第五十五話 反芻
「できた!」
綺麗に出来たラッピングに、思わず独り言が大きくなる。頬を緩ませた遥はエプロン姿だ。
去年は直接渡せなかったけど、今年は渡せそう。
美味しく……食べてくれるといいな…………
キッチンを甘い香りで満たしている頃、彼は赤本と向き合っていた。
「んーーーー……」
大きく伸びをした蓮は、スマホの写真に視線を移す。そこには二人の笑顔が並んでいた。
「……もう少しだな」
そう呟いて、またペンを持つ。
進学校で有名な風颯において、蓮は成績上位者ではあるが、大学受験は別物なのだろう。
時折ペンが止まりながらも、毎朝の時間を作る為に勤しんでいった。
道場に着くと、遥が一番乗りだ。いつものように整え、弓を引く。朝から心地よい弦音を響かせていた。
「ーーーー遥、おはよう」
「おはよう、蓮」
矢取りのタイミングで話し始めるが、昨夜遅くまで起きていたのだろう。彼は時折、生あくびをしている。
「大丈夫? ちゃんと寝てる?」
「うん、大丈夫だよ。それより、射詰するだろ?」
「うん……」
蓮の誘いは断れない。遥にとって僅かな時間は大切なものだ。
並んで行う射詰に、練習試合を想い出していた。
ーーーー蓮の音だ…………はっきりと分かるの。
近くで見ていられるなら、その姿を……ずっと見つめていたいくらい……
いつものように十二射皆中で終わると、制服に着替えたばかりの遥は微かに頬を染め、手渡した。
「ーーーー蓮、いつもありがとう」
昨夜、綺麗に包んだばかりのお菓子だ。
「ありがとう……バレンタインか……」
「うん……」
少し照れた様子で微笑む腕が、引き寄せられる。
「ーーーー蓮?」
ぎゅっと抱きしめられ、持とうとしていた鞄やコートが、ドサッと落ちる音が響く。
「ーーーーーーーー遥……」
頬に触れる手に、そっと瞼を閉じれば唇が重なる。
間近にある顔に、頬はますます赤くなっていく。
「……真っ赤……」
「…………蓮のせ…」
言葉は呑み込まれ、深くなる口づけに息を吐き出すと、首筋が強く吸い上げられた。
「ーーっ、れ……蓮……」
上手く息が出来ていなかったのだろう。肩にもたれかかる髪を優しくなぞる。
「……もう……時間か…………」
「うん……またね」
「うん、遥……またな」
名残惜しそうに離れた遥は、頬と対照的な冷たい風が吹き抜ける中、朝練へ向かうのだった。
「遥、はい!」
「わーい! 小百合ちゃん、ありがとう」
昼食を終えた彼女たちの机には、昨年と同じように手製のお菓子が並んでいた。
「二人とも器用だねーー」
「美樹の分もあるよ」
「ありがとう、遥」
三人が食後のデザートを食べていると、竹山が話に入ってきた。
「サユとハルは、また友チョコか?」
「うん、竹山も食べる?」
「食べる」
「即答?」
「いいだろ? サユ」
近くの席に座っていた竹山は、チョコクリームがサンドされたクッキーを取った。
「うま……」
「ありがとう」
「サユのも食べたい」
「いいよー、倍返しね」
「怖いなーー」
「冗談だってーー」
続けて、小百合から差し出されたパウンドケーキを頬張る。
「美味いなー」
素直な反応に照れた小百合は、陵に話を振った。
「松下は、美樹から貰うんでしょ?」
「まぁーな」
「じゃあ、白河が松下の分も食べていいよー」
「おい! 五條!」
修学旅行が一緒の班だった六人は、今日も安定の仲だ。昼時は大抵近くの席を陣取って集まっている。
「冗談だってーー、松下は義理でも貰うんだねー」
「本当っぽいのは貰わないよ。美樹から貰えれば十分」
大真面目に応える陵に、美樹の頬が染まる。
「あーー、ごちそうさま」
「陵は相変わらずだなーー」
二人の仲の良さに、周囲が砂糖を吐きそうになっていたのは、また別の話だ。
こうして恒例になりつつある友チョコを食べ終え、午後の授業に向けて英気を養っていた。
美樹と陵は、相変わらずだけど…………同じクラスっていいな……
授業が行われる中、遥は窓の外へ視線を移していた。
ーーーー会いたい……今朝、会ったばかりなのに……もう会いたくなるなんて……あの頃は、知らなかった。
こんな気持ちになるなんて、思いもしなかったの。
再び授業へ耳を傾ける遥は、浮き足だった教室の雰囲気を感じながらも、気づかない振りをした。そうでもしなければ、切なさが押し寄せてくるからだ。
部活が終わると、いつものように電車組の部員達が揃って帰っていく。話題になるのはバレンタインについてだが、主に青木の話で盛り上がっていた。
「青木は中学の時も、たくさん貰ってたもんなー」
「確かになーー」
目立つ紙袋に、陵も翔も納得の様子だ。
「そう言う陵先輩は、貰わなかったんですか?」
「あぁー、美樹から貰えればいいから」
ストレートな言葉に、聞いている後輩の方が染まる勢いだ。
「えっ……先輩、いつもこんな感じですか?」
「あぁー、二人はうちのクラスで有名なバカップルだよな?」
「うん、クラス公認じゃないかな?」
「ちょっ! 遥までーー!」
美樹の可愛らしい反応に笑みが溢れるが、陵がフォローするべく話題を変える。
「ってか、青木は何個貰ったんだ?」
「数えてないですよ。十個以上はありそうですけど……」
紙袋から覗く赤やピンクの箱に視線が集まる。
「出た! モテる奴の発言!」
「何か、陵みたいだなー」
「おい!」
せっかく逸らした話題を親友に戻され、思わず突っ込んでいた。
「また明日ねー」
「またなー」
遥が手を振り、いつものメンバーと分かれると、駅のホームには彼がいた。
「ーーーーお疲れさま」
背後からした声に振り返れば、蓮がベンチから腰を上げる。
「ーーーー蓮……お疲れさま」
「少し、寄っていけるか?」
「うん……」
躊躇いなく手を繋ぎ、二人は電車に乗り込んでいった。
電車が通り過ぎる中、遥たちの姿はチームメイトに目撃されていた。
「あっ、蓮さんだ」
「本当だ……迎えに来てたんだな」
遥の髪に触れる彼の手に、赤面しそうだ。
「風颯の部長さん、部活の時と雰囲気違いますね」
「あぁー、そうだな」
絵になるようの二人の姿を見送ると、触発されたかのように、美樹の髪に触れる陵がいた。
「ーーーー何してるの……」
「駄目?」
「あのねーー……」
生温い後輩の視線を受けながら、美樹は溜息を漏らす。
「……翔も止めてよ」
「無理だろ? 陵だし」
即答する翔に、また溜息が出そうになるのを呑み込んで、青木にバレンタインの話を振るのだった。
「遥、ブラウニー美味しかったよ」
「ありがとう……」
……もう食べてくれたんだ…………
嬉しそうに頬を染める彼女の手は、蓮の唇に寄せられる。
「ーーっ!!」
微かに触れる柔らかな感触に、ますます赤くなっていく。
「ーーーー降りるよ」
「う、うん……」
導かれるように手を繋いだまま下車すると、彼の家まで来ていた。
「ーーーーーーーー蓮?」
「少し……」
「ーーーーうん……」
遥は背中に手を回し、腕の中でそっと瞼を閉じる。
ーーーー会いに来てくれたんだ……
今朝、会ったばかりなのに……もう会いたくて…………
触れた熱が蘇っていく。
「ーーーー遥……」
乱雑に積まれた本がドサッと、崩れる音が響く。
「…………蓮……大丈夫だよ」
見透かされたような言葉に、彼も鳴っていたようだ。
「……うん、ありがとう……」
無言のまま抱き合う。
力のこもった腕が徐々に緩んでいくと、ベッドの軋む音がした。
熱い視線を思わず逸らすが、彼に引き寄せられ敵わない。遥はすっぽりと蓮の腕の中だ。
「ーーーーっ、れ、蓮……」
「んーー?」
「ちょっ……」
今朝の痕を確認するかのように、首筋に触れる唇に声を漏らす。
「試合があるから、しないけど……もう少し、触りたい」
頬を真っ赤にしたまま小さく頷くと、優しく触れる手に身を委ねる。
ーーーーーーーー少しって、何処まで?
素肌に触れる手に、身体が熱を帯びていく。
「……んっ…」
唇が重なると、また強く抱きしめられていた。
「ーーーー蓮も、土曜日試験でしょ?」
「……うん」
遥の肩に額が寄せられ、さらさらの髪に手を伸ばす。
優しく触れる手に、蓮はそっと瞼を閉じていた。
「ーーーー行ってくる……」
「うん……待ってるね」
名残惜しそうに離れていったが、彼女の手は帰路に着くまでの間、蓮と繋がっているのだった。
いつもの道場に弦音が響いているが、昨日までとは違い、遥の音だけである。
五つの的には、四本ずつ中っていた。
「ふぅーーーー……」
深く息を吐き出し、大きく伸びをした。
ーーーー蓮……頑張って…………
私も頑張るから……少しでも、多く引けるように……
「……よし!」
大きな声を出し、明日に控える試合に向けて気合を入れ直していた。
放課後の練習はいつもとは違い、最終調整が行われていた。
明日の高等学校対抗戦を控え、いつもより早めの解散となった。
「いよいよ明日かーー」
「陵、楽しそうだね」
「当たり前だろ? 最後の対抗戦だからな!」
前向きな彼に、いつものメンバーも笑顔で応える。
「……そうだね、残りたいよね」
「ハルにしては珍しいな?」
「そう? 割と……いつも思ってるよ?」
「遥、頑張ろうね!」
「うん」
二年生とは違い、一年生はいつもよりも静かだ。電車組のメンバーは、青木を筆頭に反応が良い部員が多く、いつもは学年も関係なく話しているが、試合前の緊張感が少なからず影響しているのだろう。小さく相槌を打つ彼らに、遥は微笑んでみせた。
「ーーーー楽しみだね」
「は、はい!」
勢いよく応えた青木に、彼らも頬を緩ませる。
「……さすが青木だな」
「何でだよ?」
「だって、試合に出なくたって緊張するのに……」
「あぁー、心臓強いよなーー」
「おい!!」
笑い声に変わる中、遥は初めて試合に出た日を想い返していた。
「みんな、また明日ね」
「あぁー、またな」
「またねーー」
手を振り分かれると、昨日を想い出す。繋いだ感触が、まだ残っているかのようだ。
ーーーー蓮……会いたいな……
会えるように、明日はいい結果を残したい。
最後になるんだから…………
落ち着いていたように見えた遥もまた、明日に鳴って緊張していたのだろう。
ベッドの上でコロコロと横になっては、ストレッチを繰り返していた。
スマホのバイブ音に、勢いよく手を伸ばすと、彼の声が耳元で響く。
『お疲れさま……』
「蓮……お疲れさま……」
緊張の糸が解けていくように、笑顔で応える。
「……応援してるよ」
『ん、ありがとう……』
ベッドの上で体育座りをして、一分にも満たない時間を噛みしめていたが、それは遥だけでなく彼も同じだった筈だ。
声に励まされ、勇気を貰っているようだった。




