第三十九話 展望
神山家一階の和室にある祖父の仏壇には、きゅうりで作った精霊馬とナスで作った精霊牛が供えられていた。
「遥、次はこれを運んでー」
「うん」
母の呼びかけに応え、彼女は制服姿にエプロンを着けたまま、一番広い和室に料理を運んでいく。
今日は祖父の三回忌だ。
「ハルちゃんも大会出るんでしょ?」
遥が料理をテーブルに並べていると、稔に声をかけられた。
「うん、来月頭の大会に出るよ」
「ハルも蓮も強いからなー」
「みっちゃん、ありがとう」
稔の隣には満が、向かい合った座布団には蓮と航が座っていた。
「ミツ兄は相変わらず、ハルちゃんに甘いなーー」
「ってか、ハルと蓮くんはまだつきあってるの?」
「ちょっ、航?!」
遥は思わず声を上げた。
満は大学生活が忙しいようだが、祖父の三回忌の為、実家に帰ってきている。
三回忌法要が行われる中での従兄弟の発言に、遥だけでなく蓮も、『今聞くなよ!』と、心の中で叫んでいた事だろう。飲んでいた緑茶を吹き出しそうだ。
「……航、つきあってるよ。っていうか、航も彼女ができたって言ってただろ?」
「そうなの?!」 「ちょっ!」
蓮の細やかな反撃だ。満も遥も知らなかったのだろう。この後、神山兄妹から質問攻めに合ったのは言うまでもない。
賑やかだったお斎の時間も、もうすぐ終わりとなる。心なしか淋しげに遥の瞳が揺れる。
「ーーーー三人とも来月は大会か……」
「カズじいちゃん……俺は八月中旬だから、二人の方が先に大会が来るな」
「うん」
「うん、連覇目指して頑張るよ」
「あぁー、それでこそ蓮だな!」
ハイタッチを交わす二人は、来月の大会に向けて気合いは十分なようだ。
「ーーーー久しいな……」
一夫は目を細め、仏壇に視線を戻していた。
蓮の祖父は、遥たちの祖父とライバルであり、親友でもあった為、想い出も人一倍あるのだろう。二年経った今でも、慣れない事の方が多い。それほど長い時間を共に過ごしてきたのだ。
遥の瞳も潤んでいた。仏壇に飾られた写真には、笑顔の滋がいる。
ーーーーおじいちゃん……私、清澄に入ってよかったよ……少しは……再生に、貢献できたかな?
部長になって、緊張しない日はないけど……楽しいよ。
返答があるわけではないが、『遥の射がすきだ』と言ってくれた祖父なら笑ってくれていると、感じていたのだ。
潤んだ瞳に気づいた彼が、そっと手に触れた。温かな感触に顔を上げると、柔らかく微笑んだ蓮が映る。
「ーーーーありがとう……」
小さく漏らした言葉に反応はない。何もなかったかのように彼の視線は満に向けられていたが、その手には力が込められているようだった。
「途中まで送っていくね」
「俺も。そして時間があったら、カズじいちゃんに射形を見てほしい」
「あっ、私も!」
遥も満も袴姿に着替えている。蓮と一夫を見送るついでに、道場で練習するつもりなのだ。
「いいぞ、蓮も着替えてくるか?」
「うん!」
道場に四人が集まることは滅多にない為、心なしか緊張感が漂う。一夫の射を間近で見れる機会はいつだって貴重であり、師に教わる時間は少しも無駄にはできないのだ。
袴姿の三人が揃うと、満、蓮、遥と年齢順に引いていった。弓返りの音も、弦音も、心地のよい三人の音が響く。
普段は年相応な彼らだが、弓においては大人びて見える。
一夫は成長した彼らの射を見ながら、滋と切磋琢磨してきた日々をまた想い出していたようだ。一人では、辿り着けない高みを目指していた事を。
十二射皆中するまで、一夫はただ静かに眺めていたが、孫たちの成長ぶりに感化されたのだろう。
一夫は私服のままだったが、蓮が着替える際に持ってきた弓具を受け取ると、まっすぐに的を見据え、弓に触れる。
その立ち振る舞いは、さすがは範士九段と言えるだろう。貫禄があり、どんな時も安定している。感慨深い胸中とは違い、まっすぐに飛んでいった。
「ーーーー三人とも成長したな……」
「ありがとうございます」
正座のまま、揃って応える様子に、一夫は笑みを浮かべ、孫たちの明るい未来を願っているようだ。
「……五段を目指して精進していきなさい」
『はい!!』
五段の審査からは五人の審査員のうち、四人の票がなければ合格できない為、格段に難しくなる。
そして、五段以上の段位を取得後、一夫や滋のように称号を錬士・教士・範士と進めていけるのだ。
瞳を輝かせて応える姿が、一夫の目には眩しく映った。
彼らにとって祖父たちは、いつまでも憧れの存在であり、幼い頃から変わらないのだ。
「カズじいちゃん、ありがとう」
「あぁー、久しぶりに楽しかったよ。満もハルも自分らしくな」
『はい!!』
一夫と蓮の帰っていく後姿に、二人も自分の理想を目指して弓を引くと、改めて心に誓っていた。
「ハルは相変わらずだなー」
「おはよう、みっちゃん」
日曜日にも関わらず、朝から弓を引く遥に笑みが溢れる。
「俺もやる!」
「うん、みっちゃんは午後の新幹線だっけ?」
「あぁー」
まだ夏期休暇ではない為、満は東京に戻るのだ。
無言で弓を引くと、次々と的に中っていく。
二十射皆中を決めた所で矢取りを行うと、自然と兄妹での会話も弾む。
「久々にこっちで引くと、初心を想い出すなー」
「そっか……夏休みは、向こうでバイトなんだっけ?」
「あぁー」
二つしか変わらないけど……こういう時に、年の差を感じるの。
ーーーーきっと、蓮も…………
「……遥も東京に来いよ?」
「えっ?」
「次は、また三人で引きたいだろ?」
「うん……」
満はたまに突拍子もない事を言うが、それは彼女の想いと一致していた。一度離れて気づいたのだ。もう一度、彼らと弓を引きたいと。
ーーーー再来年、みっちゃんと、蓮と一緒に……弓を引くことができる私でありたい。
「……まずは、お互いの優勝だね」
「あぁー!」
遥にしては珍しく『優勝』と、口にしていた。
中ることは結果であって、そればかり求めたりはしない。
でも……それでも、蓮とみっちゃんと弓を引き続ける為には、少しでも今の場所で、誰よりも多く弓を引ける人になること。
それが彼女の目標であり、射形を乱さない支えの一つとなっていた。
「ーーーーハルたちが来るの、待ってるな?」
「……うん!」
彼が先に進んでしまう事を分かってはいたが、いつもの明るい口調で応えていた。
蓮は午前中の練習が終わると、遥と道場で待ち合わせをしていた。
「満、行ったんだよな?」
「うん……」
二人は私服姿のまま、壁にもたれ掛かりながら話を続ける。
「みっちゃんが待ってるって……」
「そうか…………次は、俺の番だな……」
「うん……」
「満と同じ大学に行けるかは、まだ分からないけどな」
「みっちゃんは意外と頭がいいからね」
「だよな」
幼馴染でもある為、散々な言い方だが、二人とも楽しそうに笑っている。
満の成績の良さを認めているが、遥も蓮も同じような成績だ。実現できるだけの力はあるが、それが叶うかは本人次第である。
「全国でも……蓮の射が見れるの、楽しみにしてるね」
「うん、俺も……楽しみにしてるよ」
「宮城……初めて行くかも」
「そうだな……」
二人の間に距離はなく、ぴったりと寄り添うように座っている。
「遥……向こうでも会えるといいな……」
「うん……」
他校生だから約束はしないけど、いつも会いたいって思っているから……同じ気持ちだと嬉しい……
「蓮、ありがとう……」
「何だよ急に……」
「んー……ちゃんと、言っておきたいと思って……また、同じ場所で引けるように……」
「うん」
遥の頭は肩へと引き寄せられる。彼女の言葉に、蓮は嬉しそうに頬を緩ませた。
二人は同じ気持ちだった。同じ場所で弓を引く事ができる自分でありたいと。
その為には全国優勝。
そして、段位の昇格を目指し、改めて日々の自分自身と向き合っていく事になる二人がいた。
清澄高等学校の道場では、夏休み期間中も平日のみ練習が行われていた。昨年と同じような日程だが、昨年とは違いコーチがいる。彼らにとって、それは大きな変化だ。
「明後日から遥と翔の二人は、全国大会で宮城に行ってくるから、次の練習は一週間後だな」
『はい!』
東海高校総体で団体三位と、結果を残せた自信が弓の所作に繋がっているのだろう。自信をもって弓を引く姿に、藤澤も一吹も部員の成長を喜んでいた。
「部長と副部長に!」
「あ、ありがとう……」 「ありがとな」
一年生から二人に必勝祈願の御守りが手渡される。遥は昨年と同じ赤色の、翔は紺色の御守りを嬉しそうに受け取った。皆、二人の事を応援しているのだ。
遥は御守りを握りしめると、さっそく矢筒に付けた。
ーーーー笑顔で、また此処に戻って……弓を引く事ができるように……
「遥、翔、頑張ってね!」
「ハル部長、副部長ーー、頑張って下さい!」
「応援してるからな!」
「お二人とも頑張って下さい!!」
仲間からの様々なエールに、遥も翔も笑顔で応える。
「ありがとう……」
それぞれ御守りを片手に、インターハイに向けて気持ちを整えていた。