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第六十九話 線香

 早朝から変わらずに響く弦音があった。インターハイ個人戦三連覇に、団体戦初進出でベスト十六に残る結果は、十分すぎる功績だろう。

 ただ遥にいたっては、団体戦は仲間ともたらした結果であり、自身の功績が大きいという自覚はない。また風颯のような伝統ある引退式はない為、受験に向けて勉強の日々が始まったが、夏休み期間中でも弓に触れる機会はある。時間があれば、朝と夕の一日に二度は道場に足を運んでいた。


 「ーーーーーーーー終わっちゃった……」


 そっと呟き、慌てたように矢取りを行う。自身が思っていたよりも、ずっと弓道一色で過ごしてきたのだろう。

 大会を迎える前までは当たり前のように部活動があり、学校に通う生活を行なってきた。それこそ三年前にも似た経験をしたが、あの頃と違う部分もある。彼女自身の感情だ。迷いに迷って決断した受験とは違い、今回は明確な目標がある。彼等と再び同じ舞台に立つ事だが、それが簡単な事ではないという自覚もあった。風颯学園以上に苛烈なレギュラー争いが予想され、入部当初から活躍する兄達の方が異例であると。


 道着のまま家に帰り、私服に着替えて図書館に通う。一週間前からできた遥のルーティンの一つだ。部活を引退して友人と遊ぶ機会は増えたが、特に活動範囲が広くなる事はない。弓道を除けば読書が似合う女の子は健在であった。


 イヤホンで好きな曲を流しながら、参考書と向き合う。それは兄も彼も通ってきた道だ。彼女の成績なら問題ないはずだが、学校の試験とは違いその範囲は広い。闇雲に勉強すればいいというものではなく、自身の知識にする事が先決である。その点においては誰も心配はしていない。抜かりない彼女の事だからと、合格した未来しか彼等も語りたがらない。記憶に新しいのはお盆での会話だ。彼等にとって同じ場所で引く事は、すでに決定事項であった。


 あの日も……まさか茨城県まで来てくれるとは、思わなかったから…………


 試合直後に声をかけてくる知り合いは、チームメイト以外では風颯のメンバーくらいだ。他にも練習試合校はあるが、あの場にはいなかった。だからこそ予想外の声に視界が滲んでいったのだ。


 『……よく、頑張ったな』


 それだけで…………報われた気がした。

 ここに来て、最後にようやく叶った団体戦出場は…………一人で向き合った個人戦よりも、ずっと緊張していたの。

 仲間の音で勇気づけられていたのは、私の方だった…………もっと引きたい、みんなでもっと…………その想いが突き動かしていた。

 結果はベスト十六…………そう言えば聞こえはいいけど、二回戦敗退。

 最後まで引き続ける事は叶わなかった。

 中等部にいた頃には感じなかった敗北感…………同じ場所で引く機会は、きっと……もう、ないかもしれないけど、それでも楽しかった……


 仲間と同じく悔しい気持ちは彼女にもあった。ただやり遂げた安堵感の方が大きかっただけで、痛みは感じていたのだ。


 黙々と英単語を書き記し、気づけば夕方だ。昼過ぎから始めた勉強は大いに捗っていた。弓道で培ってきた集中力の賜物である。


 トートバックに勉強道具をしまい外に出れば、冷えた体温がじんわりと上がる。


 「…………ハル?」

 「……航…………」

 

 なぜ彼がここにいるかは不明だが、おそらく弟に会っていたのだと想像はつく。ここは風颯学園からも程近い、この辺りで一番大きな図書館だ。顔見知りがいたとしても不思議ではない。


 「……連覇したんだってな…………おめでとう……稔も喜んでた」

 「うん、稔も優勝してたね」

 「あぁー、あいつらしいよな」

 「うん……航も、東京に行くんだよね?」

 「あぁー、目指す学部が東京にあって」

 「そっか……」


 同い年ということもあり二人の仲は悪くはないが、特段にいいという訳でもない。特に弓道においては互いに比較されてきた存在である。大人達に他意はなくとも、子供心に感じた傷は今も燻っていた。

 従兄弟で辞めたのは航だけだが、全く触れていない訳ではない。部活動でやらないだけで、その腕前は中々なものである。だからこそ、稔が自らその世界に飛び込んだ時は驚いていた。


 「…………航……やっぱり、楽しかったよ」

 「そっか……それなら良かったな……」


 頭に触れる手は強引だったが、その手つきは優しい。従兄弟を心配していたのだろう。


 「うっ、ボサボサになる……」

 「大丈夫、大丈夫」


 笑って髪を撫でられ、会話も弾む。ただ受験勉強をしに来たのは彼女だけではない。二人の距離感は蓮や満ほどでなくとも近く、誰が見ても親しい間柄だと分かっただろう。


 「……遥!」  

 「美樹、陵、久しぶりだね」

 「あぁー」 「うん」


 インターハイ振りに会う仲間に自然と綻ぶ。柔らかな表情に、彼女の選択は間違いではなかったと航も感じていた。

 

 「ハル、同じ学校の人?」

 「うん、同じ部活だったの。美樹は一緒に団体に出たんだよ」

 「そっか……よかったな」


 颯爽と帰る従兄弟に、手を振り返す。女子メンバーだけだったなら、『今のイケメン誰?!』と、話題になっていたはずだ。


 「……この辺りじゃ見ない制服だったな」

 「うん、学区が違うからね」

 「もしかして、遥の従兄弟?」

 「うん」

 「ところで遥、ライン見てないだろ?」

 「えっ?」


 二人から誘われて花火をする事になったが、ラインではすでにやり取りが行われていた。遥を除いては。

 直接伝えられてよかったが、スマホ放置常習犯の一人の為、既読が遅くなっても誰も気にしていなかったのだろう。


 夕飯を終え、電車に揺られる。

 数時間前に美樹たちと会えた時も感じたが、ずいぶん時間が経ったような感覚だ。学校がない日も、部活動で毎日のように顔を合わせていた仲間と一週間会わないだけで、ずっと会えていないような感覚に陥っていた。


 「ハル先輩!」 「遥ーー!」


 駆け寄れば半数近くが集まっていた。引退式の代わりではないが、今日の花火は後輩達の発案であった。


 部員が揃った所で、大量に購入した花火に一本ずつ火を点す。シャワーのように散る火花や虹色に光るものまで多種多様だ。


 「…………夏って感じだね」

 「うん……」


 頷いて火花に視線を移せば、線香花火で競った記憶が掠める。


 ………………本当に、終わっちゃったんだ……


 弓道一色の日々は忙しくとも、日常の一部であったからこそ寂しさが募る。同じように心がけたい気持ちはあっても、思い通りにはならない。

 仲間の賑やかさに笑みを返しながらも、ふとした瞬間に押し寄せる。それは、この春に感じた想いにもよく似ていた。


 「線香花火で勝負しないか?」

 「勝負??」 「やる!」

 「最後まで残った奴の勝ちな!」

 『了解』 『はーい』


 乗り気な仲間に釣られ、蝋燭を囲むようにしゃがむ。


 締めの線香花火は、遥だけの習慣ではなかったようだ。


 「……懐かしいな」

 「うん……」


 頷きながらも手元が揺れる事はない。チリチリと小さな音をたてて咲く花に想い返す。ずっと側にいた幼馴染と離れた事も、弓道を志した三年間がまた終わった事も、三年前の彼女が想像していなかった現実があった。


 「……小学生の頃とか、よく競争したよね?」

 「うん」 「やったなー」 「はい!」

 

 様々な反応は学年で分かれる事なく、円を描いているからだろう。仲の良さならば風颯にも負けていないはずだ。入部当初の少人数を経験した三年生は、特にそう感じていた。


 「ハル先輩……ハル部長! ありがとうございました!!」

 『ありがとうございました!!』


 差し出された小さなブーケに、驚きながらも笑みを返す。


 「…………ありがとう……」 

 

 それは三年前にも確かに受けた言葉だが、素直に受け取れないでいた。強くライバル視され、敏感になっていた事が要因の一つだろう。当時は自身の事で精一杯になりながらも部長として接していたし、友人も多く後輩に慕われる彼女であっても、同級生からのあからさまな敵対視にすり減っていた。それこそ、外部を受験するくらいには。


 …………離れてみて分かった事があった…………やっぱり弓がすきで、離れられないって…………


 「部長、真ん中に来て下さい!!」


 スマホをセッティングした青木に応え、中央に座る。ブーケを持った三年生を中心に部員が揃い、タイマーをかけて写真に残す。

 連写になると笑みが溢れ、もう一度撮影すれば、朗らかな様子が収まっていた。


 …………ここに来て、よかった…………

 

 『遥に弓道を続けて行く気があるなら、遥の事を誰も知らない場所で…………一から再生してみないか?』


 ……おじいちゃんのおかげで、今の私があるの……


 「ーーーー楽しんでますね」

 「藤澤先生、お疲れさまです!」 「はい!!」


 明るい声色が続き、その表情からも楽しんでいたと分かる。

 藤澤が顧問になってからの清澄は、夏を迎える前に引退する年が圧倒的に多かった。彼の伝手でも練習試合を組んで貰えない年や片手で数える程の部員しか揃わない年もあり、コーチが定着する事もなく、不甲斐なさを感じずにはいられない日々があった。稀に当たり年があっても、少人数に変わりはなく個人戦の結果が残るだけだった。

 インターハイが遠い夢のような存在になっていた頃に揃った彼女達のおかげで、少しずつ変わっていった清澄は、この三年で県内でも名が知られるようになった。全国クラスの風颯に敵わなくとも、女子は県代表に選ばれベスト十六という結果を残した。数年前までは思いもしなかった事ばかりだが、微かな予感だけはあった。病室で語った師の想いが、痛い程に伝わっていたからだ。

 それは、憧れた師によく似た弦音であった。

 

 惜しむように話しかけられ、時折照れながらも笑みを返す部長の表情は穏やかだ。


 「ーーーーーでは神山部長、最後の仕事です」

 「は、はい……部長を青木くんに……」

 「は、はい!」


 初めて聞かされた青木だけでなく、この場で伝えると思っていなかった遥の声も微かに震える。


 「……副部長をカモちゃんに」

 「はい!」

 「期待してるからな」


 昨年は二人が顔を見合わせたように、青木と加茂が揃って応える。


 「青木部長、加茂副部長、これからよろしくお願いしますね」

 『はい!!』


 意気込みは十分過ぎるくらい伝わっていた。夜とは対照的な瞳が並び、憧れから指名されれば身の引き締まる想いがしていただろう。


 賑やかな部員に、強豪と言われた時期の清澄を垣間見たようであった。

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