第五十一話 告白
「終わったーー!」
思いきり声を上げた陵に、遥や美樹、翔だけでなく、周囲にいたクラスメイトもクスクスと笑っている。彼らは試験を終えたばかりだ。
「弓、引きたいなーー」
「そうだな」
「部活は明日からだよ?」
「そうなんだけどさーー、少しでも練習したいじゃん?」
「そうだねーー。でも、今日は帰るよ?」
「分かってるよ、美樹」
凌と美樹の掛け合いに、遥は翔と顔を見合わせ微笑む。
本当、二人とも仲良いよね…………向こうも試験期間中だったから、会えてないんだよね。
蓮に……会いたいな…………
話しながら校門まで歩いていると、周囲の声が聞こえてきた。
「あれって、風颯の制服じゃない?」
「本当だ。かっこいいね」
「うん、声かけてみる?」
ーーーーーーーー風颯?
遥が校門に目を向ければ、視線が交わる。
「遥は寄っていけるか?」
「あっ、私……先に帰るね」
校門前で軽く会釈をする彼に気づき、同じように返す。
「うん、遥またねーー」
「また明日なーー」
「ハル、気をつけてな」
「うん、ありがとう。またね」
駆け出した彼女を引き止める者はいない。
目の前には、先程まで会いたいと想っていた彼がいた。
「ーーーー蓮……」
「遥、お疲れさま」
「お疲れさま……」
……嬉しい…………会えるって、思っていなかったから……
会えただけで思わず頬が緩む。
「今日は寄っていけるだろ?」
「うん!」
差し伸べられた手を握ると、二人は手を繋いで歩いていく。
「蓮、浩司さんの所に行ってたの?」
「うん、昼は久々にラザニア食べよう?」
「わーい! 頼んでくれたの?」
「うん、おばさんに頼んでおいた」
「ありがとう、蓮」
嬉しそうな表情に、彼も微笑む。
みっちゃんと、三人で食べて以来だから…………一年振りくらいになるよね。
「二人ともいらっしゃい」
「こんにちは」 「ご無沙汰してます」
温かく迎えられ、懐かしの味を噛みしめる。
あれから、色々あったけど…………懐かしいって思える共通の想い出があるのは、幼馴染みの特権だよね。
熱々のラザニアに、オレンジジュースと、懐かしの味に、自然と話も懐かしいものになっていく。
「小学生の頃、じいちゃん達によく連れてきて貰ったよな」
「うん、あの頃の蓮は可愛かったよね」
「可愛いって……それは遥だろ? あんまり顔、変わってないし」
「うっ……そんなに変わってない?」
「アルバム見たら、すぐに分かるな」
「それは、小さい頃を知ってるからでしょ?」
「そうだけどさ。あの頃は……的に中らない事の方が多かったけど、楽しかったよな」
「うん……」
三人でおじいちゃんやカズじいちゃんに教わりながら、毎日のように鍛練していた…………
弓を初めて持てた時、それだけでワクワクしたの。
明日が待ち遠しくて、眠れなくなるくらいに……
「今年の全国選抜は大阪だよな?」
「うん、東海が愛知だったよ」
「楽しみだな」
「うん……」
「大丈夫だよ。いつも通りやれば、遥なら」
「うん……ありがとう……」
大丈夫って、何度も応援してくれてるよね。
その言葉に、私は何度も救われているの。
ーーーー今も…………
「蓮……」
「ん?」
お腹を満たし外に出ると、遥から手を差し出した。蓮が握り返し、いつもは一人で乗る電車に二人で乗り込んだ。
「道場、寄っていくだろ?」
「うん、時間は大丈夫なの?」
「うん、たまには息抜きって事で」
「ありがとう」
微笑む彼女の頭は、優しい手に撫でられる。
「遥は……」
「……うん?」
「……いや、たまには……勝負するか?」
「うん……」
「勝者は雪見だいふくゴチな」
「はーい」
クスクスと可愛らしい笑みを浮かべる彼女に、蓮も微笑む。側からみれば、可愛らしい高校生カップルだ。
ーーーー蓮は、何を言いかけたんだろう?
呑み込んだ言葉を言及はしなかったが気になってはいた。
道場に向かう間も彼がそれを口にする事はなく、あっという間に着いた。
袴姿になり、用意した的の前に立つ。蓮から順に矢を放っていく。
ずっと……こうしていられたらいいのに…………蓮と二人でいると、強くそう思うの。
何度だって……すきだって…………
乱れそうになる心を鎮め、まっすぐに的を見据えて引く。次々と放たれる矢は、心地よい弦音と共に命中していく。
二つの的には、十二本ずつ中っていた。
「ーーーー引き分けだな……」
「……うん」
的を見つめる彼女の瞳は、何処か寂しさを滲ませているようだ。
「遥……」
手を広げてみせる彼に戸惑いながらも、腕の中に飛び込む。
「蓮……ありがとう……」
「ん、今日は楽しかったな」
「うん」
視線を上げれば間近にある顔に思わず下げるが、すぐに顎を彼の方に向けられていた。
「……れ……」
言葉は呑み込まれ、そのまま抱き寄せられた遥は、彼の胸元に額を寄せた。
「遥……」
「…………蓮」
熱を帯びた瞳で見つめられ、急激に染まっていく。
今度は彼女から唇を寄せると、不意をつかれたのだろう。蓮の頬も染まっていた。
「ーーーー遥……まだ……時間ある?」
「……うん」
小さく頷く彼女の手を引くと、彼の部屋で触れ合う二人がいた。
ーーーー淋しいとは言わないけど…………本音は淋しくて、口になんて出来ない。
本音を告げてしまったら、止められなくなりそうで、怖いから……
「遥、身体……大丈夫?」
「…………うん……」
そっと頬に触れる右手に、手を重ねる。
「いってらっしゃい」
「うん、蓮……いってきます!」
道場で朝一の練習を済ませた遥は、元気よく手を振ると、一人きりで駅までの道を歩いていた。
昨日、一緒にいたから……よけいに淋しく感じるけど、追いつきたい気持ちは変わらないから…………
学校でも変わらずに、弦音を響かせていた。
「ーーーーみんな、調子は良さそうですね」
「そうですね……」
一吹も藤澤も部員の成長を喜んでいた。チームワークの良さもだが、それぞれが自身と向き合い、的を見据えてきたからだろう。少なくとも一吹の目には、それが出来ているように映っていた。
「寒いなーー」
「そうだね」
暖房設備が整っている道場ではない為、外と変わらない場所での練習はそれなりに堪える。それは彼女も例外ではないが、弓に集中しているのか周囲の声は聞こえていない。
「……遥、集中してるね」
「そうだな……」
次々と的に中っていく彼女の矢は、冷たい空気を切り裂いていく。そこだけ違う空気が流れているようだ。
「ふぅーーーー……」
深く息を吐き出した彼女は、矢の届いた的に視線を移す。
ーーーー去年よりも緊張しているのが、自分でも分かる。
今年は、同じ場所に蓮がいないから…………
「全国選抜に向けて、整ってるみたいだな」
「……はい、一吹さん」
表向きは整っているようだが不安はあった。微かに表情は固いが、それに気づく者はいない。
「遥、全国選抜応援してるね!」
「美樹、ありがとう」
清澄高等学校からの全国高等学校選抜大会に参加は、彼女だけだ。仲間のエールに、微笑んで応えてみせた。
「ハル、やっぱり緊張してるのか?」
「…………バレてた?」
「いや、何となく。全国選抜行けるのはハルだけだし」
いつものメンバーで駅まで歩く中、翔の指摘に素直に応える。
「そうだね…………緊張はするけど、行けるところまで行きたい……かな……」
「ハルらしいな」
ーーーーーーーー行けるところまで行きたい。
目標は、まだ遠い所にあるから…………
いつものように駅で分かれると、暗くなった空を見上げた。
……最後か…………最近、小さい頃の事をよく想い出すの。
暗くなるまで、三人で遊んだこと。
弓を初めて引けるようになった時、的に中らなかったけど、それだけで楽しかったこと。
おじいちゃんとカズじいちゃんの射に、憧れたこと。
「ーーーー会いたいな……」
今朝、一緒に練習したのに……もう会いたくて…………
彼が道場にいる事を期待しながら坂道を上っていくと、弦音が響いていた。
ーーーー蓮…………待っていてくれたんだ…………弦音も、凛とした横顔も、あと少し……
静かに入った遥は、想いを巡らせながら彼の射を見つめた。
「ーーーー遥、お疲れさま」
「蓮、お疲れさま……ありがとう」
「ん、引いていくだろ?」
「うん!」
矢取りを終えると並んで的を見据え、矢を放つ。静かな夜に心地よい音が響く。
ずっと……こうして引いていられたら……
「ーーーー同点だな……」
「うん……」
二つの的には、十二本ずつ中っている。
「……緊張するよな」
「ーーーーうん……」
「俺も見に行きたかったな」
「……ありがとう」
話をしながら、片付けを行なっていた。
もう少し、一緒にいたいのに……
すぐに道場の片付けは終わり、パチンと電気を消す音が遥には大きく聞こえた。
「ん、遥……」
大きく広げられた腕の中に、勢いよく収まる。
「……大丈夫だよ……」
「……うん」
ーーーー分かってる……このままじゃ駄目だって…………緊張に飲み込まれそうになるのは、初めてじゃない。
あの時と同じなの…………
想いを巡らせる彼女の瞳が潤む。優しく頭を撫でられる感覚に、泣きそうになっていた。
「蓮……ありがとう……」
背中を押したいと思ってるのに、いつも支えて貰っていて……頑張るって、決めたのに……
「遥、いいんだよ」
「ーーーーっ……」
今度は言葉にならなかった。
特に……何かがあった訳じゃない。
ただ……漠然とした不安が、押し寄せてくるだけ。
それだけだって、割り切れたらいいのに…………
胸元に額を寄せていたが、彼女の視線はまっすぐに蓮へ向けられた。
彼には分かっていたのだ。大会前の不安定な気持ちも、彼女がいつもとは違う理由も。
見つめ返され、思わず視線を逸らしそうになる頬には手が添えられ、動く事は敵わない。
「…………蓮、大丈夫だよ」
手を離そうとしたが、無理に笑顔を作っていたのだろう。彼女の額にコツンと、額が寄せられる。
「無理するなよ」
「うん……」
「俺は……遥に会えないと、淋しいよ……」
「ーーーーーーーーうん……私……」
……淋しい…………清澄を受けた時には、こんな風に思っていなかったのに……
「……淋しいよ」
「うん……」
「蓮と…………蓮が、すきだよ……」
瞳に映る笑顔に応えるように囁く。
「ーーーーすきだよ……遥……」
強く抱きしめられたまま瞳を閉じれば鼓動を感じ、遥も心を決めているのだった。