第三十三話 一歩
四月下旬の日曜日、東部地区では地区春季大会兼県総体個人予選が行われていた。
八射弓を引き、男子五中以上、女子四中以上の者が県総体出場となる。今年は経験者の入部が多かった為、清澄高等学校からは男子九名、女子十名が出場だ。
「次は神山さんと、篠原さんが出てきますね」
「はい」
藤澤に応える未経験者の三人は、和馬たち四人が入部したての頃と重なって映る。
遥が引くと心地よい音が響く。音に魅せられている彼らに、藤澤だけでなく一吹も笑みを浮かべていた。
見事に八射皆中を決め、女子ではただ一人の八射皆中者となった。
「やったね、遥!」
「うん!」
美樹と遥はハイタッチを交わし、喜び合う。
清澄高等学校の女子からは、二人を含む二、三年生の五人と新入生の加茂が、男子は隆、翔、陵と新入生の青木が、五月下旬に行われる次の大会への出場を決めたのだ。
東部地区からは男子五十三名、女子七十八名が県武道館で行われる大会に出られるが、来週にある団体戦に彼らの心は向いていた。
満開だった桜は、すっかりと葉桜へ変わっていた。
一吹指導の下、団体に向けて最終調整が行われている。
「次は女子なー」
『はい!』
大前の由希子から順に引く姿は、今までとは違うようだ。個人でも全員が次の大会に出場を果たした為か、自信をもって弓を引いているように映る。
八射四中で個人出場を逃した雅人と和馬は、団体では結果を残したい思いが強いのだろう。こちらも先程、いい雰囲気のまま練習を終えていた。
「一吹くん、またいい年になりそうですね」
「はい」
藤澤から的に視線を移した一吹は、確信していたのだ。上位八校に残ると。
遥はいつもの道場へ部活終わりに訪れていた。蓮が来れなくなってからも、朝も夕方も毎日のように続けていた為、すっかりと習慣になっている。
的を二つ用意すると呼吸を整え、弓を引く。
放った矢は、的に吸い込まれるように中り、八射皆中を決めると、矢取りを行なっていた。
ーーーー明日は、団体……大丈夫…………練習通りにできれば、きっと……
遥も確信していたのだ。このまま弓を引く事ができれば、次の大会に進める事を。
「おはよう、遥」
「美樹、おはよう」
袴姿にジャージを羽織り、電車に乗って先週と同じ会場へ向かっていると、翔と陵が同じ車両に乗って来た。四人で待ち合わせをしていたのだ。
「いよいよだな」
「そうだねー」
「楽しみだな」
「うん!」
三人の希望が満ちたような声に、遥も笑顔だ。
会場に着くと、一吹が入り口で待っていた。部長である隆と由希子は、一年生と共に藤澤のもとに集まっている。
和馬たち残りの二年生が揃うと、総勢二十二名となった弓道部は、レジャーシートの上に荷物を置き、出番を待つ。
「一年生のみなさんは、団体の立ち位置等、初めての方もいますから、学んでいきましょうね?」
『はい』
藤澤は素直に応える彼らに、これからの成長を楽しみに感じているようだ。
「男子が始まるな。今の五人なら次に必ず進めるから、気負わずにな」
『はい!』
勢いよく返事をした彼らはハイタッチを交わすと、会場へ入っていった。
緊張感のある中で放たれる矢に、一年生も緊張しているようだ。特に未経験者の三人は、他の部員よりも分かりやすい。極端に口数が減り、独特の雰囲気に呑まれそうだ。
「すごいだろ? 大会は独特の緊張感があるからな」
「……はい…………」
辛うじて返事をしているが、ほとんど声にならず頷く。
「試合に出てる雅人と和馬も、高校から弓を始めたんだぞ?」
「……えっ? あんなに弓が引けるのにですか?」
「そうだ……だから、三人とも……毎日のように弓に触れていれば、先輩のように引けるようになるかもな……。要は本人のやる気次第だ」
『はい……』
一吹に応えた瞳は、一年前の和馬たちのように輝いているように感じる藤澤がいた。
彼らの目の前で放たれていく矢は、和馬が四中、雅人と隆が五中、陵と翔が六中と、全体で二十六中と東部地区三位の成績だった。
「すごい!」
「やったねーー!」
男子チームとハイタッチをし、喜び合う女子チームは、一年生から見ても仲が良い先輩達だ。
「次はハルたちだな。 頑張れよ」
「うん!」
翔に元気よく応えた彼女は、喜びながらも続く事を願っていた。
今までで、一番の的中数……みんな、すごい…………
私も……私達も、みんなに続けるような射を……
彼女達が的の前に立つと、チームメイトも緊張感に包まれていた。大前から順に弓を引く中、彼女の放った矢が中っていく。
「ーーーー神山先輩……すごいですね……」
「だろ? だって遥は、インターハイ優勝者だからな」
自分の事のように告げる陵に、周囲から笑みが溢れる。彼女の射に憧れていたのは、一人や二人だけではないのだ。
「……八射皆中だな」
「決まったな」
男子に続き、女子も由希子、奈美、真由子が四中を、美樹が五中を、遥が八中を決め、二十五中し、全体の二位で今月下旬にある県総体団体予選兼全国総体東海総体予選の出場が決まった。
喜び合う先輩達に、一年生は早く弓を引きたいと感じているのだった。
段ボールを運んできた隆が声をかけた。
「一年生ーー! ジャージが届いたぞー!」
届いたばかりのジャージに喜びの声が上がる。
「わぁー!」
「名前も入ってる」
「かっこいい……」
「サイズは大丈夫そうか?」
『はい!』
男女お揃いの水色ベースのジャージに、紺色で清澄高等学校 弓道部と、背中部分に書かれており、袴の濃い紺色とも合うような色使いとなっている。
一年生が喜ぶさまに、昨年は自分達も同じように喜び、写真を撮っていた事を想い出していた。
「せっかくだから、みんなで写真撮るか?」
『はい!』
部長の提案により、部員はジャージを羽織ると、タイマーをかけ二十二名に藤澤と一吹も加わり、撮影会だ。
彼らは大会前でもナーバスになる事なく、明るい様子の為、二、三年生は精神的にも強くなったと感じる二人がいた。
「明日から、いよいよ県武道館だな」
「そうだね」
「先輩達の射、楽しみです」
「青木も日曜日の個人に出るんだからな?」
「分かってますって!」
翔たちと同じ方向の為、青木だけでなく、一年男子の渡辺に、女子の小林と増田も一緒に駅まで歩いていた。
「小林ちゃんと増田ちゃんは仲良いけど、同じ中学だったの?」
「中学は違うんですけど、同じクラスなんですよ」
「そうなんだぁー」
「先輩達は同じクラスなんですか?」
「うん、二年になってからね。美樹とは幼馴染だよ」
「うん! 再会した時はテンション上がったもん」
仲睦まじい二人の様子に、小林と増田の頬も緩む。
「じゃあ、また明日ね」
「また会場でなーー」
「お疲れさまです」
「お疲れさま」
遥は、いつものように反対側の電車に乗り込むと、メッセージを送っていた。
『蓮、明日会えるの楽しみにしてるね』
最寄駅に着く頃、彼より返信があった。
蓮にしては珍しい、可愛らしいウサギのスタンプで『了解』と、書かれている。
遥はスマホの画面に小さな笑みを浮かべると、道場へ足早に向かい当たり前のように繰り返していた。
団体は県予選にて上位八校を決め、六月上旬に県武道館にて準決勝および決勝が行われる。一人十二射、五人六十射で競い合うのだ。
「お父さん、送ってくれてありがとう」
「あぁー、頑張りなさい」
「うん!」
会場まで車で送って貰った遥は、目の前の光景に昨年を振り返っていた。
ーーーーーーーー嬉しい……去年は……見ていることしかできなかった……県武道館での団体に出場できる。
彼女は武道館に、五月晴れの空に、少しでも長く今のメンバーで引ける事を願っていた。
藤澤が制服にジャージを持った一年生と観覧席で彼らの出番を待っていると、女子の団体メンバーが一吹と共に戻ってきた。
午後一番で彼女達の番になった為、男子の応援をしていく。応援と言っても、他の部活のように応援歌や声援を送れる訳ではない為、見守っていると言った方が正しいだろう。
「出てきた!」
「いよいよだね」
団体メンバーだけでなく、一年生も彼らの緊張感のある中、放たれていく射に集中していた。
いつものように陵から順に中っていく。
今回の目標は十二射八中だ。四十射中れば、確実に次の舞台へ進めると、一吹が確信していた為、半分以上の射が中るように、彼らは日々の練習で自分自身と向き合ってきた。
落ちの一人を残し、陵が九中、和馬が六中、隆が八中、雅人が七中している。目標としていた四十まではあと一射。翔が放った矢は僅かに外れ、三十九射。
一吹が目標とした四十射までは届かなかったが、大健闘である。彼は次の舞台にまで立たせたかった為、態と高い目標にしていたのだ。
その結果、彼らは同率四位で来週行われる準決勝への進出が決まったのだ。
隆がくじを引き、準決勝は三番目の立順となった。
隆たちがレジャーシートを広げ、昼食をとる清澄高等学校の元へ戻ると、由希子たち団体メンバーは早めに食べた後だった。午後一番で引くからだ。
「おめでとう!!」
「すごい!!」
「ありがとう……」
準決勝の進出を祝福する彼女達がいた。自分の事のように嬉しかったからだ。
「やったね」
「あぁー、次はハルたちだな」
「うん!」
微笑んで応えた彼女は、緊張感はあるが迷いはないのだろう。男子に続くと心に決めているように、翔の目には映った。
再び会場に戻ると、また独特の空気に包まれる。試合には緊張感がつきものである。
遥は深く息を吐き出すと、的をまっすぐに見据えていた。
大前から順に放たれる弓の音を聞きながら、ここに立ててよかったと、感じているようだ。
遥は心地よい音を響かせながら、美しい射を披露していた。彼女が乱れる事はない。
次々と放たれる矢に魅了される者もいる。彼女は十二射皆中を決めたのだ。
由希子は七中、奈美が六中、真由子が七中、美樹が八中と、一吹の言っていた四十射をクリアした為、女子は同率一位の成績で、次の舞台に立てる事になった。
「ーーーーやりましたね……」
「はい……」
藤澤に頷いて応えた一吹は、初めて尽くしの中、結果を出した彼らに、心からエールを送っていた。
ーーーーーーーー夢……みたい……見ているだけだった団体で、準決勝進出できるなんて……
遥はまだ夢見心地なのだろう。由希子がくじを引く際も、実感できていないようだ。
「五番目だった」
「はい……」
「来週もみんなで立てるね」
「はい!」
涙目になりながら応えた遥は、仲間と抱き合っていた。
ーーーー明日は個人か…………
明日に気持ちを切り替えるべく、いつもの道場を訪れていた。一つだけ用意された的は四射皆中だ。
手早く片付けを済ませ家路へ急ぐ中、スマホが鳴った。
「…………蓮?」
『遥、お疲れさま……進出おめでとう』
「ありがとう……蓮もおめでとう」
風颯学園は男女ともに、一位の成績で通過だ。強豪の名は継続中である。
『また明日な』
「うん……また明日ね」
名残惜しそうにしながらも電話を切ると、夜空を見上げ、明日に期待を寄せているのだった。
予選四射二中以上で準決勝進出となり、準決勝も四射引き、予選からの合計六中以上の者が決勝進出となる。
清澄高等学校からのエントリーは隆、翔、陵、青木の男子四名と、由希子、奈美、真由子、美樹、遥、加茂の六名の総勢十名だ。
昨日と同じように男子予選から始まっていく中、次々と放たれる矢は、未経験者の三人から見たら圧巻である。
藤澤と一吹は昨日と同じ観覧席から、彼らの射を見ていた。順当に行けば、準決勝までは全員進出できる力はある。
二人の思っていた通り、男女ともに準決勝に十人揃って進出となった。
午後から始まる準決勝を前に、昨日と同じようにレジャーシートを広げ、昼食をとっていると、一吹が良知に声をかけられていた。
「あの、一吹さんと話してるの誰ですか?」
「ん? あぁー、良知コーチは風颯学園のコーチだよ」
「えっ!! あの?!」
隆の応えに、青木は思わず声を上げた。それ程までに、名門校として風颯学園は有名なのだ。
「一吹さんの母校だってさ」
「へぇー、そうなんですか」
青木だけでなく、弓道経験者の一年生の殆どが納得したような表情を浮かべている。
「風颯って、あの濃紺のジャージですよね?」
「あぁー。そうだな、渡辺」
「強そうですよねー」
「青木が言うと軽いなーー。陵みたいだ」
「ちょっ、雅人先輩!」
笑い合うチームメイトの様子に、彼女も笑みを浮かべる。
ーーーー蓮も頑張って…………
遥は心の中で、彼にもエールを送っていた。
男子準決勝が始まる中、青木と蓮が同じグループで出てきた。先程四射二中の青木は、四射皆中を決めなければ決勝進出は叶わない。
彼は予選と同じく四射二中だった為、準決勝で敗退となった。
同じグループの蓮は、予選と変わらずに弓を引き、四射皆中だ。
こうして二百人以上いた予選から、大幅に準決勝で人数が削られるのだ。
「隆たちは、上手くいったみたいだな」
「はい……」
一吹の言った通り、彼らは四射三中を予選は三人とも決め、準決勝では陵と翔は四射皆中だった。その為、三人揃っての決勝進出となった。
「すごい……」
場内ではすでに女子が弓を引いている。
「ーーーーハル先輩って、外す事あるんすか?」
「……ないよな?」
「あぁー、俺も見たことないな」
「先輩達もですか?!」
「入部してからの記録は、ハルだけ全部丸がついてるくらいだからな」
「そうなんですか……」
彼女は予選同様に、四射皆中を決めたのだ。
「女子も決まったな……」
決勝進出を果たしたのは、由希子、美樹、遥の三人だ。
決勝でも四射引き、予選からの合計的中数で順位が決まる。
男女とも四位までが全国大会、五位までが東海大会へ出場だ。
決勝に立った隆たちの緊張感は、観覧席にいたチームメイトにも伝わっていた。
隆は決勝も合わせ九射、翔と陵は十一射と同中の為、競射で順位を決定する事になった。彼らの他にも風颯の佐野、下村、森も同中にいた。
順々に同じ的に矢を一本ずつ放ち、矢が的の中心に近い者が上位となる。
もっとも中心に近かったのは、佐野、下村に続いて、翔、陵、森だった。
男子は十二射皆中を決めた一位の蓮から佐野、下村、翔の四人が全国大会へ、陵までの上位五名が東海大会出場となり、昨年同様、風颯学園の強さを実感する結果となった。
自分の出番が終わり、蓮は彼女の射を静かに見つめていた。遥も彼と同じく、唯一の十二射皆中を出している。
「ーーーー綺麗だな……」
そう小さく呟くと、仲間のいる観覧席に戻っていく。その横顔は何処か誇らしげであった。
美樹と由希子は決勝までの的中が九射と、八位の入賞まであと一歩及ばなかったが、二人ともすっきりした表情だ。全力を尽くしたからだろう。すでに気持ちは、来週の団体に向いているようだ。
「みなさん、お疲れさまでした。よく頑張りましたね」
『はい』
藤澤の言葉に、個人戦が終わったと実感したのだろう。応える声がいつもよりも静かだ。
「……来週の団体、私も楽しみにしています」
『はい!』
いつものように元気よく応えた彼らに、藤澤も笑みを浮かべ、彼らの射を待ち遠しく感じていた。