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第五十七話 予兆

 朝から変わる事なく弓を引く二人の姿があるが、今日は日曜日だ。学校が休みの為、家に戻るなり道着から着替えていた。


 「遥ーー、蓮くんが来たわよー」

 「はーい! 今、行くー」


 玄関先で外に出た母と鉢合わせしたのだろう。階段を駆け下りると、同じく私服に着替えた彼が立っていた。


 ーーーー数分前まで、一緒に弓を引いてた時は……平気だったのに……


 「ーーーー遥?」

 「ううん……何でもない……」


 ぼんやりと見つめていたのだろう。名前を呼ばれ、小さく首を振ると、一週間振りに見る私服姿に頬が緩む。


 当たり前のように差し伸べられた手を握り、揃って電車に乗り込んだ。


 「久しぶりだな」

 「うん……」


 久しぶりのデート……だよね。


 彼の左手と繋がったまま、遥は海の世界を眺めていた。


 「ーーーー綺麗……」


 ゆらゆらと漂うクラゲに合わせ、照明が変わっていく。幻想的な空間を作り出していた。


 「……うん、綺麗だな」


 側にある横顔を見つめれば、視線が交わる。


 「……蓮、ありがとう」

 「うん、来れてよかったな」

 「うん……」


 繋がった手はお互いを確かめ合うように、強く握り合う。


 ーーーー二人だけの世界にいるみたい。

 海の底に……いるみたいで…………


 手の温かさを感じながら、目の前に広がる巨大な水槽を静かに眺めていた。


 ……ずっと……こうしていられたら…………


 叶わない事を知りながら、願わずにはいられなかったのだ。


 「……昼にするか?」

 「うん……」


 向き合って座り、シェアしながら食べ始めた。ごく自然な感じで遥が皿に取り分ける。


 「何か……こういうのも久しぶりだよね」

 「そうだな……これから、休みの日は出かけような?」

 「うん! 弓道もするでしょ?」

 「うん、勿論」

 「楽しみだね」


 遥の嬉しさは表情に出ていた。素直に喜ぶ姿に、蓮も同じように微笑む。


 「食べたら、ショー見に行くか?」

 「うん!」


 その後も水族館デートを満喫する二人がいた。

 

 楽しい時間は、いつもあっという間…………蓮といると時間が経つのが早くて……もっと、一緒にいられたらいいのに……


 「……蓮、今日はありがとう」

 「うん、また来週も出かけような?」

 「うん、ありがとう……」


 二人は手を繋いだまま、神山家に向かっていた。

 いつも話が尽きる事のない遥も、彼と過ごす時間を噛み締めるように静かになっていく。


 「……遥、また明日な」

 「うん、また明日ね」


 名残惜しそうに離された手を掴みそうになった遥は、自分の腕を取り、手を振った。変わらない蓮の笑顔に、同じような表情を浮かべたまま家に入った。


 ーーーー今日も、終わっちゃったんだ……

 もっと……ずっと一緒にいられたらいいのに…………一日なんて、あっという間で……もう会いたくなって……


 明日を待ち遠しく感じながら、ベッドの上でコロコロと横になり、スマホに残る幸せそうな写真を眺める。


 ……私……こんな顔してるんだ…………

 写真なんて、そんなに撮ったりしないから知らなかった。


 蓮と並んで写った彼女は、幸せそうな笑みを浮かべていた。


 「ーーーー会いたいな……」


 そう小さく漏らし、彼からのメッセージに頬を緩ませ、瞼を閉じる。


 『また明日な』


 短い文だって、蓮がくれるものなら嬉しい。

 本当はマメじゃないのに、メッセージを送ってくれるのは私の為だって、ちゃんと分かっているよ。






 いつもよりも早く目が覚め道場に向かうと、すでに準備が整っていた。


 「おはよう、蓮……ありがとう」

 「おはよう。さっそく、勝負するだろ?」

 「うん!」


 早く会いたいと思っていたのは、遥だけではなかったのだろう。

 黙々と弓を引いて、矢取りを行う二人は何処か楽しそうだ。


 「遥は朝練だろ?」

 「うん……」


 名残惜しそうにする彼女の髪に、優しい手が触れる。


 「蓮……ありがとう……」


 遥が手を振り道場を後にすると、蓮はまた静かに弓を引き始めた。


 「ーーーーあと……少しか…………」


 小さく漏らした言葉は、遥と同じ想いのようであった。




 いつもと同じはずなのに……少しずつ遠くなる距離を悲しんだって、変わらない事くらいは分かってる。

 それなのに……ずっと側にいられたらって、また考えている自分に気づかされて…………


 遥は黒板から窓の外へ視線を移していた。


 ……もう少し……あと少しで、結果が出る。

 蓮の事だから、合格してるとは思うけど……何回考えても、やっぱり寂しい気持ちは消えなくて……ずっと続いて行くことを願ってしまうの。


 叶いはしない願いだと分かっていながら、幼い頃に見た流星群を想い浮かべた。


 あの頃は……ただ、すきだった。

 恋とかそういうのじゃないけど、ただ想うだけで幸せだったの。

 同じ年だったら、よかったのに…………叶いもしないのに、思考を巡らせては落ち込んだりを繰り返して、ただ側にいられない現実を受入れていくしかないのに……


 溜息を飲み込んで、授業に耳を傾けていたが、いつもと同じように聞く事が出来ないでいた。どうしても意識が他に向いてしまうからだ。


 午後の練習が始まる中、遥は準備運動を繰り返していた。


 ーーーー集中力なさすぎ…………

 今日一日を振り返ってみても、何を学んだか思い出せないくらい……


 「遥ーー、次だよー」

 「うん!」


 いつもは集中力の高い彼女だが、欠けているのだろう。的に辛うじて中ってはいるが、中心から大きく逸れている。


 「ふぅーーーー……」


 遥は大きく息を吐き出すと、的を見据えた。その姿は試合さながらのように緊張感があった。


 「…………さすが遥」

 「うん……」


 思わず口にした真由子に、美樹が大きく頷くと、心地よい弦音が響いていく。


 ーーーーうん……大丈夫…………まだ……頑張れる…………


 八射皆中を決めると、安堵の溜息が小さく漏れる。遥は的に向けて、微かに笑みを浮かべていた。


 「部長は外さないですね」

 「そうかな? そんな事ないと思うよ……」


 何気なく応えているが、本当に外した所を滅多に見た事が無いのが加茂の本音だ。

 彼女達の記憶にあるのは射初式の時だけだろう。公式戦では外さない為、必然的に優勝を手にしているようなものだ。


 「遥ーー、記録つける?」

 「うん、お願い」


 いつものように男女が入れ替わり、的中記録を記入していく。彼女の欄にだけは、変わらずに丸だけが並んでいた。


 「みんな調子が良さそうだね」

 「うん、今日はこの後、弓具店に行けるからじゃない?」

 「マユ、身もふたもないなーー」

 「でも、それもありそうだよね……」

 「確かに……」


 特に調子の良い陵や青木は、おそらく真由子の言葉通りなのだろう。いつもよりも中りが良いメンバーに、藤澤も一吹も微笑んでいた。

 

 昨年と同じく、彼らが向かったのは千賀弓具店だ。清澄高等学校の最寄駅近くにあり利便性もあるが、歴史ある弓具店の為、地元だけではなく全国にいる弓道家の多くが愛用していると評判である。


 「ーーーー初めて入った……」

 「青木が入った事ないの意外だなーー」

 「何となく、敷居が高くて……」


 店構えは立派な格式のある趣きだ。確かに学生が一人で入るには敷居が高く感じられるが、店主はとても気さくな人だ。


 「清澄のみんなだね。いらっしゃい」

 『こ、こんにちは!!』


 優しい笑顔で出迎えられ、安心した様子の一年生に浩二は嬉しそうだ。

 それぞれ藤澤や一吹の意見を聞きつつ、好みの弓を探していく姿は、昨年と重なって映っていた。


 「ハルちゃん、久しぶりだねー、じいさんが来るの楽しみにしてたよ?」

 「浩二さん、お久しぶりです。今日、いますか?」

 「いるよー。将棋の相手でもしてやって?」

 「はい」


 店内奥の畳へ向かうと、彼が先に座っていた。


 「遥、お疲れさま」

 「……お疲れさま……蓮」

 「ハルも久しぶりだなー」


 孫と年の近い二人は、先代の勝敏にとって孫も同然である。


 「勝敏さん……ご無沙汰しています」


 蓮に腰を引かれ、隣に座るよう促された。


 「遥も弓、変えるのか?」

 「変えないよ。大切だもん」

 「二人とも物もちがいいからなー」


 弓道を志す地元の人なら、みんな知ってる……勝敏さんが優れた弓道家だってこと。

 おじいちゃん達が学生時代だった頃、弓道の黄金期なんて呼ばれていたらしいし……


 遥はモノクロの写真に視線を移した。そこには、若かりし頃の祖父たちが写っている。


 「ハル、優勝おめでとう」

 「勝敏さん……ありがとうございます……」


 …………間違いじゃなかった……そう微笑んでくれた気がした。

 そんなの……私の願望でしかないけど……写真の中のおじいちゃんが、背中を押してくれた気がしたの。

 蓮と離れた事が正しかったのかは、今も分からないけど……あの時の私には、必要な事だったと思う。

 弓道と離れる事だけは出来なかった……おじいちゃんが、教えてくれたんだよ?


 『弓道と向き合う事は、自分と対峙するようなモノだ……』


 心に残る言葉を想い返していた。


 「蓮、ハル、一勝負していかないか?」


 そう言って勝敏は将棋盤を広げた。二人は顔を見合わせ笑顔で応える。


 『はい、お願いします』


 揃って告げる二人が、幼い頃と変わらずに向き合う姿のようで、勝敏は安堵したのだろう。懐かしむように微笑んでいた。




 「あれ? 遥は?」


 浩二の話や新しい弓具に夢中になっていた為、美樹がそう漏らした時には、すでに二時間近くが経っていた。


 「ハルちゃんなら奥にいるよ。呼んでくるかい?」

 「いえ……」


 「大丈夫です」と断ろうとした彼女にも、遥の声が聞こえてきた。


 「…………参りました」

 「勝敏さん、容赦なさすぎ」

 「さっきはハルに負けたからなー」

 「まさかの負けず嫌い……」


 蓮と顔を見合わせ、笑い合う。


 ーーーー懐かしい……こういう感じも…………


 「ハル、蓮、またおいで」

 「はい……」

 「また、俺が勝つからね」

 「待ってるからな」


 目を細めて笑う勝敏は、変わらない二人にまた微笑んでいた。


 「ハルちゃん、そろそろ帰るみたいだよ?」

 「浩二さん……ありがとうございます」


 立ち上がろうとした手が握られる。


 「遥、駅で待ってて?」

 「うん……」


 触れた手が離れると、無意識にそっと指でなぞった。店内に戻った遥は、楽しそうな雰囲気の輪に戻っていく。


 「……お待たせしました。欲しいの見つかった?」

 「見つかったよーー」

 「はい、店主さんに選んで貰いました」


 嬉しそうにする仲間に、遥の頬も緩む。


 「浩二さん、ありがとうございました」

 「いえいえ、またお待ちしてますよ」

 『はい!!』


 元気に応える彼らに、浩二も何処か懐かしむような表情を浮かべていた。それは、少し前の彼らを重ねていたからかもしれない。


 駅前で分かれると、遥は彼が来るのをホームで待っていた。


 「遥ーー、またねー」

 「うん! また明日ねー」


 ホーム越しにやり取りをしていると、電車が間を通り抜けて行く。遥は振っていた手を行き場のないように下ろした。


 こんな風に一緒に帰れるのは、今日で最後かもしれないんだよね……


 「……遥、お待たせ」

 「蓮、お疲れさま」


 躊躇いなく握られた手に、頬が染る。もう時期咲く花のように。


 「……勝敏さん、強かったね」

 「そうだな。でも、遥も勝ってただろ?」

 「最後は負けちゃったけどね」

 「まぁーな」


 取り止めのない話をして、手を繋いで歩くなんて……あの頃は、考えもしなかった。

 最近、あの頃のことばかり想い出すのは……


 「遥、聞いてる?」

 「うん、聞いてるよ……また出かけるの楽しみにしてるね」

 「うん……」


 最寄駅からの帰り道も話が尽きることはないが、時折彼女の表情が優れない事は蓮にも分かっていた。


 「遥……」

 「どうしたの?」

 「いや……また明日な」


 何もないかのように、いつものように微笑む遥に、それ以上の言葉を言えずにいた。


 「ーーーーうん、また明日ね」


 すっかりと日が暮れ、空には月が浮かぶ中、蓮の姿を見送った。


 「…………明日……」


 そう思わずこぼした遥は、空を見上げ深く呼吸をすると、玄関の扉を開けるのだった。

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