第三十話 春立
「満が一人暮らしか……自炊するんだろ?」
「まぁーな。部活引退してから、簡単なものは作れるようになったぞ?」
「じゃあ、東京に行った時は手料理ふるまって貰おうかな?」
「あぁー……」
屋上は二月でまだ寒い為、満と蓮は屋上に続く階段に腰掛け、久しぶりに昼食を食べていた。
「この間は、久々に三人で遊んだな」
「うん……また、しばらくは別々か……」
「あぁー、淋しいか?」
「満!」
図星なのだろう。声を上げた蓮の頬は、微かに赤くなっている。
「ーーーー蓮が来るの待ってるな」
「うん……」
彼らは未来を見ていたのだ。
遥も昼食を食べながら、新しく出来た友人と同じ教室で過ごす時間が限られている事を実感していた。
「このクラスで過ごすのもあと少しかーー」
「小百合、どうしたの?」
「また二人と同じクラスになれるといいなーー」
「うん、また一緒になれるといいね」
「遥は部活違うもんね。入学式の勧誘は負けないからね」
「うん、バスケ部はユニフォームを着て呼び込みだっけ?」
「そう! あとは体育館で、練習風景を見て貰う感じかなーー、弓道部は?」
「私達も道着で呼び込みかな? まだどうするかは分からないけど」
「先輩になるのかーー」
「小百合ちゃん、嬉しそう」
「中学の時の後輩が入学するらしいからね」
「それは楽しみだね」
お昼休みになると彼女達と教室で過ごしていたが、そんな時間も残り一ヶ月もないのだ。
ーーーー早い……もうすぐ卒業式……みっちゃんが、家を出る日が来るんだ……
今までだって、そんなに話せていたわけじゃないけど、此処にいるのと……東京とでは距離が違う。
想い浮かぶのは、ここ数ヶ月の道場での出来事だ。
分かっていた別れの時が迫っていると感じながら、友人と笑って過ごす遥の姿があった。
「ハル、行くか?」
「うん!」
遥は翔と共に道場へ向かう。今日は二人が一番乗りだ。
「雅人たちも弓に慣れてきたな」
「そうだね。四月の大会が楽しみだね」
「あぁー、そうだな」
的を用意していると、続々と部員が集まっていく。
「今日は一吹くんがお休みですが、いつも通り実践練習を行います」
『はい!』
藤澤の指導の元で練習を行なっていく。
この五人で弓が引けるのも……あと少し……
彼女は、昨年の部長が引退した日の事を想い返していた。
五人で弓を引く機会を貴重に感じながら、いつもと変わらない所作で引く。団体のように仲間の音を聴きながら、心は乱れる事なく、四射皆中しているのだった。
学校が休みの日でも、いつもの道場では朝から矢を放つ音が響いている。
「ハルーー! そろそろ行くぞ?」
「うん!」
満の呼びかけに応え、道場を片付けると、急いで自宅に戻った。今日は河津桜を見に、家族でドライブをする事になっている。
父の運転する車内で、遥と満は祖母お手製のお団子を食べている。仲睦まじい兄妹に向けられる家族の視線は温かだ。
「綺麗ーー……」
「久しぶりに出かけたな」
「うん……」
濃いピンク色の河津桜が、晴れた空に映えている。家族で此処を訪れるのは三年ぶりの事だ。
ーーーー綺麗……ソメイヨシノもすきだけど……
綺麗に咲き誇った花が、川沿いに並木道をつくっている。所々にある出店やテラス席のあるカフェが繁盛しているようだ。
「みっちゃん、ハルちゃん、綺麗だねー」
「うん!」
「ばあちゃん、綺麗だな……」
祖母は孫二人に手を引かれ、嬉しそうに笑みを浮かべた。ゆっくりと歩きながら眺める桜並木に、彼女も季節の巡りを感じていた。
ドライブから戻ると、満は妹を連れて道場に戻ってきていた。二人にとっては習慣である。
「ハル、一人になってもサボるなよ?」
「みっちゃん……もう、サボらないよ……一日一回以上、弓に触れること……でしょ?」
「あぁー、じいちゃんの教えだな。でも、無理はするなよ?」
「うん……ありがとう……」
「蓮に負けるなよ?」
「うん!」
顔を見合わせ笑い合うと、夜空を見上げた。
弓を引く音が先程まで響いていた的には、十二本ずつ中っている。
「ーーーーここの桜も、もう時期咲くね」
「そうだな……」
小さい頃から変わらない景色の一つが、この弓道場であり、今まで過ごしてきた場所だ。
「母さん達のこと、頼んだぞ?」
「うん、夏休みは東京観光行こうかなーって、言ってたよ?」
「あぁー、二人だけでも来そうだよな」
「そうだね」
家族仲もよいと言えるだろう。無条件で味方になってくれる親に、感謝している兄妹がいたのだ。
残り少ない時間を満は有意義に過ごしていた。妹との朝練は、すっかりと日課になっていた。
遥と同じような想いを抱えていたのだ。
「満!」
「蓮、どうした?」
「これだよ」
彼が持っているのは、卒業生の胸元に付ける花だ。
「どうせなら、女子部員から付けて貰いたかったな」
「満、動くと刺さるぞ?」
「はーい」
冗談を交えながら胸元に花を付ける蓮は微笑んでいる。こうして彼を見送るのは二度目だ。
「ーーーー卒業、おめでとう」
「ありがとう……」
風颯学園の卒業式が第一体育館で行われている。満の親も、息子の姿を見送っていた。
「満も……大学生になるのね……」
「あぁー、そうだな……」
「……早いものね」
親にとっては感慨深いものがあるのだろう。思わず涙ぐむ瞬間があった。
式が滞りなく終わると、満は後輩に第二ボタンをせがまれていた。
「神山先輩! ボタン下さい!」
「私も欲しいです!!」
「ごめんな……もうないんだ」
ブレザーには三つしかボタンがないが、すでに一つも残っていない。同級生にすべて渡してしまった後だったのだ。
「満ーー、帰るだろ?」
「あぁー、今行く!」
声をかけた春馬のブレザーにもボタンはなく、ネクタイまで誰かにあげてしまった後のようだ。
「……春馬は相変わらずだな」
「満に言われたくないけど?」
春馬はどうやらシャツの第一、第二ボタンまであげてしまった為、制服の上からコートのボタンをしっかりと閉じていた。
「春馬も東京の大学だろ?」
「あぁー、向こうで会おうな?」
「勿論! 楽しみにしてるよ」
「じゃあな」
「あぁー」
満は風颯学園で過ごした六年間を振り返っていた。
ーーーーまさか……本当に、東京の大学に行くことになるとはな……
予想していなかった未来も、不安な事もあるが、彼は四月からの生活が楽しみな様子だ。
自分で選んだ道だからな……また、全国を目指して進むだけだ。
あの日の約束を叶える為に……
卒業式に相応しい、晴々とした空が広がる中、彼らは三年間共に過ごした高校を卒業したのだった。
卒業式から今日まであっという間だった。
出発日なのに、道場に来てくれた……
「ハル、ありがとう」
「みっちゃん……ありがとう……」
他の言葉が見つからない。
みっちゃんには、『ありがとう』しかないの…………
二人の的には十二本ずつ中っている。
遥は兄から的に視線を移した。押し寄せてくる想いごと放ったようだが、中白の本数は同中である。
背中を押され、矢取りを促された。いつもは会話の弾む兄妹だが、今日に限っては口数が減っていた。
ーーーーこれで……しばらくは…………
「ハル」
顔を上げれば、変わらない兄がいた。
「……待ってるからな」
「うん……みっちゃん、応援してるよ」
距離は離れてしまうけど、ずっと応援してるよ。
みっちゃんは自慢のお兄ちゃんだから…………
「みっちゃん、気をつけてね」
「満、たまには帰ってくるのよ?」
「分かってるよ……ばあちゃん、母さん……」
「気をつけてな」
「ありがとう、父さん……」
「いってらっしゃい」
東京へ向かう満を、神山家は総出で見送っていた。
「ハルも……頑張れよ?」
「うん、みっちゃんも!」
ハイタッチを交わすと、列車の発車ベルが鳴り響く。
見送る側も見送られる側も、同じくらいに寂しさが募る。それでも、彼の選んだ道を応援する家族がいた。
遥は手を振りながら遠ざかっていく満の姿に、部活を引退してから道場で一緒に過ごした数ヶ月の出来事を想い返していた。
ーーーー射詰も、矢渡しの練習も……楽しかった……みっちゃん、ありがとう…………頑張って……
季節は巡り、いつもの道場に咲く桜が満開になる前に、彼は東京に向かったのだ。
みっちゃんが練習につきあってくれていたけど…………また一人……
あの日の約束を叶える為に、彼らは弓を引いていた。
遥は気持ちを切り替えるように桜から的へ視線を移す。
珍しく着物姿で引いているが、いつもと変わらずに中っていく。
「…………見事だな」
矢取りを行おうとしていると、彼の漏らした声が聞こえてきた。
「…………蓮」
「お疲れさま。これから昼、一緒に食べない?」
「うん……」
今日は日曜日だった為、風颯学園は午前中だけの練習だったのだろう。蓮は制服姿のままだ。
「家で着替えてくるね」
「うん、俺も着替えてくる」
二人は一度自宅に戻り私服に着替えると、いつもの待ち合わせ場所から彼の家へ歩いていく。
「おばさん、用意してくれたのか?」
「うん、蓮の所も今日はお休み?」
「仕事は休みだけど、二人で朝から花見に出かけてるよ」
「いいなー……私たちもお花見行く?」
「家で昼食べたら行こうか?」
「うん!」
荷物を何気なく蓮が受け取ると、どちらからともなく手を繋ぐ。
「いつ来ても、蓮の部屋は整ってるよね」
「そうか? お茶入れてくるから、適当に座ってて」
「うん」
遥はお弁当をテーブルに広がると、トロフィーの置いてある棚を眺めた。
これ……この間の個人優勝のだ……また適当に置いてる。
部屋にあるトロフィーは横たわっているものもあり興味がないと一目瞭然だが、遥に至っては自分の部屋にさえ飾ってもいない。神山家ではトロフィーや賞状の類は、親や祖母が飾っているからだ。
彼らにとって順位は結果であって、弓を引く過程の方が大切なのだ。
「ーーーーお待たせ」
「ありがとう」
温かいお茶を受け取ると、二人揃って食べ始めた。
「遥が前に作ってくれた卵焼きと同じ味がする」
「本当? 卵焼きは、おばあちゃん直伝だからね」
久しぶりに二人で過ごす穏やかな時間に、自然と会話も弾む。
「また大会で会えるの楽しみにしてるな」
「うん」
色気のない会話だが、二人らしいとも言えるだろう。
「蓮……お花見、行く前にいい?」
「……何かあったのか?」
「ううん……ぎゅってしたい……」
「……いつでもどうぞ?」
蓮が大きく腕を広げると、その腕の中に飛び込んでいた。二人はぎゅっと抱き合っている。お互いを確認し合うようだ。
ーーーーーーーーほっとする……私も頑張ろうって思えるから……蓮を見ていると……
「ーーーー遥……ちょっとだけ……」
「ちょっと……?」
伝わっていないと感じたのだろう。彼女の唇に指先が触れる。
遥は頬を赤らめながらも、そっと瞼を閉じる。彼に触れられようやく理解したのだ。
毎年見ているはずの桜が……いつもとは違うの。
「ーーーー蓮、綺麗だね」
「そうだな……」
神社の境内にある桜を見に来ていた。
蓮と一緒に見る桜だからかな?
いつもよりも、綺麗に見える気がする……
「あんず飴、買うか?」
「うん!」
花より団子のようだが、晴れた空に薄ピンク色の花びらに、これからを期待していたのだ。
「楽しみだな」
「うん……」
ーーーーーーーー春は……出逢いと別れが一度にやってくるから……苦手だけど……
満開の桜を見上げる二人は同じ気持ちでいた。
また来年も、一緒に見れるといいのに…………と。