第三十五話 写真
『もしもし? 遥?』
「蓮……お疲れさま」
『どうした? 明日から修学旅行だろ?』
「うん…………行く前に、声が聞きたくて……」
ベッドに寝転びながら電話をかけていた。修学旅行が楽しみなのは確かだが、照れながらも告げた言葉が遥の本音だ。
『ーーーー来週末の東海総体、楽しみだな……』
「うん……蓮の射、すごかったね……」
『ありがとう……遥…………今から、少し出れるか?』
「えっ?」
『会いたい』
「う、うん……」
電話を切ると、遥はショートパンツにTシャツを着ていた上から、手早くロングカーディガンを羽織り、いつもの場所に向かう。
家から出ると、彼がその場所に立っている事に気づく。
「ーーーー遥……」
早まる心音に耐えきれず、腕の中に飛び込んでいた。二人は抱き合ったまま、小さな声で話出す。夜の十一時を回ったところだ。
「ーーーーーーーー蓮……」
「明日から三泊四日だよな?」
「うん……」
「遥、気をつけてな」
「うん……お土産買ってくるね」
「ありがとう……写真、待ってるな」
「うん!」
強く抱きついてきた柔らかな感触に、小さな溜息が漏れる。
「蓮? どうかしたの?」
「ーーーー遥……して、ないだろ?」
「…………あっ……」
頬を赤らめながら、カーディガンで胸を隠しているがすでに手遅れだ。
「……ったく、送ってく」
手を引いて歩く蓮の頬もまた染まっているようだ。
「じゃあ、おやすみ……」
「うん……おやすみなさい……」
「またな」
「うん……」
軽く触れるだけの口づけを交わすと、蓮は足早に帰っていく。
「……ありがとう」
小さな声に振り返った彼は、声を上げる代わりに大きく手を振った。
ーーーーこういう時、繋がってる気がするの。
同じように振り返した遥は、後姿を眺めながら想い返しているようだった。
おじいちゃんに連れられて行った京都のメインは、もちろん弓道だったけど……そんな弓道一色の日々が楽しかったの……蓮も、みっちゃんもいたから……
「着いたーー!」
「久々に来たなー」
「清水寺かーー……翔、大丈夫か?」
「……あぁー」
小さく頷いた彼の顔色は悪い。
「どうかしたの?」
「翔、高いところ苦手なんだよ」
翔の意外な一面に、集合写真を撮り終えた五人は微笑んでいた。清水の舞台からの景色は絶景であった。一人を除いては。
「白河の意外な弱点だよね」
「五條には言われたくないなー」
「そしたら、下を散策する?」
「あぁー」
修学旅行は班行動が主な為、六人とも楽しそうだが、美樹と陵のラブラブっぷりに時折あてられそうになっていた。お揃いの御守りを買ったり、買い食い時に食べさせあったりと、まるでデートを満喫中だ。
「美樹と松下は仲いいねー」
「だろーー?」
「ご馳走さま」
「二組は意外とカップル多いよなーー」
「そうなんだ」
「遥もリア充じゃん」
「リア充?」
「リアルの生活が充実してるってこと!」
「うん、部活は充実してるよね?」
小百合の主張は、遥にだけ通じていないようだ。
「遥、そういう意味じゃないと思うけど……」
「弓道は生活の一部だよ?」
「ハルって、たまに天然だよなーー」
「天然? 竹山には言われたくないよ」
六人は班を組んだだけあって気が合う。話をしながら清水坂や二年坂を巡っていく。
「次、あれ食べたい!」
「竹山、食べすぎじゃない?」
「いいじゃん、サユ! こんな時しか食えないんだから」
「いいけど、夕飯入らなくなっても知らないよ?」
「大丈夫。大丈夫」
先程までコロッケを食べ歩きしていたが、八つ橋シュークリームも竹山が率先して買っていた。辛い物の次は甘い物が食べたくなるようだ。
「遥ーー、気になるのあった?」
「うん。八つ橋って、こんなに種類があるんだね」
「本当だね。かのこ入りだってー」
「美味しそう」
おばあちゃんがすきそう……それにしても……久しぶりの京都。
昔はよく、おじいちゃん達と来てたけど……懐かしくて……
懐かしく感じながらも、六人で過ごす班行動を楽しんでいった。
「明日は奈良だよなーー」
「うん、楽しみだね」
「竹山、あんだけ食べ歩きしたのにまだ食べれるの?」
「サユ、あれは間食じゃん! 全然食えるし。米、おかわりしていい?」
「いいけど、すごいね」
「おひつ、こっちにあるからよそうよ?」
遥が手を差し出すと、竹山は茶碗を手渡した。
「陵と翔もおかわりする?」
「いるーー」
「俺も」
「小百合ちゃんと美樹は?」
「ううん、大丈夫」
「うん、お腹いっぱい」
「じゃあ、残り三等分しちゃうね」
残りのご飯を三等分に分けてよそう。
「はい、竹山」
「ハル、ありがとう」
「いいえー」
寝る部屋はさすがに男女別々だが、旅館での夕飯は班毎にテーブルについていた。クラスでまとまった席に配置されている為、一日の出来事を話しながら食べている班ばかりだ。
「ハルたちの班は、どこに行ったの?」
遥のちょうど後ろの席にいた寛子が話しかけていた。もう食べ終わったようだ。
「私達は、二条城とか金閣寺、銀閣寺。あと龍安寺とかも回ってきたよ」
「うちらも金閣寺、銀閣寺は今日、行ったー」
「会わなかったね」
「そうだね。明日の奈良も楽しみだねー」
「うん!」
明日は東大寺で各クラスの集合写真を撮った後、また班行動なのだ。
遥は同室の誰よりも早く目覚めると、部屋の隅でストレッチをしていた。
「遥……何してるの?」
「あっ……小百合ちゃん、おはよう……えーーっと、筋トレ?」
ゴムチューブを使い腕を動かす姿を、小百合が疑問に思うのは当然の事だ。
「弓の代わりなの……感覚だけでも掴めるから、よく持ち歩いてて……」
「へぇー、そうなんだ」
みんなが起きる前に、やめるつもりだったんだけど……弓を持ち歩けない時は、代わりにゴムチューブで身体を動かすのが、中等部からの習慣なんだよね。
本当は、ジョギングもしたいくらいだけど……
さすがに修学旅行中の為、時間外の外出は控えていた。そうでなければ合宿のように、朝から活動的に過ごしていた事だろう。
「ーーーー遥……蓮さんと会えなくて、淋しくない?」
「……急にどうしたの?」
ゴムチューブを旅行鞄にしまう彼女に、小百合が尋ねた。
「昨日、恋バナの途中で寝てたから、聞いてみたくて」
「うーーん、淋しいって思う時もあるけど…………頑張ろうって、思えるかな……」
……蓮には……いつも励まされている気がするから……いつだって…………
淋しくないと言ったら、嘘になるけど……蓮も頑張ってるって思うと、私も頑張らなきゃって思えるから…………蓮のように、強くなれたらって思うの。
凛とした横顔に、小百合は布団の上でうつ伏せになりながら、弓道をしている時と同じ顔だと感じていた。
日程通り奈良の大仏で有名な東大寺を回った後、奈良公園を訪れていた。
「ちょっ! こわ!!」
「ねっ! 多くない?!」
「だよねー!?」 「うわっ!!」
続々と鹿せんべいに誘われてやって来る鹿たちに驚く。その数は十頭以上だ。
「い、今! 写真撮ってーー!」
「はーい、撮るぞーー!」
鹿の群れから逃れ、二頭だけ近くにいる状態で写る。驚きながらも写真を撮るのは遥達だけではない。他の班も大体同じような反応であった。
「蒸してるねーー」
「六月だからなーー、女子部屋は、夜更かしとかしなかったのか?」
「昨日してたよ?」
「うん、恋バナしてたね」
「そうそう、遥が途中で寝落ちしてたけど」
「うっ……眠くなっちゃって、今日は頑張る」
「大丈夫。私も寝てたから」
「小百合が寝た後、みんなも直ぐに寝てたよ」
「それなら、いいけど。男子は? 夜更かしした?」
「割とあっさり寝てたよな?」
「あぁー」
「いや、起きてたぞ? 陵と翔が寝るの早かったんだって!」
「そうなのか?」
「二人して爆睡だったから、UNOで盛り上がってても全然気づかなかったんだよなーー」
「そうだったんだぁー」
公園を出ると、お土産を見つつ、興福寺、春日大社、薬師寺と巡っていく。近距離に歴史的建物が点在していると言えるだろう。
昼食は学校指定の場所で決まったものを食べていたが、その後は集合時間まで班行動の為、法隆寺付近で柿のソフトクリームを買い食いしていた。
「美味しい」
「だなーー」
「これなら、もう一個食えるな」
「さすが竹山」
六人ともアイスが美味しいようだ。六月とはいえ、蒸し暑い日が続いているからだろう。
「降りそうだな」
「うん」
今日の天気予報は傘マークがついていた。空は昨日とは違い、雲が厚くなっている。翔の言ったとおり、今にも雨が降り出しそうだ。
境内の見学を終える頃、ポツポツと雨が降り始めた。折りたたみ傘をさす中、陵と美樹は相合傘をしている。
「松下、傘忘れたの?」
「あぁー。今日は大丈夫だと思って、ホテルに置いてきたんだよ」
「今日は夜からって予報だったからね」
「そうそう」
遥のフォローに同調する陵。蒸し暑い天候の中、しとしとと降る雨も、彼らには関係ない。
傘をさす煩わしさを忘れ、寄り道をしながら集合場所に向かう姿があった。
ーーーー雨が降ると……想い出す。
弓が上手く出来なくて、泣きそうになっていた日のこと。
追いつきたくても、追いつけなくて…………たった、一つか二つしか変わらないのに……あの頃の私にとって、その差が大きなモノだった。
目覚めると、昨夜遅くまで降り続いた雨は止んでいた。
『遥、おはよう』
短い文面でも、毎日のように連絡を取り合っていた。遥はスマホに写るメッセージに笑みを浮かべながら、すぐに返す。
『蓮、おはよう!』
『いってらっしゃい』の可愛らしいスタンプを押すと、すぐに既読になる。彼もスマホを見ていたのだろう。
ーーーー蓮……いってらっしゃい。
いつもは、私も道場にいる時間か……
実際に弓に触れていないのは二日間だけだろう。そのたった二日でさえも、彼女にとっては待ち遠しく感じる時間である。
窓辺にある椅子の上で足を抱えて座ると、電話をかけていた。
『おはよう……』
耳元で響く声に、胸が高鳴る。
「おはよう……これから学校?」
『うん、朝練があるからな。遥は? まだ早いだろ?』
「うん……まだ、みんな寝てるよ……」
まだ六時半を回ったばかりだ。
『明日、帰ってくるんだよな?』
「うん……」
『待ち遠しいな……』
「ーーーーうん……」
……毎日……会えてるわけじゃないけど……距離感が違う。
彼女も同じ想いだ。
『写真、ありがとう』
「うん……また明日ね……」
『あぁー、また明日な』
二分にも満たない短い通話を切ると、窓の外に視線を移した。雨上がりの澄んだ空を静かに眺め、余韻に浸っていたのだ。
祇園を中心に八坂神社や高台寺等を巡り、下鴨神社を訪れていた。
「干支の神様があるよーー」
「本当だー!」
下鴨神社は初めて訪れた者が多い為、広い境内に驚いている。
縁結びとしても有名な絵馬を手に、何を書くか悩んでいるのは翔と竹山だ。すべての縁を結んでくれると言われている為、六人とも無言で願い事を書いた。
美樹と陵のカップルは、同時に相生社の正面に立ち、向かって右回りで美樹が、左回りで陵が二周ずつ回り、三周目の途中で絵馬掛けを行なう。正しい作法でお参りすると、他のメンバーは一人ずつ行なっていった。
ーーーー蓮と……ずっと一緒に、いられますように……
遥の願いは昔から変わらないようだ。
それぞれが真剣にお参りを終えると、残り少ない京都での時間を楽しんでいた。
修学旅行最後の夜は、夕食後に学年全員で会館を訪れていた。クラス毎に座り、能楽鑑賞だ。
ーーーー伝統……弓も歴史があるよね。
……去年の東海高校総体は、個人だけの出場だったから嬉しい。
団体で……みんなで、弓が引けるんだ……
鑑賞中も、次の大会の事が頭から離れない。
役者が能舞台で、囃子に合わせ、謡曲をうたい、能面をかぶって演じていく。重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されている伝統的な能を、彼女は飽きる事なく堪能していたが、頭の片隅にはいつも弓道の事が浮かんでいた。
京都タワーから見える街並みを最後に想い出が詰まった修学旅行は終わりを告げ、いつもの日常に帰っていくのだった。
「蓮、何ニヤついてるんだよ?」
「ニヤついてない」
「いーーや、ニヤついてた! 最近、スマホ見ながらニヤついてるじゃん!」
スマホを覗くと、遥が友人たちと修学旅行を楽しんでいる様子が写っていた。
「満先輩の妹で、蓮の彼女かーー」
「綺麗な子だなー」
「先輩とあんま似てない?」
「でも、背は高かったよな?」
練習が終わった為、佐野だけでなく蓮の周りには帰り支度をしたチームメイトが集まっている。
「ほら! 鍵閉めるから、帰るぞ?」
「えーーっ! もうちょっと見せてくれてもいいじゃん!」
「佐野うるさい。ほら、閉めるぞー」
「あーー! 待て待て!」
弓道をしている時は大人びて見える蓮も、普段は年相応な反応だ。
「満先輩も土屋先輩も東京の大学だろ?」
「うん、大学は違うけどな」
「俺らも引退したら、受験生かー」
「その前に、大会連覇だろ?」
「勿論な!」
大会に向けてのモチベーションは十分なようだ。
蓮が道場へ立ち寄ると、袴姿で弓を引く彼女の姿があった。綺麗な立ち姿を見つめる視線は優しげだ。
四射皆中を決め、息を吐き出した遥が気づくと、弓を置いて駆け寄った。
「蓮! お疲れさま」
「お疲れさま……遥……」
耳元で響く声に胸が高鳴る。遥は腕の中にいた。
ーーーーーーーー蓮だ……
「……京都と奈良どうだった?」
「楽しかったよ。八つ橋とかお土産あるから、おばさん達と食べてね」
「うん、ありがとう」
「あと……蓮にはこれ……」
学業成就の御守りを手渡した。
「ありがとう……」
「うん……」
ぎゅっと抱きつくと、蓮は彼女の頬に触れていた。三日ぶりに間近で見る笑顔に癒されていたのだ。
「…………遥……」
甘い声に瞳を閉じると、二人の唇がそっと重なっているのだった。
「二年からお土産です」
「みんなで食べて下さい」
放課後の練習終わりに、八人が買ってきた色々な味の八つ橋や宇治抹茶を使ったロールせんべい等の修学旅行土産を広げていた。
一吹や藤澤にも手渡すと、食べ始める。夕飯前のおやつだ。
「美味しいです」
「本当だー。美味しい」
「みんな、ありがとう」
「ありがとうございます」
部員の喜ぶ様子に、彼らも嬉しそうな笑みを浮かべ一緒に食べている。
「写真貰ったけど、みんな楽しそうだったな」
「部長たちの時も八つ橋のお土産貰いましたよね」
「そうだったねー」
「懐かしいですね」
ーーーー時が経つのは早い……
みっちゃんにもお土産送ったけど、食べてくれたかな……
「先輩たちって、仲良いんですねー」
「あーー、俺と美樹はつきあってるからな」
「二人は一年の時から同じクラスだからね」
「ちょっ、奈美!」
「班行動中もラブラブだったよ?」
「あぁー」
「もう! 遥だけじゃなくて、翔までーー!」
笑みの溢れる中、今日は解散となった。
「ハル先輩と翔先輩はつきあってないのかな?」
「それ、俺も思ったーー」
「よく一緒に帰ってるよね?」
「それはないな」
「翔先輩!」
後ろを歩いていた一年たちの声が、彼にも聞こえていたのだ。
「ハル、彼氏いるし」
『えっ?!』
大声を上げた彼らの方を遥だけでなく、美樹も陵も振り返っていた。
「どうしたの?」
「ハルに彼氏がいるって話で驚いてた」
「あーー、私も意外だと思ってるけど……」
「いえ、そうじゃないですよ!」
「同じ学校の人ですか?」
「ううん、他校だよ」
「どんな人ですか?」
「青木、聞きすぎーー」
周囲の呆れ気味な様子に、遥は笑顔のままだ。
「うーーん、優しくて……強い人だよ……」
「強い?」
「じゃあ、私はこっちだからまたね」
「ちょっ、ハル先輩!」
遥だけ方向が違う為、逃げるように電車に乗った。
「ほら、帰るぞー」
「翔先輩たちは知ってるんですか?」
「……さぁー」
「知ってますよね?! 気になるじゃないですか!」
「まぁー、そのうち分かるよ」
「そうだねーー」
三人とも青木に教える気はないようだが、陵の言ったとおり、直ぐに周知の事実となるのだった。




