第二十二話 飛躍
冬休みに入った翌日の土曜日。
毎年十二月二十四日から二十六日の三日間に渡り、全国高等学校選抜大会が行われている。
東京の街並みがイルミネーションに彩られる中、遥はホテルに荷物を置くと、一吹と共に会場を訪れていた。明治神宮武道場にある第二弓道場だ。
午後一時から開会式が行われ、昨年の団体優勝校である風颯学園がトロフィーを返還している。彼女の視線の先では矢渡しが行われていた。
ーーーーーーーー成功と無事故を祈願して、その日の初めに安土へ矢を通す儀式。
おじいちゃんも、カズじいちゃんも……よくやっていた……
先日、間近で見た一夫の射を想い浮かべながら、矢渡しを見つめていた。
大会一日目は、午後二時より男女ともに個人予選が行われ、四射三中以上で明日の準決勝に出場となる。
「明日は藤澤先生も来て下さるって、言ってたぞ?」
「はい……」
彼女が予選落ちするとは、藤澤も一吹も思っていないようだ。
遥は道場内に立つ彼の姿を探していた。
ーーーーーーーー蓮……
緊張感が伝わっているのだろう。願かけをするように御守りを握る手は、微かに震えている。
蓮の射は心地よい音を立てて中る。彼の迷いは一射目で払拭されたようだ。
その後も外すことなく四射皆中を決め、明日の準決勝に進出する事になった。
彼の射を見て、遥自身も少し落ち着きを取り戻していた。
独特の緊張感がある試合の雰囲気に呑まれることなく、弓を引く。
伸びあいの効いた会からの弓返りと澄んだ弦音に、思わず彼女の射を見る者もいた。視線を向けていたのは蓮だけではない。
「ーーーーさすがだな……」
そう漏らした一吹は、自身がコーチに就任して以来、彼女が外した所を見た事がないと改めて気づかされていた。
部活においては的中率で競い合うが、本来の弓道は武道である。
『……それは単なる事象であって、結果を気にせず自分が行ってきた動作を信じる事が大事なんだぞ?』
一吹は彼女の射を見る度に、祖父の言葉を思い返していた。かつて厳しく教えを受け、反発さえした祖父の言葉を。
彼が考えを巡らせている中、彼女は四本目も的に中り、四射皆中を決める。
結果的に藤澤と一吹の予想通り、安定感を保ったまま明日の準決勝へ進出を果たす。
県内からは四人中三人が、明日も同じ道場に立てる事となった。
「一吹さん、明日の午前中の団体予選……見に行ってもいいですか?」
「あぁー、俺も行くよ。準決勝は十四時くらいからだからな」
「はい」
遥は夕飯を食べ終えると、部屋に着くなりベッドに寝転んだ。
ーーーーーーーー明日も弓が引ける……
横になったままスマホを手に取り、チームメイトから応援のメッセージが続く中、彼からも届いていた。
『明日は二人で勝負だな』
「うん……」
文字に思わず声を漏らす。
地方からの参加者が殆ど宿泊しているホテルの為、彼も何処かにはいる筈だが、会いたい気持ちは抑えていたのだ。
同じ高校に行ってたら、また違ったのかな…………
でも…………あのまま進学していたら、辞めていたかもしれないから……
胸中は複雑なようだ。首を横に振る仕草をすると、返信した。
『うん! 楽しみにしてるね』
彼の射が見れる事は、本当に楽しみなのだろう。遥は微かに笑みを浮かべ、明日を待ち遠しく感じていた。
休日だというのに、校門前に制服姿の弓道部員が集まっていた。
「藤澤先生!」
「揃いましたね。今日は私の友人が運転して下さるので……」
「おはようございます。石間です。一吹の同級生でもあるんで、よろしくね」
『はい!』
藤澤と共に東京へ向かう車に乗り込んでいた。
「風颯学園が出てくるな」
「はい……」
午前九時より団体予選男子から順に始まっていた。
風颯は蓮、下村、佐野の順に引いてる。
団体は一人四射。一チーム十二射中、的中率上位十六チームが、明日の決勝トーナメントに残れるのだ。県内からは基本一チームだが、昨年の優勝校は別枠で出場可能な為、彼女の県からは二チームが出場していた。
正しい行射でより高い的中継続が求められる中、彼はそれを体現していると、言っても過言ではないだろう。大前の蓮の射に続くように、矢が流れるように放たれていく。
予選という事もあって、三人とも皆中を決めていた。
ーーーーーーーーすごかった……
団体は、隣の……仲間の射に、勇気づけられる事もあるから……今日の風颯は、蓮の音に導かれていくようだった。
彼女の前では既に女子団体が行われていた。
同じ県で残ったのは風颯だけ……やっぱり……蓮はすごい……
女子は五十校、男子は五十一校参加の中から、十六校ずつしか残れない。普段通りに弓を引く事は容易ではなく、少しの手元のズレが的から大きく逸れる事に繋がるのだ。
「遥、そろそろ昼食に戻って、着替えて来るか?」
「はい!」
個人準決勝は十三時五十分より行われ、予選と同じく四射三中以上で、十五時から行われる決勝に進出となる。
個人競技の表彰式まで行われる為、今日ですべてが決まるのだ。
彼女は髪を一つに結び気持ちを整えると、深く息を吐き出し、空を見上げた。肌寒い空気の中、自分自身と向き合っていたのだ。
『平常心をもって、弓道に挑むこと』
ーーーーーーーーうん、大丈夫……みんなからの御守りもあるし……
先に進んでいく二人に、いつだって追いつきたくて……ようやく同じ場所に立ってるんだから………
「一吹!」
「石間! 久しぶりだな」
「あぁー、藤澤先生と部員の子も連れてきたぞ?」
「ありがとな」
二人が話をしていると、女子個人が間もなく始まる。
部員九人に藤澤、一吹に石間と横に並んで座っていると、彼女が出て来た。
いつもと変わらずに美しい所作で構えている。
「わぁ……」
美樹は思わず声を出した。一糸乱れずとは、今の彼女のことを表すだろう。
「一吹……すごいな……」
「あぁー…………あんなに……出来たらな……」
石間に小声で応える彼は、彼女の射から右隣にいる部員に視線を移した。彼らは、静かに彼女の射を見守っているようだ。
「いい刺激になりそうですね」
「はい」
藤澤に応えた一吹は、部員想いの良いコーチであるように、石間には映っていた。
「ふぅーーーー……」
深く吐き出した息とは対照的に、四射皆中を決めた。
裏へ下がると、決勝を控える蓮の姿があった。
彼も遥に気づき、二人の視線が交わると、微かに笑みを浮かべ、言葉を交わす事なく今の自分のいる場所に控えていく。これから始まる決勝に向けて整えていった。
決勝は射詰競射で行われる。
彼女は蓮の射を感じたかったようだが、椅子に座り自分の番を待っている為、弓の音が微かに聞こえてくるだけだ。
ーーーー見たかった……けど、集中しないと……
周囲の視線は気にならないのだろう。自分自身と向き合うように心がけていた。
「すごいな……」
「あぁー……決まったな」
射詰競争の五射目以降は、二十四㎝の星的を使用するのだが、四射目で順位が決まった。
四本とも中っているのは、彼だけだったのだ。
「はぁーー、やっぱり松風さん、すごいな……」
「そうだね。遥みたいに綺麗な射だった」
「あぁー……」
試合の独特の緊張感から一旦解放され口を開いていると、女子の決勝が始まった。
「ハルちゃん、出てきたね」
「何か……こっちが緊張するよな」
「うん……」
由希子と隆も、彼女の射を楽しみにしていた。
辺りは静寂になり、弓を引く音や矢が中る音が響いていく。
的を見据え、弓を引く遥から、いつもと変わらない音が響く。彼女の弦音と弓返りの音に、空気が澄んでいくような感覚が辺りを包んでいた。
「ーーーー神山さんが残りましたね……」
「藤澤先生、表彰式見てからでもいいですか?」
「えぇー」
彼女の姿を見届けてから帰る事になったが、元よりそのつもりだったのだろう。石間も部員達の様子に微笑んでいた。
遥は表彰式が終わると、一吹と藤澤の姿を探した。
「遥!」
「美樹! みんな!!」
チームメイトが来てくれていた事が、嬉しかったのだろう。笑みを浮かべる彼女を、藤澤は何処か懐かしむように見つめていた。清澄弓道部員は十人全員が揃い、笑い合っている。
「遥、おめでとう!!」
「ハルちゃん、おめでとう!」
次々と告げられる祝福の言葉に、満面の笑みを浮かべる。
「……ありがとうございます」
遥は全国選抜を優勝し、年内最後の大会を終えたのだ。
彼女がチームメイトを見送っていると、風颯が横を通り過ぎていく。一ノ瀬や良知が、藤澤や一吹、石間とも顔見知りなのだろう。彼らが話をする中、彼に声をかけていいか迷っていると、何の躊躇いもなく蓮が駆け寄った。
「おめでとう、遥」
「ありがとう……蓮もおめでとう……」
誰もいなければ抱き合って喜ぶ場面だが一目がある為、彼は右手を差し出す。
「明日の団体……楽しみだね」
「うん」
遥も右手を差し出し握手を交わすと、彼はチームメイトの元に戻っていく。
「遥ちゃん、またねー」
「はい、佐野さんも頑張って下さい」
「ありがとう」
彼のチームメイトに手を振ると、清澄のメンバーと楽しげな笑みを浮かべていた。
そんな彼女の横顔に、一番安堵していたのは蓮だろう。
「部長、嬉しそうだな?」
「佐野、からかうなよ」
「蓮はこういう時は顔に出るから、珍しくて」
「それ、俺も思った!」
「下村まで……別に、普通だろ?」
「神山先輩がいたら突っ込まれそうな程、顔にやけてると思うぞ?」
「森まで……別にいいだろ? ほら、ホテルに帰るぞ?」
『はーい』
「明日も残るからな」
「あぁー」
「勿論!」
蓮は団体メンバーの補欠を含め四人と、話をしながら明日の決勝トーナメントに向けて、気持ちを切り替えていくのだった。
大会最終日、午前九時より団体決勝トーナメントが行われ、終わり次第、団体競技表彰式である。
遥は昨日のうちに県内に戻っていた為、いつもの道場で弓を引いていた。
「ハル、早いなーー」
「みっちゃん、おはよう」
「おはよう。昨日、東京から戻ってきたのに、疲れてないのか?」
「うん……目が冴えちゃって……」
「蓮が戦ってる所か」
「そうだね」
「俺らも勝負するか?」
「うん!」
満から順に引くと、次々と弦音と弓返りの音が響いていった。
「ハルは冬休み、部活休みか?」
「明日から二日間だけあるよ。風颯は、大晦日とお正月合わせて四日間以外は部活だっけ?」
「そうだったな。今年は久々にのんびり出来るな」
「航も稔もお正月来るって言ってたね」
「あぁー、ハルは蓮と初詣行くんだろ?」
「うん……蓮から聞いたの?」
「まぁーな」
蓮と満の仲も相変わらずのようだ。
矢取りを終え、一度家に戻り昼食を食べていると、彼女のスマホに着信があった。
「もしもし?」
『遥、勝ったよ!』
「蓮! おめでとう!!」
「蓮、おめでとう!」
『満?!』
「今、リビングにいたから……」
蓮の声に反応したのか、佐野の声も聞こえてくる。
「テレビ電話にする? みっちゃんに変わるよ?」
『悪いな。頼む…………三人ともうるさいなー』
クスクスと笑いながらスマホを切り替え、満に差し出す。
「おー、佐野も下村も森も頑張ったな。お疲れさま」
『ありがとうございます!』
『先輩! やりましたー!』
『満……続いたな』
「あぁー、お疲れ。蓮部長」
『ありがとう。じゃあ、また連絡する』
「あぁー、ハルーー! 切るぞー?」
満の隣に姿を映す。
「うん、気をつけて帰ってきてね」
『うん、またな』
満の隣で手を振る彼女に手を振り返すと、蓮は手元にもう一度戻ってきたトロフィーを強く握っていた。
「連覇だね」
「そうだな……三連覇かーー……」
「すごいよね……三連覇…………良知コーチがみっちゃんが来てから、風颯は負けなしだって喜んでたらしいよ?」
「それは光栄だな。蓮と組んだ二年近くは、本当いいチームメイトに恵まれてたって思うよ。ハルは団体どうだ? 二月に対抗戦あるだろ?」
「明日からはその練習だから、次はもう少し……みんなで引けるようになりたいな……」
「そっか……ハル、いい顔するようになったな」
「本当?」
「あぁー」
兄妹仲も良好のようだ。二人は午後二時を過ぎた頃、再び道場を訪れ弓を引いていくのだった。
「寒い……」
冬の冷たい空気が流れる中、柔軟体操を念入りに行うと弓を構える。
今日から二日間、九時から午後四時半まで部活動が出来るのだ。冬休み中の貴重な練習時間を前に、いつものように引いていく。
ーーーー寒いのは苦手だけど、この空気感はすき。
澄んだ空気に音が響いていくと、彼がそっと道場を訪れていた。彼もまた冬休み中の部活動前の息抜きでもある。
八射皆中を決め、拍手がする方へ視線を移すと、袴姿の蓮が待っていた。
「遥、おめでとう。頑張ったな」
「……ありがとう。蓮こそ、おめでとう!」
遥が駆け寄り、強く抱き合う。
数日ぶりに触れる彼がプレッシャーのある中で連覇を達成した事を、誰よりも分かっていた。
「蓮、遅くなったけど……メリークリスマス!」
「あっ、俺も!」
プレゼントを貰う事は考えていなかったのだろう。揃って驚いた顔を見合わせる。
「ーーーー開けていい?」
「うん」
彼女が袋を開けると、可愛らしい手袋が入っていた。
「ありがとう……似合う?」
「うん」
さっそく手にはめてみせる彼女の笑顔に、蓮はここ数日の張りつめた緊張感から、ようやく解放されたようだ。
「俺も、開けていい?」
「うん……」
中には彼に似合う手袋が入っていた。
「ありがとう……同じこと考えてたのか……」
「みたいだね……」
二人は額を寄せ合い微笑み合う。
「次に会うのは初詣か……遠いな……」
そう言った蓮は、彼女の肩に顔をうずめた。
「今までに比べれば……すぐ、だよ?」
「そうだけどさ……」
遥はそっと頭を撫でる。
「ーーーー……蓮が来てくれるの待ってるね?」
「うん……」
彼が癒されると、二人はいつものように八射ずつ弓を引き、それぞれ部活に参加する為、学校に向かった。
道場に着くと、翔が袴姿になり準備運動をしていた。
「おはよう」
「おはよう遥、おめでとう!」
「ありがとう……」
チームメイトにそう言ってもらえると……何だか照れくさくて……
「遥、おめでとう!」
「マユ! ありがとう」
「すごい綺麗な射だったよー」
後ろから彼女に抱きついてきた真由子と奈美にお礼を告げると、更衣室で着替え、気持ちを新たにする遥がいた。
「午前中は男子で、午後は女子が団体練習をメインにやるからな?」
『はい!』
一吹の声に応えるチームメイトは、弓を引きたくて仕方がないようだ。そんな彼らの様子に、一吹も藤澤も笑みを浮かべていた。
男子が団体練習をしている間、女子は一つの的を使い順番に、十二射ずつ引いていく。
彼らが五人引き終わったタイミングで、一斉に矢取りを行う。それを繰り返す。
遥は目の前で引いていくチームメイトの姿に、団体戦で五人揃って弓を引く事に、期待する眼差しを向けていた。
「次、遥の番だよ」
「うん!」
美樹から引き継ぎ、彼女が的の前に立つと、素引きをしていた者も彼女の射に視線を移す。
弓を引く心地よい音がし、的に中っていく。
十二射皆中を決めたのは、遥だけだ。
「ーーーー彼女の師をご存知ですよね?」
「えぇー、私の師でもありますから……神山滋範士と、松風一夫範士ですね……」
「松風先生もですか……」
一吹は彼女の強さに納得していた。彼がすぐに分かる程、弓道を極める者なら一度は耳にした事のある名である。
神山の名で、彼女が滋の孫という事は分かっていたが、師が二人もいるとは思っていなかったようだ。
「そろそろ、休憩ですね」
「はい……」
「一吹くんのペースで構いませんよ」
「ーーーー藤澤先生には敵いませんね……」
藤澤は優しく微笑むと、部員達に合図を出し、昼休憩となった。
彼らは、弁当やコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを広げている。
「今年も、もうすぐ終わりかー」
「早いよねー」
「そうだなー」
「そういえば、陵と美樹はクリスマス何処か行ったのか?」
「えっ?」 「はっ?」
頬を赤らめる美樹と、お茶を咳き込む陵がいた。
「へぇー、陵と美樹はつき合ってるのか」
「隆部長まで!」
「陵が慌てるの新鮮だな」
隣同士で座っていた美樹と陵は、周囲に話を振られ照れくさそうにしている。
「みんな、仲良いなー」
「一吹さん!」
「楽しそうだな」
「一吹さんは、彼女いるんですか?」
「陵、話を逸らしただろ? 内緒。」
「えーーっ?!」
「一吹さん、気になります!」
「はいはい、また今度な。あと三十分くらいしたら再開するからな」
『はーい』
部員のまとまりは良く、遥はチームメイトと残りの休憩時間も楽しく過ごし、午後の練習に備えていった。
「女子も的中率がこのまま行けば、上位に食い込めそうですね」
「えぇー、二月が楽しみですね……」
「はい」
一吹の言った通り、学校対抗戦では一チーム五人、一人八射の合計四十射で競うのだ。的中数が多い彼女が外さなければ、予選を通過し、地区内の上位四チームで戦う決勝トーナメントに残れる希望が出てくる。
午前中と同じように手の空いてる者が、ノートに記録していく。今は雅人が書いていた。
「遥は相変わらずだな……」
「あぁー」
素引きをしていた翔が応えた通り、彼女の欄には丸が続いている。
二月中旬にある大会に向けて少しずつではあるが、的中率を上げていく事を目標にする彼らがいた。




