第六十五話 足跡
ーーーーーーーー二人の跡を辿っているみたい。
私は…………
「案内するので着いてきて下さい」
『はい!』
部長の村松に連れられ、遥たちにとっては三度目になる合宿が始まった。
「ハルちゃん、自由時間は一緒に引こうよ」
「うん、稔は寮生活?」
「そうだよ。やっぱり試してみたくてさーー」
「そっか……」
近い距離感は従兄弟だからであるが、その事実を知る者は同年代には少ない。むしろ先生方のほうが、弓道一家でもある神山家については詳しいだろう。
自由練習になれば、有言実行するかの如く稔が歩み寄った。その表情からも楽しみな様子が見てとれる。
「ハルちゃん、組んでもいい?」
「うん、私はいいけど……決まった相手がいるんじゃないの?」
「いいじゃん、ちゃんと許可は取ってるし。こんな機会じゃなくちゃ引けないんだから」
「うん……」
距離感の近さは蓮や満並みである。従兄弟と知らなければ、恋人同士の距離感ともいえるだろう。
お盆や正月に毎年のように会っているが、それだけではなく歳が近い事もあって仲が良い。学区が違うこともあり年に数回顔を合わせる程度だった。稔に限っては寮に入った事もあり、その機会は一見増えそうにみえるが、部活動中心の生活には変わりない為、毎週末に会うという事はないだろう。
断る理由がなくなり頷いて応えれば、稔が態とらしく口を開く。
「ーーーー勝負するでょ?」
「うん!」
兄の満を含め、遥の周りには勝負事に強い面々が揃っている。遥自身も緊張感が伝わらない事もあり心臓が強く見られているが、それもその筈だ。次々と放たれる矢は安定感を保っていた。
揃って響く弦音も、整った射形も、つい手を止めて見入ってしまうほど惹かれるものがあったが、本人たちにとっては変わり映えのない音であり、射形だろう。整っている事が当たり前である。それは幼い頃から弓に触れていた事が、色濃く反映されているからだろう。
「……同中だね」
「違うじゃん!」
「えっ?」
「中白!!」
思いきり詰め寄られ、思わず後退りだ。負けず嫌いは神山の血筋だけではないだろう。中白に中る本数は確かに遥が上回るが、そこまで勝負を挑む者はいない。相手になるのは蓮や満くらいだ。
八射皆中するだけでも容易ではないが、当たり前のようにやってのける。継続だけで届くものではなく、勘の良さも発揮されていた。
「稔は……」
「遥ーー、こっちだって」
「う、うん……稔、またあとでね」
「うん、次は負けないから!」
「うん、ありがとう……」
手を振って分かれ、チームメイトと接する横顔は楽しそうであった。
「ーーーーハルちゃん、らしくなってきたじゃん」
らしくない時期を知っているからこその言葉だろう。
従兄弟の凄さは身をもって知っていた。祖父に教えて貰ったからと、ここまで簡単に引けるようになるものではない。正射必中を体現するような彼らに向けられる視線は様々で、全てが好意的ではないだろう。それでも取り乱す事なく、真正面から向き合う姿は誇らしかった。自慢の従兄弟だ。
「また皆中かよ……」 「やば……」
「さすが神山だよなーー」 「すごいね……」
言葉を失うとは、こういうことかもしれない。
言葉を失うほどの瞬間に出逢ったのは、あの音を聴いた時だろう。耳を澄ませなくたって聞こえてくる。弦音も、弓返りも、他人を寄せ付けない強さだった。
「……また決まった」
「あぁー」
感嘆も羨む視線も、何も他校に限ったことではない。チームメイトからも声が上がるが、思わず漏らすと言った方が正しいかもしれない。漏らさずにはいられなのだ。同級生であれだけの的中率を出せるものは少ない。そして公式戦で皆中しか出さないとなれば、驚かずにはいられないだろう。
「……近いな……」
「稔、次来るぞーー」
「うん!」
彼は遥の射に遠い記憶が蘇っているようだった。
次々と矢を放ち、場内に音が響く度に視線が集まる。それは風颯学園の村松と遥だ。両校とも部長の射は別格だ。
一つも外さない彼女も、強豪校の部長になるだけの実力を持つ村松も、他者を寄せ付けない強さだろう。また全国制覇を果たすと、前評判が高いほどに抜きん出ている。
十二射皆中した所作とは違い、遥は安堵したように息を吐き出していた。チームメイトに微笑みながらも、自身に納得がいっていないと、稔には想像がついた。的を見れば明らかだ。先ほど稔との勝負よりも、中白への的中率が落ちている。
注目される度、自身を奮い立たせながら勝ち進んできたが、今年は違う。彼らのいない一年間だ。中等部の頃に感じていたよりも、より大きな存在となった彼を想い浮かべずにはいられないのだろう。
試合形式のトーナメントから自由練習と、皆中が当たり前の彼女が外す事はない。先ほど一時的に落ちた中白への的中率も今は持ち直している。
一長一短では辿り着けない高みを目指す彼らとは違い、稔は高校までと決めていた。日本の武道が幼い頃から間近にあったからこそ、自身の技量を分かっていた。並以上にはある程度の努力で叶う。少し練習すれば持ち前の器用さも相まって、一通りの事がスムーズにいく。
そして、弓道だけは従兄弟には敵わない。歳の差が理由ではなく、体格の小さな女の子に負けた事実が、今も胸に残っているからだろう。なにも遥が最初から強者だった訳ではない。兄や蓮に負け、一足先を進んでいく彼らを羨んだ事くらいある。それでも諦めずに努力してきたからこその今の強さだ。
一時でも離れていたとはいえ、彼女が練習を欠かした事はない。弓は常に一心同体のようでもあった。弓引きとしてのあるべき姿を模ったのは、間違いなく祖父、滋の影響だろう。特有の音に魅入られ、楽しさも厳しさも共に学んでいった。
「やっぱ、凄いなーー……」
試合中に観戦した事はあっても、練習中の射を見る機会は中学生になってから無くなった。学区が違うのは勿論、比較される事にも辟易していたのかもしれない。
「……これだから、やめられないんだよ」
たった一射の差で勝敗がつく。的を見れば明確に分かる差だ。高校で辞めるつもりの稔が風颯に入学した意味はあった。従兄弟の強さもさる事ながら、部長のように彼らから引き継ぎ、連覇を目指そうと切磋琢磨する。強者にしか分からない景色を見る価値は確かにあった。
練習試合でありながら、試合と何一つ変わらない所作と的中率。どのくらいの確率で試合も同じように引けるのだろう。それすらも、努力が全て身を結ぶと約束されている訳ではないのだ。
「遥、やったね!」
「うん……」
素直に喜ぶ美樹に頷く。ようやく風颯と同等の立ち位置になったと言っていいだろう。五つ並んだ的に視線を移し、一本多い現実に高鳴る。遠い存在だった風颯に近づけた証だ。それこそ全国団体唯一の県内の切符を手にした時と、同じような感情であった。
翌朝もいつもと同じく早く目覚めた遥が校庭に出れば、稔が準備運動をしていた。
「ハルちゃん、おはよう」
「おはよう、稔……」
人懐っこい顔で近寄ってくる従兄弟に頬が緩む。考える事は同じようで、揃ってジョギングだ。
話しながらでも余裕のペースという事もあり、懐かしい話に花を咲かせながら進んでいく。
「蓮くんとは連絡とってるの?」
「うん、みっちゃんと夕飯よく一緒に食べてるみたいだよ」
「へぇーー、みつ兄たち自炊できるの?」
「頑張ってるみたいだよ?」
「そっか……」
共通の知人もいる為、話の流れに不自然さはないが、稔に限っては確かめたかったのだろう。
「ハルちゃんは副部長と仲良いの?」
「翔? 去年まで同じクラスだったから、仲がいい方だとは思うよ?」
「どんな人?」
「うーーん、努力できる人? 稔が気にするなんて珍しいね」
「まぁーね。俺の世代ではライバルらしい人はいないから」
「そう? 今年の一年生もなかなか強いと思うけど」
「まぁー、そうだけどさーー」
察していない様子に安堵しながら会話を続ける。従兄弟ということもあり尽きる事はない。
手を振り戻っていく遥を見送り、そっと溜息が漏れる。
「……ハルちゃんがあの調子じゃね……」
スマホが鳴り、メッセージを読めば思わず緩む。
「…………二人とも、タイミング良すぎ……」
憧れの背中を追うように、稔も自身のチームメイトの元へ歩いていった。
何度も対戦を繰り返すうちに、緊張感は多少なりとも薄れていく。それでも風颯学園に勝つのは至難の業だ。特に男子代表は、一度も勝てずに最後の試合を迎えていた。
次々と放たれる矢が届くようにと願いながら見守る。全国四連覇は伊達ではない。今の部長の村松も全国クラスの選手であり、蓮から受け取ったバトンを確実に繋いでいた。
ただ彼らの進化は痛いくらいに感じていた。三年前は無名の高校、二年前には地区内で知らない者はいなくなり、今では女子個人の優勝者が在籍するだけでなく、女子団体戦の全国大会の切符も手に入れた。
昨年までは風颯に敵う高校は皆無だったが、清澄の知名度も上がり今後はどうなるか分からない。とはいえ風颯の布陣に偏りはなく、安定さを保ったまま引き続けた。部長に限っては五試合中の外れは、たったの一本だ。狙って出来るものでは無いが悔しさが滲むのは、彼女が一本も外していないからだろう。
女子の的には変わらずに四本中り続けていた。風颯の的中率が決して悪いわけではない。たった一本が勝敗を分ける。彼女には勝負強さが備わっていると言えるだろう。羨望の眼差しを向けない訳がない。尊敬すべき先輩の妹という事を抜きにしても別格であった。
「また清澄の勝ちか……」
「ああ、惜しかったな」
追うよりも追われる方が精神的な負担は大きいだろう。最後の一本は落ちにかかっていた。彼女が中れば引き分けだったが外し、遥は変わる事なく中てた。練習試合とはいえ、自身にかかるプレッシャーをものともしないように映る。それこそが彼女の強さを決定づけていた。
結果、彼女は二日間の合同合宿を通して一度も外していない。それを気にしていたのは村松や稔、チームメイトの翔や陵くらいだろう。吸い込まれるように放つ姿は、満や蓮のようであり、他者を寄せ付けない強さを誇っていた。
抱きつく美樹に笑顔で応える遥は、また的に視線を移す。その横顔は、一歩先を進む彼らに追いつくようにと願っているようだ。
……………………うん、大丈夫…………
不安に駆られながらも、引き続けた結果に安堵していた。