第五十話 慕情
去年は……一人きりで出場した大会に、個人だけじゃなくて、団体でも出れるんだ……
十一月下旬の土曜日、東海高等学校選抜大会が愛知県で行われていた。
六月にユキ先輩たちと五人で挑んだ東海高校総体とは違って選抜は三人四矢。
補欠も合わせれば四人だけど……基本的に、選手の交代はない事がほとんど。
総体は男女三位に残れたけど、世代交代がどの学校でもあるから……今回は、どんな試合になるのかな……
「ふぅーーーー……」
緊張を拭うように深く吐き出した遥は、試合が待ちきれないようだ。
女子からは美樹、奈美、真由子、遥が、男子からは陵、和馬、雅人、翔の二年生四人がエントリーされていた。
試合前に緊張感に襲われ無言になるメンバーも少なくない中、藤澤の温かさが沁みる。
「今までやってきた事を存分に発揮して下さいね」
『はい!!』
奮い立たせるように声を出した。この二年で成長した彼らに、藤澤は温かな視線を向けていた。
ーーーー中等部の頃、遠征とか練習で……色々な場所に行ってたっけ……
広い会場に漂う独特の空気感に、遥は中等部の頃を想い返していた。
「遥、頑張ろうね!」
「うん!」
気合の入った美樹に、笑顔で応える。
奈美と和馬は、チームメイトが射る姿を間近で感じていた。
『ーーーーはぁーー……』
二人とも清澄が引く度に、息をするのも忘れていたようだ。揃って息を吐き出した為、思わず顔を見合わせ笑い合う。
「……自分が出るよりも……くるな……」
「うん……」
仲間の緊張感がひしひしと伝わる中、彼女の射だけは緊張感よりも、優越感に似た想いを強く感じていた。
いつもと変わらない射形で、まっすぐに的を見据え弓を引く。無駄のない所作に感嘆の声が上がるが、それは二人に限った事ではない。全国連覇者はそれだけ注目の的である。
「ーーーーすごいな……」
「うん……憧れたんだよね……」
思わず漏らした奈美の本音に、和馬も頷く。
「……分かる……やってみたいって、思ったんだよな」
「うん……」
二人の頭に浮かんだは体験入部の射だ。借り物の弓と矢で放った彼女は、自分の力を発揮していた。同じ弓を使っているとは思えないほど、完成された射形に魅せられた。
そして、今もそう感じていたのだ。惹かれるように、的に吸い込まれていった。
ーーーーーーーー楽しい……そう思えるくらい、強くなってるって思いたい。
仲間の音に励まされながら、引き終えた事を実感した遥の的には四本の矢が中っている。四射皆中を決めたのだ。
団体予選一回戦は、男女ともに十二射八中だ。
明日の予選二回戦との合計的中数で、決勝トーナメントへ進出校が決まる。
一人で引くと……一緒に引いていた頃を想い出すの。
日が暮れるまで、何度も素引きをしていたこと。
部活になって、中ることが当たり前になっていったこと。
今、ここに立てるのは……清澄にいたから…………
個人予選を終えた遥は、仲間たちと楽しそうな笑みを浮かべ、また明日を待ち遠しく感じていた。
ーーーーーーーー眠れない…………最後の大会って思うと、余計に目が冴えて……
布団の中で目を閉じても、頭が冴えて眠れない。先程まで女子トークを繰り広げていたが、今は静まり返っていた。
小さく鳴ったスマホのバイブ音に、そっと部屋を抜け出した。
『お疲れさま、遥』
耳元に響く彼の声に、緊張の糸が解けていく。
「ーーーー蓮、ありがとう」
『楽しかったか?』
「うん……今年は、団体でも引けたから……」
『そっか……よかったな……』
「うん……」
話したい事は、たくさんあった筈なのに……言葉が出てこない。
蓮の声を聞いただけで…………それだけで、気持ちが軽くなったみたいで……
「……蓮、ありがとう」
『遥、待ってるから……』
「うん……」
『ーーーーおやすみ』
「おやすみなさい……」
スマホを胸に当て、握りしめていた。
静かに部屋に戻ると、小さな寝息が聞こえてくる。まだ温かさの残る布団に入るなり目を閉じた遥も、すぐに眠りにつくのだった。
冷たい風が吹き抜ける中、袴に着替え会場を訪れていた。
ーーーーーーーー鳴ってる。
そうだよね……いつも以上に緊張するのは、当たり前なの。
去年は、来られなかった場所に……みんなで立ってるんだから…………いつもよりも、やけに大きく音が聞こえる。
団体予選二回戦に場内の空気が変わっていく。何処か張り詰めたような、凛とした空気が漂っているようだ。
また……五人で、引きたいな…………
遥の胸中は見た目以上に穏やかだった。緊張感に呑み込まれる様子も、浮き足立った感じもない。ただ的を見据える視線だけは何処か鋭いものがあったが、何も寄せつけないような雰囲気ではなく、微かに広角が上がっている。
「次だよね」
「うん……思いっきりやろうね」
『……うん!』
勢いよく揃って応えた仲間に、自然と頬も緩む。
次々と放たれていく音を聞きながら、遥は遠くを見ているようだった。
昨日の予選と合わせて二十四射十六中。彼女たちは、同率四位で決勝トーナメント進出となった。
「ーーーーはぁーー……」
思わず吐息が漏れる。場内では男子団体が終わった所だ。昨日の奈美や和馬のように、息を止めていたメンバーが殆どだったのだろう。奈美と和馬は昨日を思い出し、顔を見合わせいた。
「男子も予選通過ですね」
『はい!』
藤澤に応えたチームメイトは、自分の事のように嬉しそうだ。
「次は、神山さんの番ですね」
「はい」
いつも通り応えた遥は仲間に見送られ、個人予選二回戦の舞台に立った。
「ーーーーさすが……」
「あぁー……」
思わず漏らした陵に、翔も頷く。彼だけでなく、彼女の射を見つめる仲間は同じ想いだったのだろう。視線を逸らす事なく、頷くメンバーが殆どだ。
遥の放った矢は、昨日と同じく四射皆中している。
引き終えた彼女は、安堵したような表情をほんの一瞬浮かべたが、今はいつもの凛とした表情で佇んでいる。
その横顔に、翔が敢えて口にしていた。
「ーーーー陵……決勝まで、残ろうな……」
意外すぎる親友の言葉に驚きながらも、いつもの調子で応える。
「あぁー、勿論!」
思わずハイタッチを交わす二人が放った矢は、一回戦と合わせ八射六中を出し、予選通過となった。
団体決勝トーナメントの抽選が行われ、女子から順に試合が始まっていく。
ーーーーここから先は、負けたら終わり。
対戦校より多く中らないといけないけど……それよりも、ここまで来られただけで嬉しい。
少しでも長く、引いていられるように…………
遥の願いは少しも変わっていない。
今いるメンバーで、一つでも多く弓を引くこと。それが原動力の一つとなっていた。
彼女の弦音に続くように、放たれた矢は十二射八中。対戦校は十二射七中だ。たった一本の差が勝敗を左右する中、また弓が引ける喜びを分かち合う遥がいた。
女子の好成績に感化されない訳がない。
続く男子団体では、十二射九中と七中の的が並んでいる。清澄の三つの的には三本ずつだ。
彼らが女子と同じく準決勝進出を決めたのだ。
続けて団体戦が行われていく。
試合が進む度、観客が増え、緊張感も増していく中、心地よい音が響く。
彼女の射に視線を向ける者が多いのは、その弦音の魅力も相まっているからだろう。竹弓の特徴である音に、心も奪われていくようだ。
少なくとも、彼女のチームメイトと風颯のメンバーは、練習と変わらずに的中する姿に、思いを寄せているようだった。
右側に並んだ的は十二射七中。その隣では九中だ。
ーーーーーーーー終わったんだ…………
もう一度、的に視線を移す。
彼女たちの大会は準決勝で幕を閉じた。
「ーーーー遥……決勝、頑張ってね」
「応援してるよ」
「うん、頑張ってね」
団体を共に戦ってきた仲間に微笑む。
「ーーーーありがとう……」
そう応えた表情は、何処か凛とした雰囲気を纏っていた。
観覧席に戻ると、先程まで彼女たちが立っていた場所では、男子団体準決勝が行われている。
「緊張してるね」
「うん……」
美樹に応えたのは遥だけだったが、三人とも頷いていた。見守っている彼女たちにまで仲間の緊張感が伝わっていたのだ。
舞台では的に中る音がやけに大きく聞こえていた。
陵、雅人、翔の順に放たれていく矢は、緊張感を滲ませながらも的を捉えていたが、先程よりも中りを落とし、十二射七中だ。
対する的はーーーー九中。
女子と同じく、同率三位で団体戦を終えたのだ。
準々決勝と同じ本数が中れば、決勝の可能性はゼロではなかったが、本番は一度きり。清澄高等学校の団体戦は終わったのである。
この結果に悲観する事なく向けた視線の先には、決勝で弓を引く対戦校の姿があった。
トーナメントの中で、決勝に一番多く中るなんて……さすが風颯に、勝っただけの実力。
すごい……一番大切な舞台で、実力を発揮できるだけの力を持っているチーム……
「神山さん、そろそろですよ」
「……はい!」
女子団体に夢中になっていた遥は、まだ試合がある事を一瞬忘れていたようだ。
個人決勝は射詰で競われる。愛知県で開催という事もあり、進出者の多くは愛知の商業高校だ。
いつもの所作を心がけてはいても緊張感は拭えない。外したら、そこで終わりだ。
二射目で既に、半数近くが敗退している。
次々と放たれる矢は徐々に減り、六射目には二人だけとなった。
カンと、心地よい音がした的が六中している。
遥が東海高等学校選抜大会を二連覇した瞬間だ。
「やった……」
「すごい! 遥!」
観覧席で思わず声を上げた仲間は、男子個人が彼女に続くようにと願っていた。
続けて行われていく男子個人決勝では、清澄と同じ県内の出場者が多くみられた。男子団体連覇を果たした風颯のメンバーが、個人決勝にも残っている。
射詰は緊張感が増す。
個人競技において、決勝で順位を決定する方法だ。一射ずつ矢を放ち、失中した者は除かれ、的中した者は次の一射を行い、最終的に残った者が勝ちとなる。一射一射が、まさに勝負だ。
陵は四射目、翔は五射目で失中していたが、まだ射詰は続いている。
七射で決着がついた。最後まで残っていたのは、風颯の部長である村松だ。
最後まで残った彼は、安堵した様子で息を吐き出していた。
「ーーーーすごい……」
遥の本音が思わず漏れる。
村松くんの事は、そんなに知らないけど…………それでもすごいと思う。
あの……みっちゃんや、蓮が続けてきた連覇を、成し遂げたんだから…………他に、言葉が見つからないけど……
やり切った感のある晴々とした様子の翔と陵に、一番最初に駆け寄ったのは美樹だ。陵と美樹がハイタッチを交わす姿に、幼い頃を想い浮かべては、打ち消していた。
清澄高等学校は男女ともに団体同率三位。
女子個人を優勝、男子個人は翔が五位入賞を果たした。
前回の東海高等学校総合体育大会から清澄高等学校の名前はまぐれでも偶然でもなく、東海内で名を知られる事となった。
「遥ーー、行くよー!」
「うん!」
先程まで表彰式が行われていた会場を眺めていた遥が振り返ると、強くなった清澄の面々がいた。高揚感が滲んだような彼らの元へ、駆け出す。
仲間の存在を強く感じながら、また一つ大会が終わっていった。
遥が道場に立ち寄ると、彼の音が響いていた。
ーーーーーーーー蓮の射だ……
伸びあいの効いた会から放たれる矢に強く鳴る。
……大会が、終わったんだ…………
「ーーーー遥、おかえり」
広げられた腕の中に飛び込む。
「蓮……ただいま……」
「よくやったな……」
「……うん」
気丈に振る舞ってはいても、心細い事には変わりない。潤んでいく瞳を堪え、強く抱きつく。
「……蓮……ありがとう……」
頭に触れる優しい手の温もりに、遥はそっと瞳を閉じた。
ーーーーまた……少し近づけたんだ……
数分後には、また場内から弦音が響く。
鳴り止まない音を整えながら、弓を引く二人の姿があった。