第七十一話 決意
朝から賑やかな声が至る所でしている。三年生の特権である野外販売も可能な最後の文化祭を迎えていた。
二日目の今日は一般公開の日で、風颯の男子団体メンバーが見に来ると、翔からラインで知らせが入っていたが、遥に限っては稔だけでなく部長からも直接連絡が届いたため知っていた。
「ハルーー、このくらいでいいか?」
野菜のサイズを確認する雅人に頷く。三年目にしてようやく裏方の仕事に回り、遥自身は快適な様子だ。大きな寸胴鍋には具沢山の豚汁が、その横にあるトレーにはラップにくるまったおにぎりが二種類並んでいた。
「遥ーー、お疲れさま」
「奈美、お疲れさま……もうすぐ始まるね」
昨日から始まったお祭り騒ぎも今日までだ。
クラスメイトとお揃いのTシャツを着た上から裏方の遥と雅人は、エプロンと三角巾をしていた。裏方と言っても完全に表に出ずに作業する訳ではなく、販売する奈美よりも奥で作っているだけだ。その為、昨日から弓道部員や友人達が足を運び、売上に貢献する度に顔を見せていた。
「ねぇ、あの制服って進学校の風颯でしょ?」
「うん、去年も来てたよね?」
「そうそう、イケメンがいた!」
「ってか、あの子、かっこよくない?!」
女子の噂は出回るのが速い。イケメンの中には、もちろん稔も含まれていた。
「あっ、いた! 先輩、ハルちゃんいましたよ!」
「ハル、久しぶり」
「村松くん、久しぶり……みんなで来てくれたんだね」
「あぁー、翔にも伝えたけど、うちの学祭にも来てよ。チケット確保してるから」
「うん、ありがとう」
心配するまでもなく、穏やかな従兄弟に微笑む。
「ハルちゃん、一緒に引こうね! 弓具は用意しとくから!」
「うん、ありがとう……」
男子が五人揃っているだけでも目立つが、それが文化祭とはいえ他校の制服姿なら尚更だ。今も遠巻きに見つめる女子が多数いるが、村松たちは弓道部員と交流する事しか頭にないのだろう。雅人や奈美にも学園祭を勧めていて、良好な関係だと分かる。
「あっ、写真! ハルちゃん、ちょっとこっち来て!」
「ハル、行ってきていいぞー」
「う、うん、雅人ありがとう」
鍋の番を任せてTシャツ姿でテントを出ると、稔が肩を抱き寄せた。
「えっ、稔……近くない?」
「近くないでしょ? 二人に送るから」
「あーー、うん……」
頼まれたと、悟ったのだろう。距離を取るのは諦めて写真に収まる。従兄弟は成長期真っ只中で、遥と背丈が同じくらいになっていた。
「稔、背がまた伸びたんだね」
「んーー、まだ航たちには届かないけどねー」
嬉しそうにおにぎりを頬張る口元に米粒が残り、自然と指先で取る図は弟の世話を焼く姉のようだが、恋人のように見えなくもない。内情を知る弓道部員だけが、そう感じないだけであった。
従兄弟のマイペースさも健在で、上級生に敬語を使いながらも気安い仲だと分かる。満や蓮のように一年生からレギュラー入りする異例ではあるが、間近で見てきた世代でもある村松たちと楽しげな様子が見てとれる。
遥たちにとっては、一緒になって売り上げに貢献する風颯に感謝であった。
「ーーーーハルちゃん、またねー!」
「うん、またね……」
相変わらずな従兄弟に笑顔で手を振り返せば、戻ってきたばかりの小百合から質問攻めにあったのは言うまでもない。
ひと通り満喫した風颯の一行は、律儀に三年生のクラスを見て回っていた。弓道部員が目当ての為、出没する度にグループラインも賑わう。ただ、それだけが理由ではない。後輩からも写真やメッセージが送られ、弓道部全体のグループラインも流れるように既読がつく。これは『卒業式までは退会せずにいて欲しい』という要望に応えたからであった。
入部当初から順風満帆だった訳ではない。弱小で知られていたはずの弓道部が、年を重ねる度に変化していったからこその今だ。上下関係の良さなら風颯にも負けていないだろう。少人数で始まったからこそ、結束力が高まっていった部分もあったのだから。
この三年の合同合宿や大会を通して風颯に友人ができ、ライバルと呼べるまでにはならなくとも、練習相手に選ばれるまでになった。候補にすら上がらなかった無名の高校が、練習を申し込まれるようになり、環境が整うようになった。
飛び交うメッセージから後輩達も風颯の同級生と交流していると分かり、並んでピースサインをする写真に笑みを浮かべた。
清澄とは違い、風颯の学園祭はチケット制だ。毎年のように集客がある弓道部の模範演技は人気があり、最終日に行われる引退式は見ものであった。特に新部長に引き継がれる姿は、部員のモチベーション向上にも一役買っている程だ。
合宿や練習試合で何度か訪れた事のある清澄でも、広大な校内と規模の違う道場には慣れない。
村松から招待され、部員の殆どが足を運んだ目的は模範演技と引退式だ。ただ弓道部として集団行動する訳ではない為、思いおもいに学園祭を楽しんでいた。
遥たち三年生は、律儀に男子団体メンバーのクラスを巡る度に写真を残していた。
「ここが村松くんのクラスかぁーー」
「翔、甘味処なんだっけ?」
「あぁー、団子とお茶が飲めるって言ってた」
「へぇーー」 「さすがに賑わってるな」
八人が揃って行動すれば大所帯で目立つ。それが他校の制服姿なら尚更だ。今までは道場に入り浸っていた翔たちも、今年は遥たちと共に学園祭を巡る選択をしていた。
ただ午前中にあった射詰には揃って参加していたし、後輩たちの大半は今も道場に残っている。触れる機会のない竹弓を引けるとなれば、残らない選択肢はないだろう。部長の青木を筆頭に交流する姿に、これからも続いていく予感だけはあった。
「ん、美味しい」 「美味いなーー」
「本当だーー、よく出来てるね」 「うん、うん」
揃っての席ではなくとも、隣合った席に案内され、男女で分かれる事なく座っていた。美樹たちカップルに考慮したからであるが、あまりに自然に座った為、本人達が気づく事はない。
十五時から始まる模範演技に合わせて道場に戻れば、かなりの人が集まっていた。
「うわっ……」 「……上手いな」 「すごいね」
様々な声が小さく聞こえてくるが、どれも同じような反応だ。圧倒的な的中率に感嘆の声しかない。
村松が引き終わると、女子の団体メンバーが同じように並ぶ。広い場内が埋まるほどの集客は、風颯だからこそだろう。
矢取りを終えれば、三年生が引退後の団体メンバーが並ぶ。変わらずに参加するのは稔だけで、二年生が主体だ。ただ部内で射詰を行った結果が反映されている為、強豪校に変わりない的中率を誇っていた。
「稔くん、やっぱり上手いね」
「うん……」
上級生に囲まれても萎縮する事なく引き続ける精神力は確かなもので、兄達の横顔が重なって映る。
みっちゃんから蓮に繋がったバトンは、蓮から村松くんに…………そして、今……次の世代に…………
新メンバーのお披露目でもある演技が全て終わり、村松と次期部長が姿を現す。また引き継がれる姿に胸の奥が熱くなり、思わずスカートの裾を掴んだ。
……来年の今頃には、稔が引き継いでいるかもしれないんだ…………
快音を響かせ的中した二人の所作は正しく、辺りに拍手が響いていた。
「お疲れさま……村松くん、ありがとう」
「いや……終わったんだな……」
「うん……そうだね……」
振り返れば弓道一色の三年間であった。
特に風颯では、それが習慣化されていた。弓に触れない日は一日もないほどに、日々の練習の繰り返しがインターハイ優勝という結果にも繋がったのだから。
「ーーーーハルちゃん!!」
大声で呼ばれ振り向けば、しっかりと有言実行する稔に笑みが溢れる。午前中の射詰では清澄で行動していた為、控えていたのだろう。演技が終わった事もあり、緊張感は皆無である。
快く受け取り、揃って並ぶ。
「……ハルちゃん、八で勝負ね?」
「うん!」
細かなルールはない。的に中るか外れるかで、白か黒かの世界だ。
借り物の弓と矢であっても、遥の的中率が下がる事はない。弦音でなくとも快音を響かせる美しい所作に、感嘆の声が漏れ出る。
清澄のメンバーにとって彼女は憧れだが、遠い存在ではない。的確に紡ぐような頼れる部長でもあった。
変わらない射形は尊敬に値するだろう。現役の頃と変わらない所作は、試合よりも整っている節さえあり美しいの一言に尽きる。
「あーーーー、負けた……」
「稔……」
的には見事なまでの八射皆中が並んでいる。結果だけを見れば同中だ。
「…………ハルちゃん、楽しかった?」
「うん!!」
会心の笑顔に、それ以上の言葉は必要ないと悟る。
「ん!!」
差し出された手に右手を重ねれば、心地よい音がした。
「次は負けないからね!」
「うん!」
態とらしく告げられ、心配されていたのだと伝わる。風颯に進学すると思っていたのだと。
進路を決めた際に従兄弟を考慮した訳ではないが、弓道を主体に考えれば風颯より環境が整った学校はないと、断言できるからだろう。
「…………みんな、東京かーー……」
大きく伸びをして呟いた稔は、ひと足先を進む従兄弟達が眩しい存在であった。
「……ハルちゃん、またやろうね」
「うん……またね」
兄達が繋いできた伝統は受け継がれ、新たな体制に温かな眼差しを向ける。そこには稔がいて、勝利に貢献する予感があった。
見た事のある光景が確かにあり、最後の学祭を終えた姿に重なる。
昨年までは共に過ごした彼を想い浮かべながら、決意していた。また必ず同じ場所で引くと。