第七十話 応援
「遥、頑張ろうね!」
「うん……」
乗り気な小百合に笑顔を返すが、心底喜んでいないと分かる。今年もリレーの選手に選ばれ、出来れば辞退したい所だが、小百合の有無を言わせぬ勢いに押されていた。仮に断ったとしてもクラスのタイムが上位二番目には変わらない為、選ばれていただろう。
「最後の体育祭だなー」
「しみじみどうしたの? 雅人」
「いや……なんか部活引退してから、徐々に実感がなー」
「それは分かる。カモちゃん達はスポーツフェスティバルに向けて、頑張ってるもんね」
「うん……」
部活動だけでなく、三年生の彼女達にとっては学校行事も全てが最後の年だ。
夏休み明けに表彰された始業式が記憶に新しい。弓道部偉業の個人戦三連覇も、団体戦ベスト十六も、横断幕が掲げられ学校中が知ることになった。
仲間を誇らしく感じる一方で、羨む気持ちはある。特に男子は、県内の強豪校である風颯に練習試合を含め、一勝もできなかったからだ。彼等の的中率は決して悪くはない。インターハイの結果を見ても、勝ち進む力はあったはずだ。ただ風颯が強すぎるのだ。対戦校の結果に左右される事なく、どこと当たっても勝率が高い。それは個々の皆中率が圧倒的に高いからであり、全国大会常連校は伊達ではないのだ。
体育祭に向けて放課後には、バトンの受け渡し練習が行われた。経験した事があるとはいえ、久しぶりの感覚だ。普段は口数がけして多くはない遥が声を上げる姿は、緊迫した試合でも垣間見たようだ。集中力を高めて僅かな時間に最大限を発揮する所は、弓道と似ているからだろう。
まだ暑い日差しの残る空を見上げていると、同じくリレーの代表になった翔と陵が手を振っていた。
「お疲れー」 「お疲れさま」
クラスは違っても変わらない仲間に息を吐く。
「二人はこの後も練習?」
「あぁー、応援団のな」
「当日、楽しみにしとけよ?」
「クラスが違っても、相変わらず仲がいいね」
小百合も加わり、昨年の同じクラスメイトが揃う。部活がなければ会う機会は少ないが、最寄り駅までは同じ通学路のため、昇降口で揃えば駅まで一緒に行動する事は多い。
「いた! 遥ーー!」
勢いよく飛びついた美樹と約束していると知っていても、僅かな嫉妬心はある。同性とはいえ二人の仲は、誰が見ても良いと分かるからだろう。
制服に着替え美樹と合流して帰る。放課後に寄り道して帰れるのも、部活を引退したからだ。今までは部活の後に寄って帰るような時間はなく、ほとんど初めてに近い。
美樹のお勧めのカフェに立ち寄り向き合って座れば、兄達と卒業前にも来た事があると気づく。お店の雰囲気に変わりはなくとも、メニューから季節感を感じ、当時は冬だったと振り返る。
「……県内の同じ大学に決めたから……」
「うん……」
県外を受験する者もいるが風颯ほどの進学校ではない為、遥のように東京を目指す方が少ない。
「……AOだって言ってたよね?」
「うん……もうすぐ面接かな……」
「そっか……頑張ってね」
「うん!!」
再会した彼女と離れる。分かっていたはずの現実が少しずつ近づき、また実感する。少しずつでも着実に卒業する日が近づいているのだと。
「体育祭が終わったら、スポーツフェスティバルだね」
「うん、応援に行きたいな……」
「行こう、行こう! みんなも誘って!」
「うん!」
後押しされ、早速三年生だけのグループラインで告げれば、夜には全員参戦すると決まる。また弓具を持って、久しぶりに道場に立ち寄らせて貰う事になった。
陵の宣言通り、四組の応援団は派手である。力強く旗を振る三年生に負けじと下級生が声を出す。大太鼓の音も相まって、体育祭に相応しい勇ましさが感じられる演出であった。
「松下は相変わらず派手だねー」
「うん、陵らしいよね」
「そうだね……」
部活内でもムードメーカー的な存在だった陵は、今もクラスをまとめ上げているように映る。
「ハル先輩、同じクラスですね!」
「うん!」
ハイタッチするように手を差し出せば、心地よい音が響く。同じ組になった青木は、高揚感を滲ませたまま位置に着いた。
次々とバトンが渡され、アンカーの小百合に繋ぐ彼女の番だ。
『遥ーー!!』 『ハルーー!!』 『ハル先輩!!』
二番手から始まったが、声援に応えるように加速する。遠くで叫ぶ声が届きながらバトンを手渡せば、同じように名前を呼ばれ声援が送られる。同じチームメイトだけでなく、バスケ部員も声を出していた。
小百合の走りは圧巻であり、遥が抜いた頭ひとつ分のリードを保ったままゴールテープを切った。
「やったね!」
「はい!!」
しゃがんで待機していた遥は、後輩と喜びを分かち合う。バトンの受け渡しの練習で交流しただけでなく、大々的に飾られた横断幕や表彰される姿で名前は通っていた。ただ本人が気づかないだけで。
今も小百合だけでなく、彼女に向けられる視線は多くあった。それは声援の多さからも明らかである。
「ハル先輩!」
「青木くん、やったね!」
「はい!」
男女揃って一位を獲得したのは二組だけだ。
「遥ーーーー!」
思い切り抱きつかれ、喜びを分かち合う。最後の体育祭でも彼女たち二組が勝利を収め、遥と小百合にとっては三連覇の結果となった。
『おめでとう! 頑張ったな!』
スマホの文字に頬が緩む。短いながらも殆ど毎日のように交わしていれば、互いの近況に詳しくもなる。
『ありがとう! 蓮も秋季リーグに向けて頑張ってね!』
イベントがまた一つ終わり、一歩ずつ近づく。その歩みは少しずつでありながらも、着実に受験に向けて励んでいた。
ルーズリーフに数式が並ぶ中、頭に過ぎるのは後輩達が挑むスポーツフェスティバルであった。
ラインでやり取りをして藤澤には伝えていたが、後輩達には完全なるサプライズだ。更に弓具を持参して制服姿で参戦となれば、学校に立ち寄るかもしれないと、勘のいい者なら気づくだろう。
「ーーーーーーーー緊張するね……」
「うん……」 「あぁー」 「……そうだね」
思わず口にした遥に、仲間も深く頷く。視線の先には部長をはじめ男子が揃って並んでいた。
スポーツフェスティバルの団体戦上位八校が、九月下旬に行われる県連秋季大会の出場権を得られる。個人戦もあるが、清澄高等学校も団体戦出場が毎年のように目標だ。
昨年は男女揃って進出する快挙であったが、今年も叶うという予感だけはあった。先輩達の記録を目の当たりにして目指さない訳がなく、モチベーション維持にも良い影響を与えていたからだ。
放す瞬間に視線が集まる。今年は経験者の入部も多かった事もあり、出だしから順調であった。
対戦校に二本差で勝利を収め、安堵の息を吐いたのは遥たちだ。自身の試合よりも緊張感のある顔が並んでいた。
「すごい、すごいよ!!」
「うん……」 「あぁー」 「やったな!」
自身の事のように喜びを露わにする美樹に微笑む。彼女がいたからこそ、引き続ける事が出来たと。
「…………頑張ったんだね……」
間近で見ていた遥だからこそ、後輩の癖や微かな表情の違いに気づいていた。
自身の事のように感じていたのは、彼女達だけではないだろう。
三年生にとって徐々に増えていった部員は羨ましくもあった。団体戦に出場するのも、全部員を合わせてようやく叶う年があった。彼女達の代だけでは人数が足りず、とても補欠まで選べるような余裕もなかった。それでも引き続けた三年間があったからこそ、今に繋がったのだろう。
『ーーーー再生に手を貸してくれますか?』
入部した事に後悔はなかった…………だけど、弓に触れる度に、このままでいいの? って、何処かで声がしていた。
私にできる事なら『再生』に手を貸したいと思った…………でも、いくら思ったところで、どうすればいいか分からなかった……弓道に勝敗はないけど、少しでも多く引きたいなら残るしかない。
引き続けていたいなら、中るしかない。
中等部の頃は競うのが当たり前だった…………選ばれなければ、試合にすら出られない。
だからこそ、より一層励むようになった…………中るのは簡単な事じゃないって知っているからこそ、一本にかける想いが人一倍強かったのかもしれない。
「よくやったな!!」 「惜しかったな!」 「すごかったよ!!」
三年生の声に朗らかに微笑む。先程までの緊張感から一気に解放された様子が見て取れる。
「ハル先輩! やりました!」
「藤田ちゃん……おめでとう」
「はい!」
嬉しそうに応える彼女に憂いた様子はない。入部当初にあった葛藤は見る影もないようだ。
そっと差し出された手に勢いよく重ねる姿に、追随する部員達。それは彼女が清澄で、憧れの存在になっていたからに他ならないだろう。
「ーーーーーーーー次に繋がりましたね……」
「はい」
小さく頷いた一吹には、藤澤の想いが痛いほどに伝わっていた。学生時代に感じた葛藤すらも、今ではそれがあったからこそ部員達と向き合える。そう思えるまでになっていた。
「あっ! ハルちゃん!!」
「ちょっ……稔?!」
思い切り抱きつかれ、倒れそうになる背中を支えられていた。
「す、すみません……」
振り向けば、知った顔に瞬く。
「……相変わらず、鈍臭いなーー」
「わ、航…………」
「稔も調子に乗りすぎ」
「えーーっ、いいじゃん。今回の功労者だよ?」
「はいはい」
相変わらずな従兄弟に懐かしさが込み上げるが、聞き捨てならない台詞もあった。
「……航、そんなに鈍臭いかな?」
「えっ、自覚ないのか?」 「ハルちゃん鈍いでしょ?」
「ちょっと!」
言い方よ!! 確かに、鈍臭さがあるのは否めないけど…………
「稔、コーチが呼んでるって」
「はーーい、ハルちゃんまたね」
「ハル、またな」
手を振り去って行く二人に視線が集まるのは当然だろう。稔は優勝者であるし、弓道関係者ならば知っている事実であったからだ。
「うわっ、今のが従兄弟? めっちゃ、イケメンじゃん!」
「うん、うん、男前だよねーー」
「あ、ありがとう?」
反応に困りながらも応え、仲間と楽しそうに話す横顔が印象的だ。弓具を持参していなければ、全国大会個人戦三連覇の覇者であると分からないだろう。それほど試合とはかけ離れた表情をしていた。
約束通り学校に立ち寄り着替えれば、背筋が伸びる想いがする。一ヵ月前までは毎日のように訪れていた場所で、変わらずに弦音が響けば、追随するかのように弓を引く姿が並んでいた。




