表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/83

第六十話 春寒

 道場の桜を眺め、空を見上げ微笑む。


 「ーーーーいってきます……」


 蓮の言葉を反芻させていた。


 待ってもらえられるような私でいたいから…………それに、また出来るなら、三人で引きたいから……


 「見学は自由ですよーー!!」

 「これから、矢渡しの演武を行います!」


 二年生の声かけが場内まで聞こえている。


 「遥、行ける?」

 「うん!」


 美樹に頷いて応えた遥は、艶やかな着物に襷姿だ。昨年と同様、新入生勧誘の為の演武である。


 まっすぐに的を見据え、弓を引く。簡単なようで難しい所作だが、素人目には分からない。それほどスムーズな動きで澄んだ音が響く。


 「ーーーーすごい……綺麗……」

 「うわぁーー……」 「すご……」


 周囲から感嘆の声が上がり、拍手が送られていた。


 正しい所作で放たれた矢は、中白に中った。

 矢渡しを終えた遥は、そっと息を吐き出す。その視線は何処か遠くを眺めているようだ。


 「この後は男女別に弓を引くので、ぜひ見学して下さいね!」


 張りのある声に、遥は微笑んでいた。


 ーーーー去年も部活勧誘の一環で、矢渡しはしたけど……あれから、また一年経ったんだ……


 駆け巡る想いを振り払うように、いつもの袴姿になると、団体戦のように五人が並ぶ姿に心が動く。


 「あっ、さっき入り口にいた人だ!」

 「かっこよかったよねー……」


 真新しい制服の浮き足立つ声が止む。初めて目にする者にとっては、そこだけが違う空間に思えた者もいる事だろう。次々と放たれる矢は圧巻である。

 

 拍手が起こる中、入れ替わりで遥たちが並んだ。


 「さっき、着物で矢渡ししてた人だ!」

 「本当だ! また見れるんだね!」

 

 思わずにやけ顔になるのは、誘導していた二年生たちだ。


 「部長、やっぱりすごいね」

 「あぁー、綺麗だったもんな」

 「うん!」 「だよな!」


 美樹から順に放たれていく音に、遥は耳を傾けていた。周囲の喧騒は届いていない。ただ、いつもの所作を心がけたまま引く。集中力の高まっている状態だ。


 「ーーーー負けてらんないな」

 「あぁー」


 そう口にした陵に、皆頷く。いつもとは違いギャラリーの多い中、変わらずに四射皆中する姿は理想的な射手の姿だった。

 

 「みなさん、お疲れさまでした」

 「お疲れさまです!!」


 元気に応える姿に、藤澤の目が細まる。

 この三年で、道場にかつてのような活気が戻った。大きく貢献している者は誰から見ても明らかだが、当の本人は緊張から解放され安堵した様子だ。


 「ーーーー終わったね……」

 「うん、お疲れさま!」

 「お疲れさま」


 にこやかに応え、安土に視線を移す。始まったばかりの現実に、打ちひしがれる事なく微笑む。


 また……始まるんだ…………最後の大会が……


 「遥ーー! さっそく入部者がいるよ!!」

 「やったね!」

 「うん!」


 勧誘日から入部者がいるのは、実績を多く残しているバスケ部くらいだ。弓道部もこの二年で実績があるとはいえ、これまでが弱小だった事もあり、藤澤が顧問を務めて以来、初めてのことである。


 「ーーーー本物だ……」

 

 彼女の視線の先には遥がいた。


 「ちょっと、モモちゃん!」

 「あっ……」


 口に手を当て、思わず漏らした本音に頬が染まる。


 「ーーーー本物?」


 穏やかな声で話しかけられ、ますます赤くなっていく可愛らしい姿に、場内は和やかな雰囲気だ。


 「あの……私…………遥先輩の射を見て、始めたんです!」

 「ーーーー私?」

 「はい! 三年前、個人戦三連覇してますよね?! あの時の射がすごくて!!」


 羨望の眼差しを直に感じ、思わず視線を逸らしそうになりながらも、そっと微笑んでみせる。


 「ーーーーありがとう…………二人とも、中学から引いてるの?」

 「は、はい!!」

 「先輩と、一緒に引きたくて……あの、今から……引いて貰えますか?」


 戸惑って周囲に視線を向ければ、的が用意され準備は整う。


 「ーーーー四射でいい? あとは……部活の時にね」

 「は、はい!!」


 二人は顔を見合わせ、嬉しそうなまま弓を握った。彼女たちから放たれた矢は、吸い込まれるように中っていった。


 ーーーー懐かしい……こんな風に言われることは、今までにもあった。

 みっちゃんの……妹だから…………


 そっと息を吐き出し、まっすぐに見据え放つ。

 ぶれる事なく中り、中白を中心に四射皆中に対し、二人は四射二中だ。最初の勢いからの失速は、明らかに弦音に呑み込まれたようだったが、二人とも嬉しそうに頬を緩ませる。


 「ーーーーっ、ありがとうございます!」

 「ありがとうございます……感激です……」


 オーバーなリアクションに戸惑いながらも微笑む。


 「…………これから、よろしくね」

 『はい!!』


 仲の良さが、私にまで伝わってくる。

 それに、本当に……弓がすきなんだ…………


 「私たちも、遥を見て始めたんだよ?」

 「先輩達もですか?!」

 

 反応の良さに、真由子と奈美は顔を見合わせ嬉しそうだ。


 「ーーーー塚田つかだ理沙りささんと、大石おおいし桃子ももこさんですね」

 『はい!!』


 藤澤にも変わらずに屈託のない笑みを向けた。


 「ーーーー大石って……」

 「はい! 大石隆は、私の兄です!」

 「兄妹きょうだいで弓道やってるんだなー」

 「はい、珍しいですか?」

 「いや、遥のところもそうじゃん?」

 「う、うん……」

 

 話を振られ頷いてはいるが、驚いていた。ここまでストレートな好意は滅多にない。それが先輩の妹ともなれば尚更だ。


 隆部長の妹さん……そう言われると、少し目元が似てるかも……


 「失礼します!」


 道場に勢いよく入ってきたのは、新一年の男子生徒だ。


 「ーーーーあれ? 遠藤えんどう?」

 「お久しぶりです!」

 「何? 陵の知り合い?」

 「あぁー、俺らの中学の後輩」


 陵の後輩という事は、翔と青木の後輩でもある。親しげに頭を撫でる陵に、上下関係の良さが分かる。


 「うわっ、本物だ!」

 

 大石と同じ反応に笑いが起こるが、言われた本人は不思議そうな表情だ。


 「俺……間近で見たくて、清澄にしたんですよ!」

 「ーーーー遠藤くん、よろしくね」

 「は、はい!!」


 遥が差し伸べた手を勢いよく上下に振る。感激した様子の遠藤に、戸惑いながらも笑みを見せた。


 あの頃の射を……見てくれている人がいたんだ…………


 駆け巡る想いに、無意識に胸元に手を寄せた。道着の上から触れた指輪に安堵しながら。




 中等部に入学した頃の私は、毎日……必死だった……

 急に大人になった二人に、追いつけないような気がして……ただ夢中になって、引き続けた。

 追いつきたくて……ただ、そばにいたくて…………


 心地よい弦音を響かせ、まっすぐに前を見据えた。五つの的には全て四本の矢が中っている。


 「ふぅーーーー……」


 はらはらと舞い散る花弁に、現実を思い知る。


 「…………蓮……」


 思わず口にした名前に、自身も驚いていた。


 ……私……こんなに…………


 タイミングよくスマホが鳴り、頬が緩む。


 『ーーーー遥、進級おめでとう』

 「ありがとう……蓮…………」

 

 言葉に詰まり、押し寄せてくる。彼も同じような想いなのだろう。揃って、無言のまま耳を傾ける。


 「…………蓮?」

 『うん……遥は、道場?』

 「うん……」

 『気をつけて帰れよ?』

 「うん、ありがとう……蓮は、もうお家?」

 『うん……』


 そばに感じる声に染まりながら、頬が緩む。


 『週末は満とゲームする事になりそうだな』

 「楽しみだね」

 『まぁーな、対戦ものは勝てるといいけどなー』

 「みっちゃん、容赦ないからね」


 なんてことない日々が、どんなに特別なことだったか分かる。

 声を聞くだけで嬉しくて……顔が見れないことが淋しい。

 今に始まったことじゃないのに……やっぱり慣れなくて、きっと……これからも、慣れることはないのかもしれない。


 『ーーーーまた電話するな』

 「うん、またね……」


 まだ耳に残る言葉を反芻させ、スマホを握った。今、この瞬間にも、此処で過ごした日々が脳裏を過ぎる。


 「ーーーーーーーーよし!」


 気合を入れ直すように声を上げ、一人になった道場を出て行った。


 これからは、今が当たり前になるんだよね……


 「……ただいま」

 「おかえりなさい」


 道着のまま帰宅した遥を出迎えた母に、微笑んでみせた。


 ーーーー大丈夫…………あの頃よりも、蓮と繋がっているから……




 チャイム音に扉を開ければ、幼馴染で親友の満が顔を出す。


 「……お疲れさま」

 「お疲れー、今日の新歓、早く抜けただろ?」

 「そう? 普通じゃない? 和田わだも抜けてたし」

 「ったく、相変わらずだなー」

 

 そう言ってお菓子と共にコントローラーを取り出した。


 「満……今日は九時までだからな?」

 「分かってるって」


 お互いの部屋を行き来し、どちらかの家で夕飯を一緒に食べる事がほとんどだ。四月にも関わらず手軽さと美味しさが相まって、鍋が夕飯の定番になりつつある。

 

 「ハル、何だって?」

 「奈美ちゃんと小百合ちゃん、それから雅人くんと同じクラスになれたって」

 「そっか……」

 「うん……って、何で分かったんだ?」

 「顔見れば分かる」


 断言されれば、それ以上の追求は出来ない。表情があまり変わらないと言われがちな蓮でも、彼女の事に関しては別で、親友には丸分かりのようだ。


 「ーーーーさっそく、新入部員がいるって」

 「へぇーー、よかったじゃん」

 「うん……」

 

 素直に頷きながら連打しているが、手元の激しさとは違い心中は穏やかだ。

 

 「……また、練習、試合、するか、もな」

 「あぁー……って、あーーーー!!」


 ゲームオーバーの音に項垂れる満と喜ぶ蓮の間に、一年のブランクはない。

 勝負をしていたかと思えば、協力プレイでクリアを目指しながら夜が更けていった。






 『おはよう、遥』


 同じような時間帯にくるメッセージに鳴る。遥が同じようにスタンプと共に返せば、蓮もまた頬を緩ませた。


 「ーーーー最後の大会か……」


 昨年を振り返り、連覇した時の感動が蘇る。そして、まだ始まったばかりの生活にも弓道がいた。

 習慣の早起きは道場へ行く代わりに、満とのジョギングが日課になりそうだ。


 まだ冷たい風が頬に触れる中、無意識に空を見上げた。それは、彼女がよくする仕草だった。




 ーーーー最後の大会かー……一人で出場する最後の大会は、これで二度目。

 中等部の頃よりも、少しは成長しているかな……


 晴れ渡る空を見上げ、また春が来たことを実感していた。彼が側にいない季節がきたことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ