ドラゴン、苗字を考える。
ボクの娘であることを示す名と共に、オリビアが幸せな人生を歩んでくれるのなら――
パパとして、こんなに嬉しいことはないんだよ。
いよいよ、オリビアのフローレンス女学院への入学を控えてボクは困っていた。
「う~ん。名前か」
「どうしたの、パパ? オリビア、お名前ちゃんと書けるよ」
がらんと広い食堂のテーブルで、食後のお茶を飲みながらフローレンス女学院から送られてきた手紙に目を通しているボクが呟いた言葉。それに応えて、不死鳥の羽ペンを握ったオリビアが誇らしげに主張する。
「うん。オリビアの字はとても綺麗だものね」
「えへへっ」
入学試験の答案が模範解答に採用されたということで、「フローレンス女学院保護者通信」に掲載されたものが送られてきた。
オリビアの書く字は、とても綺麗な筆跡だ。
内容も素晴らしいということで、わざわざ学院長からの手紙もついた保護者通信が送られてきた。
――のだけれど。
『入学願書、試験答案ともにオリビアさんの苗字の記載が漏れておりました。本来であれば不合格となるミスですが、極めて優秀な入学試験の結果を鑑みて首席入学としております。入学同意書には必ずファーストネームのほかに苗字を記載されたく――』
これが、校長先生の手紙の後半に書かれていた。
苗字、苗字かあ。
ボクは困ってしまう。
「でもなあ。苗字なんて、ニンゲンの文化そのものだもんなあ……」
そう。
ボクは、ドラゴンである。
名前はない。
つまり、オリビアに名乗らせてあげられる苗字を持っていないのだ。
「どうしよう、クラウリアさん」
「そうですねえ。適当に名乗っちゃっていいんじゃないですか。人間社会の有名貴族の苗字だけ避ければ、そんなに目くじら立てられることもないでしょう」
「そんなものかな?」
クラウリアさんの思い切った提案にビビる。
ボク、オリビアのことが絡むと案外小心者なのだ。
「魔王さんの意見も聞いてみたいな……あれ、そういえば魔王さんは?」
「オリビアさんのご入学が近くなってきてから、ふさぎ込んでしまって。以前のように西の塔に籠もられがちで」
「そうなの!」
「偉大なる魔王マレーディア様のことですから、何かお考えがあるのでしょうけれど」
「そ、そうなの……?」
最近気付いたのだけれど、クラウリアさんには『我が子が引きこもりになったら』という育児書を貸してあげたほうがいい気がするんだよね……。いや、魔王さんは500年以上は生きてるって言ってたし、もう立派な大人なんだろうけれど。
そんなことを考えていると、突然。
「お名前、つけていいの!?」
ボクたちの会話を聞いていたオリビアが叫んだ。
「え? うん、そうだねぇ。作っちゃうのが一番早い気がしてきたよ」
「そうしたらね、オリビア、つけたいお名前があるのっ!」
「へ? そうなのかい、オリビア」
「うんっ。オリビア、苗字がないから。ずっと考えてたんだ!」
意外だった。
オリビアは、そんなことを考えていたんだ。
オリビアのもとの苗字は、あったかなかったのかも分からない。それに、あの酷い父親の苗字をオリビアが名乗るのは、とても嫌だった。今は、オリビアのパパはボクなのだ。血が繋がっているぐらいのことで、オリビアの名前の一部になるなんて許せない。
「? パパ、怖い顔してる」
「ああ、ごめんよ。オリビアっ。それで、オリビアがつけたい苗字って……?」
「ちょっと待ってて!」
オリビアは駆けだした。
どうしたんだろう。
ほどなくして戻ってきたオリビアは、一冊の本を手に持っていた。
魔王さんの魔導図書館から持ってきたのだろう。オリビアは、膨大な蔵書のうちとっても危ない魔導書のほかは虫干しを終えていた。虫干しのときには、たいがい魔王さんと一緒に本を読んでいるみたいだ。
「オリビアね、この名前がいいのっ」
「この、名前……?」
オリビアが持ってきた本は、『人類史における聖なる家系とその家名』という本だった。立派な装丁で、宝石がちりばめられている。どうやら、どこかの偉いニンゲンが編ませた人名辞典のようだった。
たくさんの名前が書いてある。
慣れた手つきでぱらりぱらりとページをめくるオリビア。目当てのページにたどり着き、じっと文字を見つめる。
オリビアの細い指が、その文字の中のひとつをピッと指し示した。
「オリビアね。このお名前が、いいなって。ずっと思ってたの」
「…………エルドラコ」
エルドラコ。
オリビアがこれがいいのだと指さした名前。
それは、悪いドラゴン、転じて「悪魔」を意味する名前。いわゆる、忌名だった。
ドラゴンのなかにはニンゲンやエルフやドワーフなどのちいちゃいもの達をいじめるヤツもいると聞いたから、それで作られた名前なのだろう。
ボクは、オリビアになんと言っていいのかわからなくて、言葉を探す。
「オリビア。それの名前は」
「これがいいの。この名前、『ドラゴンみたいな』って意味なんでしょう。ほら、ここに挿絵もある」
本には、ドラゴンが火を吹いてニンゲンの街を焼いている挿絵が描いてあった。うっわぁ。
ボクはこんなことはしないけれど、こういうドラゴンもいるのだろう。
「うん。でも、この名前はあんまり良くない意味だって……」
「どうして?」
「ここに書いてあるだろう」
「そんなことないよ! 苗字っていうのは、家の名前だって書いてある。オリビアのパパは、やさしくて、おっきくて、かっこいいドラゴンだよ」
「オリビア」
「あのね、オリビアおぼえてるんだ。オリビアがちいちゃいときにね、パパにはじめて会った日のこと。毎日寒くて、寂しかったの。でも、パパのね、ドラゴンのパパの背中にのっかって、のしん、のしんって歩いているときにね、すっごく、あったかかったの」
「あたた、かい」
「そうだよ。パパのたてがみは、いい匂いがして、柔らかくて、あったかかったの。それでね、オリビアは、優しいドラゴンのパパの子どもだから……だからね、パパとおんなじ名前がいいなって思ってて」
もじもじ、と服の裾をいじりながらオリビアは一生懸命に説明してくれる。
エルドラコという名前を、どうしてオリビアが欲しいのか。
「オリビア。きみ、そんなことを考えてたの」
「えへへ。だめ、かなあ? オリビア、遠くの学校にいくでしょう。でもこのお名前だったら、パパが近くにいるみたいで嬉しいなって」
「~~~~っ!!」
はにかむように笑うオリビアに、ボクの心は撃ち抜かれた。
そうだよ。よその人が決めた名前の善し悪しなんて関係ない。
オリビアが、ボクの子どもとして名乗りたいと自分で選んだ名前じゃないか!!
ボクの娘であることを示す名と共に、オリビアが幸せな人生を歩んでくれるのなら――パパとして、こんなに嬉しいことはないよ。
「オリビア・エルドラコ。素敵なお名前ですね」
一部始終を黙って聞いていたクラウリアさんが、そっと後押しをしてくれる。
ボクは、ペンを執り、オリビアの決めた真新しい名前をさらさらと入学書類に書き入れる。
オリビア。
――オリビア・エルドラコ。
「……うん、わかった。ねえ、オリビア」
「パパ!」
「オリビア。君は今から、オリビア・エルドラコ。神嶺オリュンピアスに住むパパの、いちばん大切な娘だよ」
「えへへ。はじめまして、オリビア・エルドラコですっ!」
やったあ! と勢いよく抱きついてきたオリビアを、ボクはぎゅうっと抱きしめる。
小さくて、温かい鼓動。ボクの、愛しい娘。
苗字によって、ボクとオリビアを繋ぐ糸がより強く目に見えるものになった気がした。
これから先、どこに行ってもボクたちは家族だ。
遙か昔のニンゲンも、そういう思いで「苗字」というものを作ったのだろうか。
「あ、でも、オリビア。学校では、パパがドラゴンだっていうのは絶対に内緒だからねっ!」
「はぁ~い!」
オリビアは、大きく手を上げて返事をした。
それからオリビアが学校に持っていく持ち物に、ひとつひとつ名前を書いた。
ボクと、オリビアで、手分けをして。丁寧に、大切に書いた。
ペンに、制服に、帽子に、鞄に、教科書に。
オリビア・エルドラコ。
学校生活が楽しいものであるように、祈りを込めて。
真新しい、その名前を書いていったのだ。
……それにしても名前書かなきゃいけない持ち物、めっちゃ多くない???
オリビアだって、パパのことをとても大切に思っているんですね。
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