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第六十四話 願望

 緊張しない時はない。

 試合はいつだって独特の空気感が流れていて、言葉にならないことの方が多い。

 圧倒的な存在感を放つみっちゃんと蓮に、見惚れる人たちは数多くいた。

 きっと、今も…………


 試合前にナーバスになるのもよくある事だ。頭では分かっていても切り替えるのは容易ではない。だからこそ弓に触れ、落ち着くように促すことが日課となっていた。


 四人の音を聞く度、近づいてくる距離感に鳴る。遥の放った矢は確実に的を捉えていた。


 「すご……」

 「うん……吸い込まれていくみたい……」


 そう後輩が表現した通り、吸い込まれるように心地のよい弦音を響かせながら中っていった。


 「ーーーーっ、遥!!」


 思い切り抱きついてきた美樹の背中を撫でる。遥を中心に輪ができて喜び合う。彼女達に羨ましげな視線を向けるのは主に団体出場の男子達だ。


 「凄いな……」

 「あぁー、ハルだけじゃなくて、加茂も頑張ったな」

 「あんなに緊張してたのに、凄いなーー……」


 三年生のチームに唯一参加の加茂の頑張りもあり、女子団体は勝ち進んでいった。


 『おめでとう!!』

 「蓮、ありがとう!」


 スマホに映る姿に揃って微笑む。側にいられないからこそ連絡は毎日のように取り合っていた。側から見れば遠距離恋愛も順調といえるが、当の本人たちには淋しさが押し寄せるだけだ。特に通話を終えた直後は、揃って溜息が出てしまう程である。


 明るい口調で応えた遥も、黒くなったディスプレイに気分も染まっていくようだ。


 「…………まだ引けるんだよね……」


 一度も進めなかった全国大会に、団体でも出れるなんて…………


 落ちていく気分を振り払うように、スマホのメッセージに微笑む。


 昨年までこの時期には引退していた三年生が、全国の舞台に立つ。それだけで高鳴るのは部員だけでなく、藤澤や一吹もだろう。長年顧問を勤めてきた藤澤にとっては念願の全国大会であり、憧れの舞台だ。部活動をしていれば必然的な目標となり一つの成果でもある。


 ただ彼女に限っては根本が違った。ただ純粋に引けるだけでよかったのだ。勝負のない世界で、ただ永遠のように引き続けられる事を、彼らと同じ場所で引ける事だけを願って進んできた。

 中りを求めず射形を整える。それは簡単な事ではなく、ましてや一長一短で辿り着けるような場所でもない。彼女の祖父がいた場所は遙か高みにあり、並大抵の努力だけで届くような場所ではないのだ。


 理想と現実が違う事は藤澤自身がよく分かっていた。彼はようやく七段に辿り着いたが、その道のりは並大抵の事ではなかった。

 それよりも高段者である祖父をもつ彼らもまた、並々ならぬ練習を繰り返してきた。地味な練習ほど単調でつまらないものだが、それすら感じる事がなかったのだろう。練習し続けられる事ももはや一種の才能である。『努力のできる天才』とは、よく言ったものだ。


 「ーーーー蓮……ありがとう……」


 そっと呟き、決意を新たにする横顔から憂いが消えていた。


 負けたら終わりの団体戦は一つ進むだけでも難しい。対戦校より一本少ないだけで勝負がつく。

 入部当初は団体出場できる戦力も、人数も足りなかった清澄はいない。


 「県大会優勝、おめでとう!!」

 「横断幕見たよーー!」 「凄いじゃん!!」


 次々と声をかけられ、今までなら曖昧に微笑んだであろう遥も、団体で残れた事を何よりも喜んでいた。そこには純粋な喜びだけが残っているようだった。


 「ありがとう……」


 引っ込み思案を発揮しがちな遥も、友人の言葉に応える。校門から振り返れば、大きな横断幕に頬が緩む。

 入学当初は自身もこうなるとは少しも思っていなかった。ただ、美樹と再会した日から全ては始まっていたのだ。


 「遥ーー、行くよーー!」

 「うん!」


 美樹に呼ばれ、一歩を踏み出す。増えていった仲間に頬を緩ませ、振り返る。変わらない想いが確かにある事を。


 全国の切符を手にした遥たちがいる一方で、男子団体はあと一歩が届かなかった。村松率いる風颯学園が県大会優勝であった。

 風颯学園が毎年のように県の代表として出場する全国の舞台。三部地区の頂点に立たなければ出場できないのだから並大抵の事ではないが、その偉業を満と蓮はやってのけた。いくら全国クラスの学校といえど毎年のように出場するだけでも難しく、それだけでも凄い事だが、それが優勝ともなれば偉業と呼べるだろう。全国から集まる猛者の頂点に立ったのだ。それも四年連続ともなれば、個人戦の覇者も注目の的になる。二人を取材する記者がいたように、並大抵のことで辿り着ける場所ではない。


 東海高校総体は全国大会前の前哨戦のようなものでもあった。ここで優勝できなければ、少しでも長く引く事は叶わない。遥の目標はあくまで部のみんなとの団体戦だ。彼女の力で乗り切れた今までとは違い、格段に厳しい戦いになるだろう。

 三年前までの清澄高校は予選はおろか、東海大会にすら出場が叶わなかった。部員数も少なく、団体に出場できない年もあった。彼女たちの世代から明らかに変わっていった。藤澤の言った再生を果たしたと言えるが、彼女自身は物足りないのだろう。少しでも長く引くという事は、最後まで残るという意味だ。決勝の舞台まで引き続けられる実力は、平常心を保てば叶わない遠い夢ではない。

 一吹コーチの指導が加わり、飛躍しただろう。団体に出てなお、余る生徒がいる程に部員が増えた。喜ばしいきっかけを作った張本人は変わらずに微笑み、入部当初から何も変わっていない。部活動としての弓道を辞めようと思っていたとは思えないほどの中りだった。その横顔からも、弓が好きなことは一目瞭然であった。


 「ーーーーーーーー遥さんなら……届くでしょうね……」


 小さな呟きの意味が一吹には分かった。最高段位に最年少でなった神山滋たちの記録を抜くのは、孫たちかもしれないという事だ。

 目の肥えた弓引きになら、竹弓を使いこなすだけでなく、その音も所作も、全てが別格であると気づくはずだ。ある者は弓を辞め、ある者は追いつこうと努力を重ねる。遊ぶように習得していったというが、単なる遊びであそこまでの的中率が生まれるはずがない。道具にすら気遣う彼女は、弓引きとしてあるべき姿だった。


 「やったな!!」

 「うん!!」


 陵と美樹が抱き合って喜びを露わにすれば、釣られるようにハイタッチを交わす。今に始まった事ではないが、三年生の仲の良さを再認識させられるような場面だ。男女別の試合であっても、お互いに応援し合う姿は他校でも見られるが、それでも清澄ほどではない。狭い道場を共有してきた事も仲の良さを作ってきた要因の一つかもしれない。


 叶えたいことだった…………引き続けられたら、少しは変わる気がした。

 入部した頃よりも強くなった。

 強豪校との練習は確実に糧になっていった。

 見て学ぶ事はたくさんある…………いつだって、先に進んでいく射に憧れていた。

 個人戦に出るよりも、もっと…………


 心地よい弦音に惹かれるかのように思わず視線を移す。それはチームメイトに限った事ではなく、他校生にも多数見受けられる。三年生になり彼女の名前を知らない者はいないからだとも言える。数少ない竹弓の使い手であり、個人戦二連覇を果たした彼女は、自身が思っているよりもずっと注目の的だ。風颯に在籍していた満の妹と周知されている事もあるが、地区内で負けなしという事も関係していた。遥の成績だけを見れば、公式試合で外した事は一度もない。団体を含め、彼女が外す事はなく、部員の記憶にあるのも松風一夫との勝負くらいで、普段の練習でも一度たりとも無い。


 「遥! おめでとう!!」 「皆中じゃん!!」

 「ありがとう……」


 数分前の凛とした横顔ではなく、部員もよく知る穏やかな部長の笑顔だ。一目散で駆け寄ったカップルとハイタッチを交わし、残れた事を実感した。周囲にそう見えなくとも、自身は緊張していたのだ。


 「ーーーーやっぱり強いな……」

 「稔、どうした?」

 「ううん、また引けるね」

 「だな!」


 チームメイトと喜び合う稔にとっても、従兄弟は目標の一人であった。


 変わらずに道場に立ち寄った遥は、的に向けて放つ。辺りに響く弦音が高鳴りを整えていくようだ。背筋を伸ばし、凛とした横顔から放たれ、中っていく。


 「ーーーーあっ……」


 耳元にスマホを寄せれば、優しい声が染み込んでいく。


 『遥、優勝おめでとう……頑張ったな……』

 「…………うん……」


 潤む瞳に声が震える。個人戦はある意味では孤独な戦いであり、全国二連覇の彼女に向けられる視線は多くあった。ただでさえ独特の緊張感が流れる中、平常心を保つのは難しい。些細な指先のブレが、的から大きく外れる事に繋がる。自身が一番よく分かっているからこそ、溢れ落ちる。


 『……次も、楽しみだな』

 「……うん!」


 敢えて口にした言葉に勢いよく頷く。楽しめるようにと願いながら。


 「今年も合同合宿があります」

 「やったーー!!」


 勢いよく応えたのは案の定、青木だ。合同合宿も今年で三度目になるが、強豪校との練習はそれだけで価値がある。強者との対戦は簡単に叶う事ではない。現に申し込んでも断られる高校はいくつもあった。それこそ清澄よりも好成績を残してきた高校もあったが、今では県を代表して全国まで進むまでになった為、文句のつけようもない。

 

 今年も練習試合をする事となり、部員の気合も増す。不慣れな一年生だけは驚きの表情を浮かべていたが、穏やかなままの部長の横顔に平常心を取り戻していった。


 「ーーーー楽しみだね」

 『うん!』


 緊張感を微塵も感じさせず応える三年生に勇気をもらっていたのは、一年生だけではなかっただろう。変化に慣れない二年生もまた、変わらない先輩たちに高鳴る胸を押さえているようだった。

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