表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/83

第二十七話 甘露

 大会を三日後に控えた二月十三日。

 神山家のキッチンから、甘い香りが漂っていた。 


 「ハル、何作ってるんだ?」

 「ガトーショコラ。明日、バレンタインだから」

 「クラスで配るのか?」

 「うん。小百合ちゃんと知佳ちゃんと、交換することになってるの」

 「へぇー」

 「こっちのクッキーは、出来てるから食べてもいいよ?」

 「ありがとう」

 

 満が味見をしていると、甘い香りに誘われるかのように母も顔を出した。


 「いい香りねー」

 「冷めた方が美味しいから、ガトーショコラは明日食べようね?」

 「楽しみねー」


 神山家のバレンタインデーは遥手製のお菓子が毎年のように振るまわれていた。その為、家族も楽しみにしている一人だが、彼女が渡したい本命は一人だけだ。


 ーーーー蓮が喜んでくれるといいな……


 「できた!」


 昨日作ったお菓子を綺麗にラッピングすると、いつものように道場に向かう遥は、はやる気持ちを抑えているようだった。


 そんな想いとは違い、満に続いて引く姿は冷静なままだ。

 新しい矢も、二人の手に馴染んでいるのだろう。的の中心付近に中っている。


 満と共に矢取りを行い、言付けていた。


 「みっちゃん、これ……蓮に渡してほしい……」

 「自分で渡さなくていいのか?」

 「うん……大会前だから……」

 「了解、渡しとくな」

 「ありがとう。みっちゃんも帰ってから食べてね」

 「あぁー、楽しみにしてるよ」


 快く受け入れた兄に笑顔で応えていた。


 校内ではバレンタインデーの為、昼休みになるとチョコレートを貰っている男子がいた。今も、翔が廊下に呼び出されている。


 「白河はモテるねーー」

 「呼び出しなんて、本当にあるんだね」

 「そうだね」


 遥は小百合と知佳といつものように机を並べ、お昼を食べていると、翔が何も受け取らずに教室に戻って来た。


 「翔、受け取らなかったのか?」

 「あぁー……見てたのか?」

 「結構、可愛い子だったのになーー」

 「別にいいんだよ」


 翔は素知らぬ顔でお弁当を食べ始めた。彼の周りにも男子が集まってる。遥達との距離は机一個分くらいで近い。聞き耳を立てなくても、話に入れる距離だ。


 「遥、小百合、はい!」

 「わーい! 知佳ちゃん、ありがとう」

 「美味しそうーー」


 女子三人は手作りお菓子を交換し、食後のデザートにしている。

 机には、チョコマフィンにチョコチップクッキー、ガトーショコラが並んでいた。バレンタインデーの友チョコの為、チョコレートづくしのデザートだ。


 「食後の甘いものは別腹だよね」

 「小百合の言う通りだねーー」

 「うん、美味しい」


 幸せそうに食べていると、近くに座っていた山田が輪に入った。


 「美味そう……」

 「山田、チョコ貰えなかったの?」

 「サユ、うるさい。だいたい、何でサユがチョコ貰ってたんだよ?」

 「んーー、人望?」

 「……聞くんじゃなかった」


 周囲からも笑いが起こっている。


 「じゃあ、これ食べる?」

 「遥、甘やかさなくていいよ?」

 「山田はすぐ調子にのるから」

 「おまえらなーー」

 「じゃあ、いっか」

 「ハルまで!」


 がっかりと肩を落とす山田に、悪戯っぽく笑ってみせる。


 「冗談だよ。ね?」

 「うん、取っていいよ?」

 「はい、召し上がれ」


 小百合から手渡されたクッキーを食べると、チョコレートの甘い香りが口の中に広がる。


 「うま! サユ、作れたんだな」

 「失礼な!」

 「冗談だって、美味かった。ありがとう」

 「いいえー」


 バスケ部同士、仲が良いのだろう。小百合たちの様子に遥も笑みを浮かべていると、スマホのバイブ音が鳴った。


 「ちょっと、電話出てくるね!」

 「うん」

 「白河と竹山たけやまも食べる?」

 「いいのか?」

 「うん、いいよーー」


 竹山は遥の座っていた椅子に腰掛け、翔もクッキーを手に取り、彼女達の輪に入っていった。




 彼の教室でもお弁当を食べている生徒が多数いる中、目立つ人物がいた。


 「蓮!」

 「満、どうしたんだ? 二年の教室に来るの珍しくない?」

 「あぁー、これ」

 「えっ? これって……」


 手渡された紙袋には、彼女手製のガトーショコラとクッキーが可愛くラッピングされていた。


 「後で連絡してやって?」

 「あぁー、ありがとう……満、すごい量だな」

 「二年の教室に来たら、差し入れくれる子がいたからな」


 満はチョコレートが入っているであろう袋を、いくつも受け取っていた。今も周囲の女子の視線を集めていたが、当の本人

は義理くらいにしか思っていない。


 「ーーーー義理だけじゃなさそうだけど……」

 「そうか? 差し入れって言ってたぞ?」

 「…………それは……」


 彼がチョコレートの類しか受け取らないからだろう。義理チョコに紛れた本命チョコには気づかないようだ。


 「じゃあ、またな」

 「あ、あぁー」


 席に戻ると、クラスメイトに声をかけられた。


 「神山先輩から?」

 「佐野、そんな訳ないだろ?」

 「分かってるって、遥ちゃんからだろ? 本当に仲良いんだな」

 「んーー」

 「蓮、女子からのチョコ断ってたじゃん」

 「あぁー、そうだな」


 彼は電話をかけている為、佐野の話は半分くらいしか聞いていなかった。




 「もしもし?」

 『遥、お疲れさま』


 彼女が電話に出ると、蓮の甘い声が耳元で響く。


 「お疲れさま」

 『ありがとう……満から受け取った』

 「うん……いつもありがとう……」

 『美味しそう。部活の前に食べるな』

 「うん、応援してるね」

 『うん』


 教室の片隅で話す彼女は柔らかな笑みを浮かべている。彼からの電話だと美樹がいたなら察しがついただろう。


 「電話……ありがとう……」

 『うん、また土曜日な』

 「うん、またね」


 頬を緩ませながら小百合たちの元に戻ると、翔がガトーショコラを食べ終わった所だ。


 「遥、電話終わったの?」

 「うん、ただいまー」

 「ほら、竹山立つ!」

 「はーい。ハル、美味しかった」

 「ハル、ありがとう」

 「いいえー」


 クラスメイトの中でも特に仲が良いのだろう。六人はバレンタインデーと言うよりも、甘いもの好きで集まっているようだった。




 電話を終えた蓮は、普段クラスメイトが見ないような顔をしていた。


 「……彼女と電話かな?」

 「他校にいるって噂、本当だったって事?」

 「松風くん、チョコ断ってるみたいだし」

 「ショック……」


 噂話の小さな声は、彼の耳には届いていない。耳元の余韻に浸っているようだ。


 「蓮、嬉しそうだな」

 「それは……何でもない……」

 「言いかけて止めるなよ?」

 「それは……今日貰えると思ってなかったから、嬉しかったんだよ」

 「はい。ご馳走さま」

 「佐野が聞いてきたんだろ?」

 「蓮がそういう顔するの新鮮だな」

 「もういいって、佐野だって貰ってただろ?」

 「そうだけどさーー」


 蓮の珍しい姿に彼は色々聞いてみたいようだが、チャイムが鳴った為、話はここまでとなった。




 放課後になると、帰り際にチョコレートを渡す女子もいるようだが、遥には関係ないのだろう。道場に一番乗りである。

 袴姿になった彼女は、柔軟体操を念入りに行なっている。


 ーーーー土曜日は大会本番……この一ヶ月半近く、団体に向けて練習してきた。

 今できるすべてを……出しきるつもりで、挑まないと……


 気持ちを整え、的を設置しているとチームメイトが続々と集まっていった。


 安定感のある音が響き、思わず視線を移す。まっすぐに向けられた視線の先には、八射皆中した的があった。

 変わらずに皆中する姿は、部員の士気を高めていた。


 「一吹さん、藤澤先生、これは女子部員一同からです!」

 「チョコレート? 今日、バレンタインか。ありがとう」

 「ありがとうございます。嬉しいですねー」


 快く受け取った二人の姿に、彼女達も嬉しそうだ。


 「えーーっ、俺達には?」

 「陵は美樹から貰うからいらないでしょ?」 

 「確かにな」

 「和馬までーー」


 チームメイトは陵の反応に笑い合っている。ムードメーカーは健在である。


 「俺ら、先に帰るな」

 「うん、またね」

 「気をつけてなー」


 陵は美樹の手を取ると、足早に帰っていった。そんな二人の後姿に、まだ甘さが残っているようだ。


 「放課後に彼氏にチョコを渡すって理想的」

 「そうだね」

 「マユは渡さなかったの?」

 「うん、友チョコはしたけど。奈美は?」

 「私は特にしなかったなー。遥も友チョコするって言ってたよね?」

 「うん、クラスの子と交換して、お昼に食べたよ」

 「私もやればよかったなー。みんなは貰ったりしなかったの?」

 「ないよ。そんなの陵とか翔くらいだろ?」

 「和馬、俺も貰ってないから」

 「翔の場合、貰わないんじゃなくて受け取らないだけだろ?」

 「そんな事……でも、遥たちの友チョコわけて貰ったぞ?」

 「えーーっ、いいなぁー」

 「なんで、奈美が残念がるんだよ?」

 「遥のお菓子、美味しいんだよー」

 「そうそう、大会の時に貰ったら美味しかったし」

 「クッキーならあるよ? 食べる?」

 『食べるーー!』


 奈美と真由子の方が勢いよく応えている。彼女がラッピングした袋を広げると、半分チョコレートがかかった上に、ローストしたアーモンドが乗っているハート型のクッキーが入っていた。

 口に入れると、サクッとした食感に甘い香りが広がっていく。


 「美味しい!」

 「遥、ありがとう」

 「いいえー」

 「また明日ねー」

 「うん!」


 校門で分かれると、駅までの道のりを翔と二人で歩いていた。


 「翔も食べる?」

 「昼も貰ったのに、いいのか?」

 「うん、食べながら駅まで行こう?」


 部活終わりでお腹が空いていたのだろう。遥もクッキーを食べていた。自分用のおやつに持参していたのだ。


 「美味いな……昼間と、違うんだな?」

 「昼間のクッキーは、小百合ちゃんのお手製だからね。美味しかったでしょ?」

 「……あぁー、そうだったんだ」

 「うん。美樹と陵は今頃、デートかな?」

 「そうかもな」


 いつも一緒に帰っている二人の話題から、弓道の話になっていく。彼らは大会が楽しみではあるが、緊張感も同時に抱えていたのだ。


 「トーナメントまで、残りたいよな」

 「うん…………今の……一番の目標だね」

 「あぁー」


 目標と言った横顔は、すでに大会へ向けて調整がされているように、翔の目には映っていた。


 遥が道場に寄ると、満が弓を引いていた。


 「みっちゃん、渡してくれてありがとう」

 「蓮、喜んでただろ?」

 「うん……」

 「十二本で勝負したら、帰るか?」

 「うん!」


 彼女が着替える間に、満が矢取りを行うと、二人は的を正面に立ち、足踏みから始めた。

 辺りには心地よい音が、次々と響いていく。


 ーーーー緊張しない時なんてない……

 今も……そう…………


 十二射とも的に中ると二人は道場を片付け、袴姿のまま帰っていく。


 「遥!」


 顔を上げると、彼がこちらに向かって手を振っていた。


 「ハル、先に帰ってるからな」

 「う、うん……」


 満が先に家に帰ると、いつも待ち合わせをしていた場所で、抱きしめられていた。


 「ーーーー遥、美味しかった……」

 「蓮……お疲れさま」

 「お疲れさま」


 日は暮れているが外の為、彼は抱き合うだけに留めていた。


 「ありがとう……」

 「蓮……ありがとう……」


 ーーーー蓮……二週間ぶりに会えた……


 「遥……」


 蓮はそっと頬に触れていた。彼女の冷たい頬が赤く染まっていく。

 柔らかな唇が触れ合い、間近に合った視線を逸らすように胸に顔を埋める。


 「ーーーー遥?」

 「…………蓮……外だよ?」

 「誰もいないって……」

 「そうだけど……」


 抱き合うだけでは足りなかったようだ。彼の言ったとおり人通りはないが頬は染まったままだ。

 初々しさの残る反応に、蓮は優しく微笑んでいる。


 「送ってく」

 「う、うん……」


 彼女の手を握る彼の頬もまた、赤く染まっていた。躊躇いなく握り返される手も、恥ずかしながらも応えてくれるキスも、恋人になるまで出来なかった事だ。


 「また……大会の後でな」

 「うん……」


 名残惜しそうにする彼女に、また触れそうになるのを抑え、手を離す。


 「…………蓮……」


 遠ざかっていく背中に思わず溢した。もっと一緒にいたいと感じているのは、共通の想いだった。


 曲がり角の手前で振り返った蓮は、先程までそばにいた彼女を想い浮かべているようだ。


 「ーーーー遥……」


 小さく呟き夜空を見上げた。その姿は、何処か大会前の彼女のようであった。




 神山家では食後のデザートにガトーショコラを食べていた。


 「遥、また上手くなったんじゃない?」

 「本当?」

 「うん、美味しい」

 「ハルちゃん、美味しいよ」

 「お母さん、おばあちゃん、ありがとう」

 「ハル、美味しい」

 「よかった……」


 家族の反応に一安心だ。

 弓道の合間のちょっとした息抜きになっていたのだろう。


 ーーーー蓮……急いで、帰って来てくれたんだよね。


 甘いチョコレートの香りに、先程まで一緒にいた彼の事を想い浮かべていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ