第十八話 向上
中間テストを終え、今日から再開する部活動を心待ちにしていたのは遥だけではない。
ホームルームが終わり、翔がさっそく声をかけた。
「ハル、行くだろ?」
「うん、一週間ぶりだね!」
道場に向かうと、見た事のある人物に気づく。
「あっ……一吹さん?!」
「えっ?!」
思わず声を張った二人に対し、一吹はいつもの落ち着いた調子のままだ。
「久しぶりだな。今日から……正式にコーチに就任したから、よろしくな」
『よ、よろしくお願いします!!』
驚きと喜びで顔を見合わせていると、残りの部員と共に藤澤が場内に揃う。
「一吹くん、早いですね」
「藤澤先生……今日から改めて、よろしくお願い致します」
深々とした一礼に、藤澤は微笑んでいる。
「今日から一吹くんが、正式にコーチに就任にして下さいました。来月頭に控える大会に向けて、頑張っていきましょう」
『はい!』
元気良く応える相変わらずの部員を、一吹は快く感じていた。
高校新人地区兼県選手権予選の団体戦は、地区大会において男子は二十射十二中以上、女子は十中以上のチームが県大会へ出場となる。
また個人戦では、男子八射五中以上、女子は四中以上の者が、同じく出場の機会を得られる。
東部地区での大会を三日後に控えた清澄弓道部は、朝練も午後練もいつも以上に気合いが入っていた。特に午後練では、一吹コーチの細かな指導が行われていた。
「一吹さん……どうですか?」
「部長はその調子で引けば、大丈夫だ」
一吹は全員とは言わないが、少なくとも経験者は順当に行けば、個人戦は県大会に進めると確信していた。また団体戦では、遥、翔、陵の三人の力によって県大会へ進める可能性もゼロではない。ただ、高校から始めた四人の結果次第では、それも変わってくると感じていた。
「お先に失礼します!」
「お疲れさまでした」
「お疲れさま、気をつけてな」
帰宅する部員達を見送ると、一吹は今日の的中記録のノートを開く。
「ーーーー遥は、外さないですね」
「そうですね……」
彼女の欄にだけは◯が書かれている。このノートに記録をつけるようになってから、一度も外した事がない証拠だ。
一吹は、かつての自分の師を想い出していた。
彼の弓道の師は、神山兄妹と同じく祖父だったが、とても厳しい人だったのだろう。微かに表情が陰る。
「…………一吹くん……私達も帰りましょうか」
「はい……」
我に返り、顔を上げた一吹の目には、優しく微笑む藤澤の姿が映っていた。
最近の遥は、寝る前の電話が日課だ。
『もしもし、遥? お疲れさま』
「お疲れさま……」
耳元に届く声に、頬が緩む。
引退式を終えて部長になった蓮は、今まで以上に忙しそう。
日課になっていた朝練も、今は一人……分かっていたはずなのに……ほんの少しでもいいから、会いたいと思ってしまう。
それを伝える事はないが寂しさは募っていた。
『今回は遥の方が先に試合だな』
「うん……また、残れるといいな……」
『うん、俺も……残れるように、頑張らないとな。満から託されたんだし』
「そうだね……」
心にあるのは、三人で引いた僅かな時間。
久しぶりに競い合った射は、楽しかった……学校で引いている事を忘れてしまうくらい…………想い出していたの。
学園祭での弦音に、弓が引けるようになったばかりの事を想い浮かべていた。
先に進んでいく二人が心強くて、いつも少し羨ましかった。
私が男の子だったらよかったのに…………そう思うくらい、蓮とみっちゃんの関係が羨ましかったの。
ずっと一緒に、弓を引ける二人が…………
『ーーーー遥、何処まで行けるか勝負だな?』
「うん……」
『もう、時間か……』
「……そうだね」
一時間近く通話をしていた二人は、名残惜しそうだ。
「蓮……おやすみなさい」
『うん、おやすみ……』
無機質な音に溜息を吐いて、スマホをぎゅっと両手で握る。
声を聴いたら、会いたくなるけど……蓮が頑張ってるんだから、私も……しっかりしないと…………
不安定な気持ちを頭の片隅に追いやって、眠りについた。
東部地区大会はスポーツフェスティバルとは違い、男女同じ会場だ。春の大会と同じ場所だが、改装され真新しい匂いが漂う。
遥は深く息を吐き出すと空を見上げ、今朝の出来事を想い返していた。
『ーーーー遥、県大会で会おうな』
『うん……』
道場に顔を出した蓮に抱き寄せられていた。遥の様子を見に来ただけで、弓を引く時間的な余裕はなかった。
『……また後でな』
ーーーー蓮に抱きしめられると……勇気を分けて貰った気がした。
私も頑張ろうって、思えるから…………
「遥、次だね」
「うん……楽しみだね」
美樹は普段と変わらない彼女に、緊張感が解れていく気がした。
団体戦は一人四射、一チーム二十射で競われる。
清澄高等学校はインターハイ優勝者がいる為、観覧席には彼女の射を見に来ている者もいた。
「ーーーー綺麗……」
落ちの遥の射に、そう思わず口にする者がいる。
それはチームメイトの声ではなく、近くに座る他校生のものだ。
藤澤はそんな彼女達の射に、弓道部が再生しつつある事を実感していた。
そして、彼女達は大会の度に思っていた。遥の弦音を聞く度に、自分も続けていける気がする事を。
今も弦音に続くように、五人とも中っている。遥は仲間の音が響く度に、笑みが溢れそうだ。
ーーーーーーーーうん……音が聴こえる。
緊張しながらも、まっすぐに放たれる音が…………
五つの的には三、一、一、三、四本と、中っていた。二十射十二中を決め、県大会出場を決めたのだ。
「ーーーー俺達も頑張らないとな」
『はい!!』
隆とハイタッチを交わすチームメイトの気合いも十分だ。
男女が入れ替わり、場内には清澄高等学校が揃う。
「ーーーー緊張するね」
「うん……」
ある意味、自分が引くよりも緊張する…………仲間の射は特に……
緊張した面持ちで見守る彼女達に、藤澤は彼を重ねていた。今日はいない一吹も、同じように見守っていた事を。
「ーーーーやりましたね」
「はい……」
五つの的には、全部で十三本中っていた。女子よりも一本多く、条件よりも一本多い本数だ。
「男子も……団体戦、県大会出場決定だね!」
「やったぁーー!」
「揃って行ける!」
「うん!」
五人が抱き合って喜び合う姿を、藤澤は微笑ましく見つめていた。
県大会には、清澄高等学校から団体戦男女一チームずつ出場となり、個人戦では隆部長、陵、翔、ユキ副部長、美樹、遥の経験者六人が進める事となった。
いつもの道場に着くと、蓮が弓を引いていた。
彼が皆中を決める姿を静かに見守っていると、弓を引き終えた蓮が声をかけた。
「ーーーー遥、お疲れさま」
「蓮……ありがとう……」
勢いよく抱きつく。
県大会に進める喜びと、彼と会えて安心したのだろう。蓮の腕の中で泣きそうである。
「……おめでとう……明日は、俺が頑張る番だな」
遥はまっすぐに蓮を見上げた。
「……蓮たちの射、楽しみにしてるね」
微笑み合い、八射ずつ弓を引く。
十一月の夕暮れに、幼い頃から通い慣れた道場には、弦音と弓返りの音が響いていた。
中部地区大会では、この前の大会から新しくなった団体戦メンバーを風颯学園Aチームとし、二年生と一年生で編成されたBチーム、一年生を中心としたCチームの、三チームがエントリーしていた。
蓮は満から引き継いだ連覇を成し遂げると、心に決めているが、その表情は何処か楽し気だ。
「部長、勝負だな」
珍しく口にした佐野に、蓮は頷く。
「うん」
二人の肩を組んで笑い合う様に、チームの士気も高まっていく。
蓮の瞳には、期待が込められているようだった。
県大会でも使われる県武道館には、制服姿の二人が訪れていた。
「遥、楽しみだね」
「うん、美樹が一緒に来てくれて心強いよ」
「私が誘わなくても、遥は一人でも見に来てたでしょ?」
「それは、そうかもだけど……」
「学祭でも思ったけど、蓮さんの射はすごかったし。風颯の射をもっと見たくて」
美樹のまっすぐな視線に微笑む。
「うん……」
場内の空気が変わり視線を移すと、風颯Aチームの姿があった。
大前の蓮から田中、下村、森、佐野の順に並んでいる。
驚くほど的中率が高く、周囲の視線が強まる。
皆中が続き、二十射十八中と安定した結果を残した。
「ーーーーすごいね……」
思わず漏らした言葉に、遥も頷く。五人中三人が皆中を決めていたからだ。
程なくするとBチームが現れた。二年生と一年生の編成というだけあって、十五本中っている為、二チーム共に県大会へ出場となった。
一年中心のCチームが現れると、美樹が思わず声を上げた。
「あっ、あの人……前に、遥に話かけてたよね?」
県連秋季大会で話かけられていた林が、大前の位置にいる。
「うん…………中等部が一緒だった……林だね」
「そうなんだ……」
彼女の変わらない様子に、美樹は正直に打ち明けていた。
「あの日ね……遥の様子が気になって、二人の後を陵と翔と追いかけたの。会話の内容までは聞こえなかったけど、大丈夫だったの?」
心配する様子に、笑顔を作ってみせる。
「うん、大丈夫だったよ……美樹、ありがとう」
彼女への感謝は遥の本心だった。
気にかけてくれていたなんて…………
それだけ十分だったのだ。
Cチームも先に終えた二チームに続き、二十射十三中で県大会出場を決め、風颯の男子からは全三チームが次の大会に進める事となった。
個人戦の射を遥は緊張感のある中、見守っていた。蓮が弓を引く番が来たからだ。
観覧席では、他校の生徒も彼の射を食い入るように見つめている。全国クラスの彼に向けられる視線は様々だが、その多くが羨望の眼差しだ。
綺麗な射形で弓を引き、弦音と弓返りを響かせる。
遥のすきな音が響き、拍手の音が場内に包む。
蓮が八射皆中を決め、遥と同じく県大会出場を決めたのだ。
「ーーーーーーーー蓮……」
そう漏らした遥は、自分の事のように喜びを噛み締めていた。
風颯学園を見終わった二人は、外のベンチに腰掛け、翔と陵を待っていた。
「二人も来てるなら、一緒に見ればよかったね」
「そうだね……」
まさか……翔と陵も見に来ているとは思わなかった。
美樹と陵のメッセージのやり取りで、他校の試合をお互いが観戦している事に気づいた。風颯にとっては珍しい光景ではないが、昨日試合を終えたばかりの彼女達にとっては、珍しい事だ。
相槌を打つ遥に、美樹が告げた言葉は予想しなかったものだ。
「……遥、本当は会いたいんでしょ?」
照れながらも、正直に頷く。
「ーーーーうん……蓮の射は……見れる機会に、見とかないと……」
その言葉に、彼が他校生である事を改めて実感する美樹がいた。
「ーーーーーーーー遥!」
呼び声に応えるように駆け寄っていく。
「ーーーーっ、蓮! おめでとう!」
堪らず抱きしめる蓮に、外だという事は抜け落ちている。背中に伸びた手からも明らかだ。
「次は、俺達で勝負だな!」
「うん!」
彼女は嬉しそうに笑っている。
そんな二人の様子を美樹が少なからず羨ましそうに見つめていると、陵と翔がその場に居合わせた。
「美樹、あれ? 遥は?」
「あっちにいるよ」
二人に視線を戻すと、ハイタッチを交わしていた。試合直後だというのに、蓮の楽しそうな横顔が印象的だ。
彼らは追いつきたいと感じていたのだろう。羨望の眼差しを向けているのだった。