第二十六話 鬱金香
何であんなこと、言っちゃったの?!
私じゃないみたい…………自然と身体が動いてたの……蓮といると……欲張りになる。
遥は髪を一つに結ぶと、柔軟体操を始めた。午前中はいつも通り、弓を引くからだ。
「ハル、早いな」
「みっちゃん、おはよう」
「おはよう」
二人は的の用意をすると、弓を一本ずつ丁寧に引いていく。まるで一射一射に、気持ちが込められているかのようだ。
集中力が高まっているのだろう。静寂の中、弦音と弓返りの音だけが響いていた。
「ふぅーーーー……」
遥は思わず息を深く吐き出していた。
二人の的には十二射ずつ中っている。
「矢取りしたら、射詰な?」
「うん!」
決勝の舞台でよく行われる射詰を、遥は日々の練習に取り入れていた。その為、本番でもミスする事はない。少ないと言った方が正しいのだが、彼女と競い合える程、射詰で残れる者が少ないのは事実だ。
今も二人の的には七本ずつ中っている。安定の射と言えるだろう。
兄妹や蓮も含め、三人で射詰の際は、十二射までと決めている。
彼らは大抵十二射皆中を決めてしまう為、中心に近い矢が多い者を勝者としているからだ。
「ーーーー半分くらいか……」
「そうだね。みっちゃんは手加減しないよね」
「当たり前だろ? 手を抜いたらすぐバレるし。それに、負けたくないからな?」
「うん……」
中白に中った本数は同じだ。日により差はあるが、的中率が高い事に変わりはない。
矢取りを行うと、お互いの射形に乱れがないか確認していく。
彼らには的に中る時の感覚と、中らない時の感覚がはっきりと身体に馴染んでいる為、放った瞬間に中ったと確信している事が殆どだ。
「ハル、そろそろ行かなくていいのか?」
「本当だ! 先に戻ってるね」
「あぁー、気をつけてな」
時計の時刻に慌てて道場を出た遥に対し、満は更に引いてからゆっくりと帰るのだった。
遥は自分の部屋に着くなり、用意していた服に着替える。デニムのパンツにノーカラーコート。首元には大判のマフラーを巻き、髪は綺麗に編み込みをしたアップスタイルだ。
遊園地のデートコーデが出来上がった所で、彼から連絡が届いた。
「いってきまーす」
「遥、気をつけてね」
「うん」
玄関を出ると、私服姿の蓮が待っていた。彼もデニムのパンツを履いている。考える事は同じようだ。
「遥、遅くなっても平気?」
「うん、言ってきたから大丈夫だよ。遊園地に行くの久しぶりだね」
「うん、俺も」
二人とも部活優先の為、小さい頃に行った以来だ。
「お腹空いたから、先に昼軽く食べてから行ってもいい?」
「そう言うと思って、サンドイッチ作ってきたよ。飲み物は買ってもいい?」
「うん、ありがとう」
移動の間も二人は、手を繋ぎながら歩いている。
遊園地まで電車で向かう中、サンドイッチや飲み物と一緒に買ったお菓子を食べながら、話をしていた。
「日曜日も練習、お疲れさま」
「遥もお疲れさま、満と引いてたんだろ?」
「うん」
「来月の大会は、地区の対抗戦だから……遥の射が見れなくて残念だな」
「私も……蓮の射が見たかったよ……。終わったら、道場で会える?」
「うん、会おうな」
遥は嬉しそうに頬を緩ませていた。
遊園地に着くなり、いつもより速い歩幅で歩いていく。
「蓮、ジェットコースター乗りたい!」
「遥は意外と絶叫系すきだよな。久々だから制覇したいな!」
「うん!」
ジェットコースターやコーヒーカップ、空中ブランコ等、二人は次々と乗り込んでいく。
「蓮! こっち向いてー」
クレープを食べている姿を、スマホのカメラに収める。
「遥、どうせなら一緒に撮りたい」
そう言って肩を抱き寄せると、クレープを片手に笑顔で写る二人がいた。
「結構、乗ったなー」
「うん、遊んだね」
「最後はあれだろ?」
「うん!」
手を握られたまま、観覧車に乗り込んだ。
「この中、暖かいね」
「そうだな」
二人は並んで座っている。
ーーーーーーーー何か……緊張する……
肩が触れ合う距離にいるせいか、口数が極端に減っている。
「ーーーー遥……緊張してる?」
「何か……急に二人きりになったみたいで……」
「昨日のは?」
「ふぇ?」
変な声出た! っていうか、やっぱり覚えてた!
「あれは……」
「ーーーーしてくれないなら、俺からしてもいい?」
「ちょっ、待っ……」
「顔、真っ赤」
伸びた手は、頭を優しく撫でている。
ーーーー私は子供っぽいよね…………すぐ、顔にでるみたいだし……
「遥?」
「…………蓮……目、つぶって?」
「ん……」
素直に目を閉じる蓮の耳元に息づかいが聞こえた。次の瞬間、柔らかな感触と彼女の香りに包まれていた。
遥はそっと唇を重ね、有言実行していたのだ。
「遥、少し早いけど……誕生日プレゼント」
「わぁ……ありがとう……」
彼女の笑顔に、蓮の頬も緩む。
「開けてみてもいい?」
「うん」
「ーーーー可愛い……」
小さなデイジーの花が可愛らしいネックレスが入っていた。
「つけてもいい?」
「うん」
彼女はその場で首元を飾ると、ネックレスを見つめ嬉しそうだ。
デイジーのペンダントトップを両手で握っていた。
「蓮、ありがとう……大切にするね」
「うん、似合うな……」
夕飯を食べ終えると、蓮が家まで送り届けているが、二人とも名残惜しそうだ。
「ーーーー遥……そんな顔するなよ。帰したくなくなるだろ?」
「もう少し…………一緒にいたかったんだもん……」
「あのなー……俺だって……いれるものなら、一緒にいたいよ」
彼の本音に、遥はまた赤くなっている。
「蓮……今日は、ありがとう」
そう告げると、彼の頬にキスをしていた。
「……おやすみなさい」
「おやすみ……」
扉の閉まる音よりも、自分の心臓の音の方が大きく聞こえていた。それは遥だけでなく、蓮にとっても同じような感覚に襲われているのだった。
「小百合ちゃん、知佳ちゃん、改めておめでとう!」
「ありがとう!」
「遥、ありがとう!」
女子バスケ部は、新人戦を優勝していたのだ。
昼休みの為、三人は机を並べて弁当を食べていたのだが、その中央にはポッキーやチョコレート等のお菓子が広げてある。ちょっとしたお祝い気分だ。
「弓道部も試合あるの?」
「来月、学校対抗戦があるよ」
「対抗戦?」
「うん、地区内の団体戦って感じかな。一人八射ずつで、的中率が高いチームが決勝トーナメントに出れるの」
「その日に決まるの?」
「うん、一日で決まるよ」
「そうなんだーー。じゃあ、今は大会に向けて練習中って感じかー」
「そうだね」
話をしながらも、お菓子は徐々に減っていく。三人とも甘いもの好きである。
「土曜日、応援来てくれたけど、遥はデートとかしないの?」
「デート?」
「私なら休みの日はデートしたり、放課後遊んで帰ったりしたい」
「小百合の願望ね」
「ーーーー昨日は会ったけど……部活が忙しいからね。バスケ部もそうでしょ?」
「確かに。今週も練習試合組んでた」
「部活は好きだけど、たまには遊びたい」
「たまにはねーー」
「……そういうもの?」
「そうだよー、遥」
以前から部活中心だった為、放課後に遊んで帰るという発想がない。
ーーーー会えたら、それは嬉しいけど……弓道を頑張ってる蓮を見るのもすきだから……あんまり会えないと、淋しくはなるけど…………放課後デートか……
そういえば、一度だけしたかも。
彼女はテスト終わりの蓮が、駅まで迎えに来てくれた事を想い出していた。
「遥は相手がいるから、いいじゃない」
「小百合は女子にモテるからねー」
「知佳、それは言わないでーー」
三人が笑い合っていると、昼休みが終わりを告げるチャイムが鳴るのだった。
放課後の道場に着くと、雅人が袴に着替え準備運動をしていた。
「雅人、早いね」
「今日、ホームルーム短かったからな」
「そうなんだ」
遥も着替えを済ませ、同じように準備運動を行なっていく。
二人が整えていくと、チームメイトと藤澤に一吹が揃い、いつもの午後の練習が始まった。
午後は実践練習が主だが、先週は男子が月、水、金曜日と団体の練習をした為、今週は女子が練習する番となっている。
大前から由希子、奈美、真由子、美樹、遥の順に弓を引いていく。実践的な練習の為、本番と同じように八本ずつ弓を引くと、遥の的にだけいつもと変わらずに八射皆中である。
彼女に続くようにと、何度も繰り返すうちにチームメイトの射形も、安定し始めていた。
「お疲れー、掃除したら帰るぞ?」
『はい!』
一吹の声かけで今日の練習が終わると、雅人が緊張した面持ちで話かけた。
「一吹さん……」
「雅人、どうした?」
「あの、弓を買いたいんですけど……どれがいいのか分からなくて……」
「そうか……始めてから、もうすぐ一年経つんだよな」
「はい……備品じゃなくて、自分のが欲しいんです」
「そうだな。今からだと、手に馴染むのにタイミングがなー…………次の大会が終わったら、見に行ってみるか?」
「はい!」
「雅人だけ、ずるい! 私も行きたいです!」
「俺も一吹さんが連れてってくれるなら、矢とかみたい!」
和馬や奈美達だけでなく、経験者も言い出し為、大会の翌日に藤澤と一吹の引率の元、弓具店に行く事が決まった。
帰宅中の話題に事欠かない彼らは、いつものように陵と翔の二人きりになっても、話が尽きる事はない。
「ーーーーそれにしても、雅人が自分の弓が欲しいとは思わなかったな」
「弓道、続けていく気なんじゃないか?」
「だよなーー」
弓道の道具はけして安価な物ではない。未経験者の四人は、今まで学校の備品を使用していたくらいだ。初心者向きとされているグラスファイバー弓でも三万円程するのだ。
「一吹さんと藤澤先生にも見て貰えるなら、自分に合ったの探してみたいよなー」
「そうだな」
「遥が使ってるのって、竹弓だよな?」
「あぁー、でも……体験入部の時、学校の備品のグラスファイバーでも皆中決めてたから、選ばないんじゃないか?」
「だよなーー」
帰宅中に話題になるのは、弓道の事ばかりだ。彼らも弓が好きなのだろう。チームメイトの弓の新調に、喜んでいる二人がいるのだった。
真夜中の十二時過ぎ、彼女のスマホにメッセージが届いていた。
遥がベッドの傍に置いてあったスマホに手を伸ばすと、彼からのメールに頬を緩ませた。
『遥、お誕生日おめでとう! これからもよろしくな』
すぐに返信すると、幸せな気持ちのまま再び眠りにつくのだった。
『蓮、ありがとう! これからもよろしくね』
「ハル、誕生日おめでとう」
「ありがとう、みっちゃん……」
「はい」
そう言って、朝食中に手渡された袋を開けると、雪の結晶の形をした髪留めが入っていた。
「可愛い、ありがとう……」
「あぁー、今日は母さん達からのプレゼントを買いに弓具店に行くぞ?」
「いいの?! わーい!」
「じゃあ、決まりな。部活終わる頃、学校に行くから」
「うん!」
「満も遥も、あんまり長いしないで帰ってくるのよ? ケーキ用意して待ってるからね」
「はーい」
「いってきまーす」
遥は誕生日の朝から心が躍るような気持ちで、道場に足を運んでいた。
放課後の練習は男子がメインで弓を引いている。彼女は素引きをしながらも、久しぶりに行く弓具店が楽しみで仕方がない様子だ。
ーーーー矢もいいけど……麻弦も見たいかなー……
「遥の番だよ」
「うん」
深く息を吐き出し、気持ちを整えると足踏みから流れるように、射法八節を行なっている。
彼女の放った矢は、綺麗な音を立てて的に中っていった。
「ーーーー私も……あんな風な音が、出せたらいいのに……」
「篠原さんの弓だと……難しいですよね」
「藤澤先生……はい、竹弓じゃないと出せない音ですよね?」
「そうですね。入部した頃よりも、上達していると思いますよ?」
和やかな笑みを浮かべる藤澤に、彼女も笑顔で応えていた。
入部したての頃よりも確実に上達していた。それは、彼らが毎日積み重ねてきた練習の成果だ。
側で見てきた藤澤は、誰よりも彼らの成長を実感していたのだ。
「今日、先に帰るね」
「うん、お疲れさまーー」
「またなー」
遥は校門前で待つ満の元に急いで向かうと、放課後の人の少ない時間帯にも関わらずちょっとした人だかりが出来ていた。
ーーーー文化祭でも思ったけど、制服が違うだけで目立つ……
声をかけようか迷っていると、満が気づいたようだ。
「ハル! お疲れ」
「……みっちゃん、お疲れさま」
満は周囲を気にする事なく、彼女の手を引いた。
「みっちゃんは、目立つね……」
「そうか? 他校生が珍しかっただけだろ? それより、何買うか決めたのか?」
「うん、矢と……麻弦もみたいかな。みっちゃんは?」
「俺も同じだな」
二人が弓具店に着くと、昔からの知り合いなのだろう。店主が親しげに話かけた。
「ハルちゃん、ミツくん、久しぶりだね」
「浩司さん、ご無沙汰してます」
「ご無沙汰してます」
「注文受けてた矢は出来てるよ」
「麻弦も見ていいですか?」
「勿論、二人が使ってたのはこれだったかな?」
『はい』
浩司は常連客の使用しているモノは把握しているようだ。
「さすが浩司さんですね……」
「みっちゃん……矢は注文してたの?」
「あぁー、同じ作り手のは注文しないとないからな。母さん達からの誕生日プレゼントだってさ。俺には入学祝いだって」
「見るの楽しみだね」
「あぁー」
「ミツくんのはこの間みたから、ハルちゃんが今使ってる矢の状態を見ようか?」
「はい! 浩司さん、今はこんな状態なんですけど……」
「うん、綺麗に使ってるね。注文受けてたのは、この矢だよ」
「ありがとうございます」
「ミツくんのは、こっちね。二人の頻度なら、一ヶ月後に矯直しにおいで?」
『はい!』
千賀弓具店では、県内外問わず多くの人が利用している為、オーダーメイドも可能である。
「綺麗な矢ですね……」
「二人は今年、段位を受けるのかい?」
「そうですね。俺は受けたいと思ってます」
「ミツくんは四月から東京かー……こっちに来た時は、店にも顔出してね」
「はい!」
「ハルちゃんも学校から近いんだから、たまには寄ってよ? 先代も喜ぶしさ」
「はい、ありがとうございます」
かつて滋が自慢していた孫の為、浩司にとっても二人は、子供のような存在でもある。
「今日、勝敏さんは?」
「じいさんは、久しぶりに先生の所だよ。蓮くんも二人と同じように矢を注文してたからね。そうだ……ハルちゃん、お誕生日おめでとう」
「……浩司さん、ありがとうございます」
遥は小さなブーケを受け取ると、嬉しそうに応えた。
「また来月、待ってるからね」
「はい! 失礼します」
「ありがとうございます」
二人が店を出ると、店内は静かになった。
日曜や祝日は客足はあるが、平日は比較的に空いているのだ。
それでも今もなお続いているのは、創業百年以上の歴史がある中、自分達が使う道具しか販売していないからだろう。店主は代々、弓道家でもあった。
「遥、お誕生日おめでとう!」
「ありがとう!」
「弓具店で受け取れた?」
「うん! 大事に使うね。ありがとう」
娘の喜ぶ様子に父と母だけでなく、祖母も嬉しそうな笑みを浮かべている。
ダイニングテーブルには、彼女の好きな母手製のちらし寿司や茶碗蒸し、天ぷら等の和食に、生クリームをたっぷり使った苺のホールケーキが並んでいた。
「ハル、おめでとう!」
「ハルちゃん、おめでとう」
「ありがとう……」
そう応え、火のともった十六本のローソクを吹き消した。
家族五人揃って誕生日を祝福される中、手にしたばかりの矢に、さっそく触れたくなっている遥がいた。