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第四十九話 果敢

 ーーーー今年で最後の大会。

 来年の今頃は、きっと……受験生らしく過ごしているんだと思う。

 想像もつかないけど、みっちゃんや蓮がそうだったように、ここで弓を引くだけになるんだと思うと…………


 遥はいつも通りの所作で弓を引いていた。彼女の放った矢は、四つの的全てに四本ずつ中っている。


 「ーーーー遥……」 


 振り返れば、袴姿の彼がいた。


 「蓮、おはよう」

 「今日、県大会だな」

 「うん……」

 「見てるからな」

 「……うん…………」


 心強い言葉に、微笑みながら頷く。


 「……楽しみだよ」

 「うん、俺も……」


 自身だけでなく、蓮も彼女の射が楽しみで仕方がない様子だ。


 「遥、頑張れ」

 「うん!」


 敢えて告げられた言葉に、勢いよく抱きつく。珍しく積極的な行動に、驚く事なく背中を優しく撫でる。


 「ーーーーありがとう……」

 「遥なら、大丈夫だよ」

 「うん……」


 緊張しない時はない。

 いつだって……道場に立つ時は、弓を引く時は、緊張しているの。

 大会の度に独特の緊張感に包まれるのは、中学の頃から変わらないから…………


 遥はぎゅっと抱きつき、勇気を貰っていた。


 「いってきます」

 「うん、いってらっしゃい」


 首元が寒そうなままの彼女に、自分のマフラーを掛け、送り出した。


 「気をつけてな」

 「うん、ありがとう」


 笑顔で応え、県武道館に向かった。


 会場には、背筋がピンと伸びた横顔を見つめる蓮の姿があった。彼は静かに彼女の射を見守っていた。

 団体においては、つい先月引退式を終えた風颯学園を見守っていたが、清澄高等学校も心の中で応援していたのだ。

 遥の射に続くように放たれる矢に、心が弾んでいた事だろう。地区大会よりも記録を伸ばしていた。


 「ーーーーギリギリか……」

 「蓮は清澄の応援か?」

 「佐野……まぁーな。遥に……長く引かせたいからな」

 「結局、遥ちゃんか。本当、外さないよなーー」

 「うん、もう……ずっと…………」

 「ずっと?」

 「いや……公式の大会では、外した事ないんじゃないか?」

 「すごいな……神山先輩といい、遥ちゃんといい、二人が師事していた先生に会ってみたいよ」

 「そうだな……」


 この世にはもういないしげるの射は、今もインターネットの中で生き続けている。そう口にはしなかったが、彼だけでなく、彼の祖父の一夫も、多くの弟子を残した滋を尊敬していた。


 彼らの目の前では、清澄高等学校が引き終えた所だ。彼女たちの的は二十射十四中だ。

 蓮がギリギリと言った通り、清澄は予選を四位で終え、団体決勝リーグに進めたものの、一勝二敗の為、全体の三位で大会を終えたのである。

 東海選抜出場可能の為、遥は安堵したような表情を浮かべていた。


 一方、風颯は東海選抜出場はできるが、全国選抜を逃す事になった。


 「ーーーーうちの女子は二位か……」

 「そうだな」


 団体一位が全国選抜、四位までが東海選抜出場の為、ここ数年男子は風颯が常連校として出場しているが、女子はその年により異なる事が多いのである。


 「明日も見に行くんだろ?」

 「うん、遥が引くからな」

 「蓮はそういう所、躊躇しないよなーー」

 「そうか?」

 「ちゃんと、村松たちも応援してやれよ?」

 「してるけど、大丈夫だろ? 村松たちAチームは、いつも通り出来ればさ」

 「そうだけどさーー」

 「佐野も見に行くだろ?」

 「まぁーな、受験の息抜きだよなーー」


 受験の息抜き兼応援といった所だが、蓮は風颯がたとえ出場していなくても、彼女の射を見る為に県武道館へ足を運んでいた事だろう。

 今朝、彼女を道場から送り出したのも、ただ会いたかったからだ。何度でも、彼女の放つ矢を見たかったからだ。

 その理由を告げた事はなかったが、二人は同じ想いを抱えていた。




 ーーーーーーーーあと少しで……別れる時がやって来る。

 分かってはいても、少しずつ寂しさは募っていくの……


 「遥ーー!」

 「お疲れさま」


 勢いよく美樹が飛びつき、抱き合う。東海選抜出場が叶い、喜び合っている。


 「やったね!」

 「うん! 奈美、マユ、カモちゃん! また弓が引けるね!」


 このメンバーで引く機会は、あと何回あるんだろう……きっと、数える程しかない…………

 その一つの大会が増えたと思うと、堪らなく嬉しくて……


 喜び合う姿は、応援に駆けつけた部員にとっても歓喜の瞬間だ。


 「すごいな……」

 「うん! 明日の個人も楽しみだね」

 「そうだな」


 一年生も明日の大会も心待ちにしていた。二年生の射を見る事は、良い刺激になっていたからだ。

 特に初心者組にとっては、雅人に和馬、奈美に真由子と、昨年から弓道をはじめた先輩たちの射は目標でもあった。記録を伸ばしたい彼らにとって、自分を腐らせる事なく、続けてきた結果を目の当たりにした感覚だろう。


 「……それにしても寒いな」

 「うん、体冷やさないようにしないと」

 「確かに。急に寒いと風邪ひくよな」

 「そうそう」

 「マユ、めっちゃ着込んでないか?」

 「だって、道着だと寒かったんだもん」


 そう応えた真由子は、道着にジャージの上から更にコートを羽織っている。


 「マユ、大丈夫?」

 「うん、風邪じゃないといいんだけど」

 「明日もあるから、ゆっくり休んでね」

 「ありがとう、遥」


 東海選抜大会は愛知県で行われる為、休息出来る時間は充分にあるが、明日の個人も一人でも欠けたくないと思っていたからこそ出た言葉だ。

 微笑む彼女の首元は、マフラーが温めていた。


 「ーーーーいよいよ、明日だな」

 「うん……」


 ……待ちに待った個人戦が、明日…………今日と同じ県武道館で行われる。


 当たり前のように道場に立ち寄れば、蓮が待っていた。

 団体の結果を喜び合い、明日に備えて早々と分かれる。


 「蓮、マフラーありがとう」

 「ん、よく頑張ったな」

 「うん……」

 「綺麗な射だった」

 「……ありがとう」

 「早いな……」

 「そうだね……」


 ーーーー本当に、早い…………先週は地区大会で、今日を待ち遠しく感じていたのに……もう、個人戦……


 「明日も見に行くからな?」

 「うん」

 「それまで、マフラーは預けておく」


 そう言って、手元に戻ってきたマフラーを首元に巻く。


 「ーーーーありがとう……」


 御守り代わりのマフラーに頬を寄せ、嬉しそうな笑みを浮かべる。そんな彼女を優しい瞳で蓮は見つめた。

 甘い空気が流れてはいるが、いつものようにならないのは、彼女が少し凛とした表情を滲ませていたからだろう。大会を前に緊張感が増していたのだ。


 「ーーーー遥……大丈夫だよ……」

 「うん……蓮、見ていてね」

 「うん」


 どちらからともなく強く抱き合っていた。

 離れたくない想いを抱えながら。離れないように、離さないようにと。






 個人予選は一立四射で行われ、男女とも二中以上が準決勝進出となる。男子は百三十八名、女子は二百四名が参加する中、清澄から男子は陵、翔、雅人、青木が、女子からは遥、美樹、真由子、奈美の総勢八名が出場していた。


 同級生が出場する中、和馬は彼らの射を静かに見守っていた。叶うなら、自分もその場に居たかったのだろう。一年生が青木を羨望の眼差しを向けるよりも熱量は強い。

 そんな部員たちを藤澤と一吹は静かに見守りながら、成長した彼らが放つ矢を眺めていた。


 ーーーーーーーー蓮…………


 思わず心の中で反芻させる。


 彼から預かったマフラーを広げ、肩から掛けていた。身体が冷えてしまうと、弓が普段より強く感じがちになり、会の伸びに繋がらないからだ。寒さ対策も抜かりない。


 次々と矢が放たれる中、彼女の願いは一つだけだ。


 一回でも多く、弓を引くこと。

 蓮のような弦音を響かせたい。

 見ていて…………これが、今の私の射だよ。


 放った矢は四射とも中っている。彼女は予選を単独首位で終え、準決勝進出を果たした。




 「ーーーー遥……」


 思わず漏らした蓮の言葉が彼女に届く事はないが、聞こえたかのように視線が交わる。遥の小さな笑みに、同じような笑みを返す彼に、隣にいた佐野が頬を赤らめていた。


 「…………蓮って、やっぱり激甘だなーー」

 「ん? 激甘? 佐野に言われたくないな」

 「なっ! 俺がいつ甘い所を蓮に見せたんだよ?」

 「んーー、常に?」

 「おい!」


 軽口を言い合っているが、次の準決勝へ進めるのは、男子九十八名、女子百一名と、半数近くに減っている。風颯学園も男女揃って団体Aチームに、Bチームの二年生が残っているだけだ。

 清澄は予選より全員残っているが、準決勝が別れ道となる。男女ともに予選と合わせ六中以上が、決勝進出の条件だからだ。


 「清澄は強くなったな……」

 「確かになーー、うちが強豪なのは変わらないけどな」

 「うん、そんなに簡単に負けたりしないだろ?」

 「蓮は意外と負けず嫌いだよなーー」

 「普通だよ。村松たちが頑張ってるの、知ってるからな」

 「そうだな……」


 場内に視線を戻すと、風颯の部員が迷う事なく弓を引く姿があった。




 最初は百人程いた出場者も四分の一程に減っている。男子三十四名、女子三十五名だ。その中に清澄は四人残っている。

 準決勝に全員残れただけでも、昨年とは比べものにならない程に強くなっているが、それでも最後まで引けなかった事に、多少なりとも悔しさを滲ませていた。


 「結局残ったのは、遥と美樹に、陵と翔かぁーー」

 「遥が外す所は想像つかないけどな」

 「うん、確かにねーー」

 「そうだな」

 「部長って、公式試合も外さないんですか?」


 尋ねたのは一年の青木だ。彼女が練習中に外した所を一度も見た事がなかったからこそ、出た言葉だった。


 「そうだなーー、見た事ないよな?」

 「うん。遥が中らない所、見た事ある人いる?」


 真由子の問いに、改めてこれまでを振り返ってみるが、見つけられなかったようだ。


 少しの沈黙が流れる中、道場で始まる決勝に視線を移すよう促したのは藤澤だ。さすが講師であり、弓道の師と呼ぶべき人である。


 遥の射を見つめる部員は、緊張感を滲ませながらも、何処か安心したように弦音を聴いていた。


 「綺麗……」

 「うん……ハル部長の射は、入学式の時に見た時から常に一定で……すごい……」

 「だな……」


 思わず声を漏らした一年生に対し、何処か自分の事のように誇らしげに見守る二年生がいた。


 彼女は十二射皆中で一位となり、全国選抜、東海選抜出場の切符を手に入れた。

 そして美樹は、八位入賞は叶わなかったが、今までで一番の十二射八中で大会を終えたのだ。


 「遥、ありがとう……」

 「美樹ちゃん?」

 「楽しかった……」

 「うん……楽しかったね」


 泣き出しそうな美樹の両手を握ると、頬を緩ませた。

 チームメイトの元に戻り、仲間と抱き合いながら喜び合う姿があった。


 「次は、陵と翔だね」

 「うん」


 遥が視線を場内に移すと、部員たちにも緊張が走る。独特の緊張感の中、男子の矢が放たれていく。


 ーーーーその場に立つのと、会場から見るのとは、全然違う。

 ここからだと、周りがよく見える。

 その場に一人きりで立つと、周囲の音は聞こえないけど……二人が緊張しているのが分かる。

 道場に立つ度、緊張しない時なんてないけど……落ち着いて引けば、二人なら大丈夫。

 あんなに練習したんだもの。


 思わず祈るように手を握り、二人の射を見守る。

 陵と翔は二人とも予選から合わせ、十二射十一中と、十一射同中の競射による順位決めに参加していた。


 「十一射って、一本しか外してないのか」 

 「風颯はすごいな」

 「そうだね……」


 口々と漏らすように風颯学園の団体Aチームだった五人は、全員十二射十一中し、競射に出ている。


 「やっぱり、村松くんか……」

 「あぁー」


 昨年のように十二射皆中する者は男子にはいなかったが、全国選抜の二位までと東海選抜出場ができる六位までの八位入賞のおよそ半分は、風颯学園の生徒が占めている。

 圧倒的な強さを誇る彼らを見つめる視線が多く、熱い事は確かだ。今もチームメイトが羨望の眼差しを向けていると、間近で感じていた。


 「終わったな……」 

 「あぁー……」


 陵と翔は今の最大限の的中率だった為、やり切った感が強いのだろう。表彰されるチームメイトや風颯学園の部員に抱くのは劣等感よりも、果敢に臨んだ結果を受け入れているといった印象だ。

 彼らは競射により、五位と六位で大会を終えた。

 二人揃って東海選抜大会の出場が決まり、緊張感から一気に解放されたのだろう。いつものように微笑む姿があった。




 遥が道場に向かうと、辺りには弦音が響いていた。大会の報告とマフラーの感謝を真っ先に伝えるつもりでいたが、ただ彼を見つめる。


 ーーーーーーーー蓮…………私は、会の瞬間がすき。

 発射のタイミングが揃った時の空気感が…………

 蓮の姿を何度も見てきたけど、その背中に何度も救われた気がしていたの。

 めげそうな時、その射を見て……落ち着いて引いていたの。


 彼の放った矢は、四射とも中っている。


 「……遥、お疲れさま」

 「蓮!」


 彼女の気配には気づいていたのだろう。彼は振り返るなり抱きしめようとしたが、彼女の方が早かった。彼に抱きついていたのだ。


 「ありがとう! 次へ進めるよ……」

 「ん、よかったな」

 「うん!」


 緊張感から解放され、穏やかに微笑む彼女は昨日とは違うのだろう。密着具合に桜色に染まる。


 「……蓮、マフラーありがとう」


 首元へ戻そうとした手は、強く引き寄せられた。

 冷たい空気が頬を撫でる中、優しいキスを交わしているのだった。

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