第十九話 青雲
翌週に控える県大会は、団体戦、個人戦の順に二日間に渡って行われる。
団体戦では、予選を勝ち抜いた四チームで決勝リーグを戦うのだ。男女共に一位校は十二月にある全国選抜大会に、四位校までは今月下旬にある東海高校選抜大会への出場権を得られる。
個人戦では、男女共に四射二中以上で準決勝へ、予選の的中数と合わせ、六中以上の者が決勝へ進み、決勝戦でも四射引き、合計十二射で順位が決まる。男女共に二位までが全国選抜大会、五位までが東海高校選抜大会の出場権が得られ、次へと繋がるのだ。
清澄にとっては厳しい戦いが予想される中、遥はいつも通り道場に足を運んでいた。
県大会が終わるまで……蓮が此処へは来られない事は、分かってはいるけど…………
落ち着くような居場所でもあるのだろう。深く息を吐き出し、まっすぐに的を見据えていた。
……私も……次へ進みたいから…………
八射皆中すると場内を片付け、学校で行われる朝練に向かう遥の姿があった。
「一吹くん、どうですか?」
面談室では藤澤と一吹が県大会に向けて話合っていた。時刻は午後五時、部活はとっくに始まっているが、練習方法について最後の擦り合わせである。
「ーーーー的中記録ですか……」
藤澤が記録したノートには、大前、中、落ちの陵、隆、翔が三中と、二番と落ち前の雅人と和馬が羽分けと、丸が並んでいた。
「今回は、雅人も和馬も落ち着いて引けたみたいですけど……こればっかりは、慣れるしかないですかね」
「そうですね。いつも通り引ければ……十五中が最大でしょうか」
「はい…………ギリギリ四位に入るかどうかですね。去年だと……十五中が六チームいて、さらに一射ずつ引いて競っていますし」
「チームもまとまって来ているので、勝たせたい所ではありますが……一吹くんは、やはり団体戦の強化練習ですか?」
「はい……女子はマユと奈美の的中率ですね」
大前の由希子と落ち前の美樹が三中、二番と中の奈美と真由子が一中に、落ちの遥が四射皆中だった。
「大会だと緊張するみたいですね。二人とも普段なら、羽分けになる事が多いですからね」
「はい……でも、残念を出さないだけ優秀だと思いますよ」
「一吹くんもそう思いますか?」
「勿論です! 弓道を始めて、半年ちょっとですよ? 十分だとは思いますが、きっと……本人達は、納得していないですよね」
「よく分かりますね……」
「彼らを見ていると、かつての私を思い出します。弓が好きで必死になっている所とか、憧れている所とか…………」
素直に告げる一吹に、藤澤は笑みを浮かべた。
「まだ発展途上ですよ。あの子達も……もちろん、一吹くんも……」
その言葉に、一吹は肩の荷が少し下りた気がした。
ーーーーーーーーまだ成長出来るだろうか……
じいさんに負けない、弓引きになれるのだろうか。
そう、彼は感じていたからだ。
「ーーーー藤澤先生……団体戦の練習を中心に、実践練習をしていく方向でいいでしょうか?」
一吹の提案に、藤澤は深く頷く。
「勿論です。コーチにお任せしますよ」
「はい!」
言葉通り、藤澤から一任された一吹は気合いを入れ、部員が集まる道場に向かった。
それからの一週間、一吹の提案通り団体戦に特化した練習が、放課後毎日のように行われる事となった。
明日に試合を控え、弓道部は十人全員が食堂に集まっている。大会前に結束力を高める為、隆が提案したのだ。
お弁当や定食、購買で買った昼食がテーブルに並んだ。
「夏休み以来だな。みんなで集まって、ご飯食べるの」
「うん、久しぶりだよねーー」
由希子の声に頷くと、箸を進めながら話を続ける。部活終わりのように賑やかだ。
「一吹さんがコーチになってくれて、よかったですよね」
「そうだな、心強いよな」
陵の声に隆が応えると、由希子が気にかけていた事を口にした。
「そういえば……男子だけの大会の時、一吹さんはどんな感じだったの?」
「どんな感じって?」
「藤澤先生もいる時は、一歩引いて見てくれてる感じがしたから……」
「そういう意味では、いつもと変わらなかったよな?」
「はい、でも……かなり心強かったですけどね」
「コーチは、藤澤先生みたく的確に指示出しくれるから、自分の射形が分かりやすくなったと思います」
翔の告げた事は部員共通の認識のようだ。全員納得したような表情を浮かべていた。
一吹さんの指示は……簡潔で分かりやすい。
みんな、本番の的中率も上がってきてるみたいだし……明日が楽しみ…………
彼に感謝をしながら、残りの昼食を食べ終えた。すぐに解散になるはずだったが、昼休みが終わるまで話は尽きなかった。
いつもは放課後時間の許す限り練習が行われているが、試合前日という事で早々と解散になった。
試合直前にはよくある事だが、引き足りなかったのだろう。
道場に立ち寄ると、心地よい音の響きが繰り返されている。
射形を乱す事なく弓を引く姿に、言葉が出ない。彼の姿に見惚れていたのだ。
「遥……お疲れさま」
引き終わった彼は、遥が来た事に気づいていた。
「…………お疲れさま……蓮……」
彼女のいつもとは微かに違う様子を、彼が見逃すはずがない。手を頬に伸ばし、優しく尋ねる。
「ーーーー遥……どうかしたのか?」
彼の手に自分の手を添え、正直に打ち明ける。
「……蓮の射に……見惚れてた……」
告げられた言葉に、蓮は頬が赤くなるのを感じ、彼女から自分の顔が見えないように抱きしめていた。
「ーーーー明日、楽しみだな」
「うん……蓮、ありがとう……」
遥は腕の中で、温もりを感じていたのだ。
「……来てくれて……ありがとう……」
蓮の中には会いたい気持ちもあったが、同時にまた一人で抱え込んでいるのではないかと、心配もしていたのだ。
「……遥」
彼女の光が宿ったような瞳に、彼もまた惹かれていたのだ。
「…………蓮?」
我に返り、両手を握ると弓を引くように促した。
二人がいつものように並んで引くと、弦音が響いていく。
蓮は右隣で先に弓を引く彼女の音を聴いていた。そして、遥もまた彼の音を聴き、大会に向けて心を落ち着かせているのだった。
高校県新人兼県高校選手権、一日目の団体戦が始まった。
県武道館で行われる中、遥は風颯のジャージを羽織った蓮を見かけたが、程よい緊張感の中にいる彼に声をかける事はせず、集中力を高めていた。
「ーーーーみんなの射を楽しみにしてるな」
一吹の言葉に彼ら自身も、自分の射が何処まで出来るかを楽しみにしているようだった。
清澄高等学校の女子五人が場内に現れると、チームメイトの男子に、藤澤と一吹が静かに見守っていた。
そんな中、彼女達の射を見つめる彼の姿があった。
「ーーーー相変わらず、綺麗だな……」
蓮は思わず声を漏らしていた。
ーーーーーーーー遥の射は美しい……
そう感じた彼の予感通り、彼女は音を響かせながら中っていく。
落ちに続くかのように弓を引いていくと、地区大会より的中数を上げ十四中だ。
「ーーーーあと一歩か……」
「部長ーー、行くぞ?」
「うん……」
女子の団体予選は同率六位で終わった。
緊張が解れたのか、いつものように話しながら男子の順番を観覧席で待つ五人がいた。
「この間より、的中率が上がったな……みんな、お疲れさま」
彼女達は頷いて応えていた。
「一吹さんと、藤澤先生のおかげです」
はっきりと告げた由希子に続くように、チームメイトが座ったまま一礼すると、清澄高等学校の番となった。
大前から順に五人が弓を引いていく。
『よーし!!』
五人とも中り、掛け声と共に拍手が響く。幸先の良いスタートだ。
その音を味方につけるかのような弓の音が響くと、地区大会よりも記録を伸ばし、十六中で予選を終えた。
例年なら予選突破出来そうな本数だが、二十射十六中が三校並び、同率四位の為、更にもう一射ずつ弓を引く事となった。
緊張感のある中、彼らの射が中るようにと願っていたが、すぐに決着はついた。
五射中二本中り、五位の成績で県大会を終え、悔しさが滲む。
「あーー、惜しかったな」
「あぁー」
陵の言葉に皆、同意していた。あと一歩が及ばない。その一歩がどれだけ距離がある事か、改めて痛感していたのだ。
昼休憩を挟み、午後は決着トーナメントが行われる。清澄の結果は出ていたが、他校の試合を見る為、昼食を外で取っていた。
「もっと、弓を引きたかったですね」
「だよなー」
話題は先程までの射の事ばかりだ。
「一吹さん、先生は?」
一吹が一人で戻って来た為、和馬がそう尋ねた。
「藤澤先生は中で話しているから、帰る頃に合流になりそうだな」
部員全員チームワークの良い状態でも……勝たせてやれなかった……
そう一吹が考えを巡らせていると、遥が気持ちを切り替えるように口にした。
「……明日も……楽しみですね」
彼女の言葉に、その瞳に、彼らが憧れを抱くのも無理はないと感じる一吹がいた。そして、それだけの強さを彼女はすでに手にしていたのだ。
場内へ戻ると女子のトーナメントから始まっていく。風颯学園は男女共に予選から勝ち残っていた。
彼女達は、決勝トーナメントに残った四校の射を見つめていたが、遥のように皆中を決める者は一人もいない。その事実に、改めて彼女の的中率の高さを知るのだった。
女子の結果が出ると、男子の番だ。的前には蓮が率いる風颯の五人が並んでいる。
遥は、彼らの射を一つ残らず吸収するように眺めていた。
大前の蓮から順に弦音を響かせていく。落ちの佐野が弓を引き終えると、『よーし』の掛け声と拍手が響く。風颯の弓道部員も彼らを見守り、エールを送っていたのだ。
「やっぱり……すごいな……」
珍しく漏らした翔の小さな声を、陵はしっかりと聞き取っていた。
視線を彼らに向けたまま頷いて応える陵に、翔は明日の個人戦へ闘志を密かに燃やしていた。
風颯学園は団体戦女子Aチームを三位、男子Aチームを一位の成績で終え、強豪校と呼ばれるのは伊達ではない事を証明したのであった。
遥はチームメイトと分かれると、迎えの車を外で待つ中、先程の蓮の射を想い浮かべていた。
ーーーーーーーー綺麗に決まった皆中。
優勝を決めた二人に、私も少しずつ……追いついて行けるのかな?
きっと…………今の清澄でなら、叶うはず……
そう信じながら空を見上げていると、スマホにメッセージが届く。
「また明日、楽しみにしてる……か……」
スマホに額を寄せる彼女からは笑みが溢れていた。
高校県新人兼県高校選手権、二日目の個人戦には清澄から隆部長、陵、翔、ユキ副部長、美樹、遥の経験者の六人が出場だ。
見学する四人も、袴姿で県武道館を訪れていた。大会後に時間があれば学校で弓を引く為、弓具も持って来ている。
「落ち着いていきましょうね」
『はい』
「いつも通りな」
『はい』
藤澤と一吹から一言ずつ貰うと、大会に出場する六人と見学する四人は、別々の場所に控えていた。
和馬たち四人の元には一吹、藤澤も同行している。
「個人戦は、八位までが入賞だな」
一吹の言葉を冊子を見ながら、彼らは聞いていた。
「丸とか書き込んでいいぞ?」
そう言ってボールペンを差し出す彼から受け取ると、雅人はさっそくペンを構える。
「一吹さん、ありがとうございます」
真剣な眼差しを的前に向ける彼らの姿に、一吹と藤澤は今もできる事から学ぼうとしているのだと感じた。
予選には男子百二十五名、女子百九十八名が参加している。
男女共に四射二中以上が準決勝に進める為、いつも通りの射が出来れば、地区大会を通過した六人は勝ち残れるのだ。
遥が場内に現れると、インターハイ優勝者という事もあって、彼女のいる組は注目を集めていた。
右から四番目の位置で弓を引く姿は、いつもの部活と変わる事はない。
弦音と弓返りの音がし、拍手と掛け声が響く。
彼女は四射皆中を決めていたのだ。
その立ち姿を綺麗だと、感じる者がいた事は確かだろう。感嘆の声が上がる様子を彼らは見ていたのだ。
遥に続き、由希子と美樹も四射三中を決め、準決勝に進める事になったが、その人数は半数以下の九十八名だ。
男子も同じように半数近くが予選で敗れ、七十六名が準決勝進出となった。
その中に隆、陵、翔の三人の姿もあった。由希子達と同じく四射三中を決め、残っていたのだ。
男女共に予選の的中数と合わせ、六中以上が決勝進出となる。その決勝に残る事が、どれだけ難しい事なのか、見学していた彼らは痛感していた。
先程よりも更に人数が減り、男子十八名、女子二十名となっていたからだ。
その中の清澄は六人中三人、陵と翔、そして、遥の三人が残った。
決勝も四射引き、予選、準決勝の的中数と合わせた十二射で順位を決め、同中の場合は競射により順位決めを行う事になっている。
蓮は遥の射を見つめていた。何人も並ぶ中で、彼女の音だけが違って聴こえていたのだ。
ーーーー競射するまでもないか……
彼の思ったとおり、十二射皆中を決めたのは遥だけだ。
そんな彼女の姿に、蓮は呼吸を整えると場内に向かっていった。
見学していた四人に隆、由希子、美樹も加わり、エールを送る。
陵の組には佐野、蓮の風颯の二人がいた。
遥は観覧席に戻る中、彼らの射を見つめていた。チームメイトにエールを送ると同時に、いつもの蓮の射が見れる事を願っていたのだ。
的に中る音が続くと、蓮が十二射皆中を決めた。準決勝と合わせた的中数となり、次の組の結果を待って順位が決定となる。
二組目には翔の他に、団体戦にも出ていた風颯の下村と森がいた。
遥がチームメイトの元に戻ると、ちょうど翔が弓を引く所だった。彼の射が的から外れると、思わず声が出そうになるのを抑える。
十二射を終え、皆中したのは蓮だけだ。彼に続いて十一中は佐野、翔、陵を含め八人いた為、競射が行われていく。チームメイトが彼らを見守る中、数分で決着がついた。
八位までの入賞者に、清澄の三人の名前が残っていた。
県大会個人戦男子七位に白河翔、八位に松下陵。
そして、女子の一位に神山遥。
三人は十分に藤澤の期待に応えていたが、もっと高みを目指したいと思っているのだろう。強い意志が感じ取れる瞳をしていた。
会場から帰ると、遥は袴姿のまま道場に足を運んだ。
いつものように的を用意すると、弓懸を付け、弓と矢を手にする。
先程まで注目を集めたような綺麗な所作で引く。
大会の後にも関わらず、彼女は四射皆中していた。
五つ並んだ的には、全て四射ずつ中っている。
矢取りをする為、外に出ようとした所で道場の扉が開いた。
「遥…………」
そこには蓮が立っていた。思わず駆け寄り、勢いのまま抱きつく。
「おめでとう!」
祝福の賛辞を送る彼女に、蓮も微笑んでいる。
「遥もおめでとう! これで、全国選抜に出れるな!」
「うん!」
二人でまた一緒の舞台に立てることを喜び合う。
矢取りを終えると、いつものように並んで弓を引く姿があった。
幼い頃から形は変わっても、弓道がすきな想いを変わらずに持ち続ける彼らは、心地よい音を響かせていた。