ドラゴン、「パパ」の勉強をする。
いきなり、ある日突然「パパ」になったのだ。
だから、ボクにできることはひとつ。
なるべく詳しく、調べること。
よくよく想像すること。
ボクは激怒した。
必ずかの可愛くて仕方のない娘を幸せにせねばならぬと意気込んだ。
なんだ、あのニンゲンのオス。
こんなに可愛い娘を捨てるなんて信じがたい。
ボクには育児はわからぬ。
けれども、読書にだけは人一倍自信があった。
***
「ふぅむ、ふむ……」
ボクは、ドラゴンの姿のまま、爪の先で書物をぱらりぱらりとめくっていた。
題名は『はじめての赤ちゃん』。
87冊目の資料だ。
ボクはドラゴンだ。
長く長く生きているけれどニンゲンのことは分からない。
いきなり、ある日突然「パパ」になったのだ。
だから、ボクにできることはひとつ。
なるべく詳しく、調べること。
よくよく想像すること。
オリビアが食べる、やわらかく煮た野菜の根っこのこと。
ニンゲンはお風呂に入ること。
服の洗濯のことや、病気のこと。
とりあえず、オリビアの生命にかかわることは優先して調べた。
今のところはオリビアの顔色は今までよりもずっとよくなっているし、元気そうだ。
今度、オリビアと住む家を建てようと思っている。
どうやらニンゲンの子どもは、祠には住んでいないっぽいから。
でも、まだまだ調べたりない。
ボクの爪の先よりも、うんと小さい書物のなかの、さらにうんと小さい文字を追う。そんな小さな文字が見えるのかって?
心配ご無用。
ドラゴン・アイはとってもよく見えるのだ。
「なるほど、ニンゲンの子どもにとって大切なのは、愛情と手間をかけてくれる人の存在なのか」
どうやらニンゲンは身近な人から言葉を覚えるらしい。
ぺらり、ぱらり。
爪の先で本の頁をめくる。
……うーん、ニンゲンの本は、やっぱりニンゲンの姿のほうが読みやすいだろうけれど。
ボクは、ポリポリとアゴヒゲを掻く。
そっと、背中を揺らさないように。
何故、ボクがわざわざドラゴンの姿で読書をしているのか。
それは―――。
「むにゃむにゃ……パパぁ……」
ボクの背中にふわふわと生えたたてがみのなかで、オリビアが安らかな寝息を立てている。
安心しきった寝息。
小さな心臓の音。
そんなオリビアの気配を背中に感じながら、ボクはまた本に視線を落とす。
ボクは思う。
ああ、毎日たてがみをお日様に当ててフワフワにしておいてよかったな――と。
さて。
明日はオリビアに絵本を買ってこよう。
***
次の日。
買ってきた絵本を読み聞かせる。
今日はボクもニンゲンの姿になって、オリビアを膝にのっけて頁をめくる。
「むかし、むかしぃ……?」
「そうそう。上手だね、オリビア」
ボクの真似をして、絵本を読むオリビア。
一行読むたびに、ボクの顔を見上げてにっこりと笑うオリビア。
「パパ、たのしいねえ」と足をパタパタさせるオリビア。
うーん、可愛いよオリビア。
***
数日後。
「いにしえのどらごんは、とても、こうきなそんざいである。とりわけ、しんれいのやまにすまうどらごんは、かみとして、しんこうをあつめているじだいもながかった」
オリビアは、すらすらと書物を読み上げている。
絵本ではなく、神話についての書物だ。
もうすこし大きくなったら読むかな……と思って買っておいたのだけれど。
え、もしかして、ウチの娘ってば優秀すぎ?
ボクは、オリビアが本を読む声にうっとりと聞き入ってしまう。
「オリビア、本を読んでるね!!? わああ、天才だ!」
「えへへ。パパ~!」
ボクの声に、オリビアはにっこりと笑う。
ボクはそのあまりの可愛さにとろけてしまいそうになった。
***
さらに、数日後。
「歴史上に輝く大いなる知性を持った賢人、それは【リアリスの六賢者】と呼ばれており……」
本を読み上げるボクの声に、じっと耳を傾けているオリビア。
ボクの三つ編みにした髪を、小さな手できゅうきゅうと握りしめている。
そうして、小さな唇を開いた。
「パパ、【リアリスの六賢者】っていうのは実在した人物なの?」
小さな身体から発せられているとは思えない、芯の通った声だ。
可愛い。
ボクは応える。
「そうだね。この人たちは実在するよ、オリビア。このヴァンディルセンっていう人とパパは、一度会ったことがあるよ」
と、オリビアに教えてあげると、オリーブ色の瞳をキラキラ輝かせて「パパ、すごい!」と見上げてきた。可愛い。
なんだか、僕が読み聞かせをするたびにやたらと賢くなっていっている気がするけれど……ニンゲンの成長スピードってこういう感じなのだろうか。
それにしてもヴァンディルセンくん、立派になったなあ。
***
数日後。
「…………あ」
ボクは、パラパラとめくっていた育児書にびっくりする記述を見つけた。
『ドラゴン流、すごい教育』という題名だった。
何かの参考になるだろうかと思って、村の本屋で買った。
ボク、ドラゴンだし。
そこに書いてあったのは、だいたいこういった文章だった。
『古から永き時を生きるドラゴンたちの声には、不思議な力があります。彼らが語る知恵は、そのままドラゴンの子どもたちの知恵となって身につくのです。わたしたち人間はドラゴンたちのような力はありませんが……(以下、子どもとの会話の大切さを説く文章が続く)』
「も、もしかしてオリビア……ボクの読み聞かせの効果で、すごく賢くなってるのかな?」
ボクは、まあ、色々あってパートナーを持ったことも、子どもを持ったこともないから、この本に書いてあることが本当かはわからないけれど。
「どうしたの、パパ?」
ボクの腕のなかで、にこにこ微笑んでいるオリビア。
その瞳には、知恵が宿っているように見える。
ボクを信頼しきっている目だ。
すごく可愛い。
「ううん、なんでもないよ。オリビア。お昼は、オリビアの好きなミルクスープにしようね」
「わあい! パパだいすき!!」
「もっと大きくなったら、蜂蜜を入れようね。もっとおいしくなる」
「ええっ、オリビアいま入れたいよ! はちみつっ!」
「まだ駄目だよ。蜂蜜はちいさいニンゲンの子どもには、毒になることもあるんだって」
「そ、そっかあ……」
しょぼ、と肩を落とすけれどそれ以上オリビアはわがままを言わなかった。
オリビアはもう赤ん坊ではないから、少しくらいは大丈夫なのかもしれないけれど、念には念を入れておきたい。可哀想だけれど、いまはまだダメだ。
とはいえ、オリビアが安心して蜂蜜が食べられるくらいに大きくなるのに、もう何年もかからないだろう。
ニンゲンは、ボクたちドラゴンと比べてずっと早く成長する。
もしかして。
ちょっとした魔法とか、ボクの知っていることとか、今からもっと教えてあげてもいいのかもしれないな。
最近は「自立した、強い女性」というのがニンゲン界で求められていると、買ってきた「ジコケーハツ本」に書いてあった。
オリビアも、みんなから好かれる自立した強い女性になってほしいな。
そうして、幸せになってほしい。
そんなことを考えながら、ボクはオリビアのためにミルクスープを温める。
「えへへっ。オリビア、パパのミルクスープだいすきー!」
ばんざーい、と全身で喜びを表現しているオリビアの頭を撫でる。
ニンゲンの姿を模した手の先が、じんわりと幸せに温かかった。