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第六十六話 理想

 いい経験になったと言える合宿に、今年は初めて三年生も参加となった。今までの清澄なら地区大会を勝ち残る事ができずに早々と引退していた為、初の快挙ともいえるが、当の本人たちは何処か悔しさを滲ませていた。特に女子よりも男子の方がその想いが強い。東海大会に団体で出場できる事になったが、全国大会常連校である風颯に一勝もできなかったからだ。いくら格上だと分かっていたとはいえ、現実を突きつけられた気がした。叶わないと分かっていながら挑む事で、その本数は明らかに少なくなったが、あと一歩が届かなかった。それは本人たちが痛いくらいに自覚していた。地力の差がありありと出たのだと。

 常連校は選手層が厚く、レギュラーメンバーだけが強者な訳ではない。四射皆中する面子が揃っているとも言える。現に試合よりも高確率で皆中する者がいたし、言わずもがなレギュラーメンバーは試合と変わらない射形を保っていた。


 心地よい弦音が響けば、振り向かずにはいられない。それは、この場にいる誰もが憧れる姿だ。変わらない射形を保つ事は並大抵のことではないと、知っているからこそ自身の的中率に沈みそうになる。どれだけ努力をしても届かない。そんな思考が過ぎり、対戦校までも魅了する横顔に迷いは見られない。ごく自然に、手元が狂う事なく放たれる姿に、圧巻以外の言葉はないだろう。


 「ーーーーすご……」

 「あぁー……」


 思わず漏らし、的に視線を移す。遥は変わらずに四射皆中していた。


 全国大会の前哨戦ともいえる東海大会が行われる会場には応援で参加も含め、部員全員の姿があった。

 三年前までは考えられなかった事ばかりだ。特に長年顧問をしてきた藤澤にとっては、ようやく実を結んだともいえるだろう。実力を発揮できずに終わった者もいれば、人数不足で試合にすら出場できない年もあった。


 「……緊張するね…………」

 「うん」 「だよな……」


 それは観戦組の総意だ。眺めているだけでも緊張感が漂っていると分かり、思わず息を呑む。

 格上の風颯との練習試合で経験したとはいえ、参加校はどこも東海大会常連校ばかりだ。昨年から団体出場の叶った清澄は注目の的だが、特に視線を集めるのは彼女だからだろう。個人戦全国三連覇に手が届く位置にいる射が乱れる事はない。他校すら強い眼差しを向ける射は、吸い込まれるように中っていった。

 風颯との試合でも感じた圧倒的な存在感と的中率。並の学生なら萎縮してしまう場面だが、雑音は聞こえていないかのようにまっすぐに飛んでいく。驚くべき集中力だが、この数ヶ月で一年生にも部長の強さは伝わっていた。あの風颯に勝利しただけでなく、僅差の場面でも変わらずに中り続ける技量には感嘆しかない。ただ当たり前のように中り続ける事が日常な為、本来の難しさを痛感したのは自身の練習時であった。一射中るだけでも難しいと、身をもって知っからだ。

 無駄のない型に、響く弦音に、対戦校のほとんどが視線を映す場面を目の当たりにした。一年生にとっては初めてな事ばかりの中で、部長の射だけは入部当初から一つも変わっていない。彼女に憧れて清澄に進学した生徒もいるほどである。


 声を出すのを忘れ、拍手が遅れて響く。部長の安定した中りに反応が遅れていた。


 まっすぐに前を見据え、変わらずに引き続ける精神力。簡単に辿り着ける場所ではないと、一度でも弓に触れた事があるなら分かるはずだ。どんなに簡単そうに放たれようと、安土に吸い込まれるのが関の山だろう。

 的から外れる矢が出る度に声を抑えるのに対し、部長の射は放たれた瞬間から他とは違うと痛感した。竹弓特有の音だけが理由なら他校にも引く者はいる。立ち姿が綺麗なだけなら、三年生は多少の違いはあれど皆美しい所作だ。現に団体を終えたばかりの彼らは、姿勢を正すように腰掛けていた。


 「あっ、きた……」


 美樹の視線の先には、数分前まで一緒に戦った部長の姿があった。

 二連覇を果たした彼女は注目の的だ。他県からもライバル視されているし、現に中学から弓引きの者は、本人にその自覚がなくとも名前を知らない方が少ない。神山遥の名は中等部時代から有名であった。

 全国大会出場経験者ならば、その名を忘れはしないだろう。満と同じく入部したての一年生が全国優勝する機会は少ないのが現実だ。年功序列な部分が全くない訳ではないが、出場権限を抜きにしても経験の差は否めない。三年生と一年生ではそれほど経験値に差が出るのだ。

 縮まらない差を誰よりも痛感していた遥には、自身に向けられる視線にも気づいていた。そうでなければ、息苦しさを感じる事はなかったはずだ。


 変わらない音を響かせて飛んでいった矢の行方は見ずとも分かる。指先を離した瞬間に確信が持てるほどの中りは、ずっと引き続けていられるような感覚だろう。

 強者にしか分からない高みともいえる場所に挑む者もいるが、全国を目指して日々を重ねていく者が大半である。遥の抜きん出た実力を前に、敵わないと痛感させられる者がほとんどであった。


 「また皆中…………」 「えぐっ……」 「やば……またかよ」


 思わず漏らされる声に応援する仲間が感じたのは、優越感と微かな恐怖心。追いつきたい憧れの存在は、はるか彼方にいると痛感させられる為、対戦校に若干の同情が混じるのも妥当である。

 遥は一年生の頃から公式戦で外した事がなく、部員にとっても中る事が当たり前だ。仮に外したならば、体調でも悪いのか? と、心配される場面だろう。それは、中るという確信が根強い証拠でもあった。


 皆中に対して羨む視線は数え切れない。特に最後の大会を迎える三年生にとっては、どの試合も負けたら終わりであり、それは引退を表していた。全国大会まで引き続けられる方が稀である。


 過ぎるのは、彼の言葉と今までの練習の日々だ。押し寄せるプレッシャーを指先に反映させない。それは簡単なようで難しい。弓において表情が一定な遥であっても、その心中は穏やかなものばかりではなかった。人並み以上に緊張感はあるし、不安が押し寄せることもある。それを跳ね除ける実力があるというだけで、何も感じないわけではないのだ。


 「ふぅーーーーーーーー……」


 大きく息を吐き出して空を見上げれば、いつかの青空と重なって映る。その瞳の先には常に彼らがいた。


 「遥ーー!!」 「おめでとう!!」 「やったな!!」

 「…………ありがとう……」


 仲間に囲まれ、ようやく安堵の息をつく。


 試合に出る度に感じていた孤独感が薄れていく。弓に集中していた遥にも、仲間の声援はしっかりと届いていた。

 周囲の音が消え去る程の集中力を発揮したのは、彼らや年長者と引く機会だけだと気づく。


 ーーーーーーーー届いた…………


 晴れ渡る空を見上げ、ようやく辿り着いた場所にそっと息を吐き出す。緊張感が少しも出ていなかった遥であっても、平常心を心掛けていたに過ぎない。そう努めようと、向き合ってきたに過ぎないのだ。


 「……すごいな……おめでとう……」

 「ありがとう……」


 自身の事のように喜びを露わにする仲間に囲まれ、実感する。


 …………やっと、届いたんだ…………


 潤みそうになりながらも笑顔で応える横顔に、中等部の頃に思い悩んでいた姿はない。まだ引ける現実に鳴りながら微笑んでいた。


 『おめでとう!!』


 一番に知らせた彼からメッセージが届き、瞳が潤む。


 『頑張ったな』


 声援を力に変えてと言うのは簡単だ。ただ必ずしも後押しになるとは限らない。プレッシャーを感じる場面を何度も経験した遥だったからこそ、耐えられるようになった視線であった。期待を寄せられ喜ぶ者もいるが、彼女に限ってはありがた迷惑といえるだろう。加速する心音に周囲の声が届かない時期もあったが、それが分かるのは蓮や満くらいであった。


 続く大会では、安定させることが最優先事項。

 少しの感情の起伏で、手元が大きく狂うことは分かっているけど……


 思い通りに行かない日々があったからこそ、心がけているに過ぎない。

 最初から皆中が当たり前だった訳ではない。初心者にしては上手だったが、あくまで初心者にしてはだ。体格のいい子供の方が弓に早く触れる事ができるし、その分だけ真摯に取り組んでいれば上達も速い。まさに満と蓮が、彼女にとって圧倒的な強者であった。性別は関係なく、年齢の分だけ先に引けるようになった二人に、簡単に届くことはなかった。それは、二人に弓引きの才能があったからに他ならない。その証拠に中等部に入学してからの遥にライバルらしいライバルはなく、優勝が当たり前になっていたのだから。


 見慣れた景色に息を吐き出す。数ヶ月前までは二人で使っていた道場に彼の姿はない。順当に結果を残す彼女であっても想いは募る。


 深く息を吐き出して的を見つめる横顔に、先ほどまでの憂いはない。ただ弓に集中する事だけを考えているのだろう。二年前も同じような経験をしていたが、あの頃とは違い物理的な距離は遠い。

 的に中る難しさを知っていながら忘れられていき、比較する事すら諦めていく者も確かにいた。道場において圧倒的な存在感を放つ彼女であっても、まだ十代の少女だ。


 「ーーーーーーーー蓮……」


 溢れた言葉に、スマホのメッセージを見つめなおせば頬が緩む。弓と真摯に向き合っていた強い眼差しとは異なり、染まった頬が初々しい。


 タイミングを見計らったかのように振動すれば、ディスプレイに彼の名前が表示されていた。


 『遥、おめでとう!』

 「蓮……ありがとう……」


 潤んだ瞳がここまでの道のりを物語っていた。弓道がすきな彼女であっても、それだけで戦い続けられる事はできない。離れて初めて知ったのだ。離れられない理由も、これからも続けていきたいという想いも。


 『また……帰省する日が決まったら連絡するから』

 「うん……楽しみにしてるね」

 『……うん……』


 短いながらも変わらない声に安堵しながら、これから迎える大会が脳裏を過ぎる。


 『……最後の夏だな……』

 「うん……」

 『……負けるなよ』

 「うん!」


 珍しい言葉が自身の為であると分かる。それは三年前にも確かに聞いた言葉であった。


 高校生にとって最後の夏が始まろうとしていた。

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