ポンコツ魔王、やり遂げる。③
ボクはタナトスさんに手をさしのべる。
「ぎゃっ!」
「あ!? わわ、ごめんなさい。爪で攻撃しようとしたわけではなくてっ!」
「そ、そうなのか!」
「はい。えっと、握手を……と思って」
仲良くなるとき、人間は握手をするんだ。
いや、ボク、ドラゴンだけどね。
「そうか。いまのはナシだ。魔帝としての威厳がない驚き方をしてしまった」
タナトスさんが、ボクの爪の先を握る。
握手。
これで、ボクらは友達だ。
「……おじさん、お友達いないの?」
「ふぐぅっ!?」
オリビアの一言に、タナトスさんがものすごいダメージを受けた。
「お、オリビア!?」
「くっ……娘……。憎いのか? 俺のことが憎いのかっ?」
と、震える声のタナトスさん。
「ううん」
オリビアは首を横に振る。
「パパとおじさんは、もうお友達だなって思っただけだよ」
オリビアの言葉に、タナトスさんは目を丸くする。
「とも、だち」
「オリビア!? あ、はは……照れくさいなぁ」
「そうか……友達、か……。お前たちは、マレーディアの友達なのか?」
タナトスさんの質問に、ボクらは顔を見合わせる。
「うぅん、魔王さんとボクたちは友達……だけど」
「家族だよ!」
オリビアの言葉に、タナトスさんが言葉を詰まらせた。
「……そう、か。そっか、家族か」
「うんっ」
「……あの子に家族ができたんだな。クラウリア以外に」
そのとき。
ごおぉう、と地鳴りがした。
閉ざされていた試練の洞窟の入り口が、ゆっくりと開いている。
「っ! 【魔帝の試練】が終わったのだ」
「えぇっ!」
「マレーディアお姉ちゃん!」
魔王さん、無事だろうか。
「試練に打ち勝ったのであれば、それでいい。……だが、試練に敗れたのであれば、おそらく数年は正気を失ったままになる!」
「えぇっ!?」
「それほどまでに過酷な試練なんだよ、【魔帝の試練】は……洞窟の中をさまよう間、己の心の弱さや醜さと徹底的に向き合わされる。……悪くすれば、洞窟から戻らない者もいる試練だ」
タナトスさんは、ぎりりと歯がみする。
「だから、マレーディアには受けさせたくなかったんだよ!}
「えっ?」
「俺の言動を見ていればわかるだろ、あれだけ嫌な言い方で煽れば【魔帝の試練】なんぞ受けないと思ったんだよ!」
「だからそれ、ちゃんと素直に言えばいいのにっ」
もう、オトナってこれだから。
ボクらは洞窟の入り口近くに駆け寄った。
魔王さんの姿はまだ見えない。
「……っ、マレーディア様……っ!」
祈るようにクラウリアさんが呟く。
魔王さんが残していった指輪を、大事そうに両手で握っている。
ふらり、ふらり。
人影が、洞窟の入り口から現れて――倒れ込む。
「ま、マレーディア様っ!」
クラウリアさんが駆け寄る。
いや、駆け寄るなんていうものじゃない。
地面を蹴って、一気に倒れそうになった魔王さんとの距離を詰めた。
魔族の格闘術の奥義とかなのかもしれない。
どさり、と倒れる直前の魔王さんを抱きとめる。
「ぅ……っ」
数時間しか経っていないのに、何ヶ月も荒野をさまよったかのようにやつれている魔王さん。
「……っ、これって……?」
もしかして、魔王さんは試練に敗れてしまったのだろうか。
どきどき、とボクらが見守る中。
クラウリアさんに抱かれた魔王さんが、うっすらと目を開けた。
「ぅ……」
「っ、マレーディア様!」
クラウリアさんが泣きそうな声をあげる。
ボクたちも、固唾を呑んで見守った。
失敗すれば何年も正気には戻れないような試練だ。
もしも、失敗していたら……?
魔王さんの、あのいつもの元気な声が何年も聞けないのだろうか。
ボクにとっては数年なんて二秒みたいなものだけれど、オリビアはどう思うだろう……色々な考えが、頭の中を駆け巡る。
「……ぷっはぁ~~っ! し、死ぬかと思ったんじゃがあぁぁああぁっ!!」
しかし、次の瞬間に聞こえたのは――いつもの魔王さんの声だった。
「あうぅ~、なんなんじゃ、あの陰湿な試練は! 昔のこととか、我の失敗とかウジウジウジウジとほじくり返しおって! 精神攻撃系とか聞いてないんじゃが! いや、聞いた気もするけど、それにしても最悪ぅっ!」
「ま、マレーディア様……っ」
「む、クラウリア?」
「マレーディア様ッ! よ、よかったですぅうぅ~っ!」
クラウリアさんの目から、大粒の涙。
ぎゅううっ、と魔王さんを抱きしめる。
「あうっ、あう!? く、苦しいよぅ、クラウリア~っ」
「しばらくっ、どうか、今しばらくこうさせていてください……信じていました。必ず無事にお戻りだと信じていましたけれど、でも――不安、だったんです」
「……クラウリア」
「ご無事で、よかった……」
「あう、あったりまえじゃろ。無事に帰るって約束したしね」
「はい。マレーディア様は麗しくてお強い魔王です――でも、近くでお仕えさせていただいた分、お優しくて弱いところも見て参りました」
クラウリアさんは泣きながら魔王さんの耳元に囁く。
「……私が、マレーディア様を甘やかしてしまっていたのではないかと、心配だったのです。あなたの無限の可能性を狭めていたのではないか……と」
はっ、と。
ボクの隣に立つタナトスさんが息を呑んだのが聞こえた。
きっと、自分にも思い当たる節があったのかもしれない。
「でも、あなたは私が思うよりもずっと……ずっと、強かったです」
「……ふふ。あったりまえじゃろ、クラウリア!」
にか、と魔王さんは笑う。
「試練とか言っても、ちょろかったし! 我ってば、千年間ずっとずーっと自分の嫌なところと向き合ってきたんじゃぞ? 今さら、精神攻撃系の試練とか全然よゆーじゃし!」
「ふふ。さすがです、マレーディア様!」
「……ま、もう二度とやらんけどねっ」
くふふ、と笑う魔王さんの笑顔。
すっかりいつもの魔王さんだ。
……うぅん。今まで見たこともないくらい、晴れやかな笑顔だ。
「マレーディアお姉ちゃんっ!」
「おお、オリビア! ふふふ、我やったぞぅ!」
「えへへ、すごいよ! お姉ちゃん」
魔王さんに抱きつくオリビア。
正確に言えば、魔王さんに抱きつくクラウリアさんの腕の上から魔王さんに抱きつくオリビア……うんうん、可愛いなぁ。
まるで温かいスープに満たされたみたいに、胸がホカホカする。
魔王さんもクラウリアさんも、ボクらの大切な家族だ。
「……むぅ」
「タナトスさん?」
タナトスさんが、魔王さんに黙って歩み寄る。
「……マレーディア」
「父上」
「……お前は家族を得たんだな。人間界で」
「あう?」
「その、あー……俺は、マレーディアのことを大切な娘だと思っている。それなのに、その、今まで俺は魔帝という立場にこだわって……お前に酷いことをした。侵略戦争の指揮をとらせて、人間界に置き去りにして……」
「……」
魔王さんは、じっとそれを聞いている。
「許してくれとは言えない」
タナトスさんは、噛みしめるみたいにして言う。
「でも、その、ごめん……俺、今まで間違ってた」
「え?」
タナトスさんは、綺麗なお辞儀をした。
「その……本当は、ずっと謝りたかった。お前よりも予言を選んだこととか、色々と」
「父上……」
「許してくれ、という意味ではないんだ」
タナトスさんは言う。
「その、許すか許さないかはお前が決めるべきだよ。俺なりに、マレーディアのことを愛しているけど、それを伝えてこなかったし、真逆のことをしていて……でも、その、ごめん。本当に」
タナトスさんの言葉は、魔帝っていう魔界の偉い人とは思えないくらいに、素朴でまっすぐだった。
「この謝罪は、俺の自己満足だな」
「あう、まぁ……謝るくらい好きにしたら」
「……正直、お前が【魔帝の試練】を乗り越えるとは思わなかった」
タナトスさんは、魔王さんの頭を撫でる。
「父上……」
「魔帝の地位は、お前のものだ――マレーディア」
タナトスさんは指輪を――【七天秘宝】のひとつ、大地の宝玉をはめた指輪を魔王さんに差し出した。
「……」
「これは、お前のものだ。魔界を統べる魔帝の証として、その指に――」
「あう? いや、父上?」
魔王さんが、タナトスさんの言葉をさえぎる。
「我、魔帝になんてならないよ?」
「……へ?」
「えっ」
「え?」
ボクらは思わず間抜けな声をあげる。
「我が欲しいのは、その【大地の盾】を加工した指輪だけだし」
「ええええ~!」
ひょい、と魔王さんはタナトスさんから指輪を取り上げる。
そして、自分の指にはめた。
その瞬間。
ぶわわわ、と一瞬で魔王さんの体が魔力の光に包まれた。
ボクは確信する。
あれはやっぱり【七天秘宝】で間違いない。すごく強くて、純粋な魔力を感じるよ。
魔王さんは、中指にはめた指輪を見せびらかしながら言う。
「ま、ママ、マレーディア???」
「最初から言っているではありませぬか。その指輪を借りて、オリビアの用事が済んだらお返しいたしまする。魔帝とかゆー、面倒なことは引き続き父上がよろしくぅ~」
「な、な、なっ!?」
「我、今しばらく人間界から動くつもりはないしのぅ」
「そうなのか!?」
「うむ」
魔王さんは、にかっと笑った。
「我、可愛い妹分がいるんじゃよ。それに……その、友達も、たくさん」
「……っ!」
「人間のちびっこどもに魔族の末裔に竜の血を引く生意気娘……みんな、友達なんじゃ。我、人間界って結構気に入っているんじゃよ?」
「そうかい。友達が」
タナトスさんが泣きそうな笑顔になる。
「っていうか、我、父上のこと許してないし!」
「んご!?」
「ショックを受けた顔してもダメじゃし! そーんな都合良く、我を傷つけたことがチャラになるなんて思ってほしくないんじゃが」
ボクは息を呑む。
それはそうだ。
親子だからって、なんでもかんでも許される――なんて嘘だ。
許せないものは許せない。
許すのに時間がかかるものは、時間がかかる。
そんなこと当たり前なのに――ボク、ちょっと忘れていた。
「……まぁ、どーしてもっていうならたまには里帰りしてもいいけど」
タナトスさんが、ぶんぶんとうなずく。
「ああ、マレーディアが来たいときにいつでも帰ってきてくれ! 俺は……いや、父はいつでも待ってる!」
「むふふぅ」
魔王さんは、タナトスさんの言葉を聞いて、にんまりと笑った。
「ならば、やらねばならないことがあるのぅ」
「え?」
「里帰り、したいのは我だけではないんじゃよ」
ぱちん、と魔王さんがウィンクをした。
 




