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第三話 初陣

 「ハルも今日、地区春季大会だろ?」

 「うん、みっちゃんと会場は違うけどね」

 「電車で行くのか?」

 「うん、美樹ちゃん達と待ち合わせしてるから……みっちゃん達は、学校からバス移動でしょ?」

 「あぁー、じゃあ検討を祈る」

 「はーい!」


 袴姿の遥は兄と軽くハイタッチを交わし、駅までの道のりを歩いていくと、道場に続く坂道の分岐点に彼が待っていた。約束はしていなかったが考える事は同じようだ。


 「おはよう、蓮…………今日は頑張ろうね」

 「おはよう、遥…………うん……それで、これ、御守りな」


 右手に桜色の御守りを手渡し、そのまま彼女の手を両手で握った。


 ーーーー今…………蓮の力を分けて貰っているみたい……


 「……ありがとう」


 御守りを矢筒につけると、自分が持っていた水色の御守りを蓮に手渡した。


 「ーーーーまさか……同じ事、考えてるとは思わなかったな」

 「うん……ここら辺だと、必勝祈願で有名な神社だよね」


 笑い合った二人は、それぞれの道を歩いていく。

 遥が思わず後ろを振り返ると、彼も同じようにこちらを見ていた。


 「蓮、ありがとう!」


 届くように声を上げた頬は桜色だ。

 駆け足で駅へ向かう後姿を、蓮は愛おしそうに見つめていた。


 「ーーーー頑張らないとな……」


 御守りに唇を寄せ、同じように矢筒につけると、気合を入れ直していた。




 電車の中で袴に学校のジャージを羽織っているだけで、これから部活動があると一目瞭然である。

 一年生の弓道部専用のジャージは来月頭に出来上がる予定だが、どちらにせよ袴姿が四人も集まれば、専用のジャージでなくとも目立っているだろう。経験者にとって周囲の視線は気にならないようだ。


 「おっ、もう着くな」

 「そうだね……緊張するね……」

 「遥なら、いつもの練習通り引ければ、次に進めるよ」

 「うん……美樹ちゃん、ありがとう」


 会場に着くと、顧問の藤澤ふじさわに村田部長、飯田副部長が出迎えていた。


 『おはようございます』


 四人揃って元気よく挨拶をすると、他の部員が荷物を置いている場所で集まる事になった。


 三年生は女子一名、男子二名。二年生は男女一名ずつが清澄高等学校の弓道部の人数だ。五人は袴にお揃いの部活専用のジャージを着ている。

 制服姿の一年生も一足遅れて応援に駆けつけた。

 総勢十三名。全員が揃うと藤澤が声援を送り、観覧席に移動する者と場内に入る者で分かれる事となった。


 「藤澤先生……応援って言っても基本は、的に当たったら『よーし』で、四射四中したら拍手出来るって事ですよね?」


 和馬の質問に、彼は懐かしむような笑みを浮かべた。


 「そうですね……弓道は武道ですから、敬意を払って拍手を行いますね。四射四中を皆中かいちゅうと言いますが、皆中する事がいかに難しいか……どうやら、始まりますね」


 場内に視線を戻すと、遥が三番の番号札を袴につけ立っていた。場外から見て左側から一番と、順番の番号札を袴につけた女子が並んでいる。

 和馬、奈美、雅人まさと真由子まゆこの四人は、独特の緊張感の中で放たれる矢を静かに見つめていた。

 

 『よーし!!』


 心地よい弦音が響き、かけ声と共に拍手をする彼らがいた。遥が見事に八射皆中を決めたからだ。


 「ーーーーすご……」

 「うん……」


 それ以上は言葉にならず、羨望の眼差しだけが向けられていた。


 「次は篠原さんが出ますね」

 『はい!!』


 胸を高鳴らせる彼らからは真剣さが垣間見える。優しい視線を向ける藤澤は、これからを期待しているようだった。

 

 彼らの声は遥にも届いていた。集中力を高めながらも視野は広いままのようだが、小さく息を吐き出す。感覚が戻っているとはいえ、本音を漏らした以上に緊張していたのだ。


 ーーーー弓を引く時、蓮の御守りのおかげか……いつも、力の入りすぎる一射目が上手くいった。

 ありがとう……蓮…………


 御守りを握り、心の中で感謝していると、美樹が勢いよく抱きついてきた。

 

 「遥!!」

 「美樹ちゃん、やったね!」

 「うん!!」


 通過出来た事を喜び合う二人に、触発されたのは一人だけではなかったようだ。


 「…………藤澤先生、私も遥……神山さんみたいに弓を引けるようになりたいです」


 奈美だけでなく、その場にいた初心者四人を虜にするような射だったのは確かだ。同じように小さく頷いた彼らが、弓に触れたいと思っている事は明らかである。


 「毎日、素引きで弓に触れる事。それが上達するコツです。朝練は自由ですからね?」

 『はい!!』


 揃って応えると、視線は先輩達とハイタッチを交わす経験者組に向けられていた。


 清澄高等学校は、九人全員が次の大会へ進める事となり、幸先のいいスタートを切った。


 ーーーーまた……みんな、弓が引けるんだ……


 「次も引けるね、遥!」

 「うん!」


 この日、遥は東部地区女子一番の成績で大会を通過する事となった。

 





 ここ数日、男子の団体戦に向けて特訓が行われている。

 上級生のほとんどが、初めて団体戦に出場するから……


 「先生と話し合った結果、大前が松下くん。二番が飯田、中が大石おおいしくん、落ち前が中村で、最後の落ちが白河くんのオーダーになりました」


 村田部長の発表に続いて、藤澤が声をかけた。


 「……初めて団体戦に出場する人もいますが、気負わずにいつもの射を出来るよう残り一週間、練習していきましょう」

 『はい!』


 五人が団体戦の所作を練習している間、女子部員と初心者の一年部員は、弓を引く練習をしていた。


 「一つ的が空くので、そこで個人戦に出る方はこの一週間は引くようにお願いしますね」

 『はい』


 藤澤に応えると、遥は団体戦に向けて練習するメンバーを横目に、静かに弓を引く動作、素引きを繰り返す。


 「次、ハルちゃんの番だよーー」

 「はい」


 北川きたがわ先輩に呼ばれ、遥はすーっと息を吐き出し、瞳を閉じた。いつもの所作から的へ視線を移すと、心地よい弦音が響く。

 それぞれが練習していた手を止めて見入ってしまうほど、目を惹くものがあった。

 遥の右隣では落ちの翔が弓を構えていた。思わず彼女の方を振り向いてしまいそうになる衝動を抑え、呼吸を整え、引いていたのだ。


 遥は五人の姿に、昨年までの事を想い返していた。


 ーーーー聴こえないのは、当たり前……あの二人が特別だったの。

 そういえば……翔と陵は、なんで清澄高等学校に来たんだろう?

 二人の腕前なら……県内の強豪校からも、声がかかりそうなのに……


 そんな考えが頭の片隅をよぎったが、弓を引き終えた遥には関係なかったようだ。

 彼女の放った矢は四射皆中していた。それは、心が落ち着いたままで弓が引けた証だった。


 「次、美樹ちゃんだよー」

 「うん!」

 

 矢取りを行うと、次の人に交代していく。遥は的から離れ、また素引きを繰り返す。集中力が途切れる事なく繰り返される所作は、弓引きとして在るべき姿だ。


 「遥、見てもらってもいい?」

 「うん」


 奈美に快く応え、動作確認をしていくうちに、遥自身も初心に帰っているようだった。



 

 明日に控える大会を前に団体戦の練習も佳境だ。五人の動きも、この一週間で無駄がなくなってきていた。

 軽めの練習を終え、いつもより早めの時間から帰り支度を始めようとした所で、部長の声がした。


 「みんなーー、弓道部専用のジャージが届いたよーー」


 ダンボールの前に集合し、それぞれ自分のネーム入りのジャージを受け取ると、さっそく着てみては、スマホで写真を撮る。

 水色ベースのジャージに紺色で『清澄高等学校 弓道部』と背中部分に書かれており、袴の濃い紺色とも合うような色使いだ。


 「遥も写真入るぞー」


 陵の呼びかけに応え、一年生だけの写真を上級生に撮ってもらった後、男女別に上級生達とも仲良く写っていく。

 弓道部は全部員で十三名と少人数の為、上下関係が強くなく、大会や団体練習に、ゴールデンウィーク期間中の学校での一日練習する機会を経て、チームワークが格段に良くなっていた。


 「明日、土曜日は男子が団体予選に出るから、出ない人は制服に、このジャージを忘れずに持って来て下さいね」

 『はい!』


 部員の部長に対する元気な返答からも、関係が良好な事は明らかだ。


 ーーーーこの感じ……久しぶりの感覚…………試合が待ち遠しいとさえ感じるの。


 仲間と楽しそうに話す遥は、入学式とは違う気持ちで道場にいた。その瞳は、期待で満ちたような色をしていたのだ。






 地区大会兼県総体団体予選の大会。東部地区は男女共に上位八校が、五月下旬に行われる次の大会の出場権を手にする事が出来る。


 遥はセーラー服姿に、いつもの鞄には弓懸とジャージを入れ家を出ようとしたが、満に呼び止められた。


 「ハル、今日は応援か?」

 「うん、団体は男子しか出れないから……でも、来年は……私達も出るつもりだよ」

 「その勢いだな!」

 「うん、みっちゃんも団体に出るんでしょ?」

 「あぁー、俺が落ちで、蓮が大前だな」

 「頑張ってね! それじゃあ、いってきます」

 「気をつけてな」


 満は楽しそうに弓道と向き合う妹の姿に、清澄高等学校に進学して良かったと、心から感じているようだった。


 遥は制服姿の和馬、雅人、奈美、真由子、美樹の同級生五人と最寄り駅で待ち合わせをし、個人戦でも使った会場に足を運んだ。


 「みんな、おはよう。五人はこれから場内に入る所だよ」


 部長の声が合図になったかのように、五人を送り出す中、翔は彼女へ声をかけていた。


 「ハル、行ってくる」

 「うん、いってらっしゃい」


 このやり取りは二人に限った事ではない。それぞれが声援を送っていたが、翔は敢えて彼女に声をかけていた。それは、遥が憧れの弓引きだったからに違いないが、当の本人はクラスメイトやチームメイトを応援する感覚のまま送り出していた。

 翔の心情を理解出来たのは陵だけだったはずだ。


 残された部員は制服にジャージを羽織り、柵に手を持たれながら眺めていた。次々と放たれる矢は、未経験者の四人にとって未知数な事ばかりだ。


 「遥、次が来るよ」

 「うん」


 遥はノートを取り出し、的に中ったかどうかを記録していく。

 大前の陵が的に中ると、それに続くかのように二番、中、落ち前、落ちの順に一度も外す事なく中り、会場に『よーし』のかけ声と拍手が響いた。


 大前は三中さんちゅう、二番は羽分はわけ、中と落ち前は一中いっちゅう、落ちは三中…………結果は、二十射十中だから……あと少し。

 もう一本ずつでも決まっていれば……もう一度、引けたかもしれないけど…………初めて団体戦を経験する人もいるのに、独特のこの雰囲気の中で、残念を出さないなんて……さすがだよね。


 記載した今日の結果は、この一週間の彼らの練習の成果でもあった。


 『弓道は◯か×か、生と死かみたいな感じが日本的で……そこがアーチェリーとの絶対的な違いだな』


 記憶に残る祖父の言葉に想いを巡らせる。


 ーーーーきっと……蓮とみっちゃんは進んでいるよね。


 二人が敗退する場面は、想像も出来ないのだろう。彼らが次へ進むと何の躊躇いもなく信じていた。


 


 部長の提案により、予選敗退をした五人に温かな飲み物を差し入る事になった。


 「お疲れさま」

 「ありがと……」


 遥から受け取った蜂蜜レモンの温かな飲み物を手にした翔は、久しぶりに感じる敗北を痛く感じながらも、五人で団体戦に出場できた事に感謝していた。それは翔だけでなく、団体戦メンバー共通の想いだ。特に三年生にとっては、最初で最後の団体戦が幕を閉じた。


 「ーーーーみなさん……悔いの残る人もいるでしょうが……初の団体戦で、残念を出す人が一人もいなかった。その勇気に私は感動しましたよ」


 上級生は泣きそうになりながらも、藤澤へまっすぐな視線を向けた。その想いは、痛いくらいに遥にも伝わっていた。


  ーーーーそっか…………私も団体戦に出たかったんだ。

 ここにいるメンバーと射を……


 心が動いていく遥は部員と分かれると、足早にいつもの道場に向かった。想いが溢れ出るのだろう。引きたい衝動に駆られていたが、袴姿の彼に想いも加速していく。


 「……遥、お疲れさま」

 「蓮こそ……お疲れさま。団体進出おめでとう」

 「ありがとう」

 「先に八射で勝負するか?」

 「うん!」


 話したい事がたくさんあったはずだけど、一緒に弓を引ける事が何よりも嬉しくて……


 的には見事、八本とも矢が中っている。そのうちの一の黒より中心には、道場から向かって右側が五本、左側が六本だった。


 「さすが蓮……負けちゃったー」

 「本来なら二人とも皆中で、同点だけどな」


 矢取りを済ませ場内を整えると、寒空の下で身を寄せあった。


 「ーーーー遥……これからまた大会続きで、直接会えなくなる日が増えそうだから……言っておく……」

 「うん?」


 彼はひと呼吸置くと、まっすぐに遥を見つめた。


 「…………俺は……遥の射だけじゃなく……遥がすきだよ」

 「蓮…………私も……蓮がすき……」


 ーーーー強く揺るぎない姿に憧れた。

 本当は……蓮と、ずっと一緒にいたかった。


 言葉にした瞬間、瞳は潤んでいく。

 強く抱きしめられ、耳元で囁くようにそっと告げる蓮に、早鐘のように鳴る。


 「遥……すきだよ……」


 こぼれ落ちた涙を蓮が優しく拭う。

 二人の視線が交わると、そっと唇が重なっていた。


 その日、二人は幼馴染から彼氏、彼女へなった。

 空には星が輝き、まるで二人を祝福するかのような雲一つない綺麗な夜空が広がっていた。

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