ドラゴン、森の妖精に出会う。①
チリンの森、っていうところはどこか懐かしい場所だった。
ボクは人間の姿でオリビアの手を引いて、ふかふかの土を踏みしめる。
鬱蒼とした木々の間に、土の匂いのする風が吹く。やわらかい苔がびっちりと生えている地面からは、雨の匂いがする。
葉っぱのトゲトゲした背の高い木の下で、枯れてしまった木も、まだ若い低木も、身を寄せ合って生きている。
深呼吸をすると、胸いっぱいに瑞々しい空気が流れ込んでくる。
「パパ、ここ……お家に似てるね」
オリビアが言った。
ボクもそう思っていたところだ。
この森、人間たちが神嶺オリュンピアスって呼ぶボクの住処に似ているんだ。
澄み切った空気。
濃いマナの香り。
たくさんの生き物。
……それに、何かとっても、清らかで力強い気配がする。
「うぅん……なんだか、元気になってくるね」
「えへへっ! オリビアも、ここにいると元気になるよっ」
むんっ、と強そうなポーズをして見せてくれるオリビア。
ふふ、強そうなポーズなのに可愛いねぇ。
「うぅん、それにしても【大地の盾】……いったい、どこにあるんだろうねぇ」
ルイザーの渓谷。
ケンローの近くの坑道。
そのほかにも、エスメラルダさんが事前に調べてくれたパワースポットを調べたけれど――どこにも、何も手掛かりはなかった。
【大地の盾】。
盾っていうくらいだから、大きくて見つけやすいと思うんだけどなぁ。
「ぴっ♪」
……うん?
「オリビア、今何か言った?」
「ううん」
「ぴっ♪」
「わわっ!」
小鳥みたいな声。
どこから聞こえるんだろう。
「鳥さん……?」
「うぅん……それにしては、なんだか下の方から聞こえる気がするけど」
と、ボクが首をひねりながらオリビアのほうを見る――。
「って、オリビアっ!」
「え?」
オリビアの頭の上。
麦色の髪。三つ編み。旅のおともは麦わら帽子。
その、麦わら帽子の上に……。
「ぴっぴぃ~♪」
小びとさんが、座っていた。
「ええぇえぇ~っ!?」
絵本でしかみたことがない小びとさんの出現に、ボクはびっくりして思わずドラゴンの姿になってしまう。
「ぴぇっ!?」
ボクの姿に、小びとさんが目を丸くして飛び上がった。
ぴょーんっと飛び跳ねて、オリビアの腕の中に飛び込んだ。
「わわ、大丈夫だよ。オリビアのパパはとっても優しいし、怖くないからね?」
と、オリビア。
小びとさんの背丈は、オリビアの膝くらいまでしかない。頭の上に座っていたも重さを感じないほどに軽いみたい。
緑色の髪に、ぷにっぷにのほっぺとつぶらな瞳。
とっても愛らしい姿の、小びとさんだ。
「この子、迷子の妖精さんかなぁ」
「妖精さん?」
「うん。学校で習ったの。魔力がたくさんある森には、妖精さんが生まれることがあるんだって」
「へぇ……でも、うちのお山にはいないねぇ」
「うーんと、『ヌシ』がいなくて、魔力がたくさんある森っていうのが妖精さんの生まれる条件なんだって」
「ヌシ?」
「うーんと、パオパオさんみたいな生き物だよ」
その場所で一番強くて大きい生き物――それがヌシらしい。
春学期に遠足で訪れた神龍泉トリトニスに住んでいた、大きな亀のパオパオさん。たしかに、あの湖で一番強くて大きかった。
じゃあ、ボクの住んでるお山……神嶺オリュンピアスであれば……。
なるほど、ボクか。
「なら、ボクが妖精さんを見たことないのも当然なのか」
「えへへ、本当にいるんだね。妖精さん」
オリビアが、妖精さんの頭をもふもふと撫でる。
「ぴっぴ♪」
嬉しそうな妖精さん。
ボクが知らないことを、オリビアから教わる。
とても新鮮で――とても嬉しい体験だ。
「よしよし、怖くないよ~」
オリビアが、腕の中の小びとさんをぎゅっと抱きしめる。
「ぴぃっ♪」
妖精さんが嬉しそうにオリビアにぎゅっと抱きついた。
ふ、ふふふ。
かわいいオリビアと、かわいい妖精さん。
これ、魔王さんがよく言っている『かわいいの暴力』だ……。
「パパ?」
ドラゴン姿のままで悶えるボクを、オリビアが心配そうに見上げる。
「ふふふ……なんでもないよ、オリビア」
「ぴぃ……?」
じぃ、と。
妖精さんがボクを見つめる。
「……? どうしたんだい、ボクの顔に何かついてる?」
「……ぴ、っぴぃ??」
首をかしげて考えているような仕草。妖精さんは顎に手を当てて「ムムム」と何かを考えているような顔をする。
そして。
「すぅ~……」
と大きく息を吸い込んで。
「っぴぃいいぃ~~~~っ♪♪♪」
大きな声で、空に向かって叫んだ。
その瞬間に、ものすごい風がチリンの森を吹き抜けていく。
「わ、わわ……っ!?」
「パパっ」
「オリビア!」
ものすごい突風に驚いて、とっさにオリビアに覆いかぶさる。
翼を広げて、オリビアが飛んでいかないように守る。
ボクの大きな体はすっぽりとオリビアを守ることが出来て――便利! ドラゴン、とても便利!
「……ぴっ♪」
やがて、妖精さんが静かになる。
風も吹き止んで――森にしぃんとした静寂がおとずれる。
「パパ、大丈夫?」
「な、なんだったんだろう、今の……?」
オリビアの腕の中で静かになった妖精さんを、ボクらはまじまじと覗き込んでいると――。
「ド……ドラゴンッ!?」
森の中に、女の人の声が響いた。
見ると、黒髪の女の人が立っている。
その頭には、大きなツノがある。
魔王さんみたいだ。
でも、そのツノの片方は根元からぽっきりと折れてしまっているようだ。
「ぴっ♪」
「わわっ」
妖精さんが、オリビアの腕から飛び出して女の人の方へと飛んでいく。
そう。文字通り、飛んでいったのだ。
よく見ると、背中から半透明の羽が生えている。
ボクらに背中を向けて飛んでいく妖精さん……むちむちの足とお尻が、人間の赤ちゃんっぽくてかわいい。
「えーと……君、誰?」
ボクの質問に、
「しゃ、喋った……っ!」
女の人は後ずさる。
そして。
まったく予想もしていなかった姿が、女の人の影から現れた。
「…………ぅ」
物静かな姿。
長い銀髪。
眠たげな表情。
そして、オリビアと同じくらいの背格好の女の子。
「……あれ?」
オリビアが声をあげる。
見覚えのある相手に、予想外の場所で出会って目を丸くしている。
「レナちゃん?」
「……ぅ」
ツノの女の人とともに、ボクたちの前に現れたのは……物静かで、ミステリアスなクラスメイト――レナちゃんだ。
***
この森には、誰も訪れない。
人間がこの森に立ち入れば、小さな風の妖精――シルフたちが追い払ってくれるはずだ。
愚かな人間たちは、この森には近寄らないようになっていた。
この森は――はぐれ魔族の、隠れ家だ。




