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ドラゴン、謎スライムに出会う。

 「……ホントに、何もないんだね」


 やっと見えてきた【死の大陸】に上陸して、ボクらは呆然とした。

 ボクらがよく知る大地とは、似ても似つかない場所だったのだ。

 緑豊かな神嶺オリュンピアスにあるような、瑞々しい魔力は感じられない。フローレンス女学院の建っている草原に吹くような、爽やかな風は吹かない。

 土煙で向こうがぼやけて見える、丸裸の大地だった。

 こんな場所が、世界にあるなんて。

「パパ……ここ、なんだか寂しい場所だね」

「そうだね、オリビア」

「はやく、カゲ君を探そう。まっててね、今、【失われし原初ロスト・ワン】に……こほっこほっ!」

「オリビア! 大丈夫かい?」

「うん、ごめんね。なんだか、咳が……けほっ」


 カゲ君の咳に似ている。

 ここがカゲ君の言っていた『上陸すると力を吸い取られてしまう大地』というのは本当だったみたいだ。


「いったん、ここを離れよう──」


 一度、大陸から離れた方が良さそうだ。

 なんでもオリビアは【竜の御子】、ようするに小さい頃から育てているボクや神嶺オリュンピアスの力──竜の魔力が体に染みついているらしいと聞いた。

 オリビアなら大丈夫だろうと思ったけれど、この大地はそうとうヤバいみたいだ。


「なななんと。驚いたのぅ」

「……ん?」


 オリビアを背中に乗せる。

 今、何か聞こえた気がしたけど。


「よし、行こうオリビア」

「まままま待つのじゃ、ぷるるっるん」


 ……ぷるるん?

 声の聞こえた方を見る。

 乾いた大地に、とぅるんとした何かが見える。

 ぷるるん、と揺れる半透明。

 不定形の何かが、うにょぷるるんと蠢いた。


「うぎゃーーっ」

「きゃーっ」


 なんだか、めちゃくちゃ気持ち悪い。

 だって、だって。


「ほほほほほう、やっと気付きましたか」


 不定形のぷるぷるが、喋っているんだから。

 半透明の、喋る水。


「……すらいむ?」


 原始生物、スライム。

 魔法生物学という授業で習ったと、オリビアが教えてくれた


***


「あの、ボクたちちょっとこの土地を離れようと思ってて」

「ししし心配ない。大地に足を触れなければ、その娘の生命力には影響はないさ」

「そうなんだ!」

「ううううむ……この大地が滅ぶのを見ていたわしの言うことを信じよ」


 喋るたびに、体が震えている。

 ぷるるるるん。

 それにあわせて、スライムさんの声は震えてちゃんと聞き取れるようになるまでに時間がかかるらしかった。

 ぷるるんふるん、と妙ちくりんな動きをするスライムさんは、名前を聞いても何も答えなかった。


「わわわわたしは、スライム。それ以上でもそれ以下でもありませんですじゃ」


 ということだった。

 スライムさんは、ボクとオリビアをまじまじと見て(目がどのへんにあるのかはわからないけど、視線は感じた)、おごそかに言った。


「スライムって、まだいたんだね……五千年前くらいに絶滅、地上からいなくなったって習ったよ」

「そうなのかい?」

「いろんな生き物が地上に出てくるずっとまえに、とっても単純な生命であるスライムがたくさん栄えたんだって。『竜の時代』って呼ばれてる古代よりも、ずっと前だって言われてるんだって」

「そんなに!」


 じゃあ。もしかして、このスライムさんは、ボクよりも年上なのだろうか。


「ほほほほかの土地のスライムは姿を消したのか」

「うん。後から出てきた生き物に、魔力をとられちゃったって」

「なななななるほど。この大地はもともと栄えてはおらんかったし、このありさまだからのう。たたたまたま、ほかの生命がいなくて、わしが生き残ったということか……ぷるん」


 ぷるるるん、と感慨深そうに震えるスライムさん。

 やっぱりちょっと気味が悪い。

 久しぶりの訪問者が見えたから、と急いでボクらの近くまで来てくれたらしいけれど。


「えぇっと……どうしてボクたちに声をかけてくれたんですか?」

「こここここの土地をこんなにした若造の子……病弱なドラゴンに頼まれたのじゃ」

「カゲ君に!」


 まさかの、カゲ君の知り合いだった。

 カゲ君にこんなぷるぷるの友達がいるなんて。


「さささささよう! この通り、わしはどこへでも入り込める不定形スライムであるからして、幽閉されているあの子ともマブというわけじゃ」

「そうだったんだ……」


 幽閉、という言葉に胸が痛む。

 きっとカゲ君は決死の覚悟で家出してきたに違いない。

 聞けば、スライムさんがカゲ君の家出を手伝ってくれたらしかった。


「びょびょびょびょびょーじゃくドラゴンが家出をしたいといったので、手助けをしたのがわしじゃ」


 スライムさんが「こっちじゃ」と道案内をしてくれる。

 ボクはオリビアを背中に乗せたまま、その後をついていく。遙か向こうに煙って見えるお城から、目がいい人だったら大きなボクの体を見ることができるだろう。

 念のため、オリビアの足が地面につかない程度にちょっとだけ小型になっておく。ヴァンディルセン君を怒らせて、何か乱暴なことをされたらかなわないからね。


 スライムさんは、ゆっくり動くのかと思いきやぷるんっ、ぷるんっ、とボールのように丸めた体で大地を跳ねるようにして移動した。なかなかに素早い。

 オリビアは今まで見たことのない動き方をするスライムさんの背中(たぶん、背中だ)を興味深そうに眺めているようだった。


「あああああの城の周囲は、大変な防御壁がはりめぐらされておる」


 スライムさんはぷるぷると言った。

 防御壁、っていうことは近づけないのかな。


「いいいいいや。近づけば近づくほどに、生命を吸い取られやすくなるのじゃ」

「え、何それこわい」

「じゃじゃが、こちらの道を使えば大丈夫なのじゃ」


 ぷるんっ、とスライムさんが飛んでいった先には、地面に大穴が掘られていた。はるか遠くに見えるお城への抜け道、らしい。


「むむむかしは、でっかいもぐらやら土の精霊ノームやらがこの地にもいたのじゃが、もはや誰もいなくなってしもうた……よその土地では、まだ生きながらえているのじゃろうか」

「えっと……精霊さんは、もう限られた土地にしかいないんだよ。」

 チリンの森で出会った風の精霊、シルフさんたち。

 でも、もう意味のある言葉を喋れるほどの力は残っていないようだった。ボクがお山に引き込もるまえは、たしかにそこらじゅうに精霊さんたちがいたような気がする。

 この大陸は【死の大陸】と呼ばれていて、それはどうやらヴァンディルセン君が無茶をしたことが原因みたいだ。

 けれど。

 もしかしたら、ボクらが住んでいる大陸も少しずつ変わってきているのかもしれない。いや、変わっている。

 長い目で見たら、確実に。

 大穴に入り込むと、奥へ奥へと道が続いていく。

 真っ暗で恐ろしいので、オリビアが魔法で灯をつけようとしてくれた。


「……あれ? これしか付かない」


 指先ほどの灯。

 いつものオリビアだったら、もう目が眩むくらいの光を出せるのに。


「この大陸では、あまり魔法は使わない方がいいかもしれないね」

「わかった」


 頷く背中のオリビア。

 先を急ごう。


「どどどどうじゃ。わしが数千年かけて掘ったのじゃ、あの城に住んでいる奴の顔が見てみたくてのぅ」

「ここを通れば、お城にいけるの?」

「ううううむ!」


 スライムさんが頷いた。


「かかかカゲから聞いておる、お前たちでっかい宝石六つを探しにきたんじゃろ」


 【七天秘宝ドミナント・セブン】のことだ。

 もしかして、どこにあるのか知っているのかな。


「いいいや、どこにあるかは知らん。この穴の先はカゲの寝室。そこから先には、行ったことがない」

「何千年も、ここにいて?」

「むむむ無力なスライムじゃぞ、ドラゴンとは違うのじゃ。ドラゴンとは」


 ぷるるるんと怒りを露わにしているスライムさん。


「ご、ごめんなさい」

「わわわかればよい。しかし、小さな灯があるだけでも、進みやすいのぅ」

「えへへ、よかった」

「スライムさんも、明るさはわかるんだね」

「とととうぜんじゃ!」


 自信たっぷりのスライムさん。

 さらに鼻息荒く(息をしているかどうかはわからないけれど)、スライムさんが息巻く。


「ぷるるるん、こう見えても大陸の最後に生き残りじゃからのぅ……カゲの父がこれ以上悪さをするなら、わしはお前らに助太刀するぞ」

「……無力なスライムなのに?」

「こここの、ドラゴン!」

「あいた!」


 ぺしん、とスライムさんが全身を使ってボクの脇腹にアタックした。

 さっき自分で「無力」っていったんじゃないか!


「すすすスライムとて、これくらいのことはできる!」

「うう……。スライムさんのことは嫌いじゃないけど、ぷるぷるはちょっと苦手かも……」


 スライムさんが動くのを見ると、背中がぞわぞわっとする。

 オリビアがそっとボクに耳打ちした。


「えへへ、パパでも苦手なものってあるんだね」

「そう、かな。そうかも……」


 オリビアの前では、いつでもかっこよくて頼れるパパでいたい。そう思っていたけれど、今はすんなりと「そうかも」と言える。

 それはきっと、オリビアが少しずつ大人になってきているから。


 暗い暗い地下通路を進む。

 向こうに光が見えてくる。


「ぷるるん」

「スライムさん?」

「こここの先が、カゲの寝室じゃ」

「カゲ君……っ!」

「たたたまに、あの人間の若造がいたりするから、気をつけろ」

「ありがとね、スライムさん」


 オリビアがボクの背中からスライムさんに微笑みかけて、手をさしのべる。

 不定形のスライムさんが、にょーんと伸びてオリビアに近づいた。変形する様子が、やっぱりちょっと怖い。


「えへへ、ありがとうございます」

「どどどういたしまして」


 オリビアがスライムさんを、つんつん、ぷにぷに。

 スライムさんが今までにないくらいに、ぷるるるるるんと小刻みに震えた。

 て、照れてる……っ!


「でででは、わしはこのへんで。無力なスライムなのでな」

「……ねぇ、スライムさん」

「ななななんじゃ?」

「ずっと、ずっとこの大陸でひとりぼっちだったの?」


 ここが【死の大陸】になっていくのを、スライムさんは見ていたといった。

 ずっとひとりぼっちで、増えることもできずにここに存在する。

 それがどんなに寂しいことか、ボクは知っている。

 オリビアと出会う前のボクと同じだ。


 いや、ボクは緑豊かなお山で遠くにちいちゃいものたちの営みを感じながらまどろんでいただけだ。

 だけどスライムさんは、ひとりぼっちで。

 カゲ君とだけしか喋らずに。

 きっと、ボクたちのことを待ち望んでいたんだろう。


「……そそそうじゃよ」

「ボクたち、君に何かしてあげられるかな」


 スライムさんはぷるんと震えた。たぶん、首を横に振ったんだと思う。

 なんとなく、そう思った。


「いいいいや。何も。こうして外から来たものに出会えただけで……それも、懐かしき大きな竜をもう一度見れただけで、幸せじゃよ」

「……そっか。道案内、ありがとう」


 ボクの言葉に、返事はなかった。


「スライムさん……?」

「あれ? パパ、スライムさんは?」


 ぴちょん、ぴちょん。

 洞窟内に水音だけが響いている。


 ああ、とボクは思った。

 スライムさんは、ずっとボクらを待っていたのかもしれない。


「きっと、幽霊みたいなものだったのかも」

「ゆ、ゆーれー」


 オリビアが目をまんまるにしている。

 ふふ、とボクは笑った。

 オリビアにも怖いものは、たくさんあるね。

 でも、大丈夫。

 スライムさんが案内してくれた先で、ボクたちはやるべきことをしよう。


 ヴァンディルセン君を、止めるんだ。



***


 ぷるるん。ぷるるん。

 スライムは、遠ざかっていくドラゴンの足音をおだやかな気持ちで聞いていた。

 極限環境でも生きられるスライムは、この大地にかつて根付いていた生き物たちが消えていくのを眺めていた。


 小さなドラゴンの少年に出会った。

 彼は病弱で、人間のお父さんのことをいつも心配していた。

 

 人間のお父さんは、何かの方法で長い時間を生きるようになったらしかった。けれどいつも、何かに追い立てられるように忙しそうだった。

 大陸がカラカラになってしまったのは、ドラゴンのお父さんのせいだと知った。不思議と怒りは湧かなかった。

 緩やかな滅び。

 誰かのせいじゃなくても、いつかは訪れるものだった。

 新しい命や文明が、滅んだ大地を上書きする。スライムが長い時間で見て来た、当たり前のそういう営みがおこなわれなかっただけ。


 魔力がほとんどなくても生きられる単細胞なスライムは、たくさんの命の痕跡の上を這い回って長い時間をかけて言葉を喋るようになった。少しだけ物を考えるようになった。


 小さなドラゴンの少年と話すようになった。


『ぼくがとうさんがいないと寂しいっていったから』


 この大陸がカラカラになった理由を、少年はそう説明した。

 スライムは他のどんな生命とも違ったから、いつも少しだけ寂しかった。

 だから小さなドラゴンの寂しさは、少しだけわかった。


(……カゲ君の後悔を終わらせてくれるのは、ドラゴンと人間の親子なのじゃな……ぷるるん)


 不思議な巡り合わせだ、とスライムは思う。

 ずいぶん長いこと、活動しすぎた。


 スライムは少しだけ眠ろうと思った。

 次に目覚めるときには、この大地はどうなっているのだろう。

 ぷるるん、ぷるるん。

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