第三十六話 終局
今年の東海高校総体は県武道館で行われる。遥達にとっては馴染みのある場所だ。
団体は十六校、個人は男女二十名ずつ参加の中から順位が決まるのだ。
「去年はどこだったの?」
「岐阜だったよね?」
「あぁー、藤澤先生と四人だけで行ったんだよな」
「そうそう。遥は優勝してたけど、俺らは予選通過できなかったんだよなーー。話してなかったっけ?」
「合宿の話があって流れたんじゃないか?」
「そうだったかな……」
凌が告げた優勝にも、周囲とは違い遥は無反応だ。彼女にとって順位は結果であり、優勝する事が目的ではない。誰よりも長く弓に触れたい想いが、結果として優勝に繋がっているのだ。
開始式が終わり、十三時二十分から男女団体予選一回戦が始まった。
一人四射を今日行う一回戦、明日の二回戦と二日間に渡って競い、上位八校が明日に行われる決勝トーナメントに進出となる。
各校補欠を二名含む七名が団体にエントリーしていた。
冊子を見ていた彼女達は、男子メンバーの射に視線を移した。
「ーーーー緊張するね……」
「うん……」
美樹に握られた手から、彼らの緊張感も伝わってくるようだ。遥が握り返すと、美樹はようやく息を吐き出していた。
ーーーー大丈夫……今まで、頑張ってきたんだから……
一喜一憂しながら見守る中、羽分け以上を出した。
二十射十二中と、今までの練習が報われたような結果だ。
「やったね!」
「うん」
喜び合う彼女達は自分の事のように嬉しそうだ。
男子に続き、彼女達の番になった。
道場に五人が並ぶと、同じように彼らの緊張感も増していく。先程途切れたはずの再燃だ。仲間が戦う姿は、手に汗握るものがある。
次々と矢を放つ中、彼女の射に視線が集まっていた。心地のよい弦音を響かせながら、的確に中っていくからだ。
「ーーーー女子は十四か……」
「あぁー」
冊子に的中数を記入する翔は、自分達よりも中っていた彼女達の集中力に感心しているようだった。
十五時二十分より始まる個人予選一回戦を前に、それぞれ学校でまとまり昼食を取っている。今日は雨という事もあり、観覧席で休息をとっている学校が殆どだ。
「これ、俺から差し入れな」
一吹から差し出された箱には、チョコレートが入っていた。
「わーい! ありがとうございます」
「一吹さん、ありがとうございます」
「遥、陵、翔は二度目になるみたいだけど、団体はどうだ?」
「個人とは別物です」
「はい……緊張しました」
「遥でも緊張するんだなーー」
「するよ……何だと思ってるの?」
「鉄の心臓?」
「陵……酷くない?」
周囲から笑みが溢れる中、変わらない雰囲気にほっと胸をなでおろした。
ーーーーうん……この雰囲気なら、個人も引けそう……
鉄の心臓ではないけど…………それくらい、強い心があれば迷ったり、立ち止まったり……しなくて済むのかな……
「一吹さん、美味しいです」
「一年も応援、お疲れさま。見るのも疲れるだろ?」
緊張感のある中、見るだけでも体力が削られるのだ。
「来月は合同練習も考えてるから、上手い人の射形を見て学ぶといいぞ?」
「はい!」
素直な反応に、一吹は笑みを浮かべていた。
部活動と変わらない雰囲気の中、遥は広い会場を見渡した。何度も引いた事のある会場でさえ、緊張感が付きまとう為、平常心を保とうとしていたのだ。
「部長ーー、個人予選も今日と明日にありますけど、合わせた結果で順位が決まるんですか?」
「あぁー、的中数の多かった上位五人が、明日の射詰競射、決勝に進出だからなー」
「今回は自分達の県であるから、有利っすね」
「そうだな。でも、開催場所は毎回変わるから条件は変わらないよ」
「翔が出てくるよ?」
由希子の声に視線を場内に戻すと、翔が二番目の立ち位置で整えていた。
次々と鳴る中、一際心地よい音が響く。八番目に立つ彼の音だ。
「ーーーーあの八番の人って……風颯の大前だった人ですよね?」
「あぁー、そうだな」
「強豪校って、すごいんですね……」
「松風くんは、昨年のインターハイ覇者ですからね」
背後から聞こえた声に、青木は思わず振り返った。
「そうなんですか?! 藤澤先生!!」
「ええー」
「この大会も連覇がかかってるんですか?」
「いえ、個人は二位でしたね」
「えっ?! 他県に上手い人がいたんですか?」
次々と一年生から出てくる疑問に、藤澤は懐かしむように微笑んだ。
「いえ……チームメイトに、ライバルがいたようですよ」
「へぇー、そうなんですか。一吹さんの時も、みんな強かったんですか?」
「俺の時は、県大会は優勝常連だったけど……インターハイは、入賞ギリギリだったな」
「十分すごいじゃないですか!」
一吹は、彼らの熱い眼差しを眩しく感じながら、視線を場内に戻すと、陵が弓を構えていた。
彼の放った矢は中り、部員達も高揚している事が手に取るように分かる。特に青木は中学からの後輩という事もあり、二人に向ける視線も、一際熱いものになっていた。
「次、ハル先輩が出ますね」
「そうだねーー」
「遥なら、大丈夫だよ」
「そうだな」
彼女の射が乱れる所は、誰も想像がつかないようだ。
放った矢は的を捉えていく。外すそぶりは少しもない。
「ハル先輩、すごい!」
「すごいな!」
四射皆中を決めたのは一人だけだ。
彼女の的中率の高さを、一年生は改めて実感していた。
「ふぅーーーー……」
遥は思わず息を吐き出していた。緊張感からようやく解放されたからだ。
ーーーー明日も同じように……弓を引くこと。
弓と矢を片付け、部員の待つ観覧席へ向かう中、彼とすれ違った。二人は言葉を交わすことなく、視線を通わせると、それぞれの場所に歩いていく。
ーーーーーーーーうん……大丈夫。
何の根拠もないが遥にはそう思えた。蓮の姿を見て安心したのだろう。明日も上手くいくと感じているのだった。
大会二日目。
午前九時より、団体予選二回戦が始まった。
「ーーーーいよいよだね……」
「はい……」
そう呟いた由希子と場内にいる隆にとって、最後の大会だ。
昨日と同じメンバーが引く中、少しでも長く弓を引けるようにと願う仲間がいた。
大前から順に引くと、昨日より一本多く中り十三本。昨日と合わせ二十五本だ。
「やったぁ……」
「すごい……」
思わず声が漏れる。予選を七位で通過した為、決勝トーナメントに出場となった。
手を取り合い喜ぶ部員を、一吹も藤澤もようやく此処まで来たと感じていた。
男子と入れ替わりで女子が場内に立つと、彼女達も昨日と同じように引いていく。
女子で四射皆中を二日続けて出したのは遥だけだった。
「先輩達は十二……昨日と合わせて、二十六ですね」
「女子も進めるな」
『はい!』
二チームを残し、彼女達は同率二位につけていた。八チームが決勝トーナメント進出の為、残りの試合を待たずして決勝進出を決めたのだ。
個人予選二回戦。
出場者は場内に集まり、出番を待っている。
「遥、いってくるな」
「うん! 二人とも頑張ってね」
軽くハイタッチを交わすと、先に順番のくる二人が控え室に移動していった。遥は一人で出番が来るのを待っていた。
ーーーー張り詰めるような緊張感……この感覚だけは、いつまで経っても慣れない。
的をまっすぐに見据え、弓と矢を構える。団体で四射終えた後も、変わらずに引き続けていた。
「一吹さん、陵先輩と翔先輩も、午後から出れるんですよね?」
「あぁー。六本で同率者は、そのまま十四時二十分からの射詰競射に出れるからな」
「今年は七人決勝進出か……女子は遥が一位通過だな」
一吹の言ったとおり、彼女は昨日から一度も外していない。飛び抜けた実力者だと言えるだろう。
彼女の弓を引く姿は、風颯学園のように他校生も見学している事が多いのだ。
よかった……次は団体決勝トーナメント。
このメンバーで出る最初で、最後の大会。
最後まで悔いのないように……
団体は十二時半からの為、各校空いた時間に昼食をとっている。
「お疲れー」
「お疲れさま」
遥が観覧席に戻ると、皆お弁当を食べていた。男子団体は三番目に試合だ。
「みなさん、よく此処まで残りましたね。最後まで思い切り弓を引いて下さいね」
『はい!』
藤澤の試合前の言葉に、勢いよく応えた彼らを、一年生は三年生にとってだけでなく、二年生にとっても今のチームで最後の大会になると実感した。
決勝トーナメントも予選と同じく一人四射、一チーム二十射で競われる。
遥はゼリー飲料を飲みながら、彼らの射を見守っていた。
大前の陵から順に放たれていく矢は、午前中と同じく十三射だ。対戦校は十一射と、清澄は初の東海高校大会で準決勝まで進んでいた。
これで、同率三位は確定である。
ーーーーーーーーすごい……準決勝……私達も残りたい。
揃って、準決勝で……弓を引きたい。
想いは増すばかりだ。
目の前で勝利を収めた彼らに続きたいと願う。それは遥や試合に出ているメンバーだけでなく、部員共通の想いである。
「遥……」
「美樹、どうしたの?」
「私……弓道、続けてきてよかった……」
「うん…………私も……」
微笑んで応える遥は楽しみでもあり、ずっと続いてほしいと願ってしまうような複雑な感情だ。
深く息を吐き出した彼女が的を見据えると、その表情は一変し、落ち着いた射形で放っていく。
「ーーーー残るな……」
「蓮、どうかしたのか? 次、準決だろ?」
「あぁー、今いく」
先程まで見ていた彼女の射から、チームメイトに視線を移すと、他県との試合を楽しみにする蓮がいた。
彼の呟いたとおり、清澄高等学校は十三射。対戦校は九射だった為、男女揃って準決勝の舞台に進んでいた。
試合が進むに連れて参加校が少なくなる為、すぐに男子の準決勝が行われる。
場内では、県内の強豪校風颯の五人が引いていた。女子は先程のトーナメントで敗れた為、四県中、男女揃って準決勝の舞台に進んだ学校は、清澄高等学校だけとなっていた。
ーーーー蓮……頑張って……
彼の変わらない美しい射に、遥は次へ進むと確信していた。何故なら、他校を大きく引き離すほどの的中率だ。遥と同じく彼も皆中を続けている。
今も十八射と、対戦校に大きな差をつけていた。
「やっぱり、風颯はすごいね」
「うん……」
男子メンバーが構えると、彼女達はまっすぐに仲間の射を見つめた。
大前の陵が中ると、続くように和馬、隆、雅人、翔の順に響いていく。
遥はチームメイトを見守りながら、彼らの進化を肌で感じていた。
「ーーーー惜しい……」
「そうですね……」
由希子に応えた遥は、もう一度的に視線を戻した。
彼らの中った矢は十三本だ。
対戦校は十四本と僅か一本の差で、同率三位の結果に終わった。
ーーーーこういう気持ち……何度目になるだろう。
あと……一歩が届かない……
「……遥、行くよー」
「うん」
深く呼吸をし、彼女が放った矢は変わらずに中っていく。
精神的にも安定がとれているのだろう。射形を乱す事なく引いていった。
「やっぱ、すごいな……」
「あぁー」
普段の練習を間近で見てきた陵と翔が溢した言葉に、納得する仲間がいた。
他に言葉が出ないほど、彼女は安定した射形だ。
落ちの弦音に導かれるように引くチームメイトを見守っていると、すぐに結果が出た。
清澄は十二射、対戦校は十四射だ。
彼女達も男子と同じく、同率三位で幕を閉じた。
悔しさも残るが、初めての大会に、順位の残る結果に、嬉しくないわけがない。観覧席から五人が抱き合う姿が見えていた。
ーーーー嬉しい……心残りはあるけど、嬉しい……此処まで五人で来られたこと。
一人では辿り着けない場所。
仲間と抱き合う中、遥は個人決勝に向けて気持ちを切り替えていた。
「藤澤先生、風颯の大前が二位って言ってましたけど、優勝者は誰だったんですか?」
五本目より一回り小さい八寸的に切り替わるが、それでも外すことなく中り続けたのは蓮だけだった為、七射目で決着がついた所だ。
微笑んで、青木に応えた。
「松風くんの前に部長だった……神山満くんですよ」
「神山って……ハル先輩のお兄さんですか?!」
「青木くんは知っていたんですね」
「はい! 神山兄妹は中学の頃から有名で、聞いた事があって!」
興奮気味に応える彼に、周囲はあっけにとられている。
「神山さんが出てきますよ?」
場内に視線を戻すと、射詰が始まった。
弓を引く度に、一人、また一人と減っていく中、最後まで残ったのは遥だ。
女子は六射目で決着がついた。
引き終えた彼女は、安堵したような表情を浮かべていた。
表彰式の際、三位校選手としてチームメイトが並ぶ中、遥は個人優勝者として一番前の左端に並んでいた。
ーーーー終わった…………表彰式の度に思うの……あの頃……夢見た高みに、どれだけ近づいているのかな?
遠く果てしない……そしてーー…………
「……清澄高等学校」
三位で男女共に学校名を呼ばれ、遥が拍手を送ると美樹たちと視線が合い、小さくピースサインをしてみせた。
いつも髪を一つに結び、ピンと背筋の伸びた彼女の横顔は大人びて見えるが、今は年相応な反応だ。
観覧席で見ていた一年生は、先輩達の表彰を喜ぶと同時に、大会に出たいと、弓を引きたいと、強く思っていた事だろう。一吹は、そんな彼らを羨ましく感じながらも、コーチをやって良かったと、心から感じているようだった。
閉会式が終わり、監督として並んでいた藤澤に一ノ瀬が声をかけた。
「藤澤先生」
「一ノ瀬先生、おめでとうございます」
「いえ、こちらこそ。男女ともに表彰されるのは、すごいですね。昨年とは別のチームのようで驚きました」
「みなさんのおかけですね。また宜しくお願いしますね」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
先生同士が話をする中、清澄高等学校の面々は写真を撮っている。
「遥ーー、もっと寄ってーー!」
「入った?」
「オッケー! タイマーにするよーー!」
笑顔で二十二人が揃って写る。特に遥たち二年生は、部長たち三年生との別れを惜しんでいるようだ。
「部長、ユキ先輩! 一緒に写真いいですか?」
「勿論!」
「後でメッセに送っといてー」
「はい!」
楽しそうに微笑む遥を横目に、彼は部員達と共に県武道館を去っていく中、呼び止められた。
「松風くん! 握手して貰っていいですか?」
「へっ?」
「蓮、モテモテだなーー」
「佐野! そんなんじゃないだろ?」
蓮に手を差し出したのは、他県の彼と同学年の男子だ。
「また全国で……」
「ーーーーはい……」
モテモテと言うより、宣戦布告と言った方が正しいだろう。握られた右手に、彼は八月にまた戦うことを予感していた。
写真を取るのに夢中になっていた遥は、後ろにいた彼に気づかない。背中が軽く触れ、ようやく気づいた。
「す、すみません……」
「いえ……遥……」
顔を上げると知った顔があった。
「…………蓮」
「大丈夫か?」
「う、うん」
「お疲れさま」
遥の頭を撫でる彼は、優しい笑みを浮かべている。
「蓮も……お疲れさま」
「うん、またな」
「うん」
手を振り分かれる二人は、いつもと変わらないようだ。
「ハル、またなー」
「森先輩、お疲れさまです」
中等部からの見知った顔があると、彼女は挨拶に応え、チームメイトの元に戻っていった。
遥が道場で待っていると、袴姿のままの蓮が現れた。
「お疲れさま」
「お疲れさま……蓮……」
県武道場とは違い、その距離は近い。二人は抱き合っていた。
『優勝おめでとう!』
ほぼ同時に言い合い、思わず笑みが溢れる。
「すごかったな……」
「うん……楽しかった……」
「……そうだな」
彼の手が遥の腰を更に引き寄せる。
「ひゃっ……」
「遥……ちょっと充電……」
「ーーーーうん……」
さらさらの髪を優しく撫でた遥もまた、彼の腕の中でほっと息を吐き出していた。
昨年よりも引退が伸びた三年生の二人とって、東海高校総体で結果を残せた事は貴重な経験だ。
「今の二年生が入部してから、弓道部は変わったと思います。ハルちゃんと翔には、全国でも頑張ってほしいです」
「俺も同じですね。二人には全国で……そして、この後にある大会でも新しいチームで残れるように、頑張ってほしいです。藤澤先生、一吹さん、ありがとうございました!」
『ありがとうございました!』
隆と由希子が一礼する姿に、遥は昨年を想い返していた。
「ーーーーでは隆部長、最後の仕事です」
「はい! 部長をハルに!」
「は、はい!」
指名は、この場で初めて聞かされる為、彼女の声は微かに震えていた。
「副部長を翔に!」
「はい」
「二人とも頼んだぞ?」
遥と翔は顔を見合わせ、声を揃えて応える。
『はい!!』
「神山部長、白河副部長、これからよろしくお願いしますね」
『はい』
藤澤に呼称され、改めて部長に、副部長になったと実感する二人がいた。
ーーーーこれで……本当に、最後なんだ……
花束と小さな色紙を手にした隆と由希子と共に、部員が揃った写真には、潤んだ瞳で写る。
こうして三年生が引退し、新体制での弓道部が始まるのだった。