ドラゴン、魔界に行く③
魔界。
深淵なる魔帝城塞。
その、さらに奥深く――光を宿さぬ瞳で虚空を見つめる男が、ひとり。
血走った目。頭から生えている鋭い角。
「……なに?」
屈強な魔族たちに跪かれた彼――魔帝タナトスは、わずかにその目を見開いた。
「我が愛しき末娘――マレーディアが、魔界にカムバックだと?」
約千年前。
魔帝に伝わる秘伝の書、『魔界業務計画(マル秘)』に記された大予言、人間界への大侵略の指揮官として奮戦した娘である。
魔帝タナトス即位から六六六年目に末娘として生を受けた『予言の子』――生まれながらにして人間界侵略戦争を率いることを宿命づけられた、生まれながらの魔王。
それが、魔王マレーディアだった。
予言の内容は、
『かの御子こそ、魔界と人間界を一つに繋ぐ階となれり』
というものだった。
魔界の期待を一身に背負って育てられたマレーディアによる侵略戦争は、敗北という結果に終わった。
魔族たちは落胆し、マレーディアを責めた。
魔界から枯渇しつつあったマナの流出を避けるべく、二つの世界を繋ぐすべての門を閉ざさざるを得なかった。
そして、人間界に多くの魔族と魔王マレーディアを取り残したまま、魔界は長い沈黙に入ったのだ。
「魔王マレーディア様は、腹心である元魔族騎士団長クラウリアと強い魔力を秘めた人間の子どもを伴っております。それと……その……」
「なんだ、言ってみろ」
「はっ。その……あまりにも強大な魔力を持った男が同行しているようです」
「ほぅ……。強大な魔力、なぁ。この俺の【ザ・リング】を前にして、よくもそのようなことを抜かせるものだ」
魔帝タナトスは、左手を掲げる。
その指には、黄金色に輝く宝石をあしらった指輪が光っていた。
その小さな宝石が放つ光は、まるで広間中を支配するかのような不思議な力に満ちている。
――いや。
実のところ、この【ザ・リング】が持つ大地の魔力によって、この広大な魔帝城塞は作られている。
【ザ・リング】の魔力は、魔界全体を覆い尽くしており――まるで山脈のように展開する魔力が、魔界と人間界との境界を護っているのだ。
そう。
まるで、巨大な盾のように。
「マレーディア……あの子なら門などなくとも魔界に帰ってくるとは思ったが……」
ギリリ、と獣の鉤爪のごとく鋭い親指の爪を噛む。
「あの娘!」
たった一言。
その迫力に、家来の魔族たちが背筋を震わせた。
魔帝タナトス。
魔界と魔族の反映のために、あらゆる冷酷な決断を下す名君である。
その実力は、魔族なら誰でも知るところであり――
「……帰ってくるなら先に連絡をするのがスジじゃないか……。わかってれば夕食にマレちゃんの好物のスキヤッキの用意をしたものを……っ!」
「……魔帝タナトス様?」
「…………今のは忘れろ」
「ははっ!」
わりと子煩悩なタイプであることは、公然の秘密である。
***
魔都アビカを抜ける。
中心地だけが、あのキラキラの街並みだったみたいで、少し歩くとだんだんボクらが知っている街並みに近づいてきた。
人混みも減ってきて、迷子の心配なく歩けるくらいになってきた。
「あう、まずいな」
大きな魔導板をしゅるしゅると操作していた魔王さんが呟く。
「どうしたの、マレーディアお姉ちゃん?」
「あう……どうやら、写真撮られたっぽい」
ほら、と見せてくれた画面。
そこには、たくさんの絵と文章が並んでいる。
「えっ、これってチェ=キ?」
パシャリとボタンひとつで見たままの風景を切り取ったチェ=キ。魔族の使う魔導具、ガン=レフで撮影できるステキな絵だ。
「うむ。最近は魔導板で撮影して、ツノッターにアップしておるのじゃな」
ツノッターっていうのは、この画面に映っている文字とか絵とかのことだろうか。
「古代エリアル文字だ!」
画面を覗き込んでいたオリビアが叫ぶ。
「あう? いや、似てるけど違う。魔族の使ってる共通語エビル語じゃな」
ついつい、と画面を操作する魔王さん。
「ほれ、見てみろ」
そこには、何枚かのチェ=キが表示されていた。
「オリビアだ!?」
猫さん耳をつけたオリビアのチェ=キが、魔導板に表示されている。
その下には、エビル語で「超かわいい?《環境依存文字;ハート》」と書いてある。
わかる。超かわいい。
でも、ボクの大事なオリビアを勝手に撮影するのは困るよ……。
「結構リツノートされておる……しかも、ほれ」
「え?」
「リプを見ろ。『待って。見切れてるけど、これ魔王じゃね?』『まじだ』『完全に一致』……あう、迂闊であったな。オリビアの後ろに我が映り込んでる」
ちょい、と魔王さんが指さしたチェ=キ。
たしかに、そこには魔王さんが小さく映っている。
けれど、本当に小さいし、フードでほとんど頭を隠しているのだけれど……。
「もしかして、これでバレちゃったってこと?」
「あう。そういうことじゃな。特定厨怖い」
はぁ、と大きな溜息をつく魔王さん。
じっと見つめる画面の先に書いてある言葉に、ボクはぎょっとした。
『うそ。あれマレーディアじゃね?』
『どの面下げて』
『本人? コスプレにしても趣味悪い』
『親戚があいつのせいで人間界に取り残されてる』
――ボクは、とっさにオリビアの目を塞いだ。
魔王さんへの勝手な言葉は、他にもたくさん続いている。魔王さんはそれを黙って読んでいる。
「マレーディア様」
「……あう」
そのとき。
クラウリアさんが、そっと魔王さんの魔導板を取り上げた。
「マレーディア様。あなたのことを知りもしない者の言うことなど、気にする必要はありませんよ」
「……。うむ」
道行く人たちのなかでも、ちらちらと魔王さんのことを見ている人がいる。
魔王さんが、どうして魔界に来たがっていないのか。
ずっとお城に引き籠もっていたのか、わかった気がした。
魔王さん、たまに街にでかけるのに付き合ってくれたり、学院にやってきたりはしたけれど――いつも、どこかおどおどして怖がっていたのは、これが原因なんだ。
「……オリビアの学校の生徒たちは、我が魔族でも何も言わん。魔王と同じ名前であっても、『それはそれ』として接してくれる……新しい時代の子らじゃな」
とことこと魔王さんが歩いて行く。
ボクたちのことを、振り返らない理由は――もしかしたら、泣いているのかも知れない。
「じゃが、我ができそこないの嫌われ者なのは変わっていなかった。それがわかっただけでも、ひっさびさに魔界に来た甲斐があるってものじゃな!」
「……マレーディアお姉ちゃん……」
「ほれ、早く行くぞ。オリビア、古代竜。魔帝に殴り込みかけるんじゃろ? 案内だけはしてやろう、腐っても我ってば魔王じゃし」
「な、殴り込み!?」
そんな乱暴な!
「うむ、殴り込みじゃ。魔帝タナトスは石頭じゃぞ~?」
「そうなのかい?」
「うむ。適材適所よりも、下らん予言の方をごり押しした石頭じゃよ。仕事ばかりで全然家にも帰ってこないし、ボソボソ喋ってて何言ってるかわからんし……」
「……ん?」
「我が人間界の城に引きこもってても知らんぷりじゃし、それに――」
「待って待って、その、魔帝さんっていうのは、もしかして……?」
「ええ、そうです。古代竜殿」
クラウリアさんが、魔王さんのかわりに答えた。
「今からお目にかかる魔帝タナトス様は、マレーディア様のお父上です」
「マレーディアお姉ちゃんの、パパ?」
「……うむ。ま、千年も会ってないけどな……って、あうっ!?」
肩をすくめている魔王さん。
その背中に、オリビアがびょーんと抱きついた。
「えいっ!」
「うぎゃっ」
バランスを崩して、べちょっと床に倒れ込む魔王さん。
「あううぅ~! 不意打ちとは卑怯であるぞ、オリビア~!」
じたばた暴れる魔王さん。
「おおお、オリビアっ!? 何してるんだいっ!?」
「あれは魔族騎士団の格闘術の基本ですね。私が小さい頃に教えたものです。オリビアさん、良いフォームですっ!」
「言ってる場合か~! 助けて、クラウリア~っ!」
ボクらは突然のオリビアの行動にわたわたしてしまう。
オリビアは、魔王さんに囁いた。
「あのね、オリビアはマレーディアお姉ちゃんのこと大好きだからね」
「……あう?」
ぎゅう、とオリビアが魔王さんに抱きついている。
まるで、安心させるように。
「ご本を一緒に読んでくれるし、レナちゃんの本のお話もいっしょにしてくれるし、キッチンのクッキーを一緒につまみ食いしてくれるし……」
「オリビア! 最後のやつは極秘って言ったじゃろ!?」
「マレーディアお姉ちゃんは、ずっとオリビアのお姉ちゃんだからね、ね!」
「……オリビア」
魔王さんにかける言葉を、オリビアは一生懸命考えたんだろう。
――本当に、優しい子に育ったんだね。
ボクがオリビアの名前を呼ぼうとした、そのときだった。
「そこの四人、動かないでください!」
誰かの声が、頭上から響く。
「え?」
「……しまった、魔界騎士団です。見つかりましたか」
クラウリアさんが呟く。
見上げると、大きな鳥さんにまたがった魔族さんたちがボクらを見下ろしていた。
手には、なんと槍や剣を持っている。
た、たいへんだ! これって喧嘩なのではっ!
とっさにドラゴンの姿に戻ろうとすると――。
「待つんじゃ、古代竜っ!」
「え?」
魔王さんが叫んだ。
「我ってば、いい考えがある。ここは大人しくあいつらに従うぞ」
なるほど、何か考えがあるんだろうか。
ヒトの姿のまま、まずはオリビアをかばう。
魔王さんは、とても真面目な顔でボクらに作戦を話す。
「おぬしの巨体はそれだけでパワーってやつじゃからな。こやつらについていけば、魔界地下牢にぶち込まれるのだろうが――」
……のだけれど。
魔界騎士団の人が大きな声で叫んだ。
「魔王マレーディア様。お父上がお呼びですっ!」
「……ん?」
「えっと、『ちちうえ』ってことは……」
つまり……。
ボクらが探している【七天秘宝】のひとつ、【大地の盾】の持ち主――魔帝タナトスさんが呼んでいるってこと?




