第三十七話 再度
ーーーー二度目の部長…………隆部長やユキ先輩のように、ちゃんとできるか不安はあるけど……蓮も応援してくれてるから、頑張りたい。
遥はメッセージを読み返していた。
『無理しすぎない程度にな!』
スマホを鞄にしまい、朝練へ向かうのだった。
放課後になると、実践練習を行っていた。朝練は自由練習、放課後は実践練習が清澄の主流になっていた。
「……部長! ハル部長!」
「ごめん……カモちゃん、どうしたの?」
「藤澤先生が、部長と副部長を呼んでましたよ?」
「ありがとう、職員室に行ってくるね」
「はい」
袴姿のまま、遥と翔は職員室に向かう。
「ハル、具合悪いのか?」
「ううん、部長呼びに慣れないだけで……」
職員室に入ると、藤澤より合宿が言い渡された。
「えっ? 藤澤先生、本当ですか?」
「ええー、昨年と同じ一泊二日です。練習の後に伝えて下さいね」
『はい!』
職員室を出ると、顔を見合わせた。
「やったね!」
「あぁー!」
二人が喜ぶのも無理はない。
風颯学園は弓道の名門校だけあって、道場の設備が整っている。そんな学校と、また合宿が出来る機会は貴重である。
『えーーっ?!』 『やったーー!!』
二年生は、思ったとおりの反応。
一年生も喜んでるけど、緊張しているみたい……
「練習試合も行う予定なので、当日も練習と同じような射が出来るようにしていきましょう」
「遥の言った通りだ。風颯と……他校と練習できる機会は、プラスになるからな。土曜日が楽しみだな」
『はい!』
一吹に応えた彼らは、早くも週末が待ちきれないようだ。特に一年生にとっては、初めての合宿になる。緊張感を滲ませながらも、強豪校との練習に期待を寄せているようだった。
清澄では士気が高まり練習をしている頃、彼の高校も同じような反応を示していた。
「以前話した通り、明日から一泊二日で清澄高等学校と合同練習を行うからな。練習試合も行うから、そのつもりで」
『はい!』
「部長が言った通りだ。今年の清澄は東海高校総体にも、男女共に団体三位入賞していたからな。明日は八時集合だから、遅れないように!」
『はい!』
良知コーチに応える部員は、覇気のある声を上げた。
「蓮、お疲れー」
「佐野、お疲れさま。何か話しか?」
「さすが察しがいいな。清澄の部長って、もしかして遥ちゃん?」
「うん、副部長が白河くんだってさ」
「へぇー。結局、あの子も面倒見がいいんだな」
「そうだな」
話をしながらも手早く制服に着替えると、彼女の待つ道場に急ぐ蓮の姿があった。
彼が着くと、姿見の前で髪を一つに整えていた。
「ーーーー遥、お疲れさま」
「蓮! お疲れさま」
駆け寄る姿は可愛らしいと言えるだろう。思わず蓮の頬も緩む。
「明日、楽しみだね」
「うん、楽しみだな。俺も着替えてくるから、射詰しないか?」
「うん!」
的の用意を終えると、袴姿に着替えた蓮が隣に並ぶ。視線を通わせ、遥から順に引いていった。
心地よい音が響くが勝負がつく事はなく、十二射皆中と同中だ。
「遥……明日も朝、来るか?」
「うん……」
「じゃあ、明日も勝負だな?」
「うん、楽しみにしてるね」
袴姿のまま二人とも帰るのだろう。片付けて並んで座ると、束の間の休息をとるかのように寄り添っていた。
「遥……」
「んーー……どうしたの?」
彼女の肩に額が寄せられる。
「いや……部長は、どう?」
「慣れないけど……やり甲斐はあるかな……」
「そうか……無理はするなよ?」
「うん、ありがとう……蓮もね」
そう応えると、蓮の髪に触れ、微笑んでみせる。
「大会終わったら、夏休みか…………また出かけような?」
「うん、嬉し…」
その続きは、彼の唇によって飲み込まれていった。
昨夜の約束通り、二人は早朝から道場を訪れていた。
「おはよう」
「おはよう、蓮……」
昨日のキスを思い出したのか、遥の頬は微かに赤い。
ーーーーなんで今、思い出すかな……
蓮に触れられると、温かくなって……ずっと……触れていたくなるから……
「遥、顔赤い。大丈夫?」
「う、うん、大丈夫! 私から引いていい?」
「うん」
慌てた様子の遥は、気持ちを落ち着かせるように深く息を吐き出した。
揃って十二射皆中すると、すぐに矢取りを行なっていく。このあと遥は駅前に、蓮は学校へと、それぞれ向かうからだ。
「蓮、ネクタイが曲がってるよ?」
「ん」
首元を寄せてくる彼のネクタイを整える。
「……はい」
「ありがとう」
「わっ……」
ぎゅっと抱きしめられ、そっと背中に手を伸ばした。
「ーーーー蓮……そろそろ行かないと……」
「うん、少しだけ……充電……」
「うん……」
……変かな…………キスしたいなんて……私からしたら、驚くかな?
「…………蓮……」
「んーー?」
覗き込むように見つめる彼の唇に、そっと重ねていた。
ーーーー蓮が照れてる……
彼の頬は赤くなっていたが、彼女がそう思うのも束の間、そのまま舌を絡めとられていく。
「ーーっ!」
「…………煽った遥が悪い」
反論したいところだが、集合時間が迫っている為、いつもの坂道を手を繋いだまま下っていく。
「また……後でな」
「うん……」
遥が手を振り駅に向かう後姿を、彼はその姿が見えなくなる曲がり角まで見守っていた。
無意識に指先が唇に触れ、熱くなる頬を冷ますように首を小さく横に振る。
ーーーーーーーーこんな気持ち、知らない……
感情を持て余したまま駅前に着くと、一吹が集合場所で待っていた。遥は気持ちを切り替えるように声を出した。
「一吹さん、おはようございます」
「おはよう、遥。やっぱり一番乗りだったか」
「はい、藤澤先生は一年生と一緒にここまで来るんですよね?」
「あぁー」
話をしていると、副部長である翔が、陵たちよりも一足先に着いた。
挨拶をする中、遥は名簿に丸をつけて出欠確認をしていく。
「今日はいい天気だなー」
「朝から暑いですけどね」
「そうだな。一吹さんは、風颯に行くの久しぶりですか?」
「俺は……そうだなー……OBのみんなで行った事があるから、三年ぶりになるかなー」
「そうなんですか?」
五分程で他のメンバーも揃い、一吹と遥、翔を先頭に歩いていく。
藤澤は一番後ろを歩きながら、二十人になった部員を眺めていた。再生した清澄高等学校弓道部に、これから先の未来も、期待しているようだった。
「おはようございます。顧問の一ノ瀬です」
「おはようございます」
張りのある声で応える姿に、一ノ瀬が微笑む。
部長と副部長を呼ぶと、男女別に更衣室や寝泊まりする場所を案内させた。
遥は副部長である鈴木のすぐ後ろを歩いていた。
「ハルちゃん、久しぶりだね」
「お久しぶりです。スズ先輩」
彼女にとっては中等部の頃の先輩の一人だ。
「えっ? 部長のお知り合いですか?」
「うん……言ってなかったっけ? 中等部まで通ってたの」
「聞いてないです!」 「そうだったんですか?!」
後輩の驚きの声が続く中、鈴木は仲の良い清澄に笑みが溢れていた。
「ハルちゃん、部員増えて良かったね」
「はい、ありがとうございます」
鈴木の案内が終わると、遥たちは再び道場に戻る。
袴姿に手早く着替え、各校の顧問やコーチ、部長と副部長の自己紹介を行なっていく。
『神山』の名に反応する者もいるようだが、満の妹や中等部まで風颯にいたからだけではない。彼女が先月の東海高校大会の個人優勝者だからだろう。この場で、彼女を知らない者はいない。
ーーーー中等部の頃の後輩もいる……
ここに来ると去年の……みっちゃんと、三人で競った事を想い出すの…………
前に並んで挨拶をしながら、遥はそんな事を考えていた。
「未経験者の三人は、こっちに集まってくれーー」
風颯の未経験者と共に、良知コーチと一吹コーチの指導の元、練習を行うのだ。
「他のメンバーは、こっちに集合」
蓮の声かけで集合すると、遥たちの練習も始まった。
「改めて部長の松風です。今日から二日間、よろしくお願いします。これから、実践練習を行います。一人四射ずつ引いて、試合同様順位をつけるので、そのつもりでお願いします」
『はい!』
十個の的を使い、風颯の一年から順に引いていく。
清澄の一年は経験者が九人の為、一人分的が空いていた。
「私、引いてきていい?」
「あぁー」
翔が頷いて応えると、右端で弓を構える。十人の中で、一番最初に弓を引く位置だ。
遥と一緒に引く機会は多くない為、彼らは耳を澄ませるように弦音を聴いているようだった。
「……次、二年なー」
蓮のかけ声で人と的が入れ替わり、次々と放つ。
清澄の二年は遥が先程引いた為、七人になったが、部長の蓮や副部長の鈴木が混ざり弓を引いていった。
これを二度繰り返し全部で八射引き、六中以上を出した者が三立目も弓を引けるのだ。
清澄から残ったのは、遥、美樹、真由子、翔、陵、雅人、青木の七人だ。
「次も四射引いた後、上位十人で射詰を行います。残った者は、見学と矢取りを頼むな」
『はい』
いつもより広い道場で次々と放たれる矢は、清澄の一年生にとって圧巻だった事だろう。
上位十人に残ったのは、その殆どが風颯の男子弓道部員だ。清澄からは遥と翔、陵の三人だけである。
「さすが全国クラスだな……」
「あぁー」
陵と翔がそう呟くのも無理はない。
男子団体メンバーの五人中四人が残っていた。他は副部長の鈴木に、二年の足立と村松だ。
用意されていたくじを引くと立ち順が決まり、最後まで残った者が勝者となる。
「見てるのも緊張するな」
「うん……」
彼らから見て、右端から順に弓を引く中、一射目で外す者はいない。
ーーーーーーーーずっと……引いていられそうなくらい……楽しくて……
見ているだけで緊張している者もいる中、遥に特に気負うことなく放っている。
四射目まで残ったのは、右端から順に、佐野、遥、翔、下村、陵、蓮の六人だ。
五射目から八寸的に切り替え、更に弓を引く。
引く度に人が減っていく中、八射目まで残ったのは、蓮と遥の二人だけだ。
二人は視線を通わせると、微かに笑みを浮かべ、的を見据え弓を引く。
十二射皆中を決めた所で、一ノ瀬に声をかけられていた。
「ーーーーそこまで。部長二人は、良知コーチ達の方に行ってくれ。他の者は、副部長の白河くん、鈴木の指示に従って、時間まで引くように」
『はい!』
今までの的中はノートに記録していた為、それを元にまた練習を繰り返すのだ。
遥と蓮は自分達の矢取りを行い、未経験者が集まる良知と一吹の元へ向かうと、既に的が用意されていた。
「残ったのは、松風と遥さんか」
『はい』
「じゃあ、とりあえず十二射な。順番はどちらが先でも構わない」
良知の指示通り、ジャンケンで手早く順番を決めると、勝った遥から弓を引く事になった。
ーーーー久しぶりに背中から感じる視線……
緊張はするけど、このまま……蓮と、弓を引いていたい。
一本でも多く……
心地よい弦音と弓返りが響く。
一年生が憧れるような射形と言えるだろう。二人とも立ち姿が美しい。
次々と放たれる矢に、瞳を輝かせる一年生がいる事に、良知も一吹も笑みを浮かべていた。
「ーーーー同中だな……」
「そうだね」
「そしたら、あと一射。中心に近い方が勝者だな」
『はい!』
良知の提案で、遥から順に同じ的に向けて放つと、彼の方が僅かに中心から近い。蓮が勝者となったのだ。
「お疲れさま」
「うん……お疲れさま……」
差し伸べられた手を握り返すと、午前中の実践練習が終わるのだった。
「ハル、どうだった?」
「負けちゃったよ。緊張するね」
「遥でも緊張するんだなーー」
「うっ、するよ?」
「ほら、先に食堂行くぞ?」
「分かってるってーー」
翔たちは制服に着替え、他の部員も連れて食堂に向かった。
遥も着替えると、揃って食堂に歩いていた。
「緊張したね」
「そういう所は、遥らしいよな」
「うっ……蓮まで……」
陵とのやり取りはいつもの事だが、蓮にまで言われ話を逸らしたいようだ。
「お腹空いたなー……」
唐突な呟きに蓮から笑いが溢れ、思わず頭に手が伸びる。
「うん、そうだな。今日はうどんか蕎麦だったな」
「お蕎麦食べたい」
「俺も冷やしたぬきがいいな」
食堂に着くと、一年生は未経験者で練習していた者同士で食べている為、遥と蓮も並んで昼食をとった。
「ハル、これさっきの順位表だって」
「ありがとう、翔。青木くんが好調だね」
「あぁー」
「松風ーー、これがうちの順位表ね。午後は予定通りだって」
「了解」
それぞれ副部長より手渡された用紙を確認していると、コーチに声をかけられた。
「午後は予定通りだから、清澄は的中率上位五人が一チームな?」
「はい、一吹さん。青木くんと加茂ちゃんといつもの四人で立ち位置は変えつつでいいですか?」
「あぁー、任せる。しっかり食べるんだぞ?」
「はい」
一吹の背中を眺めながら、話を続ける。
「一吹さんって、うちのOBなんだろ?」
「うん、みっちゃんから聞いた?」
「うん、午後もよろしくな? 遥部長」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
穏やかな雰囲気のまま、午後の練習も始まりそうだ。
「これから呼ばれた者は、団体戦を行います。呼ばれなかった者は、一吹さん、良知コーチの元で指導を受けて貰います。風颯は団体メンバーの男女五人ずつ残ってな」
『はい!』
蓮が指示を出す隣で、遥が同じように指示を出した。
「清澄は、美樹、マユ、奈美、カモちゃん。男子は翔、陵、雅人、和馬、青木くんの五人ね。他は一吹さんと良知さんの指示に従ってね」
『はい!』
残った二十人は、男女別に団体戦を行うのだ。
「立ち位置は変えていって大丈夫だから、記録を必ずつけるようにね。今後の参考になるから」
「了解」
「まずは男子からだって、立ち位置はどうする? 青木くんは、中学まで大前やる事が多かったんだっけ?」
「はい」
「じゃあ、大前から順に立ち位置ずらしていく方がいいか?」
「そうだね。青木くんもそれで大丈夫? 希望の場所があれば、言ってくれると助かるけど」
「構わないです」
女子部員と男子部員がハイタッチを交わすと、蓮たちと共に弓を引き始めた。
「さすが全国優勝者ですね…………松風さん、一度も外してない……」
「そうだね。見て学ぶとる事もできるからね」
「はい」
彼女はチームメイトを応援していたが、その綺麗な射形の持ち主を目で追ってしまうのも事実だ。
ーーーーさすがに強い…………二十射十八中……うちは十五中。
これでも、平均四射三中と好成績なのに……届かない……
そう感じる程に、彼らの的中率が高い。
女子も同じように引いていく中、彼はチームメイトの射を見ながら、彼女に視線を移していた。
「ーーーーさすが……」
思わず呟いてしまうほど、実力の違いは誰の目から見ても明らかだ。女子では、遥だけが四射皆中を決めていた。
五回繰り返した所で、今日の練習は終了となった。
順番に記録をとっていたノートには、遥の欄にだけ丸が並んでいるのだった。