第四十三話 秋風
スポーツフェスティバルの団体戦上位八校が、九月下旬に行われる県連秋季大会の出場権を得られる。個人戦もあるが、県連秋季大会がある団体戦に毎年力を入れる学校が多く、清澄高等学校も団体戦出場が目標だ。
昨年とは違い男女合同の東部地区の会場には、藤澤と一吹が揃って同行していた。
一年生で唯一男子団体参加の青木も緊張しているようだが、加茂ほどではない。中学からの知った顔があるからか、的確に弓を引いている。
ーーーーみんな……頑張って…………
思わず祈るように両手を握る。
心の中でエールを送っていたのは遥だけではない。部員全員が弓を引く五人を応援し、放たれる度に一喜一憂していた。
団体戦は一人八本ずつ弓を引く為、四十射中の中りで順位が決まる。
大前の陵、二番の雅人、中の青木、落ち前の和馬、落ちの翔の順に繋がっていた。
「ーーーー……成長したな……」
思わず呟く一吹に、藤澤も深く頷く。目標としていた八射四中以上を五人ともクリアしていたからだ。それは、彼らの成長した証であり、続けてきた成果でもあった。
「ーーーーすごい……」
「やったね!!」
「うん……」
……あと、一組を残して…………一位だ。
感激した様子の遥たちに比べ、これから出番を迎える加茂にはプレッシャーである。同学年の青木の射は、驚くくらいの安定感を保っていた。
他の一年生は彼の射に感心したような、羨ましさすら感じるような視線を向けていたが、加茂だけは違う。一年生で唯一の女子団体参加の為か、極度の緊張からか顔色が悪い。元々の性格もあるが、さらに無口になっている。
声をかけようにも、かけられない雰囲気さえ漂っていた。
「…………カモちゃん、大丈夫だよ」
「ハル部長ー……」
加茂から自信のない声が出る。遥だけでなく、その場にいた団体メンバーにもひしひしと伝わっていた。
「一緒に……深呼吸してみない?」
加茂に合わせるように、ゆっくりと深く呼吸をしていく。何度か繰り返していくうちに、彼女も緊張したままだが、落ち着きを取り戻したのだろう。先程までよりも顔色が良くなっていた。
「……みんな、いるから大丈夫だよ。ねっ?」
「はい……」
加茂が遥から周囲に視線を移せば、団体メンバーも微笑んでいる。
昨年の自身を振り返り、平常心でいられるように心がけていたのだろう。一年前とは違い、頼もしい先輩達だ。
「大丈夫だよー、遥がいるから」
「美樹……私も緊張するよ?」
「遥は見えない」
「そんなー……」
態とうな垂れる遥に、加茂だけでなく応援していた一年生も微笑む。いつもの部活の雰囲気だ。
「そろそろ女子の番ですね。準備はいいですか?」
『……はい!』
顔を見合わせ、まっすぐに応えた。
目の前で一位を獲ったメンバーの射に、高揚感を滲ませたまま席を立つ。その後姿に迷いはない。まるで共通の想いを抱えているようだ。
女子の出番が迫る頃、男子団体メンバーが席に戻った。
「お疲れさまです!!」
「ありがとな」
「青木、すごかったな!!」
「めっちゃ、楽しかった!!」
興奮の冷めない青木とチームメイトも同じようだ。結果が全てではないと分かっていながらも、試合においては結果がすべてだ。それは紛れもない事実である。
「あっ、ハルたちが出てきたな」
翔の声で一斉に静けさが戻る。
いつもと変わらない様子の加茂に安堵しながらも、両手を握りながら見守る仲間の姿があった。
カンと、心地よい弦音が響き、落ちの射に続くように、大前の美樹、二番の奈美、中の真由子、落ち前の加茂と、五人の音が順に繋がっていく。
「ーーーー相変わらずだな……」
「あぁー」
「…………先輩……部長って、外す事あるんですか?」
「ないな」
即答する陵に、驚きながらも納得の表情を浮かべる青木。ただそれは彼に限った事ではない。
「俺達の知ってる限り……公式戦で、ハルが外した所は見た事ないな……」
そう付け加えた翔にも、衝撃はあれど納得な様子だ。
毎日のように弓を引く場面を目にしている筈だが、遥が外すまで引いていたのは、風颯との合同練習くらいである。
今も、彼女の射が乱れる素振りはない。その姿は、高校生とは思えない身のこなしだ。
祈るようにではなく、彼女に限っては心地よい弦音を聴きいっていた。
「ーーーーやば……」
「あぁー……決まったな」
一つも外す事なく圧倒的な的中率を見せる遥に、視線を送っていたのは仲間だけではない。全国クラスの彼女に向けられる視線は様々だが、その多くは敵わないと思い知らされるものばかりだ。
少なくとも東部地区で彼女と対等な弓引きはいない。満と蓮のような試合を行う技量は、残念ながら皆無であった。
藤澤は入学したての頃の二年生を想い返していた。
昨年初めて挑んだ団体に、加茂のように緊張し、ガチガチになりながらも、ギリギリ八位で掴んだ次への切符。
遥だけでなく今の二年生は、弓道部の再生に大きく貢献していた。
「ーーーー……過ぎる……くらいですね……」
藤澤の呟きは周囲の喧騒にかき消された。
彼女達から応援していた部員に視線を移すと、手を取り合い喜び合う姿があった。藤澤だけでなく一吹からも、優しい瞳が向けられていた。
女子は四十射二十六中。男子と同じく東部地区一位の成績だ。
ーーーーーーーー蓮…………やったよ……
団体を終えた遥は、うっかり泣きそうになるほど気が緩んでいた。一朝一夕では届くはずのない順位に、部長を囲むように喜び合う姿があった。
応援に駆けつけた一年生にとっては、先輩の勇姿に、同級生の頑張りに、思わず拍手を送っていた。
昨年から大幅に順位を上げ、東部地区一位の成績で、県連秋季大会の出場権を手に入れたのだ。
緊張感から解放された遥の横顔は、空に向けて微笑んでいるようだった。
順位発表を終えると、藤澤と一吹の前に揃っていた。
褒める言葉も、周囲の興奮も、分かってはいても、実感が薄い遥に向けて、藤澤は微笑んでいるようだ。
「男女揃って、来週の大会も出場できますよ?」
「ちょっ! 遥、すごくない?!」
「う、うん」
藤澤だけでなく、チームメイトの言葉に、遥は嬉しくて言葉にならなかったのだ。
二年生が抱き合う中、遥も抱き寄せていた。
「やったね、カモちゃん!」
「は、はい!!」
遥以上に状況が把握できていなかった加茂は、部長の言葉で実感していた。自分がやり遂げた事を。
「鈴華ーー! かっこよかったよー!」
「あ、ありがとう……」
「おめでとう!」
「……うん」
今度は加茂が同級生と抱き合う。
喜びを分かち合う姿が、少しずつ記録を伸ばしていた昨年と重なった。
繋がったんだ……みんなで、また引けるんだ……
「遥ーー、また出れるね!」
「うん!」
仲間と抱き合う姿は、元の高校生らしい彼女に戻っていた。
ーーーー嬉しい……また、みんなで弓が引ける。
去年と同じ舞台に、また立てるんだ……
遥は道場で弓を引いていた。大会と変わらずに、心地よい弦音が辺りに響いていく。
矢取りを行う瞳から、涙が溢れそうだ。
「ーーーー遥、お疲れさま」
振り返ると、一番に報告した蓮が袴姿のまま立っていた。彼もまた中部地区の試合を終えたばかりである。
「蓮……お疲れさま……」
「よかったな」
「……うん、ありがとう」
ラインのやり取りで、結果は既に報告していた。
自分の事のように嬉しそうな笑みを浮かべる蓮に、抱き寄せられる。
「…………蓮」
「んーー……」
抱き合ったまま、彼は一つに結ばれた長い髪に触れていた。身を委ねるように額を彼の胸元に寄せれば、涙が溢れ落ちていく。
「…………遥、頑張ったな……」
「……うん」
何度目かになるか分からない蓮の言葉。
優しくて、強い……私の憧れ……
「遥、目つぶって?」
「うん?」
素直に従う彼女に微笑むと、手で拭っていた涙を吸い取っていく。
「れ、蓮?!」
「……遥の射、見に行くからな」
「ーーーーうん……」
驚きで涙は何処かへ行ったようだ。
「……蓮……お疲れさま……」
「ありがとう……遥……」
強く抱き寄せられたまま、そっと唇が重なる。
その日の個人の結果は、遥が東部地区一位。
翔と陵は、昨年より記録を伸ばし、二位と三位の成績を残した。
中部地区では蓮が一位となり、風颯学園は団体でも結果を残していたが、彼がこの先の大会に出場する事はない。
夕暮れの涼しくなった風が、季節の移り変わりを教えている。
道場に袴姿のまま並んで座る二人は、過ぎゆく季節を早すぎると感じながらも、隣にいる今を大切にしているかのように肩を寄せ合う。
「ーーーー早かったな……」
「うん……そうだね……」
弓道部恒例の引退式を残し、部活を引退した彼の瞳は寂しさよりも、これから巡ってくる季節を心待ちにしているようだ。
「……蓮…………」
肩の重みに視線を向ければ、小さな吐息が漏れている。その横顔は微笑んでいるようだ。
「ーーーー楽しかったな……」
瞳を閉じたままの髪に触れ、唇を寄せた蓮は、馴れ親しんだ安土に視線を移していた。