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第四十八話 表明

 「おはよう」

 「蓮……おはよう……」


 道場にいる二人は袴姿だ。

 黙々と弓を引くと、時間はすぐに過ぎ去っていく。

 早朝からの練習を以前のように行なっていたが、遥は部活の朝練がある為、蓮だけが道場に残る。


 「遥、また明日な」

 「うん!」


 明日は土曜日の為、久しぶりのデートだ。嬉しそうに頬を緩ませる遥は冬服になった制服に着替えると、手を振り道場を後にした。


 放課後はいつものように道場で練習の日々だ。ここ数日、実践練習にもいつも以上に気合が入っているのは、来週に高校新人地区兼県選手権予選を控えているからだ。

 遥たち二年生が、この大会に出場できる機会は今年で最後となる為、いつも以上に覇気のある上級生に、一年生も納得の様子だ。

 そんな中、部長だけはいつもと変わらない弦音を響かせ、皆中していた。


 ーーーー最後……部活をしていれば、何でも最後の大会があるけど…………早いよね……


 遥はいつもと変わらない横顔だが、その胸中はもっと、ずっと引いていたいと、願っているかのようだ。


 団体戦地区大会では、男子は二十射十二中以上、女子は十中以上のチームが、更に翌週の県大会へ出場となる。個人戦では男子八射五中以上、女子は四中以上の者が、同じく県大会出場となるのだ。

 来週に控える大会の結果によって、より多く引く事が出来るか、最後の機会になるかが決まるのである。


 「今日はここまで。ストレッチして解散な」

 『はい!』


 一吹の指示に従う彼らは、大会を心待ちにしているようだ。この一年で心もかなり鍛えられていた。大会前の硬い表情が、微かに減った事が良い例だろう。


 「来週かーー、待ち遠しいなー」

 「だな!」

 「そうだねーー」


 次々と口にする言葉に、一吹だけでなく藤澤も期待を寄せていた。

 そんな中、心強い仲間に遥はそっと微笑んでいた。






 うーーん……変じゃないかな?


 姿見の前では、遥がチェック柄のスカートにデニムのジャケットを羽織っている。


 いつも蓮と会う時は、制服や袴姿が多いから……せめて、デートの時くらいは、可愛いって思われたい。


 彼女なりの乙女心ではあるが待ち合わせの時間だ。

 勢いよく家を出ると、遥に気づいた彼が手を振る。蓮もパーカーに、デニムのジャケットを羽織っている。

 駆け寄ると、揃って嬉しそうな笑みを浮かべた。二人にとって、夏休み以来の待ち合わせデートだ。


 「蓮、お待たせ」

 「遥、おはよう」

 「おはよう」


 蓮に手を取られ、並んで歩いていく。時折、ぴったりと寄り添う姿があった。


 「蓮! 次は、あれ乗ろう?」

 「うん!」


 遥が彼の手を引いて、乗り物に率先して並んでいる。二人は遊園地に来ていた。

 何をしていても、彼といれば楽しいのだろう。遥は終始笑顔を見せている。隣にいる蓮もまた同様だ。


 長蛇の列に並ぶ間も、話が尽きる事はなく、飲み物を片手に話を続けた。


 「十一月になるから、早いな」

 「そうだね。県大会にみんなで出場したいな……」

 「楽しみだな。遥の射が見れるの」

 「うん……残りたい」

 「そうだな」


 甘い雰囲気はあるが、会話の内容は現実的な弓道の話がおもだ。二人にとって弓道は、身体の一部になっている感覚なのだろう。切り離しては考えられない。


 「蓮……今日は誘ってくれて、ありがとう」

 「ん、楽しいな?」

 「うん!」


 フリーパスの為、次々と乗り物に乗っていく。蓮の受験が佳境になる前の、ちょっとした息抜きでもあった。


 「遥、次あれ乗るか?」

 「うん!」


 蓮が指差したのは、急な角度で落下する絶叫系のコースターだ。怖がるどころか、勢いよく応える遥がいる。そんな所まで意気投合している二人がいた。


 「ーーーーそろそろ締めだな」

 「そうだね」


 二人にとって、遊園地の締めといえば観覧車である。

 今日は隣に並んでではなく、向かい合って座っていた。


 ーーーーーーーー早い……一日が、あっという間で……


 二人の乗った観覧車は、ゆっくりと頂上へ差しかかろうとしている。


 「ーーーー遥……」

 「うん?」

 「……俺は……慶星けいせい大学を受けるよ」

 「うん……」


 遥は小さく頷く。


 みっちゃんが……東京に行くと決めた時から、こうなる事は分かっていた。

 今よりも、より良い環境で弓を引く為の選択。

 蓮が私の背中を押してくれるように、私も押してあげられるような人になりたいって……


 「……応援してるよ」

 「ありがとう……」


 柔らかな笑みは抱きしめられていた。


 「わっ……」


 ガタンと、ゴンドラが大きく揺れているが、遥は気づいていなかった。彼の心音だけが強く響いて聞こえていたからだ。


 ーーーー私だけじゃないんだ…………

 何かを決断した時……選択した時、これが今の最善だと分かっていても、迷う時がある。

 私は…………そうだった……


 早く鳴る音に遥は瞼を閉じて、背中を優しく包み込む。


 「……蓮なら……大丈夫だよ」

 「うん……遥……」


 頬に触れる手に、手を重ねる。


 避けては通れない道。

 どんなに想っていても、一つの差は変わらない。

 どんなに……一緒にいたいって、想っていても……


 潤んだ瞳で彼を見つめていたのだろう。蓮は頬に触れたまま、唇を重ねた。


 急激に染まり、深くなる口づけに応えていく。

 甘い密室の空間は、観覧車が終わりに差しかかるに連れて離れていった。それは、まるで今の二人のようだ。


 「ーーーー遥……また出かけような?」

 「……うん」


 一瞬驚いた表情を浮かべた遥は、桜色に染まったまま嬉しそうに応えた。


 「蓮……ありがとう……」

 「ん、頑張るから……遥もな?」

 「うん!」


 すべてを言わなくても、彼女には分かっていた。彼が『受験を頑張る』と言ったこと。そして、『大会を頑張れ』と、背中を押してくれていたことを。


 ーーーーーーーー頑張る……少しでも長く、弓が引けるように。

 少しでも……蓮に近づけるように……


 隣を歩く視線に気づき、微笑みを返す。遥は切なさを滲ませながらも口にした。


 「ーーーー蓮……追いかけるから……」

 「うん……」


 夕暮れ時の伸びた影が、アスファルトには一つになって映し出されていた。






 いつもの道場に二人の弦音が響いている。遥は大会前の最終調整を行なっていた。心地よい彼の音を前に、気持ちが整っていく。


 「遥、気をつけてな」

 「うん……蓮……」


 袴姿に学校のジャージを羽織った遥は、彼の右手を握ったままだ。離れがたいのだろう。彼女の想いが分かったのか、蓮は右手を自分の方へ引き寄せた。


 「ーーーーっ!」

 「……遥」


 耳元で囁く柔らかな声に、頬が染まる。


 「ーーーー蓮……ありがとう……」


 肩に額を寄せ、同じように抱きしめる。


 「…………いってきます」

 「いってらっしゃい」


 手を振り、大会のある会場に向かった。


 胸の高鳴りを落ち着かせるように深く息を吐き出すと、秋晴れの空を見上げた。


 「……楽しみだね」

 『うん!!』


 独特の緊張感に包まれる中、そう告げた遥に、チームメイトが笑顔で応える。

 このチームで戦う機会は少ない。特に遥たち二年生にとって、残り一年を切っていた。


 十二射十中以上で、来週の県大会に出場ができる。

 今年も、出れるように……


 遥は一射目から萎縮することなく矢を放つ。伸び合いのあるかいから、他とは違う音を響かせていた。


 「ーーーー綺麗……」

 「藤澤先生……どうしたら……部長みたいな射が出来るようになりますか?」

 「そうですね……毎日、弓に触れる事ですかね。弓道には正射必中という言葉があります。これは、正しい射法で射られた矢は、必ず中るという意味です。それを体現しているからだと……私は、思いますね」

 「正射必中……」

 「次はみなさんの番ですよ。いつも通りを心がけて下さいね」

 『はい!』


 道場では、清澄高等学校Aチームが二十射十三中し、翌週の県大会への出場が決まった。

 藤澤の元で彼女たちの射を見ていたBチームである一年生の五人は、自分たちの出番に緊張感が増していった。


 大前から順に、平野、落合、井上、小林、増田と五人が並んだ。Aチーム唯一の一年生だった加茂は、彼女たちの射を自分が引いた時よりも緊張した面持ちで見つめていた。

 そして遥もまた、後輩の射を静かに見守っていた。


 ーーーーみんな……頑張って…………練習通り引ければ、羽分はわけ以上でボーダーライン。


 女子は二十射十中以上で県大会に出場可能な為、半分以上中る事が必須だが、それは初心者もいる一年生にとっては難しい条件だ。

 遥たちが静かに見守る中、次々と矢が放たれていく。落ちの増田を残し、八射中っていた。


 ーーーーーーーー最後まで、放って……


 「惜しいな」

 「うん……」


 遥の想いが届いたのか、増田の矢は中っているが、的を見渡せば二十射九中の為、地区大会止まりとなった。


 ーーーーあの時とは違う…………

 団体を……一チーム組むのがやっとだった。

 入部したばかりの頃とは、比べものにならないくらい……

 

 少人数だった清澄高等学校弓道部は、この一年で男女ともに二チーム出場が叶うまで部員が増えた。

 遥にとって結果は過程であり、中りを求めてはいない。その為、出場する事に意義があると感じていたのだ。


 加茂が自分の事のように気落ちする隣で、遥はやり切った仲間に温かな視線を向けていた。


 「次は俺たちの番だな」

 「あぁー」


 気合を入れ直す男子を見送ると、男女が入れ替わり試合が行われていく。


 副部長の翔率いるAチームが、十三射で女子と同じく県大会出場を決めると、遥たちは手を取り合い喜んでいた。


 「すごい、すごい!!」

 「やったね!!」

 「うん!」


 安定した射に、手を握りながら祈っていたのが昔の事のようだ。


 観覧席に戻るなり、ハイタッチをして喜び合うと、揃ってBチームの射を見守る。

 大前から順に石田、宮崎、曽根、杉山、渡辺と、弓を引く。高校から弓道を初めた者が殆どの中、二十射十中だ。

 男子は二十射十二中でないと県大会へ進めない為、女子と同じく地区大会止まりだが、彼らがいつもと同じように挑めた事に、藤澤や一吹だけでなく、遥たち二年生も、強くなっている事を実感していた。


 「ーーーー頑張ったよな……」

 「あぁー」


 陵に頷いて応えた翔は、羽分けを出すだけでも難しい事がよく分かっていた。他のメンバーも、初めて大会に出た日の事を思い返していたのだろう。皆、頷いた様子で的を眺めている。

 そこにはAチームが男女揃って出場を果たした喜びよりも、何処か悔しさが滲んでいた。


 「また引けるな!」

 「うん!」


 ムードメーカーな陵に、勢いよく頷いた遥は湿っぽい気持ちを払拭するように笑顔だ。


 「また出れるんだねーー」

 「あぁー」


 二年生にとって、この大会の出場は最後の機会だ。


 「ーーーー来年は……新しいチームが全員、大会に進めるといいですね」

 『はい!!』


 藤澤に微笑んで応えた二年生に、来年の大会には先輩たちがいない事を、一年生も改めて実感したようだ。


 個人では二年生が順当に県大会進出を決める中、遥の射を一つも逃す事なく見つめていた。

 個人において、全国大会二連覇の彼女の射に向けられている視線は多い。他校生も多数見学しているくらいだ。


 ギャラリーが多い中でも、彼女の動作は何一つ変わっていない。心地よい弦音を響かせ、八射皆中を決めたのは彼女だけである。


 「ーーーー遥は、やっぱりすごいね……」

 「美樹、改めてどうしたの?」

 「……うん、あんな風に射る事が出来たらなぁーーって、思って」

 「そうだね。遥は、何一つ変わってないよね」


 一年生の頃から遥の的中率は変わっていない。八射皆中する事が当たり前の彼女の射は、いつも気持ちまで整っているように映った。


 東部地区の団体、女子二十二チーム、男子十六チーム。個人は女子七十名、男子三十八名が、翌週に行われる県大会出場を決める中、風颯学園のある中部地区では、村松率いるAチームだけでなく、Bチーム、Cチームと、県大会進出を決めていた。さすがは全国大会常連校だ。


 「来週だな」

 「だな!」


 世代交代は上手くいっているのだろう。風颯学園は強豪校の名に相応しい活躍をしていた。


 後輩からのメッセージに、蓮は机に向かっていたが一息入れるように大きく伸びをした。

 村松たちの頑張りに、自分自身も身の引き締まるような想いを抱いていたのだろう。再び机に向かい、気持ちを整えていく姿があった。

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