最終話 再逢
「遥、おめでとう!」
「ありがとう……」
「週末は一吹さんの所に一緒に行けるね!」
「うん!」
合格を告げれば、喜ぶ美樹に綻ぶ。
試験に向けて受験生らしい日々が最後まで続いた遥を除けば、進路が決まったメンバーから一吹の実家に併設された道場のお世話になっていた。
改装中に通ったとはいえ、遥にとっては春以来の場所だ。次々と響く音に胸が高鳴り、三年間を振り返る。
真剣な表情が並びながらも、試合とは違う楽しそうな雰囲気があった。
矢取りを終えると、一吹が麦茶を差し入れた。
『ありがとうございます!』
「お疲れ……」
揃って告げられ、穏やかに応える。強くなった三年生の卒業は一吹にとっても特別なようだ。
「……みんな、合格おめでとう」
『ありがとうございます!!』
朗らかな顔が並べば、ずっと続いていくような感覚だが、実際は卒業まで数える程である。
彼女達が一年生の夏休み明けからコーチを引き受けた一吹にとっても、成長が楽しみな世代であった。最初は臨時だった事もあり、長く続くとは思っていなかったのだろう。真剣に向き合う姿に感慨深い気持ちでいっぱいである。
彼に苦悩した日々があったからこそ、的確なアドバイスを伝えて今に繋がっていたが、途中で腐る事なく続けてきた結果だと思っていた。
清澄は個々が確実に実力をつけ、練習試合を申し込まれるまでになった。藤澤だけでは叶わなかった機会を作ったのは、部員達が真摯に向き合ってきたからだと。そう思う大人達がいる一方で、彼女達にとっては感謝しかない。部員が増えたからといって、道場の増築は簡単な決断ではなかったはずだ。インターハイ優勝の結果が大きいとはいえ、顧問の藤澤や一吹コーチの尽力がなければ叶わなかった事ばかりだ。継続した事で叶った結果もあるが、二人がいなければ辿り着けなかった。それが共通の認識であった。
「……一吹さん、ありがとうございます」
「ありがとうございました!!」 「ありがとうございます!」
遥を筆頭に次々と告げられ、差し出されたブーケに瞬かせる。
「……これ…………みんな、ありがとう……」
『ありがとうございました!!』
教員ではない彼が卒業式に参列しないからこそのサプライズだ。
今までの感謝を込めた言葉が確かに本音であると届き、想いが巡る。二つ返事で引き受けたコーチ役だったが、言葉を駆使して伝え、指導する事で自身の想いにも変化があった。足が遠のいた場所に再び踏み込んだ瞬間は、当時の苛立ちも蘇った。憤りを感じたのも一度や二度ではない。
ただ憧れを目の当たりにして分かった。理屈ではないという事に。
笑顔で手を振る部員達の仲の良さを感じながら手を振り返せば、綺麗な一礼が並んでいた。それは誇らしくもあり、夕陽に照らせれて伸びる影が、青春を垣間見たようにも映っていた。
「ハルちゃんも東京に行くんだね……寂しくなるねー……」
「おばあちゃん……」
「…………帰ってくるのを楽しみにしてるからね」
「うん……」
慌ただしく引越し日が決まり、兄や蓮もそうだったと想い出す。
道着から制服に着替え、鏡に映る姿が最後であると今更のように思う。あれだけ会いたいと思っていた彼と同じ場所で引ける日が近づき喜ばしいはずだが、友人との別れはただ単純に寂しく、その感情は比べようがない。
流れる卒業式の定番曲に涙が溢れる。清澄で過ごした三年間があったからこそ、遥はもう一度揃って引く道を選んだ。ここで美樹と再会していなければ、入部する事すらなかったのかもしれない。長い道のりを選ぶ事もなかったのかもしれないと、また考えが巡る。
『ーーーーありがとうございました……』
目の前に並んだ彼女達に藤澤が目を細める。弓道部は、この三年で再生を果たした。今後は今の部員の頑張りにかかっているが、弱小と呼ばれる事はないという予感はあった。憧れに少しでも近づけるように努力を続ける姿は、強豪と謳われた頃の清澄のようだったからだ。
『先輩、卒業おめでとうございます!!』
駆け寄る後輩達に笑みを見せ、隣にいる彼女に視線を移す。
「ーーーーーーーー美樹、ありがとう……」
「遥?」
「……私…………弓道を続けてきて、よかった……」
ぎゅっと抱きつかれ微笑む姿に綻ぶ。それは美樹の想いとも重なっていた。
強引に誘った自覚があり、目の前で瞳を潤ませた彼女の強さは、誰よりも分かっていた。一緒に引けば心強さを感じ、音の違いを痛感させられる度に憧れた。再会した日には運命を感じた程であった。
「ーーーーっ、遥、また引こうね!」
「うん!」
晴れやかな笑顔に手を振り、前を見据えて歩く。自身で選択したとはいえ寂しくない訳がない。
車窓から流れる景色が滲む。気を紛らわせるように道場に向かえば、桜の蕾が色づき始めていた。
二度も見送ってきた彼女であっても寂しさは募る。遠征で家を離れた期間はあるが一週間もなく、長期休暇以外で帰省しない兄を見ているからこそ、次に会えるとしたら夏になるかもしれないと感じる。
引越し業者を見送り、母と共に東京に向かう。部屋は蓮の隣で、満とも同じマンションだ。
自炊の心配はなく、何でも卒なくこなす娘の信頼は厚いが、それでも心配になるのが親心だろう。
朝から続いた引越し作業に区切りがついたのは夕方だ。冷んやりとした冷蔵庫に食材を入れ終えると、唐突にチャイム音が鳴った。
確認するまでもなく扉を開ければ、ぎゅっと抱きしめられていた。
「ーーーーっ!!」
「…………不用心だろ?」
「うっ……みっちゃんかと、思って……」
肩越しに視線が合えば、兄は苦笑いの表情だ。
「…………蓮、そろそろ離してやれよ? 母さんだったら、どうするつもりだったんだ?」
「そんな……迂闊なのは遥だけでしょ?」
散々な言われようだが、歓迎ムードは奥にいた母にも伝わっていた。元気そうな姿に自然と綻び、帰ろうとする蓮の腕を取ったのは、他の誰でもない母であった。
「せっかくだから、みんなで夕飯を食べましょうね?」
『えっ……』
驚いた表情が並び、柔らかな笑みを浮かべる。
二人のお気に入りの洋食屋で過ごす姿は、家族団欒のようであった。
「…………ハル……遥、頑張りなさいね」
「うん……ありがとう……」
頷き返すだけで精一杯になり、言葉が出ない。感謝の言葉は伝えても、伝えきれないのだろう。
背中に触れられた手に促され、まっすぐな視線が向かう。
「……お母さん…………気をつけて帰ってね」
「うん、三人とも体に気をつけるのよ」
「あぁー」 「はい」 「うん……」
三者三様の反応に笑みが溢れ、夏季休暇中に帰省する約束を取り付けて、電車に乗り込む姿を見送った。
「…………遥……」 「ハル……」
心配そうな声色に涙を拭う。
「蓮、みっちゃん……東京、案内してね?」
「うん」 「あぁー」
風が吹き抜け、一年前の記憶が巡る。
遠ざかる電車に涙した日もあったが、今は隣にいる。並んで歩く姿は幼い頃と変わらずに健在であった。
窓から見える花弁を横目に身支度を整える。引越ししてすぐに実感したのは、学校でしか引けない事だ。代わりに素引きを繰り返していたが物足りなさを感じ、彼等が時々お世話になる道場に足を運んだ。
始めての一人暮らしといっても同じ階に蓮も満もいる為、不安な要素はない。歓迎会と称して開かれた鍋パーティーから、夕飯を三人で食べる機会が増える事になりそうだ。
真新しいスーツ姿で行き交う新入生に紛れ、私服姿の在校生が呼びかけを行う姿は、入学式の恒例のようだ。
遥の目の前には、一週間前にも感じた彼が微笑んでいた。
「入学、おめでとう!」
ぎゅっと抱き寄せられ、見たことの無い彼の姿だったのだろう。悲鳴に似た声が遠くから聞こえる。
「ーーーーっ、れ、蓮……」
「ん?」
爽やかに微笑まれ、上昇する体温に心音が忙しない。スーツに皺が寄るが、そんな事よりも新入生が行き交う中での抱擁は心臓に悪い。
「…………ありがとう……」
抵抗は諦めて素直に従う。ずっと会いたかった彼に会え、今度は同じ場所で引く事が出来るのだから。
「……やっとだ……」
「うん……」
肩越しに見上げた空は、今の心情を模ったような晴れやかな春の日差しがあった。
部活やサークル勧誘のチラシを大量に受け取る新入生がいる一方で、彼と手を繋いでからは手元のチラシが増える気配はない。クラブ活動が盛んと知ってはいたが、チラシの数からも想像以上の活気を感じていた。
「…………遥、楽しみだな!」
「うん!」
花弁が舞い散る中、振り返った日々に微笑む。距離を感じた期間を埋めるように、手を繋いで歩く。そこには指輪が光っていて、兄が嫉妬しそうな程に仲睦まじい姿があった。
澄んだ音を響かせ、吸い込まれるように中っていく。次々と的に中る姿は、まさに正射必中に相応しいだろう。
「綺麗…………」 「上手っ……」 「……やばっ」
新入生とは思えない程に安定した射形を保つ姿に、感嘆の声が上がり、見惚れる部員が続出である。
誇らしく思う一方で、ライバルが増えそうだと感じる。
「うわっ、めっちゃ可愛い子じゃん」
「だろ?」
「なんで満が自慢気なんだよ?」
「聞いてなかったのかよ? 神山だろ? ハルは俺の妹だよ」
「はぁーー?!」 「マジ?!」
一気に騒がしくなった場内に部長の一喝が入る。これから入部する新入生は十名以上いるが、広々とした場内が手狭になる事はないだろう。
「神山さん、私もハルって呼んでいい?」
「うん、よろしくね」
和かに微笑み、始まったばかりの学校生活に期待を寄せる。
再び弓を握れば、空気を切り裂くような、そこだけが違う凛とした空気が流れているような感覚に包まれる。
「ーーーーーーーー遥」
振り返れば、道着姿の彼に微笑む。
そこには小さい頃に憧れた弦音が、確かに響いていた。