第四十一話 夏衣
「ハルちゃん、綺麗に着れてるねー」
「ありがとう、おばあちゃん」
遥は白地に青い糸菊模様の浴衣に、渋めの淡いピンク地の帯を締めている。これから神社の夏祭りに行くからだ。
下駄に、小さな籠バッグを持って家を出ると、待ち合わせ場所に彼がいる事が分かった。
お互いに手を振っているが駆け出す事はできない。二人とも浴衣姿の為、いつもより小さな歩幅で歩み寄った。
「蓮、部活お疲れさま」
「遥もお疲れさま」
彼は手を取ると、車道側を歩いていく。久しぶりのデートに揃って照れくさそうにしながらも、頬を緩ませていた。
「また家で食べるか?」
「うん、花火見たい!」
「じゃあ、また射的しないとな」
「また? おじさんに止められるよ?」
出店が多数並ぶ中、蓮は得意な射的で遊んでいた。彼は容赦なく全弾命中させている。
「兄ちゃん、去年も来てただろ? 今年はこれで勘弁してくれよー」
「はーい」
遥の手元には、すでに駄菓子の入った袋が握られていた。蓮がその袋を何気なく受け取ると、手を取り出店を見て回っていく。
「ラムネ、飲むか?」
「うん、ビー玉、昔よく集めてたよね?」
「懐かしいな」
並んで歩く二人は可愛らしい高校生のカップルだが、二人とも長身の為、浴衣姿では大人っぽく見られる事もしばしばあるようだ。今もアルコールを勧められ、未成年だと断っていた。
「ーーーーあれ……遥じゃない?」
「本当だ……美樹よく気づいたな」
美樹と陵もお祭りに来ていた。二人とは距離がある為、遥も蓮も気づかず、たこ焼きやじゃがバター等、屋台で買い物をしている。その横顔は楽しそうだ。
「松風さんも浴衣かーー」
「似合ってるよねー。陵も着る?」
「あぁー、来年は着てもいいかなーー」
彼の返答に、浴衣姿の美樹は嬉しそうだ。来年もお祭りに行く気だからだ。
「それにしても、目立つなーー」
「うん、でも……陵には、言われたくないと思うけど」
浴衣姿の二人は美男美女カップルのようで目立っているが、陵と美樹も劣らずに視線を集めていた。特に彼が目立つからだろう。浴衣姿の可愛らしい彼女と過ごす陵に話しかける者はいないが、彼が一人だったなら、多くの人が話しかけていたかもしれない。
「ん、あそこにいるの……美樹ちゃんと松下くんじゃないか?」
「ん?」
帰ろうとしていた蓮と遥も二人に気づいた。
「ーーーー仲良いんだな」
「うん、クラスでも仲良いよ?」
「そっか」
遥と美樹の視線が合い、手を振り近寄った。それまで繋いでいた手が離れる瞬間、また伸ばしそうになるが止める。
「こんばんは」
「蓮さん、こんばんは」
「連覇おめでとうございます!」
「ありがとう」
蓮が友人と話す姿に、遥から笑みが溢れている。
ーーーー不思議な感じだけど……蓮も同じ学校だったら、こんな感じだったのかな……
「遥たちは、もう帰るの?」
「うん、帰ってから食べる事になって」
「そっかぁー。じゃあ、また学校でね」
「うん、またね」
二人に手を振ると、彼の差し出した手を取り帰っていく。その後姿からも、仲の良さは一目瞭然だった。
「花火、見てていい?」
「うん、飲み物持ってくるから座ってて」
「うん」
彼の部屋の窓から、遠くに花火が見えている。夜空を照らす花に昨年を想い出していた。
賞状が増えてるけど……相変わらず乱雑。
全国大会で貰ったばかりの賞状も、他と同じく丸まったままの状態で棚に置かれている。彼らしい様子に、また笑みが溢れる。
「ーーーー綺麗……」
ドーーンと、大きな音を立てて夜空に上がる花火は、夏の美しい風物詩の一つだ。
夜空を照らしてくれているみたい…………来年は、一緒に見られるか……分からないけど……
蓮が飲み物をグラスに注いで戻ると、彼女は夜空を静かに眺めていた。
その後姿を愛おしく思ったのだろう。グラスをテーブルに置くと、背中から抱きしめられていた。
「…………蓮?」
遥には応えず、うなじに唇を寄せる。
「!? ……れ」
驚いて振り返ると、間近にある彼の顔に思わず視線を逸らす。
「ーーーー遥……」
「ーーっ……」
耳元で囁かれた声に、耳に触れる柔らかな感触に、鼓動が速まる。
唇が重なると、彼のベッドの上で触れ合っていた。
「…………蓮……」
「……どうした?」
「……ううん……ありがとう」
背中から抱きしめられたまま、窓の外を見上げた。
「……また見ような」
「うん!」
花が咲いたように微笑む遥に、また唇を寄せる蓮がいるのだった。
澄んだ弦音が辺りに響いている。い朝から弓を引いているが、いつもとは違い今日は二人だ。続けざまに音が響く。
「次、終わったら行くだろ?」
「うん!」
更に十二射皆中を決めると、遥と蓮はそれぞれ自宅に戻り、私服に着替えた。
白いレースのトップスに、ショートパンツを履いた遥は、長い髪を器用に編み込みにし、アップスタイルにしていた。夏らしい格好をしているが、その手には弓具が握られている。
「いってきます」
「一夫さんによろしくね」
「うん!」
カズじいちゃんの射が見られるんだよね……人前で披露するのは苦手だけど……
一夫の射が楽しみで仕方がないのだろう。スキップしそうな勢いの遥は、嬉しそうにしながら蓮の家まで向かった。
一夫に連れられてきた弓道場では、初心者クラスに見せる演武を頼まれていた。蓮と遥にとっては、ちょっとしたお小遣い稼ぎでもある。
再び袴姿に着替えた二人は、先生方と顔合わせを終えると、準備運動を行なっていた。
教室は十時から二時間を予定している為、あと一時間程で生徒が集まる。
「先生のお孫さんと彼女さんですかー」
「あぁー、二人とも全国大会二連覇しているからな。その辺の人より、かなり上手いぞ?」
「ちょっ、先生!!」
「先生!!」
弓道においては師であり、他の先生方もいる為、普段の『じいちゃん』『カズじいちゃん』呼びはしていない。弓道において、彼らなりの礼儀だ。
「蓮くんと遥ちゃんね。よろしく」
『よろしくお願い致します』
丁寧な所作で挨拶をする二人に、周囲は驚いていた。私服姿は年相応な高校生だったが、袴姿の彼らは凛とした眼差しで、立ち姿すら綺麗だ。
高段者と引けを取らない佇まいの孫たちに、一夫の頬も緩む。
「二人とも、生徒が来る前に少し見てやるぞ?」
一夫の言葉に顔を見合わせ、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「はい!」
「お願いします!」
高校生らしからぬ射形と的中率に、感嘆の声が上がっていたが、それも束の間の出来事。彼女が神山滋範士十段の孫という事実に、納得の表情を浮かべている者が殆どだ。それ程までに一夫と滋の名は通っていた。
二人の放った矢は、十二射皆中を決める。
「ーーーー本番もこの調子でな」
『はい!』
初心者クラスだが、今日がレッスン最終日の為、生徒たちは的に実際に射る事が出来るようになっていた。そして、このクラスは高校生不可の為、遥が一番年下である。
二人は主に一夫の演武の介添えをしていた。彼が放つ澄んだ音に、生徒たちも惹かれている事が伝わっていた。
ーーーー綺麗な射……いつ見ても、変わらないの。
美しいって言葉は、こういう時に使うんだと思う。
目の前で弓を引く一夫の姿に、祖父の姿を重ねていたのだろう。遥の瞳は微かに潤んでいた。
「ーーーー蓮、遥」
『はい』
同時に応え、蓮から順に弓を引く。
三人の演武に、場内から拍手が響いた。彼らの放った矢は四射皆中していたのだ。
「先生、今日はありがとうございました」
「蓮、ハル、今日はありがとう」
「ありがとうございました」
「失礼します」
蓮が彼女の手を取ると、二人は道場を一足先に後にし、残り少ない夏休みを満喫していた。ようやく二人きりのデートだ。
道場近くの公園のベンチに腰掛けると、木陰の下でお弁当を食べ始めた。
「遥、美味しい」
「よかった」
「もうすぐ学校、始まるなー」
「そうだね。蓮は、受験生だね……」
「うん、もう引退した人もいるからな。一応、団体メンバーは例年通り、九月までは現役だけどな」
「そっか……学祭、楽しみだね」
「また見に来てよ?」
「うん!」
先程までの凛とした空気から一変し、二人の間には甘い空気が流れる。
「楽しかったね」
「うん、そうだな」
数年前までは、祖父たちの射を見ている事しか出来なかった彼らにとって、師と一緒に引く機会は、モチベーション維持にも一役買っていた。
「今日はありがとう……じいちゃんも喜んでた」
「こちらこそ、ありがとう……」
「何か、想い出したな……」
「そうだね……初めて、弓に触れた日のこと」
揃って想い返すのは、小学生の頃のことだ。
祖父たちは、孫が弓に興味を持ってくれる事を喜んだ。成長する度に、自分達が切磋琢磨していた日々を思い起こしては、語り合っていた。
厳しくも優しい視線を受けながら、遥たちは弓道を続けてきたのだ。
一夫の今日の提案も孫と、弟子と、一緒に過ごす想い出づくりの一環でもあったのだろう。
それが二人にも分かっていた。今は一緒にいられても、いつ別れがくるか分からない事を。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でしたー」
蓮が空のお弁当箱が入った籠を持つと、並んで歩いていく。
「遥、甘いの食べて帰るか?」
「うん!」
さっそく貰った金一封で、三時のおやつといった所だ。二人はソフトクリームを片手に笑顔を向け合う。
「ーーーー遥」
カシャと、シャッター音に驚く。彼を見上げた笑顔が写真に収められていた。
「ちょっ、蓮!」
「大丈夫、可愛く撮れてるって」
「うっ……一緒に写ってよ」
「んーー、どうしようかな」
「もう!」
側から見れば、年相応の高校生のカップルだ。二人は顔を寄せ合い、笑顔のまま写る。
まだ日差しの強い中、残り少ない夏休みと目の前にいる彼との時間を、貴重に思う遥がいた。