第二十四話 風花
窓の外では雪がチラチラと舞っている。
ーーーー初雪だ……
「今日、寒いな」
「そうだね……」
渡り廊下を移動すると、外の寒さに耳が冷たくなっていく。
はぁーーーー、発表……しないでほしい。
遥は心の中で、大きな溜息を吐いていた。始業式に部活動の発表が行われるからだ。
彼女は一人で壇上に立ち、校長から賞状を受け取った。
ーーーーそんなに……大きな声で、読み上げないでほしい……
「おめでとう」
「……ありがとうございます」
拍手が響く中、緊張した面持ちでクラスの列に戻っていく。
やっと終わった……蓮も……発表されてるよね。
こういうのがないと、もっと嬉しいんだけど…………
溜息を吐きそうになる遥に、笑顔で祝福したのは小百合と知佳だ。
「遥、おめでとう!」
「おめでとう!」
「ありがとう……小百合ちゃん、知佳ちゃん」
「私も頑張る!」
小百合は両手で拳をつくり、力を込めているようだ。
「二人は来週末、新人戦だっけ?」
「そうだよー、目指せ優勝だからね」
「そう! ウィンターカップは準決で負けちゃったからね」
二人とも大会に向けて、気合が十分なようだ。
小声で話をしながら始業式を終えると、それぞれ部活へ参加するべく分かれるのだった。
「ハル、昼食べてから行くだろ?」
「うん、食堂で食べるんでしょ?」
「あぁー」
遥と翔が並んで教室を出て行くと、雅人とすれ違う。
「二人ともお疲れー」
「お疲れさま。ユキ先輩たちは、後から来るから先に食べててだって……」
遥がスマホのメッセージを見ながら伝えると、彼らは席取りをする為、先に食堂に来ていた。
自販機付近では、陵が上級生に話しかけられている。
「陵は相変わらずモテるなーー」
「そうだね。でも……美樹がいるから、ちゃんと断ってるみたいだよ?」
「あぁー、一途な奴だよ」
何やら誘われてるようだが、陵は今も断っていた。『一途』と言った翔の表現は正しかったのだ。
遥が飲み物を買いに席を立つと、男二人になったからだろう。彼も声をかけられていた。
「……白河くん」
「ーーーー何?」
顔を上げた翔の声は面倒臭そうだ。
「えーっと……話、いい?」
「俺、これから部活だから」
「そっか……ごめんね……」
彼女は名残惜しそうに、その場を後にした。
「はぁーー、翔は意外とドライ」
「何が?」
「今の、可愛い子だったじゃん」
「そうか? あんま見てなかった」
翔が気にする事なくお弁当を食べていると、遥が飲み物を片手に戻ってきた。
「どうかしたの?」
「何でもない。ハル、何買ったんだ?」
「寒いから、ホットミルクティーにしたの」
「今日、雪ちらついてたもんな」
「うん」
一足先に食べていると残りの一年生が集まり、八人が男女別々になる事なく座る。
「遥、表彰のとき緊張してたでしょ?」
「マユ……そんなに顔に出てた?」
「出てたーー」
「奈美まで……あの手の表彰は苦手なの」
「遥は昔から人前に立つの苦手だよねー。学芸会の時も主役やりたくなくて、人数が多い白猫の役に代わって貰ってたし」
「……美樹、よく覚えてるね」
「一緒の役やったから、覚えてるよーー」
「二人は小学校が一緒だったのか?」
「うん、私が引っ越す小四までだけどね」
「幼馴染ってやつかー」
「そうだね」
それぞれの想い出話に花を咲かせていると、隆と由希子が食堂に顔を出した。
「みんな、元気だなーー」
「部長! ユキ先輩!」
部員が十人揃うと食堂では大所帯に見えるが、部活動にしては小規模の部類だ。
例えば、小百合や知佳が所属する女子バスケ部のように、強豪校なら一年生だけで十人以上部員がいる部活動もあるからだ。
「遥、スマホ鳴ってるよ?」
「ん? はーい、もしもし?」
彼女は席を立ち、食堂の隅で電話に出ていた。
「みっちゃん、どうしたの?」
『ハル、今日部活か?』
「う、うん……何かあったの?」
『カズじいちゃんが、久々に矢渡しやるって!』
「えっ?! いつ?!」
思わず声を上げた為、抑えるように手で口を塞ぐ。
『今週の土曜日。ハルは部活あるのか?』
「ないから行きたい!」
『じゃあ、参加な。カズじいちゃんには言っとく。また帰ってから詳しく話すな』
「うん!!」
カズじいちゃんの射が見れる!
ーーーー嬉しい……何年ぶりだろう……
一夫の射が待ち遠しい遥は、的に的確に中ていた。
来月の大会に向けて日々、練習の繰り返しであるが、心なしか表情が緩んでいる。それは、確実に昼間の電話がきっかけだった。
「次は、久しぶりに射詰を行う。まず男子からな」
「はい」
五人は横一列に並ぶと、試合のように右から順に弓を引いていく。並び順は先程、一吹手製のくじで決めた為、和馬、翔、雅人、隆、陵の順だ。
記録は順番で行なっている為、今は遥がつけていた。
一吹さんが優劣をつけるって言ったから……みんな……緊張しているみたい……
微かに手元が震えた和馬が、二射目で外す。
三射、四射と続く中、残ったのは翔と陵の二人だけだ。
「二人とも調子いいみたいだね」
「うん」
小声で奈美に話しかけられ、頷いて応えると、視線を二人の射に戻す。
ーーーーでも……力が入りすぎてる……
彼女の感じた通り二人とも外した為、引き分けとなった。
矢取りを行うと、女子も同じようにくじを引き、美樹、真由子、遥、由希子、奈美の順に並んだ。
二射目で奈美が外すと、四射目まで残ったのは美樹と遥の二人だけだ。
心地よい音がすると、矢は一つの的にしか中っていない。遥の的にだけ、四射中っていたのだ。
「はい。じゃあ、矢取りをしたら翔、陵、遥の順に並んで、また射詰な。みんなは、三人の射形をよく見ておくようにな」
『はい』
ーーーー久しぶり……射詰の実践練習…………
ずっと……引いていたい。
彼女は先程と変わらずに弓を引いていく。
集中力が高まっているのだろう。的の中心を的確に捉えていくようだ。
三射目で陵が外れ、四射目で翔が外した為、彼女だけが残る。
「はぁーー、気力使った」
「……集中したね」
「そうだな」
そう応えた翔は、彼女の的に視線を移した。
遥が外すところは、想像出来ないのだろう。それほど高い的中率を保っていた。彼女の的には、中心付近に四射とも中っていたからだ。
「みっちゃん! ただいま!」
「ハル、早いなーー」
「カズじいちゃんの、気になって!」
珍しく道場に寄ることなく、帰宅していた。
「新年の射初式するんだってさ。蓮は部活で行けないって嘆いてたから、動画撮ってくるように言われたよ」
「そうなんだ……楽しみだね」
「そう、楽しみだったんだけど……介添やらせてもらえるってさ!」
「すごいね、みっちゃん! 動画は任せて!」
「ハルもやるんだからな?」
「えっ?!」
ーーーーーーーーあれから三日間……
カズじいちゃんと介添の練習をしてきたけど……緊張する……
介添は今までにもやった事はあるけど、カズじいちゃんが演武するような場所で……自分が実際にする事になるとは、思っていなかった。
遥も満も上下黒の和服に着替え、一夫の補佐に徹している。射手を補佐する役割だ。
「介添は、お孫さん?」
「いや、今回は神山先生のお孫さんと伺ったぞ?」
「へぇー、まだ高校生くらいなのにすごいわね」
小声で話をしていた者も、一夫が肌脱ぎをすると、場内に静寂が訪れる。
射手、第一介添、第二介添が一体となって、演武が進行していく。歩き、座りのタイミングだけでなく、座る位置、手の位置、すべての動作が決められている為、遥は耳だけで一夫の音を見ていた。
カズじいちゃんの所作が頭に浮かんでくる。
ーーーーーーーー心地よい音が聴こえるの。
蓮も交流試合がなければ、参加したかったよね。
彼女の耳に拍手が届く。無事に勤めを果たしたのだ。
道場内では、一夫の前で神山兄妹は正座をし、姿勢を正していた。
「二人ともありがとう……」
「……カズ……一夫先生、ありがとうございました」
「……ありがとうございました」
一夫は先程までとは違い、いつも通りの孫を見るような笑みを向ける。
「ありがとう……次は、蓮にもやらせようかな……」
「うん!」 「ぜひ!」
こちらも今度は、いつもの口調で応えていた。
会場には一吹と石間だけでなく、藤澤の姿もあった。一夫が人前で弓を引く機会は、それほど貴重なのだ。
「ーーーーあの子……一吹の所の生徒だろ?」
「あぁー」
「松風先生と知り合いなのか?」
「松風先生の孫と幼馴染らしいからな……ちなみに第一介添やってたのが、風颯を連覇に導いた神山満くんだぞ?」
「あの良知さんの言ってた?! ん? 神山って……」
「あぁー、二人は大先生のお孫さんだ」
「…………場慣れしていても、不思議じゃないって事か……」
「そうだな」
彼らが大先生と呼ぶ程、神山滋の名も通っていた。
「一吹くん、石間くん」
「藤澤先生! いらしてたんですね」
「こんにちは」
石間の隣に、藤澤は腰を下ろした。
「こんにちは、矢渡しはどうでしたか?」
「松風先生の射は、教本のようでした」
「そうですね……」
藤澤は安土へ視線を移した。石間の感じた通り、教本のように正しい射だったのだ。
「お疲れ、ハル」
「お疲れさま……ありがとう……」
満からほうじ茶のペットボトルを受け取ると、遥は冷えた頬にあて温めている。
「帰ったら、勝負するか?」
「する! あっ、お母さん、ちゃんと撮ってくれたかな?」
「大丈夫だろ? 蓮のお母さんにも頼んどいたから」
「そうだね」
二人とも母だけでは心配のようだ。
「じゃあ、カズじいちゃん。これで失礼します」
「失礼致します」
「あぁー、またな」
「うん!」
私服に着替えた二人は綺麗に一礼をすると、いつものように手を振り去っていく。
「ーーーー見せたかったな……」
その背中に、一夫の声が届く事はない。
「松風先生?」
「いや……何でもない……」
一夫はかつての親友の孫であり、弟子でもある二人を温かな目で見守っていた。
「撮れてる!」
「やっぱり、カズじいちゃんはすごいな……」
「うん……」
母に頼んでおいた動画をさっそく再生している。スマホの画面を食い入るように見つめた。流れるような所作に、二人とも感動している。
「蓮にも一応、送っとくな?」
「うん!」
ーーーーーーーー心地よい音だった……
ベッドに寝転ぶと、今日の矢渡しを振り返っていた。
蓮も介添やりたかったよね……
カズじいちゃんの介添は、大きな大会だと七段、八段とか……段位の高い人だけだから…………
瞼を閉じ、今日の矢渡しを想い浮かべていると、手元でスマホのバイブ音が鳴った。
慌てて出ると、思っていた通り彼の声がした。
『遥! 介添、お疲れさま!』
「蓮も交流試合、お疲れさま」
『ありがとう……おかげで勝ったよ』
「おめでとう!」
『うん、遥……じいちゃん、喜んでたよ。ありがとう』
「こちらこそ……貴重な体験をありがとう…………今度は、蓮にもやらせようかなって言ってたよ」
『うん、じいちゃんが言ってたな。いつか……射手を出来るようになりたいな……』
「そうだね……」
私達にとって……おじいちゃんとカズじいちゃんは目標であり、憧れ…………
小さい頃に夢みた……そんな存在だから……
『遥、次の日曜日、午後から開けといて?』
「うん?」
『今月末、誕生日だろ? 平日は部活で会えないけど、日曜の午後からなら会えるからお祝いしたい』
「ありがとう…………嬉しい……蓮に会えるの楽しみにしてるね」
『うん、またな。おやすみ』
「おやすみなさい」
窓から空を見上げると、星が瞬いている。
ーーーー蓮と会えるの嬉しい……
次に会えるのは、大会終わりの来月だと思ってたから……
遥は幸せそうな表情を浮かべながら、眠りにつくのだった。
「翔、英語の辞書持ってないか?」
「今日、持ってないや。ハルに聞いてみるか?」
「うん、次の授業で当たるんだよ」
「ハルーー!」
教室の出入り口で話をしていた和馬と翔が呼ぶと、昼食を食べ終え、友人達と話をしていた遥が駆け寄った。
「どうしたの?」
「ハル、英語の辞書持ってる? あったら次の時間貸してほしいんだけど」
「いいよ。和馬、取ってくるから待ってて」
「うん」
「よかったな」
「ありがとう、翔」
彼女が机から辞書を持ってくる間も、二人は仲良さげに話をしている。
「はい、和馬。返すのは部活の時でいいよ」
「ありがとう。今日の部活は視聴覚室集合だろ?」
「うん、大会の射とか見るのかな?」
「だよなーー、弓引きたかったから、残念」
「和馬、上手くなったもんな」
「翔に言われると嬉しいな」
三人で放課後の話をしていると、チャイムが鳴ったため教室へ戻り、午後の授業を受ける事となった。
ーーーー早く日曜日にならないかな……
遥は彼と会える日が、待ち遠しくて仕方がないようだ。
「遥、またねー」
「うん、また明日ねー」
クラスメイトに手を振ると、翔と並んで視聴覚室に歩いていく。
「土曜日、女バスの応援行くんだろ?」
「うん! マユもクラスの子を応援するから、二人で見てくるの。翔も行くの?」
「行かないよ。女子だけじゃんか!」
「そうなの? 応援は誰が行ってもいいんでしょ?」
「そうだけどさ。あっ、着いたな」
「うん」
視聴覚室では真由子と和馬に雅人が、既に座っていた。
「ハル、辞書ありがとう」
「いいえー」
和馬から辞書を受け取り、鞄にしまっていると残りの部員が続々と教室に入って来た。
「みなさん、揃いましたね。これから先日の矢渡しを見ていただきます」
「矢渡し?」
「開会式で行う事が多いから、今では演武の意味合いが強いな」
「そうですね。射会の始めに、最初に行う射礼の事です」
一吹に藤澤が付け加えると、彼の用意した動画が流れていく。
ーーーーこれ……この間の……カズじいちゃんの…………
暗くした部屋のスクリーンに、一夫と共に満と遥が映っている。
「遥?!」
「しーーっ、射を見てからな?」
「は、はい」
思わず声を上げた陵は口を塞ぐと、静かに映像へ視線を戻した。
やっぱり……カズじいちゃんは……教本のように美しい射。
弦音も弓返りも、さすがは九段の実力者……
「学生がやってる所は見た事あるだろうけど、どうだった?」
「お手本みたいですね……」
「あぁー……っていうか、遥が介添だっただろ?!」
「うん……」
「射手を行なっていたのは、松風一夫先生ですからね。神山さんのお知り合いですよね?」
藤澤に素直に応える。
「はい……カ……松風先生は、師でもありますから……」
「えっ? 松風って……」
「あぁー、風颯の……松風蓮くんのおじい様だ」
驚きの事実だが納得の表情だ。
彼の的中率は高く、インターハイに優勝する程の実力の持ち主だという事は、周知の事実である。
「ーーーー松風先生は、範士九段ですからね……」
「九段!!」
「初めて見ました……」
「先生、もう一度見たいです!」
「えぇー、一吹くんお願いします」
「はい」
一吹が動画を再生すると、彼の射を見逃さないように静かに見つめる部員の姿があった。
「今日は驚いたな……」
「あぁー」
美樹と分かれた陵と翔は、いつも通り二人で帰っていた。
「九段か……範士って言ってたから、あと一段で最高位か……」
「すごいよな……数えるくらいしかいないんだろ?」
「あぁー、初めて見たしな」
「だよなー。俺も……小さい頃に憧れて始めたけど……」
「そうだったな……中学が陵と同じになった時、驚いたもんな」
「だよな……」
二人は小学生の頃、弓道と出会ってからの親友なのだ。
「来月の大会、上位四チームに残って……トーナメントに出ような?」
「あぁー」
二人は手でグーをつくり約束を交わす。少しでも多く弓を引けるようにすると。
そして、それは部員総意の目標でもあった。