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第五十九話 明日

 早朝から弦音が続けざまに響く。二人にとってはウォーミングアップのように、当たり前のように八射皆中した。


 「ーーーー行くか」

 「うん!」


 矢取りを終え、整えた道場を揃って出て行った。


 弓具や道着を持ち電車に乗り込むと、車窓から変わる景色に心も弾んでいく。


 「……じいちゃん、楽しみにしてた」

 「私も楽しみ……段位持ちのクラスで、見てもらえるんでしょ?」

 「うん」


 楽しそうな横顔に、蓮の頬も緩む。


 数分前までは楽しく話をしていた二人も、蓮の祖父、一夫が指導する道場に着くと、真剣な表情に切り替わる。一歩踏み入れれば、そこは憧れの場所だ。


 「ーーーーおはようございます」

 「よろしくお願いします」

 「おおー、来たか」


 気さくな反応に、顔を見合わせ苦笑いだ。二人には師弟関係の接し方でも、一夫にとっては指導中でなければ可愛い孫たちである。


 「先生……もしかして……」

 「あぁー、私の孫の蓮と……彼女の遥だ」

 「じいちゃん!」


 素で声を上げる蓮に、周囲から笑いが起こる。すでに生徒が揃い、練習前のウォーミングアップが終わった所だ。


 「蓮、ハル、準備はいいな?」

 『はい!!』


 重なった若々しい声に対し、生徒の殆どが四十代以上だ。一夫に師事する者は多くいるが、三段以上になるにはそれだけの年月が必要な場合も多く、彼らの方が稀だ。

 生涯かかって辿り着く高みこそ、一夫や滋のような高段位である。


 「ーーーー次!」


 道着になった遥は、指導者の顔をした一夫に何処か懐かしい眼差しを向けた。


 厳しさと優しさを兼ね備えた指導方法は、滋と同じである。二人はよく似ていたからこそ、孫もこうして続けているのだろう。


 背後から感じる視線を受けながら、まっすぐに見据え放つ。正しい所作で放たれた矢は、美しい音を立て吸い込まれていった。


 ーーーー蓮の音が聴こえる。

 ちゃんと響いて、心に届く……背中を押してもらってるみたいに……


 八射皆中を決めたのは、十二人いたうちの半分ほどだ。その中には遥と蓮が含まれていた。


 「ーーーーーーーー上手くなったな……」


 小さく溢した一夫は、強くなっていく二人を眩しげに眺めていた。


 「すごいな……」

 「ええー」


 溢れ出た感嘆の言葉に、一夫は嬉しそうに微笑む。それは、指導中には見せない孫を想う姿だった。


 『ーーーーありがとうございました!!』


 揃って一礼して告げる清々しい姿に、生徒たちは孫や息子を想うような視線を向ける。

 礼儀作法の整った二人は私服姿に着替えると、年頃の少年少女の顔に戻り、道場を後にした。


 「ーーーーお孫さんも、彼女さんも礼儀正しかったな」

 「あぁー、まだ高校生なのに、三段か……」

 「すごいわねー……」


 指導が終われば和やかな雰囲気が漂う。特に長く通う者にとって、一夫は雲の上の存在ではない。談笑する生徒たちを横目に、穏やかに微笑む距離は近い。


 「……いつの間にか、成長しているものだな…………」


 一夫の視線の先には安土があった。彼との想い出が脳裏を過るのだろう。幼い頃から切磋琢磨する彼らの姿を重ねていた。


 「…………もうすぐか……」


 そう呟いた一夫は、一人きりになった道場で弓を引く。そこには一射必中する美しい姿があった。

 



 さっきまで緊張していたから、何だか落ち着かない。

 部活動とは違って……段位を持つ人の射形は整っていた。

 無駄のない綺麗な所作の人が多くて……さすがは、カズじいちゃんの生徒さんって感じがした。

 あれだけの形を保てるようになるまで、私には……どれくらいの時間が、必要になるのかな……


 「ーーーー遥?」

 「うん?」

 「ラザニア、冷めるぞ?」

 「あっ、う、うん……」


 声をかける程、長考していたのだろう。慌ててフォークを動かす。懐かしい味が口の中に広がれば、自然と頬も緩む。

 美味しそうに食べる遥に、彼も嬉しそうにパスタを口に運んだ。

 

 ーーーーみっちゃんと、三人でも……


 「満と……三人でも来たよな」

 「……うん」

 「どうした? 驚いた顔して……」

 「うん……私も、そう思っていたから……」

 「そっか……」


 驚いた様子に蓮が優しく微笑む。共通の想い出話に花を咲かせながら、時間が過ぎていった。


 「ーーーー道場、寄って行かないか?」

 「うん、また勝負する?」

 「そうだな」


 また道着に着替え、的を見据える。

 遥から放った矢は、吸い込まれるように中っていく。お互いの弦音を聴きながら引く姿は、いつもの練習風景だ。楽しそうな雰囲気すら漂う。


 「ーーーー引き分けだな」

 「うん……」


 遥は十二射皆中した的に視線を移した。


 耳に残る弦音……憧れた射手に、少しは近づけているのかな……


 「遥……」


 抱き寄せられ、重なる心音にそっと瞼を閉じる。


 「今日は……ありがとう……」

 「こちらこそ! とっても、楽しかった……」


 見上げれば間近にある瞳に、自分が映り込む。


 「遥……連覇の報告、楽しみにしてるからな?」

 「…………うん……」

 

 胸元に顔を寄せると、蓮の心音が伝わる。


 「……蓮も…………」

 「うん……遥……」


 右手を取られ、顔を上げれば真剣な眼差しと交わる。優しく触れる手に視線を向ければ、薬指に指輪が輝く。


 「……これ…………」


 驚いて視線を戻すと、優しい瞳の蓮がいた。


 「……ありがとう…………」

 「うん……似合うな……」

 「蓮……進学、おめでとう!」


 そう言って取り出した包み紙を驚きながら受け取ると、腕時計が入っていた。


 「……遥、ありがとう」

 「うん……」


 さっそく着けて見せる蓮に、早まる鼓動を抑えるように微笑む。

 考える事は同じであった。側にいられないからこそ、身につけるモノを渡したかったのだ。


 「……東京に連れてくな」


 文字盤に唇が寄せられ、遥の頬が染まる。まるで自分自身にキスをされたような感覚だ。


 「……私も……いつも身につけるね」

 「うん……」


 寄せられる唇に瞼を閉じると、涙が溢れる。


 「ーーーー遥…………」

 「ーーーーっ、待って……」

 

 顔を背け、涙を拭っても溢れてくる。強く抱き寄せられ、優しく触れる背中にまた込み上げていた。


 「…………蓮……ありがとう……」


 離れようとした腕は取られ、耳元に甘い声が響く。視線が合えば、少し頬を染めた蓮がいる。


 「…………私、頑張るね……」

 「うん、待ってる……でも、無理するなよ?」

 「うん……蓮も…………」

 「また……桜、見に行こうな?」

 「…………うん……」


 並んで座り、まだ蕾の桜の木に視線を移した。


 「ーーーー俺……遥の弦音、聴きたい」

 「……うん」


 強い視線を受けながら、まっすぐに的を見据えた。美しい所作から放たれた矢は、変わらずに中っていく。耳に残る音を響かせながら。


 「ーーーーーーーー綺麗だな……」


 眩しいモノを見るような柔らかな視線を向ける蓮に、頬を染めながら微笑む。

 また道場から変わらない弦音が続けざまに響いていた。






 右手の薬指で光るホワイトゴールドの指輪で実感していた。彼が此処を離れるのだと。


 泣かないでいたかったのに……できなかった……心の底から嬉しいのに、やっぱり離れるのは淋しくて…………この指輪が蓮と私を繋いでくれているみたい。


 ネックレスチェーンに指輪を通し、首元が光り輝く。制服から見えない位置だが、彼に言った通りいつも身につけられるようにしていた。

 

 「ーーーー蓮、どうしたの?」

 「これ……」

 「中等部のアルバム? 懐かしいね……」

 「うん、ありがとう」


 手渡されたマグカップを受け取った蓮は、隣で微笑む遥の髪を耳にかけた。少し照れたように視線を逸らす彼女は制服姿だが、蓮が首元から微かに見えたホワイトゴールドのネックレスを見逃すはずがない。


 「ーーーーーーーー遥、もしかして……」

 「ん? あっ、見えてる?」


 視線を感じ首元からネックレスを取り出すと、貰った指輪が輝く。


 「宝物だよ……」

 「そっか……」

 「……蓮も、ありがとう……」

 

 彼の左手首にも、遥の送った真新しい腕時計がいた。


 「うん……明日で、卒業かーー……」


 そう言って大きく伸びをした蓮は、マグカップに入ったミルクティーを飲み干した。


 「うん……明後日には、行っちゃうんだね……」

 「早いな……」


 蓮の合格が決まってからの時間は……早く感じた。

 今日みたいなお家デートだけじゃなくて、水族館とか映画とか……たくさん二人で過ごせた。

 楽しくて、あっという間に……今日……


 「……遥、見送りに来てくれるだろ?」

 「うん……ほとんどの荷物は、もう向こうにあるんだよね?」

 「うん、あとは弓具くらいだな」

 「そっか……」


 淋しさを滲ませながらも蓮の手元に視線を移すと、二人が同じフレームに収まる写真が目に止まる。


 「懐かしい……」

 「うん、この辺とか学祭だろ?」

 「うん……一緒に見て回れて嬉しかったなー……」


 一つのアルバムを寄り添って見る。想い出がたくさんあるのは幼馴染の特権だ。

 肩の触れ合う距離に、桜色に染まりながらも寄り添ったまま話を続けた。


 「遥は変わらないなー」

 「そう?」

 「うん、小さい頃の写真も見つける自信あるし」

 「それは物心つく頃から、知ってるからでしょ?」

 「そうだけどさ」

 「あっ、これ……」

 

 アルバムに挟まっていた押し花に触れ、穏やかに微笑む。


 「もしかして……」

 「うん、蓮がくれた四葉のクローバー」

 「美術の時間に見つけたやつだっけ?」

 「うん……」

 「押し花にしてたのか……」

 「うん、このアルバムに入ってたんだね」

 「遥らしいな」


 色褪せないクローバーには、四葉が欠けることなく揃っている。

 顔を見合わせ笑い合うと、どちらからともなく重なっていた。


 「ーーーーっ、れ、蓮……」


 深くなる口づけに思わず声を漏らす。


 「ーーーーーーーーこれ以上はしないけど……もう一回、していい?」


 心臓が跳ね、真っ赤に染まる頬に優しく触れる。

 遥が小さく頷き、瞼を閉じれば、触れるだけの口づけが離れていった。


 「ーーーー離れ難いな…………」


 蓮の漏らした言葉は共通の想いだ。帰り際はいつも離れ難く、時間だけが無情にも過ぎていく。


 「……蓮…………みっちゃん、ゲームするの楽しみにしてたよ?」

 「それ、引っ越し作業、手伝ってくれた時も言ってたな」

 「また二人が揃うんだね」

 「目指せ、連覇だな?」

 「うん!」


 また、最後まで引いていられるように……


 腕を引かれ、蓮の方に倒れ込むと、頬に唇が触れる。驚いて真っ赤に染まった顔を上げれば、嬉しそうな顔で視界は覆われていた。


 「ーーーー遥、また明日な」

 「うん、また明日ね……」

 「ん!」


 掌を向けられ一瞬で理解すると、部屋に心地よいハイタッチが響いていた。






 「ーーーー蓮は、卒業式かー……」

 

 キッチンから甘い香りが漂う。そう呟いた遥はエプロン姿だ。


 「美味しそうね」

 「こっちはお家用だから、食べていいよ?」

 「ありがとう……また綺麗にラッピングしたわねー」

 「うん……」


 母の言う通り、遥の目の前にはピンクのリボンでラッピングしたマフィンが並んでいる。


 今朝も……一緒に弓が引けて、楽しかった…………

 それが出来るのも、明日で最後。

 また……しばらくは、一人きり…………

 

 スマホのバイブ音に気づき、手早くエプロンを脱ぐと、弓具を持って家を出る。向かうのは朝も訪れた道場だ。


 「蓮、卒業おめでとう!!」

 「ありがとう、遥」


 勢いよく飛び込んだ遥は、ぎゅっと抱き寄せられる。甘い雰囲気が漂いそうだが、二人は的を見据えた。


 続けざまに弦音を響かせ、お互いの音に頬を緩ませながら日が暮れるまでの僅かな間、弓で語り合っていた。




 瞼を閉じれば、今日の射が想い浮かぶ。


 「ーーーー楽しかったな…………」


 ベッドの上で振り返っていた。


 ーーーーこの二年……いろんなことがあった……私、一人だったら続けられなかった……


 『おやすみ』

 

 可愛らしいスタンプとメッセージに頬を緩ませ、そっと瞼を閉じる。


 「…………分かっていたはずなのに……」


 押し寄せてくる感情に、頬をつたう涙。分かっていたはずの現実は優しいモノばかりじゃない。


 目元が腫れないように涙をタオルで吸い取り、眠りにつく。考えないようにすればする程、押し寄せてくる。それは三年前と同じような感情だった。






 「ーーーーーーーーよし!」


 鏡の前で気合を入れ直すと、いつもと同じように道場へ向かう姿があった。


 ーーーーーーーー今日で、最後。


 駆け巡る想いから涙目になりそうになりながら整えた遥は、まっすぐに前を見据えた。呼吸を整え、弓を引く。正しい所作で放たれた矢は、綺麗な音を立てて飛んでいった。


 「ーーーー遥、おはよう」

 「おはよう、蓮」


 明るい声で応え、二人が並ぶと、弦音が続けざまに響く。規則性のある心地よい音は、遥に入学したばかりの頃を想い起こさせた。


 風颯は自由ではあったけど、窮屈でもあった……みっちゃんの射は綺麗で…………だからこそ、比較される度……すり減っていくようだった。

 離れてから、初めて気づいたの。

 何を言われたって、私が二人と引きたいなら……それでいいってこと。

 蓮と一緒にいるのは、幼馴染だからだけじゃなかったってこと。

 すきだからこそ続けてこれたし、すきだからこそ一緒にいたかったんだ……


 「同中だな」

 「うん……」


 まだ引いていたいが、もう時間だ。蓮との別れが遂に来たのだ。


 「……おやつに食べてね」

 

 そう言って可愛らしいチェック柄の紙袋を手渡す。中身は昨日作ったばかりのマフィンだ。


 「遥の手づくり?」

 「うん……」

 「嬉しい……ありがとう……」


 思い切り抱き寄せられ、涙目になりながらも口角を上げた。


 「ーーーー蓮、いってらっしゃい」

 「うん、いってきます……」


 手を振り離れていく手首には真新しい時計が、手を振る遥の指には、陽の光に照らされ指輪がきらりと輝く。


 「…………蓮……」


 遠ざかっていく電車が滲んでいく。愛しい人の名前を口にすると、涙があふれていた。

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