第五十二話 挑戦
淋しいって本音が漏れたけど、言わせてもらったから…………心が、少し軽くなったみたい。
大丈夫だって、何度も言い聞かせて……進んでいくから……
全国高等学校選抜大会が行われる大阪の中央体育館を訪れていた。開会式が行われる中、昨年の団体優勝校である風颯学園がトロフィーを返却している。
去年は……蓮がいたんだよね…………
目の前では矢渡しが行われていた。成功と無事故を祈願して、その日の初めに安土へ矢を通す儀式だ。
見る度に想い出すのは、おじいちゃんと、カズじいちゃんの射……………どこか懐かしくて、切なさが混じるの。
遥は逸らす事なく見据えていた。憧れた射を想い浮かべながら。
大会一日目は、午後二時より男女ともに個人予選が行われ、四射三中以上で明日の準決勝に進出となる。
去年は……蓮の姿を探していたの。
今年はいないけど……一人って、想像以上にくる。
御守りをぎゅっと握り、気持ちを高めるかのように呼吸を整えていく。
「ーーーー大丈夫そうですね……」
「はい……」
藤澤と一吹は彼女の射を静かに見守っていた。
安定感のある射形のまま、四本とも的を捉える。周囲から拍手が響く中、安堵したような表情が垣間見える。
ーーーーーーーー明日も弓が引ける……
四射三中以上で準決勝進出となった。
夕飯を食べ終え、藤澤と一吹と分かれると、部屋に着くなりベッドに寝転んだ。彼女は横になったままスマホを手に取ると、チームメイトから応援のメッセージが続く中、彼からの着信に飛び起きた。
『遥、お疲れさま』
「蓮……お疲れさま……」
耳元で響く声に、頬が染まる。
『明日も頑張れよ』
「うん…………蓮、ありがとう」
『うん、遥が……帰ってくるの待ってる』
一人で出て気づいた……蓮の射を楽しみで、頑張れていたんだって…………心細くないって言ったら、嘘になるけど……大丈夫。
御守りを両手で包み込むように握る。彼から貰った御守りに勇気をもらっていたのだ。
団体戦を見に行く事もできたけど、風颯を探してしまいそうになるから……
昨年とは違い一人きりホテルの部屋で、遥は出番の時を待っていた。
個人準決勝は十三時五十分から行われ、予選と同じく四射三中以上で、十五時から行われる決勝へ進出となる。
その日に個人競技の表彰式まで行われる為、今日ですべてが決まるのだ。
…………大丈夫って、自分に言い聞かせて……何度も大丈夫だと言ってくれる蓮に近づきたいから…………
髪を一つに結び気持ちを整えると、深く息を吐き出し、空を見上げた。冷たい空気の中、遥は自分自身と向き合っていたのだ。
平常心をもって、弓道に挑むこと…………大丈夫……また、同じ大会に立てているんだから…………
「神山さん、正射必中ですよ」
「はい! 藤澤先生、一吹さん、いってきます」
元気よく彼らの元を後にした彼女は、昨日よりも落ち着いているように映る。
ーーーーーーーー正射必中…………正しい射法で射られた矢は、必ず中るという意味。
迷わない時はないけど、心に決めたんだから…………
彼女の放った矢は、的に吸い込まれるように中っていく。
集中力の高まった彼女が外す所は、藤澤も一吹も想像できなかったのだろう。
彼らの想像通り、四射皆中を決めていた。
裏へ下がると、決勝を迎える男子とすれ違っていく。
昨年の彼と重ねていたのだろう。深く息を吐き出し、微かに笑みを浮かべた。このあと始まる決勝に心が弾んでいたのだ。
決勝は射詰競射で行われるから、少しでも長く引いていたい。
少しでも、届くように…………
「ーーーーーーーーすごいな……」
「そうだな」
そう漏らしたのは、風颯学園の村松と足立だ。男子個人を一位と四位で終えた二人は、彼女の射に真剣な眼差しを向けていた。
射詰競争の五射目以降は、二十四㎝の星的を使用するが、四射目で順位が決まった。
四本中っているのは彼女だけだ。
「……蓮部長……みたいだな……」
「あぁー」
彼の射のように、美しい射形を保っていた。
ーーーー蓮……やったよ…………
心の中でも真っ先に報告するのは彼だ。
…………ずっと……みっちゃんが、羨ましかった。
小学生から中学生になる時、私だけが置いてけぼりな感じだったし、弓に触れるのも、私が一番遅かったから…………
私が男子だったら、一緒の団体に出れたのに……とか、同じ学年だったら……とか…………叶うはずのない事を願ったりしていた時もあった。
でも……ここに居られるのは、色んな人が背中を押してくれたから…………
個人戦連覇を果たした彼女にとって、今回の大会は一人で挑んだ戦いだったが、その胸中は違ったようだ。
個人戦の表彰式を迎えた遥は、微かに頬を緩ませていた。
『遥、おめでとう!』
彼からの電話を反芻させていたのだ。
その一言が、何よりも嬉しくて……近づいたんだって思えるから…………
一緒に喜びを分かち合ってくれる彼の元へ、早く帰りたいと願っていた。
帰路に着く間も連絡を取り合っていたが、気力を使い果たしたのだろう。数分で夢の中だ。
「ーーーーすごかったですね」
「はい……体現していましたね」
「ええー…………羨ましいですか?」
「そうですね……正直、悔しい気持ちの方が大きいかもしれません」
吐露する一吹に、藤澤は穏やかに微笑む。
「一吹くん……正射必中ですよ」
「はい……心の強さは、正直見習いたいですね」
体力回復中の彼女に向ける一吹の視線は、コーチとしての誇らしさと僅かな悔しさが混ざっているようだった。
「ーーーーおかえり」
階段を駆け上がると、私服姿の彼が道場で待っていた。
「…………ただいま」
広げられた腕に、躊躇う事なく飛び込む。
「遥、おめでとう」
「ありがとう……蓮……」
「…………いいんだよ?」
「うん……」
小さく頷き、ぎゅっと抱きつく。彼もまた強く抱きしめていた。
ーーーー安心する…………
ドキドキするのは変わらないけど……そばにいると、ほっとするの。
「ーーーー遥……次は、俺の番だな?」
「うん……蓮なら、大丈夫だよ」
「うん……ありがとう……」
蓮は髪に触れると、ベロア生地のリボンのバレッタをつけた。
「えっ……これ……」
「メリークリスマスって事で」
「蓮……ありがとう……」
「ん、似合うな」
「私からは……」
クリスマス仕様にラッピングされた小さな箱を手渡した。
「ーーーー開けていい?」
「うん」
喜んでくれるかな?
新しい場所でも、使える物にしたんだけど……
箱の中には、レザー生地のパスケースが入っていた。
「かっこいいな。遥、ありがとう」
「うん……」
「じゃあ、ケーキ食べるか?」
「えっ?」
「コンビニのだけど、クリスマスっぽい事したいと思って」
「蓮……」
道場は暖房器具があるから寒くはないけど……蓮が暖めてくれていたからだよね……
「ありがとう……いただきます」
「うん、いただきます」
並んで座り、カップケーキでコツンと乾杯をすると、二人きりのクリスマスを満喫した。
「ーーーー美味しい……」
「そうだな。コンビニは、期間限定商品よく出てるからな……」
「そうだね。あっ、大阪限定のお菓子! お土産にあるから食べてね」
「ありがとう」
笑顔で話す二人には、明るい未来だけが待っているようだった。
大会が終わって、ようやく冬休みって感じだけど……今日から二日間、練習できるんだよね。
朝一から道場で的を準備していると、彼が入ってきた。
「おはよう、遥」
「蓮、おはよう。的はもう終わるから、一緒に引ける?」
「うん、清澄は明日まで部活だっけ?」
「うん……」
今年も、数える程で終わりなんて……
「早いなーー……」
準備が整うと、的を見据え弓を引く二人の姿があった。
心地よい弦音に、彼女は耳を澄ませていた。
ーーーー空気が違うみたい。
冬の冷たい空気だからじゃなくて、蓮だから…………
十二射皆中した所で、遥は制服に着替えた。
「蓮、いってきます」
「いってらっしゃい。またな」
「うん!」
触れていた手を離し、学校へ向かった。淋しさを滲ませながら。
『遥、おめでとう!!』 『おめでとう!!』
『部長ーー、おめでとうございます!!』
「……ありがとう」
道場に着くなり、熱烈な歓迎を受ける。彼女の連覇をチームメイトも喜んでいた。
「男子団体は、風颯が連覇だったんだろ?」
「うん、そうみたいだね」
「すごいよなーー」
「うん」
みっちゃんから蓮へ、蓮から村松くんへ……繋がっているって、すごいよね…………
私たちも……学校対抗戦で、また結果を残したい。
このチームで弓が引けるのは、数える程しかないから……
遥はすでに、次の大会に意識が向いていた。
団体のように引く彼らは、彼女の連覇に勇気を貰っていたのだろう。いつもよりも、高い的中率を出している。
「ーーーー士気が高まってるようですね」
「はい……藤澤先生も楽しそうですね」
「はい、それは楽しみですよ。二年生にとっては、最後の対抗戦ですから……」
「そうですね」
心地よい弦音に視線を向ければ、彼女が弓を引いている。大会の時に、藤澤が感じたような不安感はないようだ。
ただ、まっすぐに自身と向き合い皆中していた。
「ハル部長、すごいね」
「だよな。外した所、見た事ないし」
「俺もないよ」
「白河先輩!」
翔が一年生に混ざり、的中率を記入していたのだ。
「じゃあ、公式戦負けなしっていうのは本当ですか?」
「あぁー、個人戦は全て優勝だな」
さらりと告げられた好成績に、視線を移す一年生は羨望の眼差しを向けていた。
「ーーーー正射必中だろうな……」
「正しい射法で射られた矢は、必ず中るってやつですね!」
「ちゃんと分かってるんだな。正しい射行は、正しい姿勢からだからな」
翔たちが振り返ると、すぐ側にコーチがいた。
「一吹さん……」
彼も部員たちの話を聞いていたようだ。
「部長は射形が綺麗だからな。地道に鍛練していけば、みんなも出来るようになるぞ?」
最後はコーチらしい言葉で締めくくると、矢取りを行った彼女たちと入れ替わりで、弓を構える一年生の姿があった。
ーーーーみんな、上達してる…………
初心者から始めた子達がぶれる事なく弓を引く姿に、勇気づけられていた。
…………強くなっているよね。
私も強くなりたい。
もっと……心の強い人になりたい。
蓮みたいな…………
部活終わりに道場へ寄れば、彼が弓を引いていた。彼女の来る時間帯に合わせ練習していたのだ。
「遥、お疲れさま」
「お疲れさま、蓮……」
朝一のように、静かに弓を引いていく。二つの的には次々と矢が飛んでいった。
「ーーーー同中か……」
「うん……」
十二射皆中するのもいつもの事だ。
矢取りを行った二人は、日が沈むのが早くなっている事を感じながら、並んで座っていた。
「初詣、行くだろ?」
「うん…………いいの?」
「何、遠慮してるんだよ? 俺が遥と行きたいの」
「……ありがとう」
温かな言葉に嬉しそうな笑みを浮かべる。
「遥、ちゃんと言うんだからな?」
「うん……蓮もね?」
「ありがとう……じゃあ、リクエストしていい?」
「うん?」
「また着物、着てきてよ」
「……うん」
頷いた彼女の髪には、リボンのバレッタが付いていた。いつものように分かれると、笑顔で手を振る姿があった。
「遥、また明日な」
「うん、また明日ね」
明日は、会えるんだから…………
どうしても浮き沈みしてしまう心と、向き合っていく彼女に気づかない蓮ではなかったが、彼自身も同じ気持ちだったのだ。
年が明けたら、別れの時が来てしまう。
一日がもっと長ければいいのに…………と。