が?」
「そうなんです、お願いがあって」
「なんの願いだ」
「いや、ちょっとこのお城もらえないかなって」
「……はぁ?」
前までは、たくさんの魔族が出入りしていたこのお城も、最近は魔王さんとクラウリアさんしか住んでいないそうだ。そうしたら、ちょっと二人には広すぎるだろうし。
「娘が大きくなるまで、ボクに住まわせてもらえませんか。山に持って帰りたいんです」
「はーーーーあ!!???」
「わあ、パパ! オリビアたち、このお城に住むのね!」
背中のオリビアが、きゃあっと嬉しそうな声をあげた。
クラウリアさんの顔色が、みるみる青くなる。
あれ、もしかしてこれって具合悪いやつかな、『子どもの看病』って本で読んだ。
「……きゅう」
「わわわ、クラウリアさん? た、たいへんだー、魔王さん、魔王さーーん!」
クラウリアさんは、軽く気絶してしまった。
ボクは慌てて人型になると、クラウリアさんを抱えて魔王さんのお城に連れていく。
「オリビア、パパについておいで!」
ボクの後ろをオリビアは迷わずついてきてくれているのを確かめながら、なるべく速く走る。
「待って、パパー!」とこんな状況なのに笑顔で走っているオリビアは、やっぱりとっても可愛い。
本物のお城に嬉しくなってしまったのか、端のほつれたスカートをお姫様みたいにつまんで走っている。
わあ、オリビア。
本当のお姫様みたい。
前話の時系列をすこし修正しました。